第三十九話:愚者の喝采
「セーラ、君が高位回復法を使えないのは後少しだけ足りないからだ。術というのはそういう側面がある事は知ってるだろうけど、一度使えるようになれば次は問題なく使えるようになる。このシチューはそれを少しだけ補ってくれる。ね、アム?」
僕の笑みに、アムの顔が完全に引きつっていた。
「セーラ、本当に、信じられないかもしれないけど、これ、凄く効くんですッ! 効きすぎるくらい、効くんですッ! 絶対に、やめておいた方が――っていうか、どうして私も食べるんですか!?」
アムの深刻そうな声に、セーラがごくりと唾を飲み込む。
どうしてアムにも食べさせるか?
「ついでだよ。いや、本来アムだけにあげるものだから、セーラの方がついでかな?」
「ついで!? っていうか、それはどっちでもいいですッ!」
「そうだ。ついでのついでに、よく効くようにスキルも掛けてあげようか」
念には念を入れよう。データリングの機会を逃すのは惜しい。
「そういえば、アムに見せるのも初めてだな」
「……フィルさん、一度しか依頼にいってないじゃないですか」
「そもそも、魔力もあまりないし……一応、君を育成しているのもスキルの一種なんだけどね」
育成職である《魔物使い》のスキルが役に立つのは戦場ではない。
そして、《魔物使い》のスキルというのは補助輪なので、使わなくてもなんとかなる――が、何もできないと思われるのは心外だな。
見せてあげよう、僕が王国で大成した理由を。僕は真剣な表情、大仰な動作で右手を上げた。
アムとセーラの視線が右手に集中する。僕は声を低くして、セーラに語りかけた。
「これはとても特別なスキルだ。多分誰も聞いたことも見たこともない、《魔物使い》の中でも使いこなせる者は一握りだ。誰にもここで見たことは言っちゃいけないよ? さぁ、僕の指をよく見て。これがフィル・ガーデンの――」
セーラとアムは真剣だった。その瞳が一瞬たりとも見逃すまいと僕の指先を見つめている。
そして、僕はスキルを発動すると同時に指を鳴らした。
「――『愚者の喝采』」
アムとセーラの顔が驚きに強張る。音はなかった。指先がただ強く青い光を放ち、すぐに消える。
種は撒いた。まぁ他にも出来ることはいくつかあるが、このくらいで十分だろう。
狐に化かされたような表情をしているアム達に、シチューを出す。
「さぁ、セーラも不安だろうし、アム、先に召し上がれ」
「…………はい」
恐る恐るアムが匙でシチューを口に運ぶ。
嚥下してしばらくして、一昨日のように顔が紅潮し、汗が頬を伝う。効果は上々だ。
「んむうぅ……」
セーラがその変化に瞠目する。彼女の目には強い力を放つアムの魂がよく見えている事だろう。
「上々だな。セーラもどうぞ」
「え……ええ……」
セーラが緊張した表情で匙を口に運ぶ。しばらくもごもごしていたので、にっこり笑って言った。
「美味しいだろ? 味には自信がある。さぁ、飲み込んで」
「んくッ……」
セーラがシチューを嚥下する。毒でも飲んだような顔をしているが、時間を置かずセーラに促す。
「さぁ、準備はできた。試してみて」
「ま、まだ、少し食べただけよ?」
「十分だよ。ああ、精神を集中させてしっかり詠唱するんだよ?」
真っ赤な顔をした素直なアムがじっとセーラを凝視している。
その前で、セーラは覚悟を決めたように目をつぶり深呼吸をすると、厳かな表情で詠唱した。
「『来たれ、大いなる慈悲深き光。傷つき伏す英雄に祝福を。高位回復法』」
あっさりと、強い白の光が手の平から溢れた。あまりの眩しさにアムが目を抑える。その光量は先程の僕の『愚者の喝采』の比ではない。
それは間違いなく白魔術師の得意とする高位回復法だった。部位欠損は治せないが千切れた腕をくっつける事くらいは出来る、探求者の強い味方だ。僕が昔憧れていた魔法でもある。
癒やす傷がなかったので、光はすぐに消える。だが、セーラは完全に凍りついていた。
「で、でき……た? そんな……」
「おめでとう」
「あ……あり、あり、がとうっ! え!? 『高位回復法』!」
再び強い白の光が部屋に広がる。高位回復法に限らず、一度使えるようになったスキルはそう簡単に忘れたりはしない。光はすぐに消えるが、セーラは何度も何度もまるで確かめるかのように呪文を唱える。どうやら……詠唱は一部省いても使えるようだな。
満足したのか、セーラが僕を見る。まるで迷子の子どもが母親を見つけたかのような表情だ。
「夢……夢、じゃない?」
「まぁ僕のシチューの成果もゼロではないけど、セーラ自身の力が大きいと思うよ」
「ッ……ありがとう、フィルッ! あなた、天才よッ!」
セーラがテーブルを越えて飛びついてくる。見た目よりずっと軽い霊体種だが、その魂が物質化した肉体はしっかり軟らかい。涙ぐんだ青の目を見ていると申し訳ない事をした気分になってくる。
アムがぱくぱく口を開いてセーラを凝視している。
「別に、感謝の必要はない。これは正当な取引だ。ああ、こっちはサービスだよ」
本当はスレイブの前でこういう事をやるのはよくないのだが、致し方ない。
僕は小さくため息をつくと、しっかり抱きしめ、背中をぽんぽんと叩いてやった。
§
「フィル、本当にありがとうッ! 絶対、絶対、お礼はするからッ!」
「ランドたちにだけはしっかり言っておいて欲しいな」
「もちろんッ! データリングする時は呼んで。これ、私の住所だから――」
セーラは来た時とは正反対な上機嫌で部屋を出ていった。
最初から光を纏っていたセーラだが、今の彼女はまるで太陽だ。きっとこの調子ならばもっと強力な魔法をすぐに使えるようになるだろう。今日は解放したが、データリングする時が楽しみだぜ。
問題は残されたアムだ。アムはまるでセーラに輝きを取られたかのように意気消沈していた。
頬を膨らませ身体全体で私不機嫌ですと言い張っている。
「どうしたの?」
「なんでもないですよ」
「ならいいや」
「私がスレイブなのに、どうしてセーラにばっかりあんな凄い事するんですかぁッ!」
アムが目に少しだけ涙を溜めて言う。難しい子だ。自分からセーラを連れてきたというのに、僕が助けたら文句を言う。僕はため息をつき、まだだいぶ残っているシチュー鍋を示した。
「アム、そのシチューなんだけど」
「!? まさか、全部食べろっていうんですか? ええ、食べますよッ! フィルさんがそういうなら――私、フィルさんのスレイブですからッ!」
アムが自暴自棄に鍋を抱え、直接シチューを食べ始める、そんな事言ってないよ。
「実はそれ――何も入ってない」
「…………は? え?」
アムが鍋を確認し、自分の食べた皿を確認し、セーラの食べた皿を確認する。
アルファトンの効果が霊体種に適用されるのは知っているが、シチューはアム用に調整したものだ。
よく調べもしていない、スレイブでもない、善性霊体種の少女に与えるわけがないではないか。
「君たちにあげたのは僕が食べていたシチューだよ」
「!? え? ええ? えええ?」
だから、霊体種はとても扱いやすいのだ。僕はセーラに確かに言った。時間が解決してくれる、と。
彼女に必要なのは魔力ではない。
彼女に必要だったのは――絶対の、自信である。
「で、でも、私は確かに汗が出て――あ、わかった。あのフィルさんのスキルですね?」
「いや、あれは僕が声に出さずに命令したんだよ。スキルは関係ない」
「え…………ええええええ!?」
アムが素っ頓狂な声を出している。これが、魔力のない僕が《魔物使い》として大成するに至った理由の一つ。何も知らない者たちが喝采したオリジナルスキル――『愚者の喝采』である。
スレイブを育てるのに力なんていらない。言葉と仕草と愛があればいい。
『愚者の喝采』は指から光を出すスキルだ。単体では何の意味もないが、組み合わせればそれなりに役に立つ。もちろん、真実をアムに言うわけにはいかないが。
もしかしたら単純なアムならば命令なしでも効いたかもしれないな。
「さて、ネタバラシしたところで、データリングを始めようか」
「!? や――」
「アム、命令だ。『動くな』。やらなくてもいい仕事をやらされたんだ。しっかり学べたかい?」
「ひぃい――」
アムの身体が僕の命令に従い硬直する。
僕は笑みを浮かべると、顔を真っ赤にしながらぷるぷる震えているアムをしっかりと捕まえた。




