第十五話:後ろめたさに足が生えているような子だ
指折り、やるべきこと、やったことを数える。
今日の目標は概ね達成できた。等級をGからFにあげてもらい、装備を揃え、職を得た。境界線の向こうの話は知識でしか知らなかったので不安もあったが、勝手は概ね北と変わらないようだ。
どこかぼんやりしているアムと一緒に、ギルドに併設された酒場の一画に向かう。
探求者にとって酒場とは社交の場である。僕は新入りなので、込み入った話以外はこういう所で行い、顔を見せて置いた方がいい。さっそく席につくと、アムに尋ねる。
「アム、何か言いたい事はある?」
「は、はい………………」
アムの目がようやく僕を見る。その目には戸惑いと疑念があった。
しばらく沈黙していたが、先を促すと、恐る恐る口を開く。
「フィルさん……貴方は、なんですか?」
「なに、と言うと?」
「…………試験なしで、等級が上がるなんて、聞いたことがありません」
受付の権限なんて普通の探求者は興味もないだろう。ギルドもその抜け道を意図して隠している節がある。ギルド規約にも書いていないし、職員と深い交流がない限り知ることはない。
だが、ギルドの成り立ちは探求者が互助のために作った組織からきている。今では半分公的機関になっているが、かつての慣習は色濃く残しており、つまり――ある程度融通が効く。
ギルドは有能な者を贔屓する。実力を持つ者は手順さえ間違えなければ数段飛ばしで上にいける。
アムは僕の手際を、疑念を抱く程不自然に感じているようだが、彼女が世間知らずなだけだ。
僕は腰を落ち着けると、呆れたような、困ったような笑みを作った。
「アム、僕は君を騙さないし、裏切らない」
「え……?」
「あまりにうまく行き過ぎて、怖くなったんだろ?」
アムの表情が変わる。ただでさえ白い肌から血の気が引き、怯えのような感情を浮かべる。
長年かけて鍛え上げた疑心暗鬼はそう簡単に消えるものではない。語りかけるような声で続ける。
「アムは僕の嘘がわかる。紋章を通していなくても、だ。そうだね?」
「は……はい。なんとなく、わかります」
それは、僕の種族――『純人』がこの世で最も弱い種族とされる理由の一つだった。
純人は嘘がつけない。あまりに繊細な肉体はガラスの器にも例えられ、霊体種を始めとするあらゆる種は僕たちの僅かな行動から嘘を察知する事ができる。純人が騙せるのは――同じく、愚鈍な純人だけだ。
だが、詐欺師にはなれないが、誠実さを示す上でここまで都合のいい特性はないだろう。
「純人はあらゆる能力で劣る。だから、あらゆるノウハウを蓄えそれを有効に活用して生き延びてきた。僕が持っているのはただの知識と情報で、僕とアムとの違いは知っているか知らないかだけだ」
もちろん、夜魔が固有能力を持つように、純人も強力ではないが固有能力を幾つか持っている。
だからその違いはあるが、僕が今日やった交渉は全てアムでもできた事だ。
「もともと《魔物使い》はサポート職で、交渉のプロだ。自分より強いスレイブと契約交渉しなくちゃいけないからね。アムが苦手な事が、僕が得意だった。それでいいんじゃないかな?」
「…………」
眼は口ほどに物を言う。アムは黙っていたが、戸惑いの感情がダダ漏れだった。
僕も探求者になった直後は力に憧れた。夜魔が持つ戦闘能力は僕が昔焦がれ、しかし諦めざるをえなかったものだ。
そしてそれと同じように、彼女は僕のくだらない能力を羨んでいるのだろう。
「なんなら、『やり方』を教えてあげるよ」
「! ほ、本当、ですか!?」
反応は劇的だった。アムが目を見開き、身を乗り出す。
もともと、躾はするつもりだった。僕がアムに求めるのは武器としての性能だが、最低限のコミュニケーション能力がなければ面倒な事になるし、全てが終わり契約を解除した後に彼女が幸せになれない。
「何度も言うけど、嘘はつかないよ。だから、アムも僕の事を信じて欲しい。怖がってもいい。何かあったら、はっきり言って欲しい。アム、コミュニケーションは関係を築く第一歩だ」
「……はい。わかりました」
「むしろ、僕が君を恐れるべきなんだ。アムの力があれば僕なんて小指で捻れる」
紛れもない真実である。
アムはいつでも僕を殺せる。僕は探求者になって長いしそれなりに修羅場を経験したし、《魔物使い》の職もほぼほぼマスターしているが、それで身体能力が上がったりはしないのだ。
冗談めかした僕の言葉に、アムが慌てたように言う。
「!? そ、そんな事、しませんッ!」
「知ってるよ。だから――怖れない。僕はスレイブを信じる方針なんだ」
感情とは複雑なものだ。別種ともなれば相互理解は更に困難になる。
だが、だからといって話し合いを避けてはならない。
「もうアムは一人じゃない。二人三脚でやっていこう」
手を差し出すと、アムの表情が一瞬崩れかける。必死に平静を保つが、眼が潤んでいたし、手も震えていた。
どうやら彼女も――感情を隠すのはあまり得意ではないらしいな。
「はい……よろしく、おねがい、します。フィルさん」
何度目かの握手をしっかりとする。僕は感動している様子のアムににっこり笑いかけて言った。
「あ、今日から僕、アムの宿に泊まるからよろしく」
「はい、よろしくお願い――――え!? ???」
アムが目を白黒させている。だが、マスターとスレイブは家族以上の絆で結ばれているものだ。
同じ屋根の下で暮らすなど、常識中の常識、そもそも育成しなくちゃならないのに離れるなどありえない。本当は昨日から宿を共にするべきだったが、準備が整っていなかったから諦めたのだ。
「あのー……うち、ベッド一つしかないんですが…………ソファとかもありませんし……」
……アムが貧乏なのはわかっていた。だが、寝食を共にするのは必須だ。
僕とアムの関係はあくまでマスターとスレイブである。だから別に、僕はアムと同じベッドで眠れと言われても何も気にしない。というか、《魔物使い》として、スレイブを枕にして眠るのは一種の憧れですらある。今回はアムが小さいし大きな獣型の種族じゃないので不可能だが――。
問題は睡眠時の能力制御はなかなか難しいという点だ。寝ぼけて殺される可能性がある。しかも、多分確率はそこそこ高い。
「……カーペットくらいは敷いてある?」
「? ないです、けど……」
…………まぁいいか。アムには床で寝てもらう他ないだろう。マスターとスレイブは対等だが、それとは別に、立場というものがある。拠点が決まるまでの辛抱だ。
「って…………ダメッ! ダメですッ! フィルさん。絶対に、入れませんからね」
「なんで?」
「なんでも、ですッ! 部屋が散らかってますし、それにあまりいい部屋では……ない、ですし……」
言葉は力なく、尻すぼみに小さくなっていった。そんな事とっくにわかってる。
だが……そうだな。禁則事項なしの契約だが、彼女の意志はある程度尊重するべきだろう。
「ちなみに、僕はもしも仮に、アムが宿屋の人に嫌われていたとしても全く気にしないし、むしろ率先して言い返すよ」
僕は力はない。だが、それ以外は全てを持っている。
だから、並み居る強豪探求者のライバルを抑え、魔王討伐の依頼を勝ち取った。大抵の問題は僕にとって取るに足らない。
アムの抱える問題なんて予想できている。反論するし、謝る時は謝る。賠償だってしよう。
腕を組み眉を顰め言い放つ僕に、アムの表情が凍りつき、眼を逸した。
「!? なな……何の、話ですか……?」
目を細め、笑みを浮かべる。テーブルの上をとんとんと人差し指で叩きながら、言った。
「でも、そうだな。そこまで言うのならば、代替案を出して貰おうか」
「代替……案?」
アムは交渉が苦手のようだ。だが、僕から譲歩をもぎ取って見せた辺り、ポテンシャルはある。
「僕はまだこの街についてよく知らない。アムのおすすめの宿を教えて欲しい。そうすれば、僕は今日そこに泊まるし、アムはその間に今泊まっている部屋を引き払う準備ができるだろ」
「おすすめの……宿――」
互いの嗜好を知るのは相互理解の第一歩だ。それは、特に他意のないゲームのようなものだった。
だから――アムの浮かべた表情は完全に予想外だった。
会話をする際は人の顔をしっかり見るようにしている。だから、一瞬の表情の変化にも気づいた。
ほんの一瞬、アムの表情が沈痛に歪み、薄墨色の瞳が揺れる。すぐに平静に戻るが、僕はスレイブのシグナルを見逃したりはしない。感心するやら、呆れるやら、なんとも言えない気分だ。
ポーンアント討伐後の帰り道。アムは僕にトラウマを聞かれ、ありませんと答えた。
そりゃいきなりそんな事を聞かれても困るというのはわかるが、それにしても――抱えている物が多すぎる。
アムの表情筋はしばらく動かなかった。完璧な擬態だが、これまでずっとあたふたしていたのにいきなりその表情はいくらなんでも不自然だ。
笑いそうになる僕に、僕の新しいスレイブが言う。
「あの……フィルさん……おすすめだったら、どこでもいいんですか? 他に条件とかは――」
「ない。アムのおすすめだったら、どこでもいいよ」
どうやら僕が今まで見せていたスタンスでは足りなかったようだ。さて、鬼が出るか蛇が出るか。アムが何を抱えていたとしても――僕は逃げたりはしない。
笑みを浮かべる僕に、アムが恐る恐る言った。
「その…………フィルさんは、多分、『小さな歯車亭』っていう宿が、気に入ると思います」
「『小さな歯車亭』、ね」
やや視線を落とした窺うような目つき。本当にアムは後ろめたさに足が生えているような子だ。
だが、そろそろ許さない。僕は手をぽんと打つと、小さく身を縮めるアムに言った。
「よし、じゃあ早速案内してもらおうか」
「え!? わ、私も、行くんですか?」
「はぁ? 僕が行くのに君が行かないわけがないだろ。そもそも、アムは僕のスレイブだし」
スレイブはマスターにつきっきりなのが普通だ。素っ頓狂な声をあげるアムに笑いかける。
まさか、アムは僕が一人で行くとでも思ったのか? …………ありえない。
僕の目的はアムに深く刻み込まれた傷を癒やす事だ。問題を消すだけではなく、アムに立ち向かい方を教えねばならない。
僕に頼めば解決すると思ってはいけない。マスターとスレイブは一蓮托生、痛みも分け合うのだ。
「で、でも、私は部屋の片付けが――」
「後でやればいい。アム、それとも僕と一緒に行けない理由でもあるのか?」
「……よ、よく考えたら、あまり良い宿ではなかった気も……」
今更モゴモゴ言い始めるアムの手をさっと握る。
アムがびくりと震え、僕と握られた手を交互に見る。眼に怖れが浮かんでいた。
「さぁ、僕、実は昨日から寝ていないんだ。アム、これは命令だ。君のおすすめに案内してくれ」




