第二十七話:全力を出さざるを得なかった
凄腕《魔物使い》の部屋の中は驚くほど物がなかった。
育成職である《魔物使い》はスレイブをより成長させるために多くの器具を使う。何を使うかはスレイブの種類にもよるが、リンが手を染めた術の名前まで一瞬で看破した腕前から考えると少し意外だ。
どうやら、アムが言っていた通りみたいね。リンは内心で頷く。アムは、自分のマスターは境界の北から事故で飛ばされてきたと言っていた。にわかに信じがたい話だが、信じる他ない。
何より、リンにはその名に心当たりがあった。こんな辺境にいるわけもない人物だが……。
強張った表情で昨日の礼を言うリンにフィルは一切確執を感じさせない顔で笑う。
「お礼? あはははは……律儀だね。いらないよ、別にリンのためにやった事じゃない。お礼はアネットさんにでも言ったら?」
「フィルさんは、まず私に謝罪するべきです。セクハラしてごめんなんさいってッ! 頭を下げてッ!」
横から口を出すアムに、そのマスターは真面目な顔を作る。
「僕は――悪いと思っていない事には頭を下げないよ」
「!? 悪いと、思ってくださいッ!」
「セクハラなんてやってない。自分の武器をちょっと触っただけでどうしてセクハラだッ!」
あまりに堂々とした言い分に広谷が眼を丸くしている。アムが肩を震わせている。
「リンだって、広谷を全裸にしてデータリングくらいしてるだろッ! これは常識だッ!」
「!? ……そんな事、して、ませんけど……」
「いつかしようと思っているはずだ」
「思ってませんけどッ!」
慌てて反論する。広谷がドン引きしている。戦闘能力の確認などはリンもするが、鬼ではあっても人間に似た骨格を持つ広谷から服を剥ぐなんて、どんな顔をして提案したらいいかわからない。
それ見たことかと言わんばかりのアムに、しかしフィルの表情は全く揺るがなかった。
「僕が唯一、悪かったことがあるとすれば、それはね、アム。身体をちょっと触った事じゃない――」
「ちょっと!? 思い切り揉みましたよね!?」
「アムの嫌がる事をやった事だ。それだけはマスターとして恥ずべき行為だった。そしてあれはただの肉質の確認だ。多分一回やったら次は嫌がると思ったから一度に全力を出さざるを得なかった」
「フーッ! フーッ!」
アムが完全に言葉を失い、興奮している。
だが、いつもすぐ逃げるアムがそれでも近くから離れない辺り、かなりの絆が育まれているように見える。最早嫉妬すら感じない。
そこで、ようやくずっとアムの方に向いていた意識が、リンと広谷に向けられた。
「ふーん、安定したんだ。やるじゃん。いくらヘルフレッドとはいえ、十人に九人は安定しないはずなのに、リンも才能があるけど、広谷の力が大きいのかな」
「フィルさんのおかげです。…………あの、もう怒って、ないんですか?」
鋭い目つきで広谷を観察し、評価を下すフィル。昨日とあまりに違う態度に、恐る恐る聞く。
「んー、それはもう終わった話だしね。禁術って言っても自粛であって法で厳密に制限されているわけじゃないし、まぁよほどのヘマをしない限りは一定の理解は示すよ」
広谷を確認するその姿はどこか機嫌良さそうですらあった。指一本触れていないが、舐めるような視線に広谷はとても居心地が悪そうだ。一通り確認すると、フィルは満足げに頷いた。
「それに、同じ《魔物使い》だし奇遇な事に同じ純人だ。僕とリンは――協力し合えると思うよ。純人は弱いんだから――助け合わないとね」
その言葉に、リンは確信に至った。雷に撃たれたような衝撃に、思わず目を見開く。
黒髪に黒の眼。自信満々で、しかし飄々としたその口調。スレイブに対する飽くなき探究心。純人。偽物の可能性も考えたが、ここまで揃えば間違いない。心臓が強く鳴った。恐る恐る確認する。
「フィルさん。フィルさんってもしや――あの『友魔祭』で優勝したフィルさんですか?」
「ん? ああ、そんな事もあったね。ねぇ、リン。お願いがあるんだけど――広谷のデータ分けてくれない?」
§ § §
リンが呆けたような表情で僕を見る。広谷が訝しげな表情をしている。
また懐かしい名前が出てきたな。『友魔祭』は《魔物使い》の中でだけは有名な大会だ。
「友魔祭……? なにそれ?」
「アム、まさか知らずに契約したの!? 《魔物使い》の世界大会。五年前のランドガレノフの『友魔祭』の優勝者! 『コラプス・ブルーム』の二つ名を持つ探求者。《魔物使い》の中では有名人よッ!」
「別に有名でもないよ」
高等級探求者の中にはアイドル的な人気を誇る者もいるが、僕はSSS等級探求者の中ではかなり地味だ。そもそも《魔物使い》自体余りぱっとしない職なんだけど、むしろスレイブの方が有名だった。
謙遜でもなく口を挟む僕に、リンが拳を握り言う。
「ランドガレノフの『友魔祭』の動画、今度見せてあげるわ。映写結晶、高かったんだから!」
「もしかして、リンも出てたの?」
「い、いえ。私なんて……恐れ多い、です。でも、試合は見ました!」
そうだろうな。だってあれはもう五年も前だ。
『友魔祭』とは、《魔物使い》オンリーで行われる武闘大会みたいなものだ。戦うのはマスターとスレイブの一ペアで、この大会で良い成績を収める事は《魔物使い》としてはこの上ない誉とされる。
まぁ、《魔物使い》関係のイベントの中では一番有名なものだろう。大会は四年に一度、境界の北と南で交互に開催されており、僕は五年前、第三百二十二回、ランドガレノフで行われた大会の勝者だった。
まぁ、優勝賞品自体は大したことがないが、その性質上、いつもは群れない《魔物使い》が一堂に会するいい機会であり、見ているだけでも楽しい《魔物使い》のお祭りだ。
しかし、ギルドにも情報がなかったのに、リンに知られているのは意外だ。
同じ希少職のよしみがあるとしても、名前くらいならともかく動画まで持っているとなると、もしや………………ミーハーかな?
映写結晶は映像を記録する魔道具だが、需要が多いためそれなりに高価だ。十万くらいはするだろう。友魔祭の映写結晶を持っている人に会うのは初めてだ。
「あはははは、あんな昔の映写結晶見てくれて光栄だよ。あ、サインあげようか?」
「サイン!?」
「え!? サインくれるの!? いや……いただけるんですか!? お母さん、色紙! 色紙、あったっけ?」
「リンっ!? サインほしいの!?」
「ちょっと待っててください!」と言って、部屋を飛び出し階段を足音高く下りていくリン。
ちょっとした冗談だったのだが……アムも広谷もリンの変化にあっけにとられている。
リンが消えていった扉の向こうを見ながら、アムがぽつりと呟いた。
「魔物使いってまさか……変な人ばっかり……?」
「奇遇だな……俺もちょっと、やっていく自信がなくなったぞ……」
広谷も少しうんざりしたように言った。
§
リンが色紙を力いっぱい抱きしめて言う。
「ありがとうございます。家宝にしますッ!」
「そんな、大げさな――」
「大げさじゃありませんッ! 私、フィルさんの姿を見て《魔物使い》になろうと思ったんですッ! 試合を見た後、色々調べて――ここは田舎なので、情報がなかったんですけど――」
「それは光栄だね」
「フィルさん、なんかもう適当になってません?」
アムが呆れたように言う。なってるよ。
だって、リンが立派な《魔物使い》になったのならばまだしも、彼女は大きな失敗をしている。僕を見て《魔物使い》になろうと思ったとか、完全に風評被害だ。大人げないから口には出さないが。
アムに王国での僕の立場について言わなかったのは、その必要がなかったからだ。先に地位をひけらかすよりも、実力を見せてから知った方が効果が強いからというのもあるし――全てを終えた後、円滑に別れるためでもある。広谷を威圧するためとは言え、あそこで口に出したのは失敗だったかもしれない。
リンのきらきら尊敬するような眼差しが痛い。《魔物使い》がスレイブの前でしていい表情じゃない。
マスターは一部例外を除いてスレイブにとって最高でなければいけないのだ。
と、そこでリンが、ふと何かに気づいたかのようにきょろきょろ室内を見回した。
「フィルさん……それで……あのアリスはどこにいるんですか?」
「……ああ。色々あってね」
アムの表情をそっと確認する。その表情に大きな変化はなかったが僕には少し強張った事がわかる。
僕はアムの目の前で自分の前のスレイブについてあまり口に出さないように注意していた。
これは《魔物使い》の常識である。一応説明責任の一環として、僕の状況を伝える時にやむを得ず名前くらいは教えたが、存在を知れば自然とそのスレイブと自分を比較する事になるだろう。
極めて優秀な武器だったアリスの話はアムの自尊心を無意味に傷つけてしまいかねない。
「? どうかしました? フィルさん」
やや強張っていたアムの頬が緩む。そこにいたのはいつも通りのアム・ナイトメアだった。
アムの評価を上方修正する。どうやら……思った程、影響はないようだな。
アムに伝えた情報は大雑把なものだ。ここまできた以上、一度状況を共有するべきだろう。失敗を語るのは辛いが、時に弱みを見せた方が良い事もある。リンも帰還に協力してくれるかもしれない。
僕は覚悟を決めた。姿勢を正すと、声を落ち着け、アムの方を見て言った。
「そうだね。丁度いい機会だ。アムにも言ってなかったし、僕がここに来た経緯を教えておこう」




