第十三話:心配いらない
剣呑な双眸がまるで睨めつけるかのように僕を見下ろしていた。
「ああ、その事か。それはもちろん……全て承知の上だよ。ご心配なく。僕は『専門家』だ」
「専門家……?」
遠くの卓で仲間がこちらの様子を窺っている。獣人種で統一されたグループのようだ。
レイブンシティ周辺の魔導機械は硬いが稼げるから、筋力の高い種族で組むのは理に適っている。
僕の返答が予想外だったのか、琥珀色の目が大きく見開かれ、瞳孔が窄まる。
人里に下った獣人種は高度な社会性を持っている者ばかりだ。
つまり、目つきが悪いのはただの生まれつき――知らないのならばやめておいた方がいいとか、警告しに来たのだろう。
そして、その中にはアムへの警戒と揶揄も含まれているに違いない。
実際に悪性霊体種の多くは有害で、容姿で人を惑わし食らう者もいる。嫌うのはわかるが――。
笑みを浮かべ、低めの声で続ける。視線は外さない。
「ご忠告、ありがたく受け取るよ。ところで、アムは貴方に……なにかしたのかな?」
「いや。だが、そいつは――」
「まぁ、彼女たちはそりゃあ恐ろしい種だ、警戒するのもわかる。だが、何もしていないならば、貴方の物言いは同じ探求者に対して礼を失している。ギルドの所属条件に種族による制限は存在しない」
まぁ、アムはもうスレイブなので探求者ではないのだが。
男の眉がぴくりと動き、顔が強ばる。僕はそこで、立ち上がり声色を少し穏やかにして続けた。
探求者は粗暴で話が通じないと思われがちだが、武力なしでも、誠意があれば大体通じるものだ。
「ようやく見つけた『スレイブ』なんだ。アムがこれまでに失礼な事をしたなら謝るよ。でも、悪気はなかったんだ、彼女は僕が教育する、迷惑はかけない。それでどうか許してくれ……この通りだ」
頭を下げると、しばらくして頭の上から戸惑ったような声が聞こえた。
「あ、ああ。わかったわかった。そこまで言うなら――後悔するなよ」
「ああ、ありがとう。僕はフィル・ガーデン。《魔物使い》だ」
じろりと不機嫌そうな目で僕を睨めつけ、男が去っていく。
「フィ……フィルさん――ごめんなさい、私のせいで」
「悪性霊体種は大変だ。故郷では嫌われ、新たな街では警戒される。それと比べれば頭を下げるくらいどうってことはない」
今のアムに最も必要なのは実績だ。それさえあれば、アムの立場もよくなる。
「僕も昔はよく絡まれた、あの時は若かったから反論したが、穏便に事を収めた方がいい時もある」
叩きのめすのは簡単だ。彼らは恐らく悪性霊体種をよく知らない、僕の助言があれば今のアムでも勝てるだろう。
だが確実に禍根は残る。これからのアムの育成の邪魔をされたくないし……叩きのめせたことでアムが味をしめるのも困るのだ。
アムをしっかり見て、続ける。
「そして謝る必要はない、アム。君はもう僕のスレイブだ、自分に非がないのに謝罪されても困る」
アムは自信がなさすぎる。誇りがない。その辺りから手をつけていくべきだろう。
手を伸ばし、ふせられたアムの顔をあげさせる。そこで僕は本命に入った。
「それとも、アムは僕に謝罪しなくてはならない事でもあるの?」
「…………いえ。ありません」
アムがびくりと震え、恐る恐る答える。僕はその頭を数度優しく撫でてあげた。
この様子……嘘だな。
アムには何か思い当たる節がある。間違いない。
あの探求者は僕に何か言いかけた。アムには何かしでかした事がある。そして、それが周囲に知れ渡っている。彼女が村八分を食らっていたのはただ嫌われる種族だからではない。
親切な男の言葉を止めたのは、第三者から聞かされたのでは意味がないからだ。
それは――アムから告白されてこそ意味がある。
彼女には逃げ癖がある。一歩ずつ改善せねば、この先困る事になるだろう。
アムがじっと視線を投げかけたまま思考する僕の目を見て、戸惑いの表情を浮かべる。
「フィル……さん?」
「アムはダメな子だなあ」
「え!? な、なんでですか!?」
僕には経験がある。アムの隠し事は大体、予想できていた。
「僕が以前連れていたスレイブ、アリスはある街の住民、全ての命を吸い取った最悪の悪霊だった」
「…………へ?」
アムが目を見開く。いきなりこんな事を言われても困るだろう。
だが、切れる札は切っておくべきだ。どうせ彼女はいつか興味を持つ。
「こんな事を言うのはこれが最後だ。アムには想像できないだろうけど、この世の中には恐ろしい力を持ち、どうしようもない罪を犯し、さしたる罪悪感を抱かない者もいる。彼女は結局改心しなかったけど、スレイブになってからは僕に協力した。人を殺さなくなった。その力を人のために振るった」
僕が魔王討伐につれていたスレイブ――アリスは間違いなくこの世界で最上級の『魔物』だった。
同じ悪性霊体種に区分されていても夜魔とは比べ物にならない程――『凶悪』だ。僕が表面上だけでも彼女を変えることができたのは奇跡のようなものだ。
彼女は賢く美しくそれは忠実に僕に従ったが、一切悪びれる事はなかった。マスターとスレイブの関係になって随分経つが、今でも彼女は眉一つ動かさずに街を飲み込む事ができるだろう。
僕はスレイブ同士の比較はなるべくやらない事にしている。僕のような者に付き従ってくれている彼女たちに失礼だからだ。だから、これが最後だ。最後にしたい。
「僕が言いたいのは――それと比べればアムは、そう泣きそうな表情で俯く事はないって事だ。足りない部分は僕が補う。僕はアムを裏切らないし傷つけない。だからアムは――いつでも笑顔でいろ。アムが不安げな表情をしていると僕はとても申し訳ない気分になる」
スレイブが悲しむ姿を喜ぶマスターはいない。いたとしても……きっと、少数派だ。
「そんな事――」
「僕の言いたいことはそれだけだ。アムには多分……自信が足りていない」
僕からすれば悪性霊体種が街での生活を許されている時点で十分尊敬に値する。
アムの瞳が揺れた。
納得しなくてもいい。だが、言葉に出す必要がない事もあれば、言葉に出さねば伝わらない事もある。
信頼は徐々に構築されるものだ、近道はない。
「話は終わりだ、アム。食事を終えたら次はアムの職を受けに行くから、そのつもりで」
あからさまに話を変えると、アムはあっさりとそちらに誘導される。
「職…………?」
「アムは剣を持っていて剣士を名乗っているだけで職を授かっていないだろ? 道標なしで職を極めるのは非効率だ。だから、貰いに行く」
職という単語には幾つか意味があるが、僕たち探求者が使うそれは主に――『道標』を指す。
だから、僕たちにとって探求者は仕事であっても職ではない。
職は、授かった者にかつての達人の辿った道標を示し、効率的に力を習得させる。アムの斬撃は種族等級もあり重かったが、本物の『剣士』と比べると児戯に等しい。
職を授かれば明確な成長のビジョンが見える。先人が何年も苦労し編み出したスキルを極短期間で得られる。探求者にとって職を持たないというのは致命的だ。
職を受けるには『託宣師』と呼ばれる特別な巫女の力を借りなければならない。
巫女の練度によって授けられる職は異なるが、『剣士』は基本中の基本なので問題ないだろう。
まぁ、余り適性のないアムを剣士にしてしまっていいのかがまず問題ではあるが――。
「……実は……フィルさん……私――」
そこでアムが思いつめたように口を開く。僕はピンときた。
……そうか、すでに断られたのか。この子、本当に信頼がないんだな。
『託宣師』の仕事には職を与えない事も含まれる。
彼女たちは力を与えるという強大な力を持つからこそ、犯罪者や敵対種に無闇に力を与えないよう慎重にならねばならない。
僕が笑みを浮かべ続きを促すと、アムが震える声で続けた。
「剣士の職を……その、断られてしまって…………」
「それだけ?」
「…………他の職も……全部、断られました」
涙を浮かべながらも、アムが言い切る。よしよし。今度は嘘をつかなかったな。少しだけ成長だ。
アムが不安にならないように自信たっぷりに言ってみせる。
「大丈夫だ、アム。僕がちゃんと話して、職をくれるようにお願いする。心配いらない」




