第四十一話:強くするためなら妥協しない
僕とリンが並んで観察している前で、アムが跳ぶ。
職を得た。不安や心配事をほとんど潰し、一般的な生活を得た。人との関わりを増やし、精神的安定を得た。大きかった力のブレもだいぶ落ち着つき、コンスタントに戦えるようになっている。
アムが咆哮した。
「仕事ばっかり。フィルさんの、バカああああああッ!」
制御も完璧だ。種族スキルは種族の本能だが、漫然と使用するのと意識するのでは成長速度が違う。『恐怖のオーラ』と『ライフドレイン』の制御も含め、彼女はこれまで使いこなせなかった力を急速にものにしつつあった。身に纏う黒い靄――『悪夢の福音』の身体能力上昇にもだいぶ慣れている。
相対していた広谷は、まるで模擬戦とは思えない鬼気迫るアムの突撃に完全に圧されていた。
今のアムならば僕がわざわざ命令で身体を操る必要もないだろう。相性の悪いはずの《侍》の連撃を剣で捌き、ただ前に出る。指示を守りしっかりと行っている基礎修練の効果が出ている。
一方で広谷も必死に刀で重い一撃を受けるが、勢いがついた霊体種を相手にするには些か慎重に過ぎる。どうやらあまり霊体種と切り結んだ事がないようだ。彼女たちは調子に乗らせてはいけない。僕は叫んだ。
「広谷ッ! 対霊体種との戦いの基本は――相手の心を折る事だッ! 引くなッ!」
「!? フィルさんはぁ、どっちの味方ですかあああああああああッ!」
アムが叫び、更に前に出る。広谷も僕の助言で前に出ようとするが、やはり禁術の力を借りても今のアム相手は厳しいようだ。
種族等級が違い過ぎる。技術は熟達しているが、同時に長く停滞している気配を感じる。
これでは模擬戦の効果が薄い。僕はリンに言った。
「リン、スキルで補助を掛けろ」
「え!? ええ!? 一対一の模擬戦では?」
「鉄は熱いうちに打てって言うだろ。アム、負けるなよッ!」
「フィルさんの、バカああああああああああッ!」
§
広谷がぜえぜえと荒く息する。黄土色の肉体からは汗が滝のように流れ、手足は細かに震えていた。
格上との戦いは見ている側が考える以上の疲労になる。リンが水の入ったボトルを持っていった。
一方、アムは明らかに疲労が少ない。もともと、霊体種というのは疲労が溜まりにくいものなのだ。
「まいったな。まさかもう手に負えなくなるとは……これが種族の差か」
これは……だいぶ参っているな。リンが僕をちらりと見る。
いいだろう、確かにここで口を出すのはリンではなく僕であるべきだ。
何しろ、アムが勝つと知りつつ、広谷が負けると知りつつ、模擬戦を決行した。
敗北は癖になる。ここで何もしなければ義に反する。ためいきをつき、俯く広谷に言った。
「違うね、広谷。種族の差じゃない、これは――努力の差だよ。種族による差がゼロだとは言わないけど、それらは覆せないものじゃない」
「何……?」
「負けを他人のせいにするな。理由を自分以外に求めるな。それは君を今よりもずっと弱くする。勝てないなら何をすべきか考えるべきだ。僕はアムがどうすれば強くなるかずっと考えてきていたよ」
アムが強くなったのは当然だ。僕はこれまで培ったノウハウの全てをアムに注ぎ込み、そしてアムもそれに応えた。広谷と戦うための対策だって授けた。
これで負けたら、僕は《魔物使い》失格だ。
「それに、種族のせいにするなんて、広谷に勝つために努力してきたアムにも失礼だろう」
「…………ああ、全く、お前の言う通りだな」
当然だと思ったのか、或いは広谷に勝つために努力していると聞いたのがよかったのか、広谷が大人しく頷く。ついでにリンに振っておこう。
「誰かのせいにするならリンのせいにしなよ。マスターはそのためにいるようなものなんだから」
「!? そ、そうね。ごめんなさい、広谷。毎日訓練していた貴方が負けたのは……私のせいよ」
僕は先輩の鑑だな。本気で申し訳無さそうに言うリンに、広谷も居心地悪そうな顔をして謝罪する。
二度とそういう気分になりたくないなら、死物狂いで努力するといい。それだけが勝利への道だ。
そこで、呼吸を整えたアムが不満そうな顔で言った。
「フィルさん。私には……何かないんですか? リンは広谷に水を持っていったのに、私には何もないみたいですが……」
「もちろんあるよ。次は座学だ」
「!? 自主練をして、依頼をやって、模擬戦もやって、まだあるんですか!?」
アムが素っ頓狂な声をあげる。が、アムに足りないのは力よりも知識だ。
「僕は素晴らしいマスターだからね、アムを強くするためなら妥協しない」
「ひー、スパルタです」
身を捻るアムを捕まえる。《命令》があるので逃げられない事は知っているはずなのに、アムはすぐに逃げようとするのだ。だからしっかり追いかけてやらねばならない。
「基礎的な内容だし、休憩みたいなものだよ。お菓子でも食べながらやろう」
§ § §
一体どういう人生を送ればこんな探求者が出来るのか。最近、そんな事をアムはよく考える。
フィルはリンと同じ年齢だ。だが、そうとは思えないくらいに、様々な面でフィルは熟達していた。
肉体面が脆弱そのものだからこそ、行動で、知識で、口先で周りを翻弄していくその手腕はより目につく。
ここしばらくのアムは順調そのものだった。凄まじい勢いで成長している。その自覚がある。《剣士》の技を幾つも修め、依頼をいくつも熟し、以前までは考えすらしなかった強力な魔導機械を何体も倒した。多分、今のアムの力は平均的な夜魔を越えている。アムを見て笑う探求者はもういない。
しかし、フィルは喜ばない。いや、喜んではいるが――その眼は遥か先を見ている。生き急ぎすぎている、と思う。そもそも一撃で殺されるフィルがアムと共に戦場に出ること自体、自殺行為だ。
強くなるのは歓迎だ。だが、アムはもう少しゆっくり色々な事をしたかった。だが、そんな事、口に出せない。フィルは明らかにアムの学びのペースや限界までも考慮し、カリキュラムを組んでいる。実際にアムはなんとかついていけている。ここで口を出すなど、スレイブとして恥ずべき行為だ。
ソファの上で膝を抱えるアムの前で、マスターがホワイトボードに図を書きながら説明してくれる。
「この世界に存在するあまねく生命は六種のいずれか、あるいは複数の種族に分類される。相手がどの種族に属するか記憶することであらゆる点で有利に立ち回れる。何故なら、各種族は相克の関係にあるからだ。すなわち、有機生命種は無機生命種に強く、悪性霊体種に弱い。そしてまた、悪性霊体種は有機生命種相手に無双の力を持つが、善性霊体種の力は大きな弱点となる」
何故かアムの隣で神妙に一緒に話を聞いていたリンが小さく手を上げる。
「種族相性は知っています。でも、その相性って、理由はあるんですか?」
「半分くらいこじつけだ。でも、僕の実体験で語るならば――あながち無視できないと思う。一部は理由もある。悪性霊体種が有機生命種に有利なのは、悪性霊体種という種族が総じてライフドレインという命を吸い取る凶悪なスキルを備えているからだ。これを対策なしで受けると、遥か格下の相手にも一方的に吸い殺される事もある。他にも『恐怖のオーラ』や、魂に取り憑く『憑依』など、悪性霊体種には有機生命種に一方的に有利を取れる能力がいくつもある」
フィルの話は興味深かった。中にはアムの知っていた事もあるが、とてもわかりやすい。
だが、フィルは悪性霊体種が有機生命種の天敵と述べたが、アムはその事を意識した事はない。
きっと、他の探求者達もあまり気を払っていないのではないだろうか。もしかしたら、そういう細かい部分がフィルがSSS等級まで至った理由なのかもしれない。
そこで、アムも手を上げてずっと気になっていた事を聞くことにする。
「フィルさん。『憑依』って、どういうスキルでしょう?」
「『憑依』は、特定対象の魂に寄り添う、霊体種の持つスキルだ。有機生命種によく効き、霊体種と無機生命種には全く効かず、精霊種にはかなり効きづらい。『ライフドレイン』なんかと違って使用そのものは禁じられていないけど、無断での憑依は大抵の国では禁止されている」
フィルの言葉には淀みがなかった。
アムをスレイブにする前に連れていたというアリスを育成する上で勉強したのだろう。
「憑依と言っても、別にその後ろに憑き纏っているわけじゃない。憑依は自分の魂の欠片を対象に忍ばせ、繋がりを作るスキルだ。受けた相手は繋がりを通して様々な精神干渉を受ける。視界を盗み見られたり、音を聞かれたり……善性霊体種に憑かれれば高揚して、悪性霊体種に憑かれれば憔悴するなんて言われているけど本来は同じスキルなんだ。使い方によっては役にも立つだろうね」
「詳しいですね。フィルさん、試した事があるんですか?」
「ないよ。僕は『魂の契約』を結んでいたからね」
フィルがあっさりと答える。真面目な顔で聞いているリンの顔を確認して続けた。
「『魂の契約』をスレイブと交わしている《魔物使い》に憑依は効かない。交わした契約が魂を守る――魂への干渉は早い者勝ちなんだ。《魔物使い》の『魂の契約』と『憑依』は、かなり似ている。同じように縁が出来るし、出来ることも似通っている。精神防衛や遠見もできるし、転移もできたはずだ」
初めて聞く情報に、思わず瞠目する。絶対の絆の証明である『魂の契約』と仄暗いイメージの強い『憑依』に共通点があるなど、考えたこともなかった。
「一番大きな違いは……繋がりの強さと――憑依が一方向の縁で、魂の契約が双方向の繋がりである点だ。例えば、アムが僕に憑依したとしたら、アムは僕の事をわかるけど僕からはアムの情報はわからない。魂の契約の場合、僕からスレイブ側の情報を知ることができる。こんな感じでいいかな?」
一方向性の縁。フィルの述べた情報を咀嚼する。
「はい、ありがとうございます……ところで、繋がりの強さが違うって……どういう事ですか?」
基礎的な知識だったのか、真剣なアムの問いにフィルはあっけらかんと言った。
「ああ、簡単だ。魂の契約は――言わば、魂の共有だ。片方が死んだらもう一方も死ぬんだよ」
体調不良で更新が遅れました。
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/槻影
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