第二十四話:……贔屓して?
一日でこんなに謝罪するなんて初めてだ。だが、アムは度重なる緊張にくたくたになりながらも、強い達成感を感じていた。
アムがこれまで会ってきた人々はアムを嫌っていなかった。大抵の人はアムに興味を持ってなかったし、中にはアムの事を心配してくれていた人もいた。アムが名前を知らないのに、アムの名前を知っている人がいた。
ずっと抱いていた不安がかなり軽くなったのを感じる。
確かに、アムはコミュニケーションが足りていなかった。夜魔に生まれた事をずっと後悔していたが、一番種族を気にしていたのは自分自身だったのかもしれない。
誰も一人になったアムを助けてはくれなかったが、アムは彼らの名前すら知ろうとしていなかったし、そもそも冷静に考えれば――一度も助けを求めてすらいなかったのだ。
だが、最後に残った一人だけは違う。
フィルさん……世の中には冷たい人もいるんですよ。
アムが依頼を持ち込む度に冷たい目で見てきたギルドの受付。職務に忠実で、ギルドの利益のみを考えた冷血な女だ。フィルが小夜と名付けたあの職員もアムに酷い事を言ったが、それとは格が違う。
血も涙もないその機械人形が、依頼を持ち込む度に感情のない目で除籍を仄めかすガイノイドが、アムは怖い顔のヘルマンよりもずっと怖かった。
本当だったら、もう話しかけたくない。だが、今はフィルが、マスターがいる。もう一度くらいならば話しかけてもいい。一度人となりを知れば納得するだろう。
私の事を甘く見ましたね。
やるまでもない。賭けはアムの勝ちだ。フィルの自信満々な態度に少し不安を覚えたが、しかしフィルはあの機械人形と一度も顔を合わせていないのだ。
何をしてもらおうか……迷う。
先程自分で賭けを言い出しておいて即答できなかったのは、今の状況がフィルと出会うその前と比べてあまりにも幸福だったからだ。やって欲しい事は幾つも浮かんだが、同時にそれらは賭けなどするまでもなく叶うだろうという確信があった。ここまで沢山やってもらったのにこれ以上望むのは、はしたないという思いもあった。
だが、大丈夫。フィルはゆっくり考えていいと言った。後でじっくり考えるか、やって欲しい事ができた時に言い出せばいいのだ。
日も暮れかけ、盛況なギルドに入る。すぐにカウンターの向こうに件の職員を発見する。
冷たい白の髪。人形めいた(実際人形なのだが)冷たい美貌。霊体種のアムはもともと魂を持たない無機生命種に苦手意識を持っているが、その眼差しに寒気を感じたのはきっとその所為ではない。
アムは思わずフィルの陰に隠れ、指を差す。
「フィルさん、あの白い髪の人です」
「理由もないのに人の事を指差すな」
ひと目その姿を見れば納得するのではないか。抱いた一縷の希望はマスターの言葉で打ち砕かれた。
「ふーん、じゃあ最後はアム一人でいってみようか?」
「え!?」
信じられない事を言い出す己のマスターを見る。だが、フィルはあっけらかんと言う。
「今日一日謝罪して周ったんだし、もういけるだろ。大丈夫、ここで見ててあげるから」
「…………」
「ほら、アムならできるよ」
恨みがましい目で見るが、フィルは全く動じない。
怖気づいたのか、嫌がらせかとも思ったが、マスターは厳しいが常にアムの事を考えている事は既にわかっている。
「……い、いいでしょう。でも、駄目だったら呼びますよ?」
フィルがにこりと笑い肩を竦める。アムは説得を諦めた。このマスターは大体優しいが容赦がない。
断頭台への階段を上がるつもりで列に並ぶ。
今回はそもそも依頼の受注が目的ではないし、どんな辛辣な事を言われるかわからないが、でも、いいのだ。それも賭けの勝利になると思えば耐えられる。
そして、その時が来た。深い銀の瞳、切れ長の双眸がアムを射抜く。言葉を出そうと口を開くが、緊張のせいか声が出ない。その間に、銀髪の職員は唇を開き、いつも通り冷ややかな声で言った。
「おめでとうございます、アムさん」
「……へ?」
思いも寄らぬ言葉に、目を見開く。間の抜けた顔をするアムに、職員が言った。
「その表情、契約を交わしたマスターとはうまくいっているようですね」
「???? フィルさんに何か言われたんですか?」
「いえ。私はフィル・ガーデンとは接触はありません」
それはそうだ。この機械人形は誰かに何かを言われて意志を変えるような職員ではない。
何しろ、アムと契約したリンに、荷が重いとはっきり言うような職員だ。リンも苦手にしていた。
「変な物でも食べましたか?」
「私達はエネルギー補給には特定の食べ物を使います。それ以外は口にはしません」
「???」
「アムさんはスレイブとなった事により探求者資格が停止されています。そのため依頼の受領にはマスターの委任カードが必要ですが、それ以外の利用については制限はありません」
「?? つまり?」
あまりにも態度が違いすぎる。リンと契約した時ですらここまで態度は変わらなかった。この職員が変わったのか、あるいはアム自身の見方が変わったのか。職員はいつも通り、冷たい声で言った。
「貴方が望むのならばスレイブの的確な立ち回りについて、情報を提示する事ができます」
「!? 他には?」
「情報の開示が可能です。貴方の戦歴に応じて適切な依頼を提示する事ができます。それらの情報はマスターとの円滑な関係に寄与する可能性があります」
詐欺だ。以前までここまで協力的だった事はなかったはずだ。どうして今になってこんな親切にしてくれるのか……思わず尋ねそうになって、そこでアムは思い留まった。
『依頼達成のための計画の提示を推奨します』
かつて依頼を受けようとした時の事を思い出し、アムはじっと冷徹な職員を見つめた。
「…………も、もし、依頼達成のための計画が提示できないと言ったら、どうします?」
職員が瞠目する。しかし、すぐに聞いている事を理解したのか、全く表情筋を動かさずに言った。
「それはもちろん――――計画の作成をお手伝いします。私の役割は探求者のサポートです」
「!?」
「しかし、ベテランのマスターがいるのならば不要でしょう。マスターと話し合うことを推奨します」
嫌がらせでも嫌味でも、なかった……? 固まるアムの言葉を、職員は黙って待っている。
言いたいことは沢山あった。もっとわかりやすい言葉を使って欲しい、とか、なんでそんな怖い顔をしているんだ、とか。
だが、次にアムの口から出てきた言葉は全く違う言葉だった。
「えっと…………ごめん……なさい?」
恐る恐る言うアムに、職員はやはり顔色一つ変えず、冷ややかに言った。
「謝罪は不要です。アムさん、もしも問題なければ――これは私の希望なのですが、私はまだ貴方のマスターと顔をあわせていません。貴方の自慢のマスターを紹介していただけませんか?」
§ § §
アムの表情の変化は顕著だった。
初めは怯えていたが、話し始めるとすぐに狐に化かされたような表情になる。あまりにスムーズな変遷に思わず笑ってしまう。
無機生命種はロジカルで、感情を理解するのは特別な機能でも持たない限り、得意ではない。
だが、同時に彼女たちは僕たちの敵ではないのだ。ギルド職員ともなれば、ギルドの不利益にならない限り徹頭徹尾探求者の味方をしてくれるだろう。
アムに足りないものは人を頼る勇気だった。
ちょっとずるいが、賭けは僕の勝ちだな。アムがまだ不思議そうな表情でこちらを見る。
どうやらお呼びのようだ。アムのお手伝いをしてくれた職員さんに挨拶しなくては。
職員さんは小夜さんとは違う、白銀色の髪と目をした機械人形だった。耳元にヘッドホンに似たヘッドセットに似たアタッチメントを持ち、左手小指に指輪型のデバイス。
職員さんは僕を見ると、真っ先に唇を開いた。
「私の型番を知っていますか?」
いきなり何を聞いてくるのか。思いもよらない問いに戸惑う。
「……わからないな。機械人形についてはあまりよく知らなくてね」
「そうですか」
職員さんは眉を顰める。《機械魔術師》ならばともかく、あいにく僕はただの《魔物使い》だ。
「僕がわかるのは――シャロン社製GN7500番代で、サポート型な事だけだ。そのくらいなら、耳元と手のデバイスでわかる。でも、それ以上は刻まれたナンバーを表示してもらわないとわからない」
いや、もう一つわかる事がある。
この職員さんがあの小夜さんと交流がある事だ。
「それで、今日はお礼に来たんだ。今までアムに親切にしてくれてありがとう。そして可能ならば貴女の名前を教えてくれませんか?」
笑みを浮かべると、美人の機械人形の職員さんは初めて笑みらしきものを浮かべた。
「ご明察の通り、シャロンGN75156078S、名前は――つけられていません」
「つけて欲しい?」
目を細める僕に、職員さんはそっけない声で答えた。
「つけたいのならば、どうぞ」
小夜さんより感情機構の程度が低い印象だったが、ジョークを言うとは、この地の機械人形の発達は素晴らしい。
このギルド職員全員分の名前をつけるのは流石に勘弁して欲しいが、もう一人くらいならいいだろう。
アムが完全に固まっているが、とりあえず顔と身体を一通り確認して頷く。
「よし、君は――『白夜』と名乗るといい。白い夜という意味だ」
「微妙なネーミングセンスですね」
「……気に入らなかった? 僕は、機械人形に名前をつける時は『夜』の字を入れる事にしてるんだ。ただの好みだけどね」
答えは聞くまでもなかった。たとえ表情筋が動かなくても、優秀過ぎる機能は如実にその感情を伝えてくれる。
生物とほとんど変わらないからこそ、彼女たちは一つの種として認められているのだ。
「頂いたものに文句は言いません、フィル・ガーデン。今後は私の事は白夜とお呼びください。ちなみに、ギルドからの買取額は六億七千万マキュリ、以降の使用料は月千二百万マキュリです」
さすがの僕も初対面の機械人形に買取額を提示されるのは初めてだ。アムはどうしてこんなにいい性格をした機械人形に冷たいなんて評価を下したのだろうか?
せっかくだ、アムに交渉のやり方をみせてやろう。カウンターに手を置き、身を乗り出して言う。
「買取はしない。でも、大喜びしてるみたいだ……贔屓して?」
「私に特定探求者を優遇する権限はありません」
「でも、優秀な探求者を優遇する制度はある。僕は優秀だ、こうしてアムに謝罪させた」
「…………なるほど、確かに優秀なようですね」
「え!?」
顔色一つ変えずに冗談を言う白夜に、アムが甲高い声を挙げる。素晴らしい。
冗談を言うなんて――間違いなく、外付けの機能だ。是非、彼女に搭載されているパーツを王国に持ち帰りたい。
おまけに白夜はサポート型ガイノイド、情報処理能力は戦闘型の小夜さんよりも上だ。今後の協力者として申し分ない。
と、ちょうどいいタイミングで横から冷ややかな声が入った。
「白夜……職務中に、何をやっているんですか?」
小夜さんだった。格好は昨日顔を合わせた時と変わらない制服だが、表情が冷ややかだ。
どうやら僕と白夜の会話を聞いていたらしい。乗り出していた姿勢を元に戻す。
「嫉妬した?」
「……フィルさん、随分と口が回るようですね」
機械人形に魂はない。だが、発展した魔導科学は人に限りなく近い機械人形を生み出した。小夜さん達はロジカルだが、喜びも悲しみもする。怒りも抱くし、嫉妬だってする。同僚が名前を貰ったのを見れば名前が欲しくなる事もあるだろう。
「僕は平等だ。小夜さんの事は凄く気に入ってるけど、白夜の事も気に入った。とても綺麗だし、頭もいいし、ジョークも言える。ついでに優秀な僕を贔屓してくれる」
「謝罪します、小夜。ですが、フィルさんは性能の良い私が担当します。アムさんを調教した優秀なフィルさんを権限内で贔屓します」
僕と白夜のジョークに、小夜さんの表情筋がぴくぴく引きつり、感情表現のアンテナが回る。
この緻密な感情表現、素晴らしい。白夜と甲乙つけがたい素晴らしさだ。
王国に置いてきた子がいなければ二人とも欲しかったが、さすがに既に仲間がいるのに優先度の低いスレイブは増やせない。
小夜は大きく深呼吸をした。アンテナの動きが少しだけ緩やかになる。
「どうやら、白夜は少し壊れてしまったようです。フィルさん。検査しなくてはいけないので、席を外していただけますか?」
白夜があからさまに不思議そうに瞬きをしている。小夜さんとの表情のギャップがとても面白い。
「わかった。また後で来るよ。アム、行こう」
これ以上受付を独占するわけにはいかない。視線を引いてしまっている。
探求者として速やかに大成するにはギルドの協力が不可欠だ。種は蒔いた。機械人形は人間が好きだ。後はどうとでもなるだろう。
唇を舐めると、僕はアムを連れて、受付を後にした。




