第四十話:帰還に舵を取るべきだ
身を低くして疾駆する。黒い光を纏い強化されたアムの脚力は優れたセンサーを持つ魔導機械をも置き去りにした。
黒い風を思わせるその姿は悍ましくも美しい。
相対していたのは鋼鉄の巨人だった。B203アイアンオーガ。単純な戦闘能力で言うのならばA等級にも匹敵し得る、体長三メートルを超える鋼の鬼はまるで生物さながらの動きでアムを追う。
ここの魔物はやはり強力だ。その動きは理に適っていて、生物を模していながらも恐怖がない。
鋼鉄の鬼の速度は完全にアムに劣っていた。だが、その戦意がくじける事はない。
豪腕を駆使し、何度も巨大な剣を身体全体を使って振り回す。まるで独楽にも似た動きだが、その一撃は油断ならない破壊力を有していた。似た技を覚える職もあるが、単純で隙も多い反面、混戦では非常に効果が高い技だ。激しい足運びに地面が揺れる。
無機生命種は職を持てないが、『機能』である程度の模倣ができる。そう、その鋼の鬼の技は明らかに『職』を模倣していた。
だが、嵐のようなその攻撃の中に、アムは躊躇いなく飛び込んだ。
回転した剣が戦場に飛び込んだアムの身体を切り裂く。その寸前、アムの身体がすっと薄れた。
刃がアムの身体をまるで何もないかのように通り過ぎる。アイアンオーガの動きが一瞬止まる。
予想外の動きに発生するラグは魔導機械ならばありがちだ。そして、その隙をアムは見逃さない。
アムが小刻みに跳び、アイアンオーガの後ろを取る。
アイアンオーガはオーガよりも強靭だが、腕の可動域は本物と同じだ。だから、動きも読める。
魔導機械が体勢を変える。その時には、アムはもう剣を振り下ろしていた。
動きが止まり、その分厚い金属の身体に一本の線が入る。
剣士の基本スキル。『ラインスラッシュ』。一見ただの振り下ろしだが、高い等級の種族が使用すれば一撃必殺にもなる強力なスキルだった。
アムの剣の腕はまだ未熟だが、道を見据え模倣し続けたその技だけは既に達人の域に達している。
アイアンオーガが倒れる。断面から部品とオイルが溢れる。
アムは小さく吐息を漏らすと、離れた所から双眼鏡で見ていた僕に笑顔で手を上げた。
§
南に転移してから三週間が経過した。探求者としての活動は順風満帆だった。
アイアンオーガの討伐証明を渡すと、小夜さんが唇の端を持ち上げ微かな笑顔を作る。
「おめでとうございます。フィル様、試験とランド・グローリーの推薦の結果、貴方のB等級への昇格が承認されました」
「ありがとうございます、小夜さん」
新たなギルドカードと、昇格祝いの入った箱を受け取る。カードは貰い、箱の方はそのままアムに流す。昇格は既に四回目なのだが、とても嬉しそうにアムはお礼を言った。
「レイブンシティで登録した探求者の中では最速です」
「既に一度やったことをなぞってるだけだからね」
最初からそれが出来るなら、間違いなく天才だろう。だが、二度目となると難易度は大きく落ちる。
僕は既に全てを知っているのだ、最速程度取れないわけがない。
「わあ、フィルさん。水差しです」
「魔導具だね。水が尽きない『アンダルキアの水差し』だ」
「そんな貴重品、頂いてもいいんですか?」
「ああ、構わないよ。大切にするといい」
アムが驚きに目を見開くが、ギルドの昇格報酬は実用的ではあってもそこまで高級品ではない。
水差しも水を自分で作れる魔術師にとっては不要なものだし、上位互換はいくらでもある。アムには魔力を分けてあげられないし、昇格報酬くらいいくらでもあげよう。きっといつか役に立つはずだ。
「しかし、一度も依頼失敗がないとは……」
「依頼を吟味しているのはもちろんだけど、アムが優秀なんだよ」
「えへへ……」
にこにこだらしない笑みを浮かべるアムの背中を叩いてやる。暗い雰囲気を纏っていたナイトメアはもういない。最近は大きなミスもなく、ずっと機嫌がいい。小夜さんも完全に呆れていた。
アムの強さは僕の想像以上だった。どうして落ちぶれていたのかわからないくらい、彼女のポテンシャルは高い。たまに調子に乗ることもあるが、それも決して欠点とは言えないだろう。
一番の長所は命令なしでもサボらない事だ。サボろうとはするが、やることはちゃんとやる。訓練も自分でやっている。
当たり前の事だが得難い気質だ。まだ夜魔の種族スキルを全て使えてはいないが、それもいずれ使えるようになるだろう。頭の回転も悪くはない。最近では人間不信もやや収まりを見せ、周りとのコミュニケーションもそれなりに取れるようになってきた。
今ならば放流してもかつてのように哀れな事にはならないはずだ。まだ最初に投資した金額は取り戻せていないが、それも見込みがついている。僕の王国への帰還計画も前倒しで進められるだろう。
§
「フィル、調子が良さそうじゃないか」
「ぼちぼちかな。ああ、推薦、助かったよ」
「まぁ、そのくらいならね。君にはうちのセーラの借りがあるからね」
ギルドの依頼の掲示板を眺めていると、後ろからランドが声をかけてきた。側にはガルドとセーラを連れている。セーラだけが強い眼差しで僕を睨みつけていた。
何度か公衆の面前で会話を交わした事で、既に僕とランドの交友は知れ渡っているようだった。
最近、アムが大手を振って歩いているのに誰も絡んで来ないのは、アムの成長もあるがランドとの交友関係が知られたのも理由の一つだろう。誰だってSS等級の竜人と敵対したいなどとは思わない。
そして、ランドもその事を理解していると見える。切れ者だ。
「持ちつ持たれつだよ。データリングでビンタは予想していなかったけど」
「と、当然、でしょ! あんな、いきなり――」
「まぁ無理にとは言わないけどさ。大したことしたわけでもないし、ただの口約束だったし」
「わ、悪かった、わよ。今度、何か埋め合わせするから――」
セーラがボソリと謝罪する。まぁ、良かろう。ランドの対応だけでもお釣りがくるくらいだ。
どうやら僕の掛けた魔法――というか、暗示はまだ残っているらしく、セーラがあれから魔法を使えなくなったという話は聞かない。単純にも……程があるな。これからずっと効いてたりして……。
と、そこで、ランドが話を変えた。
「そうだ、クイーンの件、ようやく吐いたよ。どうやら随分昔、とある《機械魔術師》が存在を確認していたらしい。斥候を出して討伐隊を組む」
「そう、か……うん、そうだろうね」
機械魔術師は無機生命種に対して無双を誇る魔術師だ。それも当然で、無機生命種というのは機械魔術師が生み出した種族なのである。彼らは無機生命種を研究し、生み出し、使役し、破壊する。
この地に蔓延る魔導機械達も恐らく元は機械魔術師によって生み出されたもののはずだ。
この周辺の生態系には作為がある。非常に興味深い話だった。
ランドがにやりと笑みを浮かべて言う。
「フィル、君も参加するだろ?」
「……ここの情報屋は随分優秀みたいだな」
完全に僕の北での地位に納得している。僕がSSS等級だったという話は興味を引くために僕が提示したのでいいのだが、その荒唐無稽な情報を真実だと確信しているとなると話は違う。
ランド達は情報屋などで裏を取ったはずで、あの時点でギルドにもない情報の裏が取れたという事は、この地の情報屋の腕前はちょっと普通ではない。手紙や念話系の魔法は境界を越えられないから、恐らく特殊な種族スキルで広範囲の情報網を保持しているのだろう。
ガルドが僕の言葉に、大きな声で笑う。
「ああ、確かに、裏は取った、が、取ってなくても素人じゃねえ事はすぐにわかる」
目を見開きこちらを見定めようとするガルドに、僕は小さくため息をつき、謝罪した。
「興味はあるんだけど――悪いけど、忙しくてね。多分参加できないと思う」
「む……そうか。残念だが、理由があるなら……仕方ないな」
ランドがあっさり引き下がる。だが、アムの方が予想外だったのか、目を見開き僕を見ていた。
一流探求者が僕を誘うのが予想外だったのだろう。だが、人の縁というのはそういうものだ。
と、そこでランドの視線が僕から逸れ、一方向に向けられる。
その先にいたのは、職員に先導される一人の探求者だった。
緑がかった髪に、銀色の瞳をした女の子。童顔で身長は145cm、年齢はアムより二つか三つ下に見えるが、その格好が、彼女が高等級の探求者だという事を示している。
一見、ただの布の服に見えるが、あれは――『兵装』だ。
金属布とは比較にならない、魔導機械技術の集大成、魔導鎧と呼ばれる代物だ。魔術的には幻獣の素材に劣るが、物理的には紛れもなく世界最強である。
そして、スキルで動かす魔導鎧は、普通の探求者では身に纏うことはできない。
「あれがクイーンアント討伐の協力者か」
「……相変わらずの洞察力だな。エトランジュ・セントラルドール。機械魔術師だよ」
ランドが肩を竦める。間違いなく、いると思っていた。魔導機械の縄張りでその専門家がいないわけがない。逆に、これまで見かけなかったのが不思議なくらいである。
エトランジュがちらりと僕の方を――ランドを見る。
僕はすかさず前に出てひらひらと手を振った。弱者は愛想を振りまかないとな。
エトランジュの眼が丸くなる。笑いかけてやると、呆れたような表情をして、背を向けた。
僕の様子に、同じように呆れていたランドに言う。
「……強いね。もしかしたらランドより強いかもしれない」
「!? それは……心外だな。どうしてそう思う?」
「装備に掛けている金が違い過ぎる。あれは『軍隊』だよ。この近辺では負けなしだろうね」
ランドの装備も悪くはないが、彼女の魔導鎧は桁が違う。そもそも、機械魔術師と言う職は最上級の一つなのだ。一対一で近接戦闘ならランドに分があるかもしれないが、普通はそういう状況に持っていけない。彼女ならばきっとランドのクランそのものを一人で相手にできる。
多分探求者等級もランドと同等以上だろう。余程ギルドは次の討伐に力を入れていると見える。
人見知りを発揮し僕の後ろにいたアムに笑いかける。
「《機械魔術師》は本当に強い。勉強になると思う。一度くらいアムをコテンパンにしてくれないかな」
「フィルさん!?」
アムが悲鳴のような声をあげるが、僕は本気だ。向こうも悪性霊体種との戦いはあまり経験していないだろうし、そこのルートから何とか協力をこぎつけられないだろうか?
といっても、アムの成長はある程度成った。
もうあれから三週間も経っている。そろそろ帰還に舵を切るべきだ。
大規模討伐依頼は準備にも決行にも時間がかかる。興味はあるが効率的ではない。




