第十二話:あはははは――
街を回り一通りの買い物を終える。その頃には僕の財布の中身は一千万マキュリを切っていた。
探求者は装備に金がかかる仕事だ。ギルドで斡旋される仕事のほとんどに戦闘が関わる以上、最低限の装備を揃えずに依頼に挑めば万が一の時に対応しきれない。金は命には代えられない。
真新しい服に身を包んだアムが居心地悪そうに周囲をきょろきょろしながらお礼を言う。
「フィルさん……あ、ありがとう、ございます……」
「礼はいらないよ。うん、可愛い可愛い」
「そ、そんな……こんな格好……初めてです」
僕とアムの話し合いの結果、結局服装は黒のワンピースになった。
アムの選択したものに少しだけデザインが似ているが、露出の量が違う。肩から腕まで広く白い肌が露出し、下もスカートだ。黒き金属布のスカートからはすらっとした肉付きの薄い脚が伸びていた。
アムの顔は真っ赤だった。声も小さい。どうやら本気で恥ずかしいようだ。
とても戦闘する格好には見えないが、スレイブにはマスターの力を示す役割もあるのだ。
服装の他にも、アムの装備は短い買い物を経て一変していた。
背負われているのは僕の作った剣ではなく、武器屋で購入した直剣である。鋼と幾つかの金属を足した合金製で、強度は銅の剣とは比べ物にならない。長さもアムの身長に合わせて扱い易いものを選んでおり、肌の出た格好と無骨な長剣の組み合わせからはどこか凄みが感じられる。
ベストではないが、このくらいすれば今までアムにおかしな眼を向けていた者たちにも彼女が変わった事が理解できるだろう。実際に格好が変わっただけで、アムに向けられる視線からは多少なりとも、険が取れている。目を丸くしている者もいるが気にする事はない。
震えている手を握ってやると、アムはようやく落ち着いたように息をついた。
とりあえず買い物は一通り済んだが、まだやることは沢山ある。
第一にすべきことは、アムが本来のポテンシャルを発揮できるように正常に戻す事だ。
心の傷は彼女の力に陰を落とす。いくら何日も飲まず食わずで活動できる霊体種でも栄養が足りなければ性能は落ちるし、宿のグレードが低ければ疲労は抜けない。
早く王国に帰還したいが、焦ってもどうにもならない。順番に一つ一つ課題を潰していこう。
§
装備を整えたので、続いて食事にする。
霊体種の持つ肉体は精神体が変容したものだ。だが、仮初であっても物理的肉体を持つ以上は物理的制約からは逃れられない。
種により食も異なる。悪性霊体種の場合は『ライフドレイン』で他者から直接命を吸う者が多いが、アムは人間と同じ食料を食べて生きているらしかった。
法律により『ライフドレイン』は禁止されているので当然だが、これも、人と共存する悪性霊体種が生粋の悪霊に力で劣る理由の一つである。
僕が自らの力を落としてまで共存を選んだ彼女に愛おしさを感じるのも仕方のないことだろう。
食事はギルドの酒場で取る事にした。
まだ行きつけの店もないし、僕とアムが共にこの街の探求者達の目の前で食事を取る行為には意味がある。
「そんな……こんなに色々な物を買ってもらった上に食事まで、なんて――」
「アム、僕たちはもう他人じゃない。遠慮はいらないよ、これはマスターとして当然の義務だ」
きっぱりと宣言すると、アムは少しだけ傷ついたような表情をする。彼女は勘違いをしているようだが、僕は相手がアムじゃなくても、スレイブならば食事を与えていたし装備も購入していた。
「だから、遠慮せずに好きな物を好きなだけ頼むといい。アムには稼いで貰うんだ、いざという時に空腹で働けないなんて事になったらそれこそ迷惑だよ」
「好きな、だけ……」
「ああ。食べ物は装備や武器と比べたら安いから心配はいらないよ」
微笑みかけると、アムは慌てたようにメニューを食い入るように見る。ギルドの酒場のメニューすら覚えていないのでは、アムにこの街のおすすめを聞くのはやめておいた方がいいだろう。
アムのオーダーを聞き、好みを把握する。
食は身体を作る。当然、《魔物使い》の僕は料理も学んでいる。
スレイブへの食事作りはマスターの仕事だ。最近は作ってもらう事が多かったので、作る側になるのは久しぶりである。……楽しみだな。
見られている事に気づいたのか、アムが顔を上げ、焦ったように言う。
「な、なんですか?」
「腕を出して」
「……?」
アムが目を瞬かせ、腕を伸ばす。僕は速やかに手を出し、アムの白い手の平を握った。
夜魔の体温はどうやら人より低めのようで、ひんやりとした柔らかい感触が伝わってくる。
「!? な、なんですか!?」
「ちゃんと『恐怖のオーラ』と『ライフドレイン』切ってるかなってさ」
「え!? き、気をつけてますッ! ……あ、もしや今朝からやけに触ってくるなって思ってましたが、それって――」
「あはははは――」
彼女を悪性たらしめるその二つのスキルは致命的だ。万が一、人を害せばうっかりでは済まない。
それらの制御が甘く僕に両方ともぶつけた彼女がこれまで魔物認定されていなかったのは、とても幸運だった。
その二つの種族スキルの制御はマスターとして真っ先に身につけさせねばならないものだ。
「痛い目を見ないと身につかないからね。アム、これから僕は――許可なく、容赦なく触れるよ。睡眠中も、食事中もお構いなく、だ」
「え!? ええ!? で、でも、それで痛い目を見るのは私じゃなくてフィルさんで――」
「ああ、そうだね。それが何か?」
目を細めると、アムが表情をこわばらせる。
彼女はもうスレイブで、アムの失敗は僕の失敗だ、まず痛い目を見るのは僕でなくてはならない。
それで命を失う事になったとしても後悔はしない。悪性霊体種が人間社会で生きる上で力の制御は必須だ、今まで人里で生きてきたのにできていないという事実は、歪という他ない。
「僕は生半可な覚悟で《魔物使い》をやっているわけじゃない。全力で制御するんだ。昨日も言ったはずだ、僕は命を賭ける。君も命を賭けろ。一度くらいなら許されるだなんて思っちゃダメだよ」
「命を……賭ける……」
この世界ではアムと同じ種族で同じ様な精神と知性を持つ存在が、魔物と認定されているのだ。
隙を見せればアムのように力がない悪性霊体種なんて簡単に終わるのだ。
料理が運ばれて来る。そこで握っていた手を離し、固まっているアムに笑顔で言った。
「まぁ、子どもでもできる事だ、アムにできないわけがない。とりあえず今は食事にしようか」
「は、はい………………フィルさんって、もしやスパルタ、ですか?」
アムが目を見開き僕を凝視すると、恐る恐る呟いた。
§
「あのー……そんなに見られると、食べにくいんですが……」
覚束ない手付きでナイフとフォークを使うのを見ていると、アムが何故か申し訳なさそうに言った。
契約の紋章はアムの様子をある程度伝えてくれるが、本当にいい関係を築くには相手への興味が不可欠である。好き嫌いや苦手分野は当然として、無意識に出てくる動きの癖を知るのも重要だ。
《魔物使い》の第一歩はスレイブの全てを知る事から始まる。僕たちは自分の事よりもスレイブの事を知る。《魔物使い》の中では『データリング』と呼ばれる行動だ。
「ああ、ごめんごめん、悪かったよ」
興味があるものがあると集中してしまうのは悪い癖だ。
アムを除けば、僕にはアリスくらいしか悪性霊体種の知り合いがいない。グラエル王国の国民の分布は有機生命種がほとんどを占めていたため、悪性霊体種は徹底的に排除されていたのだ。
アムが注文したのは牛草のステーキだった。特殊な方法で栽培される肉に酷似した草である。
レイブンシティ周囲の地は荒れ果てていた。もしかしたら牧畜も難しいのかもしれない。
「これから……どうするんですか?」
「とりあえず今日は準備だけして残りの時間はゆっくり身体を休める。依頼を受けるのは明日からだ」
「わ、私は、今日からでも、いけます」
君、そう言って昨日全然ダメだったよね……? 楽天家なのか臆病なのかどちらかにして欲しい。
「この街に来たばかりだ。地図は大体頭に入れたけどまだ準備しなくちゃならない事がある」
「準備……?」
円滑に活動するには手順がある。今の僕は忌み嫌われる悪霊と契約した最下級の探求者だ。本人も一目置かれるような種族でないとくれば、存在感は行動で示すしかない。
僕は話を変えた。
「アムにはご両親はいる?」
「え……? い、いません……けど」
「テーブルマナーはどこで習った?」
「?? テーブルマナーと言うほどのものでは……こんなの、普通です……」
アムが目を逸らし俯く。どうやらまだ秘密が、言っていない事がありそうだな。
霊体種は生命種と違って自然発生する可能性がある種である。親がいないのは不思議な事ではないが、アムのテーブルマナーは明らかに教わった物だ。まだ拙く及第点には達していないが、その手付きからは正しい方法を使おうという意図が見える。
「アム、好きに食べていいよ。こんな所でテーブルマナーなんて誰も気にしない。僕も気にしない。手づかみとかじゃなければ、ね」
「手づかみ!? やりませんよ、私を何だと思ってるんですか!」
「やる種族もいるからね……」
今回のは冗談だが、《魔物使い》がスレイブとの文化の違いに悩まされる事は少なくない。
しばらくするとアムも慣れたのが、手が止まらなくなる。食事を取れば少しは力が戻るだろうか。
「好きなだけおかわりしていいよ。デザートも頼むといい」
「んむ……けほっ、あ、ありがとう、ございまふ」
理由もないのにスレイブを飢えさせるなど、《魔物使い》の風上にもおけない。
にこにこしながら食事を取るアムを眺めていると、その時ふと視界に陰が差した。
後ろに大柄の男探求者が立っていた。鋭い目が僕とアムに――主にアムの方に向けられている。
純人じゃない。筋肉のつきかたが違う。豊富に生えた焦げ茶の毛からも獣人系の亜人と推察される。
獣人は獣の特性を持つ人間だ。純人と比較するとあらゆる能力に秀でており、生まれ持った獣の種類に応じた強力な特殊能力を持ち、独自の文化体系を築いている事も多い、とても興味深い種族である。
アムが怯えたように視線を落とす。
だが、それは悪手だ。探求者は隙を見せてはならない。
目つきは鋭く、身体も僕より一回りは大きい。だが、探求者は別に犯罪者ではないのだ。
「何か?」
しっかりと目を合わせる僕に、獣人の男は鼻を鳴らした。鋭い牙の隙間から炎のような舌が見える。
「あんた、そいつが何なのか知ってるのか……?」




