第三十二話:約束ではないけど
目が覚めた時、またも日は沈みかけていた。
体調は最悪だ、重い身体を無理やり引きずるようにしてベッドから這い出し、鈍い頭痛に眉を顰める。誰にも頼らず起きることができたのが奇跡だ。
そしてどうやら……明日からは情けない事だが、アムに頼んで起こしてもらった方が良さそうだな。
シャワーを浴びて意識をはっきりさせる。その時には頭痛も消え、気分もマシになっていた。
髪をしっかりと梳かし、アネットさんに頼んで洗って貰った服に着替えた所でアムが部屋に入ってきた。
「フィルさんッ! 起きたんですね。毎日毎日――医者に見てもらった方がいいんじゃないですか?」
「全く、アムの言う通りだ。ちゃんと自主練した?」
「しましたよッ! 私は早朝から活動してますからね!」
いいサイクルが回っている。どうやら不安や人間不信がなければアムは真面目な性格らしい。
自ら足りない物を埋めようとしている。儲けものだ。アムの少し乱れた髪を手ぐしで整えてやる。アムは嬉しそうにじっとしていた。洗うのは駄目でもこの程度のスキンシップは問題ないらしい。
「上出来だ。支度をしておいで」
「え!? これから、外に出るんですか……?」
「ああ、身長体重、体温を測って採血もするんだ。アルファトンの影響をチェックしないといけない」
「………………はい」
バイタルのチェックは楽でいい。そして、霊体種はバイタルのデータからメンタルを推測することができる。アムは一瞬凄く面倒くさそうな表情をしたが、小さく頷いた。
§
アムはいい感じに仕上がっている。今の彼女の力なら恐らく、B等級討伐依頼程度ならばこなせるだろう。探索依頼の方は知識は足りていないが、そこは僕が補う事ができる。
ならば次に必要なのは――コネと権力だ。探求者としての等級を正当な手段で上げるには時間がかかりすぎる。白夜や小夜の権限で上げて貰うにしても、材料が必要だ。
僕も探求者になりたての頃はとても苦労した。だが、今はアムという心強い戦力がいるし既に一度通った道だ。
もう一人くらいスレイブがいてもいいが――しばらくはアムを特別扱いしてあげよう。
まだ競争で煽る時ではない。
シャワーを浴び探求者ルックのアムを座らせ、その髪をしっかり櫛で梳かしてあげる。
身を縮めるようにして大人しく髪を梳かされながらアムが言う。
「リンは……自分でやれって、言いました」
「そうやっていちいち比較するのはアムの悪い癖だ。リンにはリンのやり方があるし、一概に僕が正しいとも言えない」
リンとアムは元友達という地盤があったが、僕にはない。僕だってアムとある程度交流を深めたら、身支度くらいは自分で整えるように仕向ける。自立のためもあるし、ちょこちょこ梳かしてやっていたらスレイブが増えた時に僕の時間が取られ過ぎてしまう。今回は、寝過ぎたことの穴埋めもある。
「今日は……どこに行くんですか?」
「知り合い――コネを作りに行く。ギルドだよ」
「コネ……? もう小夜さんや白夜に作ったのでは……?」
「今度作るのはギルド職員じゃない。僕たちと同じ探求者だ。白夜には情報を貰ったんだ」
完全に抜けきっていたアムの肩に少し力が入る。全く、アムの人間不信は根が深い。
「しっかり自主練したみたいだね」
「! わかるん、ですか?」
「ある程度《剣士》に慣れたら、二つ目の職を持つのも悪くないかもね」
きちんと測定しなければ細かい部分はわからないが、その力が高まっている事は刻んだ紋章を通して伝わってくる。逆に言えば、伝わってくるくらいにはアムの力は高まっている。そして、アムにとって力というのは自信とイコールだ、サボったり手を抜いていてはここまで自信はつかない。
「職って、何個も持てるんですか?」
「種族にもよるけどね。基本的に種族等級に比例して受け入れられる数が違うね」
純人は一つだが、夜魔なら四つは持てるだろう。その辺りも探求者の格差に繋がっている。
話を戻す。不意打ちで首の根本に手の平で触れ、下から上に後頭部を撫でる。艶のある金の髪、アムがびくりと身体を震わせる。耳元ではっきり言った。
「大丈夫、今回は僕が全部やる。アムはただ近くにいるだけでいい。アムはもう立派な僕のパートナーだ。大抵の探求者には負けない」
「は、はい。でも、誰と会う、約束を、したんですか?」
「約束ではないけど――《明けの戦鎚》だよ」
「!? え……?」
僕の言葉に、アムがこちらを向く。どうやらコミュ力が低いアムでもその名前は知っていたらしい。
《明けの戦鎚》とは、とあるクランの名前である。常に共に行動している探求者のグループをパーティと呼ぶが、クランはパーティが更に複数集まり大きくなった集団だ。
「《明けの戦鎚》って……一流のクランじゃないですか。え……?」
《明けの戦鎚》はレイブンシティ近辺で最も大きなクランの一つだ。
クランマスターはランド・グローリー、副マスターはガルド・ルドナー。
メンバー数は九十二人。クランはおおよそ、十人までが小規模、五十人までが中規模、それ以上が大規模に分類されるので、彼らがどれほどの力を有しているのかがよくわかるだろう。僕の持つ情報は誰でも閲覧できるクランのリストで確認したものなのでそれぞれの種族や職まではわからないが、まぁやむを得ない。
ギルドにも信用がある、理由なく探求者の情報を漏らしたりはしない。相手が一流ならば尚更だ。
「アム、ランド・グローリーの情報、何か持ってない?」
「知りません。でも、名前は聞いたことがあります。この近辺では最強の探求者ですよッ!」
役に立たないな。最強ならば情報なんていくらでも転がっているはずだ。それなのに名前しか知らないとは、この子はこの街で一体何をしていたのだろうか?
アムが目を瞬かせて言う。
「でも、よく話を通してもらえましたね。贔屓されすぎでは?」
「え……? 通して貰ってなんてないよ? 通してもらったら――贔屓になるじゃん」
僕のこの地での探求者等級はまだ低い。如何に知り合いでも頼める事と頼めない事がある。
「え? じゃあ、話をするって――」
そんなの決まっている。僕は笑みを浮かべると、後ろからアムを抱きしめた。
「殴り込みだ」




