第三十七話:この幸せ者め
美人はしかめっ面をしても美人だ。対面に腰を下ろしたセーラが言う。
「まさか、シャワー浴び始めるとは思っていなかったわ」
「シャワーは日課なんだ。僕だって、昨日の今日でセーラがくるとは思っていなかったよ」
「フィルさんっていつ誰が相手でもそんな調子なんですね……」
元凶のアムが呆れ半分感心半分の微妙な表情で言う。
誰のせいでこんな無様な所を見せる羽目になったと思っているのだろうか? シャワーは寝癖を直すためもあるが、頭をすっきりさせる目的もある。二日酔いの影響で全然すっきりしていないが――。
「話を聞く前に……申し訳ないんだけど、二日酔いでね……状態異常回復、掛けてもらっていい?」
「…………し、仕方ないわね」
状態異常回復は白魔術師で得られる最も基本的な回復魔法だ。
白魔術師は最も有名な職の一つで、生粋の補助系職である。あらゆる精神的・肉体的異常を回復させる状態回復法と傷を治す回復法はその筆頭魔法であり、何をどこまで治せるかは術者の実力にもよるのだが、探求者のパーティには一人は欲しい職とされている。
セーラが小さくため息をつき、僕の手に触れる。触れた手の平が一瞬だけ光を放ち、頭痛が少しだけマシになる。本来は魔法を使う場合は呪文が必須なのだが、どうやら基本魔法程度ならば詠唱なしで使えるらしい。
威力と引き換えに詠唱を無くす無詠唱は熟達の証だ、が――。
頭を軽く振る。これは…………少し背伸びしてるな。
本来、二日酔いの頭痛程度ならば吹き飛ばせるのが状態回復法である。この程度も回復できないのならば、無詠唱はまだ早い。
「ありがとう、助かったよ」
「どういたしまして」
「それで、なんだって?」
僕の問いかけに、セーラはきょとんとしたが、すぐに顔を真っ赤にして言った。
「なんだって…………き、昨日のは何だったのよ!」
「別に、ただランドのランクアップ祝いにお邪魔しただけだけど……」
本当でも嘘でもない言葉で煙に巻く。
いくら僕の方からコンタクトを取ったといっても、悩みを言わずに解決して貰おうなど都合のいい話はない。アムの場合は、彼女がスレイブだから仕方なくサポートしたのだし、それだってある程度は自主性に任せていた。
「そ、それだけじゃないでしょ。私に、悩みがあるとか言っていたでしょ!?」
「ないの?」
僕の問いに、セーラはバツが悪そうな表情を作った。
「……なんで、あると思ったのよ?」
「それは……このアムが僕に代わり説明しよう」
「!?」
当然だろ。本人を連れてきた事に対するアムの成長には一定の評価はするし、楽をするなとは言わないが、それは宿題の答えにはならない。
連れてくるならちゃんと話を聞いておこうね。
アムは挙動不審げに視線を彷徨わせていたが、僕が視線で促すと、大きく深呼吸をして言った。
「え、ええっと…………不安そうな顔、してたので」
「弱い。確かに不安そうな顔をしてたけど、それだけじゃ悩みがある理由にはならない」
「し、してないわよッ!」
アムの適当な推理に反論すると、セーラが否定する。でも、してたよ。なんかちょっと暗かったよ。
「じ、事前に、調べてたんです」
「…………」
「《魔物使い》としての経験ですッ! フィルさんは、色々見てきたので――」
「楽をしようとするんじゃない!」
「あひゃあッ!」
アムの頬を摘み引っ張る。涙目のアムに、セーラが眉を顰め、大きくため息をついた。
「人選、間違えたかしら。本当に、SSS等級の《魔物使い》なの?」
疑われてる疑われてる。
「アムは後でお湯洗いの刑だ。たっぷりグルーミングしてやる」
「お湯――い、いやあ…………!」
アムが顔を真っ赤にする。恥ずかしくないよ……《魔物使い》なら皆やってる。
目をぐるぐるさせて必死に考えるアム。どうやらもう少し時間が必要なようだ。
手を離し、セーラにお茶を入れてあげる。
「ごめんね。アムも最近契約を結んだばかりでね――まだ訓練中なんだ」
「別にいいけど……前のスレイブはどうしたのよ」
「事情があるんだ。スレイブと離され飛ばされたから、仕方なくこの地で新たにスレイブを探した。でも、今はこの縁に感謝してるよ。僕一人じゃ生きていけないし、アムもなかなか面白い」
「ふーん……」
セーラが半信半疑な眼で見る。と、そこでアムが大きく手を叩いた。
「契約――わ、わかった! スレイブ志望のリストにセーラの名前があったって言いましたよね?」
「ああ、言ったね」
アムが目を見開き、セーラではなく僕に言う。何か間違えているが、まあ細かい事は言うまい。
セーラもアムがダメダメな事は察しているだろう。付き合ってやってくれ。
「スレイブ志望者ってもしかして――大なり小なり悩みがある人ばかりなんじゃないですか?」
「…………」
「しかも、セーラは――《明けの戦鎚》のメンバーです! パーティに、クランに恵まれている彼女がスレイブに志望するという事は――相応の悩みがあるはずです」
その通りだ。ギルドのスレイブ志望というのは実はかなりハードルが高い。
条件にもよるが、見ず知らずの人と運命を共にしようとしている時点で切羽詰まっている事がわかるだろう。一人ぼっちで探求者を首になりかけていたアムですらリストに名前を登録していなかったのだ(もちろん、アムにはリストの存在を知らなかった可能性もあるが)。
仮に何らかの理由でマスターを探すにしても、大規模クランに所属しているセーラには知り合いの伝手を辿るという手段があるし、そっちの方がずっと自然だ。
まあ及第点を上げていいだろう。何も言わずにアムの頭を撫でてやると、アムが相好を崩す。
「まぁ、そんなところだ。ついでに、アム。ランドとガルドを見てどう思った?」
「どうって……さすが高い等級の探求者だなって、思いました。フィルさんと違って魂も強く輝き生命力に溢れていましたし――」
アムが昨晩の事を思い出しながら言う。魂を見る霊体種からすると差がはっきりと分かっただろう。
そうだ。ランドとガルドは探査系スキルを使うまでもなく、明らかに強い探求者だった。
「じゃあセーラは?」
セーラの表情が一瞬だけ強張り、アムを見る。アムは恐る恐る、自信なさげに口を開く。
「セーラも……とても、強い輝きを、持ってます。ランドさんやガルドさんと比べても、遜色ないくらいで――」
「そこだよ、アム。そこで、疑問を抱くべきだ。遜色がないのは――おかしいんだよ」
前のめりになり、セーラをしっかりと見る。僕には見る目はないが、知識がある。
「セーラ、君はライト・ウィスパー……種族等級Dの善性霊体種だ。ランドやガルドと比べると種族等級がかなり低い。にも拘らず、君はランドとガルドの卓にいた。本来パーティというのは一部例外を除き、同程度の種族等級の探求者と組む。力に大きく差が出てしまうからだ」
「ッ……」
「霊体種は魂そのものだ。その輝きは他種と比べて圧倒的に強い。にも拘らず、ランドやガルドと遜色ない『程度』の輝きしか持たないのならそれは、セーラがランドやガルドと比較して劣っている事を意味してる。だから、僕はセーラを見てさぞ辛いだろうと思ったし、何に悩んでいるのかもわかった」
僕だからわかったのではない。
それはリンが陥っていたものと同じように、ありがちな悩みだった。
余計な言葉はいらない。セーラの目をしっかり見て、単刀直入に言う。
「セーラ、君が悩まされているのは――劣等感だ。ランドは強い。強力な種族等級と職に、クランをここまで大きくした人望。まさしく、英雄だ。ガルドもその片腕として十分に働いている。なら自分は? 種族等級が低く、白魔術師としても未熟だ。ガルドもランドも優しいが、どうして自分はここにいることが許されているのか。もしも自分がライト・ウィスパーの女じゃなかったら同じ卓にはついていなかったのではないか。君が悩まされているのは、そんなくだらない妄想だ。違うかい?」
「ッ……な、何が――」
セーラの表情がみるみる変わっていく。呆れ顔から怒りを堪えた迫力あるものに。
美人は怒ると怖いな。
「あんたに、何が、わかるのよッ!」
「わからないな。セーラ、杞憂だ。断言するが、君の考えている事は――杞憂だよ」
ランド程の男がこんな問題にひっかかるなど信じられないが、弱さ故に見える事もある。
「セーラ、僕はここに飛ばされる前、それは強力なスレイブを連れていた。僕がたとえ一万人いても一捻りされる、そういう次元の違う能力を持ったスレイブだ。種族相性的に考えて、対策なしならランドでも苦戦するような、そういうレベルのスレイブだよ。僕には彼女に与えられるものが何もなかった。どうして彼女が僕のような純人に従っているか、わかるかい?」
セーラはしばらくムッとした表情で沈黙していたが、諦めたように首を横に振る。
「…………わからないわ」
「アムはわかる?」
アムの表情はセーラに負けず劣らず真剣だった。だが、すぐに首を縦に振る。
「わかります」
さすが、同じ悪性霊体種だ。促してやると、アムは揺れる瞳で僕を見て、はっきりと言った。
「一緒に、いたかったから」
その目には力があった。その言葉に、セーラが瞠目した。感情のこもった言葉には力がある。
「少しロマンチックな表現だが、正解だ。僕と彼女の間には絆があった。故に、別れる選択肢ができた後も彼女は僕と共に闘ってくれた。セーラ、君とランドの間にもきっと同じ物がある。逆に君は――ランド達が君よりもずっと弱かったら、彼らを捨てるのか?」
「そ、そんな事、絶対ないわッ!」
そうだろう。輝く魂の持ち主がそんな計算程度で仲間を見捨てるわけがない。
どうして悪性の魂であるアムが気づき、セーラが気づかないか理解に苦しむ。
「なら、セーラの考えているIFなんてどうでもいい事だ。絆がある。理由なんて気にするな。大体、種族が違ったらなんて考えるだけ無駄だ。そんな事言ったら、もしセーラが僕みたいな純人だったら間違いなくあの卓にはいないよ。ランド達がまともなら探求者になる事を止めるだろうからね」
実際僕も色々な人に止められたからな。と、そこで僕は思い出して、カードを切る。
「そう言えば、セーラ。君は昨日、僕とランドの関係を聞いたよね? あれが、初対面だよ」
「……え?」
別に騙すつもりでやったわけではない。目を見開き固まっているセーラにお説教する。
「ランド達は、君のためにあらゆるリスクを飲み込み、何の保証もない『セーラの悩みを解決できる』という僕の口車に乗った。理解できないかもしれないけど、それこそが君たちの間にある絆の証明だ。セーラの事を、ランド達はそこまで想っている。それで十分なんじゃないかな。この幸せ者め」




