第三話:困っている人を助けるのに理由なんていらない
スレイブ。それは、『仕える者』の総称だ。眷属などという単語で呼ばれる事もある。
この世界には何者かの力を借りる事で真価を発揮できる者がいる。例えば異界の魔物を魔法で呼び出しその力を行使する召喚士。己の魔法で生み出した人工生命体を使役し戦う錬金術師。精霊の力を借りる事で力量以上の強力な攻撃魔法を行使できる魔術師に、死者の力を借りる死霊魔術師。
そして――成長や数多の条件と引き換えにその力を借りる《魔物使い》。
力を借りる側をマスターと呼び、力を貸す側をスレイブと呼ぶ。
力を借りる相手は職によっても異なるが、《魔物使い》は相手を選ばない。かつてはその名の通り、敵対する『魔物』と契約を交わしていたらしいが、現代ではあらゆる種族が僕達の契約候補だ。
戦い下した相手を屈服させて契約する事もあれば、共に同じ学舎で学んだ友と交渉してスレイブになって貰う事もある。最も節操のないマスターと呼ばれる事もある。
スレイブ候補とは、様々な条件を元に力を貸す事を了承している者だ。《魔物使い》を始めとした幾つかの職はそもそもスレイブがいないと全く戦えないので、その斡旋はギルドの役割の一つだった。
小夜さんが持ってきたリストにはグラエル王国程ではないが、名前がずらりと並んでいた。
《魔物使い》にとってのスレイブとは武器であり、命を預けるパートナーである。強い信頼関係が不可欠で、実利のみで結びつけば確実に失敗する――というのが僕の持論だ。だから本来ならばギルドなど頼らず自分でスレイブになって欲しい者を探した方がいいのだが、今の状態で贅沢は言えない。
といっても、誰でもいいわけではない。僕は《魔物使い》としての自分の力に細やかな自負を持っているが、種族的、文化的な相性もあれば、既に契約済みのスレイブとの相性も考慮する必要がある。
この世界のあまねく生物は性質や存在原理で大まかに分け、六種類に区分される。
すなわち、全生命に憎悪を抱いている昏き魂の具現、『悪性霊体種』。
その天敵であり人に祝福を与える正の魂、『善性霊体種』。
最も数が多く広範囲に分布している有機的肉体と魂を持つ『有機生命種』。
有機生命種により生み出された造られた魂である『無機生命種』。
自然の具現。世界の根源を司る『元素精霊種』。
そして最後に――神話や物語の住民であり、僕が敗北したシィラ・ブラックロギアも区分される『幻想精霊種』。
もちろん、これらはただの生物の区分けである。悪性霊体種にも良いやつはいるし、善性霊体種にも悪人はいる。姿形も様々だ。魔物に認識される者もいれば人の街で暮らす者もいる。神と呼ばれる者さえいる。もっと細かに分けるべきという指摘もあるし、実際にもっと細かい分類も存在する。
だがそれでもこの区分が広く知れ渡り一般的に使用されているのは、この六種族が基本的に相克の関係にあり、非常に便利だからだ。
僕の場合は、既に契約したスレイブがいる。アリスは同種をスレイブにするのを嫌うだろうし、無機生命種は大抵契約条件に多額の金銭を要する。有機生命種はアリスを恐れるだろうからそれも除外するとして、狙うとするのならばまだ契約したことがない元素精霊種か善性霊体種になるだろうか。
小夜さんは目を皿のようにしてリストを確認する僕をじっと待っていた。
リストにはスレイブ候補のプロフィールと契約条件が書かれていた。
《魔物使い》はただでスレイブの力を借りるわけではない。大抵の場合、スレイブ側にも要望がある。そしてその内容には種族的な感性が如実に反映される。
獣人ならば力を求めるだろうし、無機生命種はほぼ全員が金銭を求める。貧乏だったら衣食住の保証で力を貸してくれる事もあるし、精霊種や霊体種は魔力を求める事が多い。そして――極稀にだが、力を無条件で貸してくれる者もいる。
マスターとスレイブの間には信頼関係が必須だ。契約条件というのはそれを明確にするためのツールでもある。《魔物使い》が契約に使う魔法は特に繊細なので信頼関係をしっかり結ぶ必要があった。
「この地方は無機生命種の方が多いので――スレイブ候補も無機生命種の方ばかりですね」
無機生命種は種族の本能として主を求める。もともと使われるために生み出されたからだろう。
契約条件として払った金銭は創造主に送られるらしい。リースというやつだ。
「一件だけ、善性霊体種でヒットします」
僕の要望を確認した小夜さんが教えてくれる。一件か……少ないな。選ぶ余地がない。
「名前はセーラ。種族はライト・ウィスパー。契約条件は契約形態、期間不問、報酬は魔力月700M以上、衣食住の保証、禁則事項は自殺や性行為系の命令」
「それは…………少し、考えます」
一旦置いておく……が、無理だ。禁止事項や契約条件はまあよしとして、魔力の要求値が高すぎる。
大体一般的な平々凡々の魔術師が一日に使用する魔力の量が1Mだ。つまり、このセーラという善性霊体種はおよそ一般的な魔術師が一月に使用する魔力の量の二十倍以上の魔力を求めている事になる。余程力に自信があるのだろうか。だが、ライト・ウィスパーはそこまで強力な種ではない。
僕の魔力は最大で0.7Mである。全魔力を絞り切ると昏睡してしまうので、一日にあげられる量は0.3M程度だろうか。この値は一般的な精霊・霊体種が契約で求める魔力量を大きく下回っている。だから特別な契約条件を求める子がいる事を期待していたのだが、ここにはいないようだ。
一度契約すれば信頼関係を作り妥協を引き出す自信があるが、最初がこれではどうにもならない。
かといって、今の資金では無機生命種と契約を結ぶ事もできない。彼らはことさらに契約の遵守を求め、妥協の余地がない。金が必要だった。
僕は右手に嵌めたランクアップ報酬――『冥王の円環』を見た。
…………仕方ない、売るか。
ランクアップ報酬の値段はランクに比例するように跳ね上がると聞いたことがある。僕は記念品として大切にしていたが、魔物使いの証明は売れないが、こちらは売れる。未来のためだ、背に腹は変えられない。最後に僕は笑顔で小夜さんに尋ねた。
「ちなみに小夜さんはいくらで力を貸してくれますか?」
「!? 御冗談を……」
アンテナが凄い勢いで回っている。
§
意気揚々とカウンターを離れる。頭は既に今後の動き方を考えていた。
僕の見込みでは小夜さんはかなり強い。もともとテスラはB番号を振られた機械人形――戦闘機械人形をほとんど出さない。最初から熟達した能力と多岐に亘る戦闘知識を持つ戦闘型機械人形は敵にすれば厄介で、味方にすれば頼もしい。たとえ億払ったとしても取り戻せるはずだ。
問題はギルドが貸してくれるかどうかだが、ギルドは体面上では探求者の味方だ。金を積めばどうにかなるだろう。後はなるべく高く『冥王の円環』を売り払うだけである。
さっそくギルド併設の鑑定所に向かおうとしたその時、後ろからぞわりと嫌な予感がした。
「あの……これは……その、どういうつもりですか?」
振り返る。そこには、先程初心者セットを渡した少女が立っていた。まるで睨みつけるような暗い目つき。明らかに手入れの足りていない髪。ひしひしと感じられる強烈な負のエネルギー。
懐かしい……まったく容姿は似ていないのに、何故かアリスを思い出す。
いや――恐らく、彼女は、アリスの同類だ。その身に纏う負のオーラが少女の種を示している。
文明に相容れず人類に仇なす生物を魔物と呼ぶ。
区分される種のほとんどが魔物である――《悪性霊体種》。見た目は僕と同じ人間だが、中身は違う。
悪性霊体種と接するコツは目をしっかり合わせる事だ。本能はそれを忌避しているが。本能に従っては《魔物使い》はできない。
じっと目を合わせると、少女がまるで耐えかねたように視線を逸す。
わかっていたが、どうやら人付き合いが得意なタイプではないらしい。少し考え、タメ口でいく。
「プレゼントだよ。遠慮する必要はない、僕には必要ない物だ。見たところ……ボロボロじゃないか」
「プレゼン……ト……? も、もらう理由が、ありません」
目は口ほどに物を言う。視線や仕草、声の調子は時に内心をも詳らかにする。
悪性霊体種は基本、他者の善性を信じない。僕は疑心暗鬼な瞳をした少女にため息をついて言った。
「困っている人を助けるのに理由なんていらない」
「そんな……馬鹿な……」
「それに、実は僕には悪性霊体種のスレイブがいて――」
「え……?」
と、さっき小夜さんにしたものと同じ説明をしかけたところで僕は気づいた。
この子――驚いていない。え? と口に出しつつ、その目には驚愕がない。「プレゼント」と言った時には見せた動揺が、欠片もない。
さては……僕と小夜の会話を盗み聞きしていたな。目を細めて少女を観察する。
何のために聞いていた? プレゼントを貰ったのは初めてか? 優しくされるのは久しぶりか?
ずるい子だ。まったくもって『悪性』らしい。アリスも盗み聞きが大好きだった。
淀んだ薄墨色の虹彩、恐怖の雰囲気。装備を見ても、他の探求者と比べると数段劣って見える。探求者になってから一年はたっていないだろう。左手には先ほど渡した革袋が握られたままだ。
しかし、銅の剣でモデルドッグを切り裂けるのだろうか? 鉄でも傷つける事すら難しいだろうに。
何も言わずに黙って見つめる。少女はきっと僕を睨みつけて言った。
「な、なんですか? その……続きを、言ってください」
「…………」
「なな、なんで、どうして、黙ってるんですか!?」
霊体種の肉体は魂が変容したものだ。故に、彼女達は生命種よりも肉体が精神に影響され易い。
この子、孤立しているな。人里を住処にした悪性霊体種によくある話だ。
彼女たちはその特性故に無条件に忌避され、後ろ向きの精神がその傾向に拍車をかける。
そして彼女たちはその事実に気付かない。
だが、見誤ってはいけない。悪性霊体種を救うのは決して――憐れみではないのだ。
「普段ならまずは名前を聞くところだけど、その話をする前にやっておく事がある」
「やって……おくこと?」
少女がおどおどしながら復唱する。僕は笑みを浮かべると、少しだけ手助けをしてあげた。
「復唱するんだ。『盗み聞きしてごめんなさい』、と」