第十八話:使い熟せない力は危険なだけだ
契約にはコツがある。アムとリンの契約がうまくいかなかったのには、双方に問題がある。
アムは、自分も悪かったと思いつつ、リンに問題があったと思っている。そしてリンの方も――僕はリンの事を全く知らないが、アムが言葉から察するに、アム側に問題があったと思っているだろう。
だが、友人同士の契約も破棄したのに、見ず知らずの者との契約がうまくいくわけがない。
そして、うまくいっていない契約は時に、契約破棄以上の問題になる事もある。
「アネットさんが憲兵に通報していないのは、それが身内の失敗だからだ」
そして、アネットさんは娘がそれを自分で解決するのを見守るつもりでいた。
「そんな……トラブルって、何でしょう?」
「詳しい話を聞いてみないとなんとも言えないけど、大丈夫、なんとかするよ。そうだな……アムは念の為戦う準備だけしておくといい」
《魔物使い》の契約関係のトラブル解決など何度もしたことがある。
しかしこうして考えると――アムとリンはなかなかお似合いなコンビだったのかもしれない。よく二人で探求者をやれていたものだ。
日は既に高く、後二、三時間もすれば夜になるだろう。この街での拠点が決まってよかった。
「リンの新しいスレイブ…………何をスレイブにしたんでしょう」
アムが複雑そうな表情で言う。裏切られたような気分にでもなっているのだろう。ブーメランだ。
「前衛、傷の位置から考えて身長は二メートル前後。この街にもしアム以外に悪性霊体種がいたとしたら、それだ」
「え!? どうして、そう思うんですか?」
「アム、リンは少し……意地っ張りじゃないか?」
「え!? どうして……どうして、わかるんですか?」
元スレイブのアムも意地っ張りだから――などとは言わない。
《魔物使い》の格言の中にはスレイブとマスターは似るなんて言葉もあるが、そうすると僕とアムも似ているという事になってしまう。
「簡単だ。リンがアムに謝りに来ていないからさ」
リンとアムの契約はアムの迂闊な行動により終了した。
『ライフドレイン』のミスは致命的である。純人ならば死んでいてもおかしくなかった。
だがしかし、だ。『ライフドレイン』は事故だった。リンにそれがわざとではない事が理解できていたはずだし、死人も出ていない。そもそも、事故が起こったきっかけである、蔓延していた不信の原因は契約魔法でアムに痛みを与えた事だろう。それは明らかにマスター側の未熟が原因で、僕がリンと同じ事をしでかしていたら、一も二もなく謝罪している。
それがないのだから、リンはきっとアムと同じくらい意地っ張りに違いない。
「でも、リンが、自分が悪いなんて全く思っていない可能性も、あるんじゃないですか?」
「ないね。そんな性格だったら、アムは友達になったりしないだろ?」
「あ……」
霊体種の眼は魂を見極める。その精度はかなり高く、有機生命種が欺くのはかなり難しい。
アムがリンと友達になれたということは、根本から性格があわなかったなんて事はないはずだ。
「アムは次のマスターにリンと同種を選んだんだ。リンが同じ事を考えてもおかしくはないだろ?」
「そんな……同種を選んだなんて……そんな理由で選んだんじゃ、ないです……」
「まぁ、確かにあの時のアムはだいぶ弱ってたからな……」
そんな……と、顔を真っ赤にしながら否定するアム。誰がマスターでも引っかかっていた感がある。
「リンと君は似た者同士だ。あの傷から考えて、僕の予想では……男性の鬼種だと思う。小夜さんと交渉すれば詳しく教えてくれると思うけど、まぁ余裕があったら確認してみよう」
「ど、どうして男だと思うんですか?」
……君も同じ事をしただろ。
§
《魔物使い》の戦いは始まる前に終わっている、と言われている。戦闘中に僕の役目はない。《魔物使い》の持つ技に攻撃はなく、補助も他職に劣っている。《魔物使い》は――育成職なのだ。
『小さな歯車亭』で出てきた食事はお世辞にも夜魔に適したものではなかった。値段相応ではあるが、動物性タンパク質メインの食事は満足感を与えられても力の強化に寄与しない。味もそこそこだ。
これはアネットさんが悪いわけではなく、方針の違いである。
美味しそうに豚草の生姜焼きをかっこむアムを眺めていると、早めにキッチンを借りる用意をせねばと思えてくる。
「食べ終えたら型の確認をする」
「へ? もう夜でふよ?」
「最低限、職に身体を馴染ませないと、力が下がる」
アムの身のこなしは独学だった。職を受けて見えるようになる道とは言わば手本のようなもの、職は技術の取得を約束するものではないし、受けたからといって努力が不要になるわけでもない。
僕はトラブルの解決に際し、リンのスレイブとの戦いを想定していた。それが一番手っ取り早い方法だからだ。達成困難という事はわかったが、なるべく早く王国に帰るという目標に変わりはない。
アムの育成には手を抜かないが、その他のトラブル解決は片手間にやる。
訓練しなくても『悪夢の福音』を使えば大抵の相手は種族等級の差で押し切れるはずだが、一流の探求者は研鑽を欠かさないものだ。
「明日はアムの宿を引き払う。問題ないね?」
「え……い、いえ……そのお…………」
「…………ああ、わかった。わかってるよ、部屋代のツケがあるんだね? 僕が払う、心配しなくていい」
「は、はい…………ありがとう、ございます……」
アムが身を縮め、恥ずかしそうにお礼を言ってくる。アムは負債が多すぎである。だが、彼女は一流の探求者になるのだからここで貸しを作って置くのは悪くない。
彼女は一度綺麗にせねばならない。確執がある状態では使いにくすぎる。
と、ようやく一段落ついたのか、食事を終えたアムが聞いてくる。
「そう言えば……気になっていたんですが、フィルさん。どうしてあの時、上級職をもらわなかったんですか? 破壊者とか、強そうなのがあったのに……」
《託宣師》のエルは僕を見定めた結果、アムに職を授けてくれたが、その時提示した職は《剣士》だけではなかった。
上級職というのは、基本職を極めたその先に存在する職である。総じて剣士のような基本職と比べて大きな力が手に入り、探求者にとって憧れの一つである。
ちなみに、僕は《魔物使い》を名乗っているが、厳密には僕の職は《魔物使い》の上級職だ。
「いや、君、剣士にすらなってなかったじゃん」
「えー……でも、せっかくくれるって言ってたのに、勿体ない……」
アムは身の程を知らなすぎる。上級職の力は下級職すらついていない者には扱えない。何故ならば、上級職を受けることで開かれる道は、基本職を修めた前提のものだからだ。
エルはたとえ僕の中に何を見たとしても、その選択肢を僕に提示するべきではなかった。
《託宣師》が一つの職を与えられる人数には制限がある。上級職ともなれば授けることができる人数は極僅かだ。その貴重な枠を今のアムに使うなど、とんでもない話だ。目が曇っているなんてレベルではない、どこにいるのかしらないが、エルの師匠に告げ口すれば大目玉だろう。スレイブだったらお説教である。
「使い熟せない力は危険なだけだ。そもそも、破壊者は少し勝手が違うからね。今のアムなら、《剣士》の方が強くなれるよ。焦る必要はない、ゆっくり、確実に強くなっていこう」
「は、はいッ! 任せてください!」
アムが満面の笑みで、今日一番の返事をしてくれた。地盤を整えなくてはならない。僕一人で出来る事は限られている。アムの風評は今後の活動に影響する。元が元なので回復させるのは簡単だ。そこから上げるのは難しいが――僕は疲労で少し重い頭を振ると、小さく微笑んだ。
「明日から忙しくなるよ」
§ § §
約束通り、場所を中庭に移しアムの訓練を確認する。
だが、どうやらもう限界が近づいているようだった。
眠い。頭が重い。こんなに疲労を感じるのは久しぶりだ。
壁によりかかりアムが素振りをしているのを確認しながら思わず大きく欠伸をする。
原因はわかっていた。もともと僕の能力は低い。そして、昨日から脳を働かせっぱなしで、ほとんど寝ていない。
意志には自信があった。自分の肉体を完全に支配しているつもりだった。だが、未知の新天地を前に過剰分泌されていた脳内物質が切れてきたのだろう。
アムは孤独な女の子だ。彼女は強い理解者を必要としている。
アムは今日、買ってもらったばかりの剣を握り、必死に素振りをしていた。足運びは雑で、その剣の扱いも稚拙だが、外から見ていると徐々に動きが良くなっているのがわかる。《宣誓師》により示された古き《剣士》の通った道が、正しい剣の扱いを彼女に教えているのだ。
生来の高い身体能力と合わせればそう遠くない内にそこそこ強い《剣士》になれるだろう。
「フィルさん……どうでしょう?」
「ああ、いい感じだ、アム。そのまま振るんだ。正しい振り方は……わかるね?」
「はい……なんだか、身体が……ずっと知っていたみたいです」
眠い。ただ立っているだけで身体を動かしていないのだが、無理が祟っていた。
アムの声もまるでフィルターが掛けられているかのようにぼんやりしていた。
アムにはもう少し強いマスターの姿を見せて安心させてあげたかった。いずれボロが出るとしても、今だけは彼女に負い目を感じさせないよう振る舞うべきだった。
まだ出会ってから二日、弱さを見せるには早すぎる。
頭を振るが、意識は全く戻らない。これは顔を洗っても無駄だろう。どうやらもう限界のようだ。
眠い。意識が落ちる。立っていられない。もうシャワーを浴びる余裕もないだろう。
仕方ない、最低限の計画は立てた。こんな事ならば、食事の後は解散にするべきだった。
だが、もう遅い。無理をするのは久しぶりだから加減がわからなくなっていたのかもしれない。
アムの目は真剣だった。恐らく、一振り一振りで自分が変わっていくのがわかるのだろう。
邪魔をしたくなかったが、見ていてあげたかったが、やむを得ない。
まだアムは基礎の段階だ。示された道がちゃんと見えているのならば僕はいらない。
「アム、おいで」
「え? はい……」
アムがピタリと手を止め、近づいてくる。視界が定まらない。僕は手短に言うべき事を言った。
「アム、今の時刻をメモするんだ」
「時刻、ですか? ……フィルさん、大丈夫ですか?」
まずは活動限界を見極める。ただでは転ばない。
ここに至って僕の様子がおかしいのに気づいたのか、アムが心配そうな声をあげる。
「大丈夫、活動限界なだけだ。情けない話だが、眠くて眠くてしょうがない。アム、もっと側に」
足元がふらつく。頭にクエスチョンマークを浮かべ近づいてくるアムに抱きつくようにして身体を預ける。アムが短い悲鳴を上げるが、夜魔が六十キロ弱の僕を支えられないわけがない。
「アム、僕をベッドまで運んでくれ。僕を寝かせたら、素振りを続けるなり、後は自由にしていい。ただし、勝手に依頼を受けたり、宿から出ちゃだめだ。いつでも僕の側にいて――何かあったら起こしてくれ。いいね?」
「は、はい」
レイブンシティに来てからの光景が走馬灯のように流れる。既に思考通りに動かない舌を叱咤する。
「いい子だ。目が覚めたら、強くなったアムを、見せて、くれ」
そして、僕の意識はそれを最後に急速に沈んでいった。




