第十話:そして――友達も大勢できる
アムがアリの群れに接敵するまで、かかった時間は一瞬だった。
今の彼女には『戦いの鐘』は適用されていない。ただ。元々の身体能力が固有スキルと『調整』によって最大まで強化されている。
そのままの勢いで、アムが一番近いポーンアントの頭を袈裟懸けに斬りつける。
それだけで――ポーンアントの身体は斜めにずれた。
優れた知覚能力と情報処理能力を持つ魔導機械が全くその姿を追いきれていない。さっきまで銅の剣でごんごんやっていたのが嘘みたいだ。
いや……今のアムなら銅の剣でも関係ない、か。
「速い……なんて速度だ。それになんて力……あのアホっぽい子がまさかこんな力を……」
サファリが微妙に酷い、微妙に核心をついた言葉を出す。
「…………まーアホなのは変わらないみたいだけどね」
僕はアムがアリを相手にまったく問題にしない事を確認して、袋から先ほどギルドのショップで買ってきた球状の機械を取り出す。
アムは頭も、身体も構わずに剣で片っ端から叩き斬っていた。凄いが全然力を制御できていない。ストレスが溜まっていたのだろうか、それともご褒美のせいなのか、恐らく両方だろう。
ポーンアントは残り三体……頼むから討伐証明くらいは残っていて欲しい。
「ん? フィル、それは何だ?」
「妨害電波の発生装置だけど……絶対救援信号出されるでしょこれ」
「……本当にフィルは準備がいいな」
地面に置いてスイッチを押す。ちなみにこの装置、モデルアント専用で二百万もした。つくづく財布に痛いが、命には代えられない。
しばらくして、予想通り一匹のアリのアンテナが光り始める。だが、助けがくる事はない。
趨勢は決した。最後のポーンアントに止めを刺し、意気揚々とアムが戻ってくる。
自分の格好にまで気が回らなかったのだろう、髪は風圧でかき乱され、ポーンアントを派手に破壊したせいでオイルがそこかしこに付着してどろどろしていた。
「討伐完了しました。フィルさん! 痛っ!?」
戦闘の興奮に、頬を赤く染めているアムの頭に手刀で叩く。
「最後、救援信号出されてたよね」
「え!? 出されてました? あ痛っ!?」
気づかなかったのか……さらに手刀で追い打ちを掛ける。
「おまけに弱点は頭だって教えたのに、狙ったのは最初だけで、構わず力任せに殴ってたね?」
涙目のアムの頭をゴンゴン叩く。あんなに丁寧に教えたのに、この頭には何が詰まってるのか、僕には全く分からない。空っぽなんじゃないだろうか。
「あ痛ぅ……え? あれ? 何で!? 何で、何で痛いの!?」
「マスターだからね。スキルも切ったし痛覚も倍にしてる。禁止事項なしは後悔するって言っただろ?」
彼女は僕に制御権を委ねている。使い方次第ではこんな事もできるのだ。
「え!? ……え!?」
アムが慌てて背中を見る。先ほどまで背負っていた黒い翼はもうどこにもない。
僕はマスターにできることを熟知している。抵抗の仕方を知らないアムを操るなど、朝飯前だ。
スキルには任意発動型と常時発動型、切り替え型と、大きくわけて三種類が存在する。
『悪夢の福音』はパッシブに近いスイッチスキルだ。発動に制限時間はないが発動中は少なからず魔力を消費するし、今のアムには負担も大きい。
「で、アム。何か申し開きがあるかい?」
涙目で頭を抑えるアムに視線を合わせる。しばらく釈然としなさそうな表情をしていたが、
「うぅ……ご、ごめんなさい……」
「まぁ、初めてだし、敵は倒せたから及第点はあげるけど……」
「ほ、本当ですか!? じゃ、じゃあ……」
アムが期待に眼を輝かせる。アムの手を握る。アムの頬が緩む。僕は笑顔で言った。
「それじゃ、アリの討伐証明と希少部位を取ってきてもらおうかな……」
「……え!?」
アムが、僕に握られた手に視線を落とす。正確には――握らせられた一本の分解ペンに。
不思議そうな顔でペンと僕を交互に見るその様子はまるで鳩が豆鉄砲を食ったようで少しおかしい。
「さっき僕がそれ使って分解したのは見てたよね?」
「え? あれ? あ……はい……?」
「じゃー使い方わかるよね? 自分が狩った獲物の分解くらいできるよね?」
このためにさっきはわざわざアムの目の前で、わかりやすいように解体してみせたのだ。
解体は探求者としての基礎中の基礎だ。探求者になりたての人のためにギルドが講習会を開いているくらい基礎だ。分解ペンとナイフでは若干勝手が違うかもしれないが、それは所詮誤差の範囲だ。
分解ペンは解体だけに使うならナイフと余り変わりはない。アムにできないわけがない。
僕はスレイブを誰よりも強くする。
「え、えっと、フィルさん……つまり……そういうこと?」
「そういうこと」
アムの眼がまたじわじわと潤み始める。何かを訴える子犬のような目付きだ。
「あの、フィルさん。あの……さっきの……あの……続き……」
「……アム、GOだ! Go and dissect!」
「は、はいっ!」
命令に、弾かれたようにアムがアリの死骸の方に走りだす。
途中で未練がましく何度かこちらを振り返るが、僕は笑顔で手を振って応えた。
「全く、アムは泣き虫だな……」
「……少し可哀想ではないか? 頑張ったのに……」
サファリが見るに見かねたように口を挟む。全く、僕よりもサファリの方がずっと甘い。
こんなのやって当然だからね。
暴れて終わりがスレイブの仕事じゃないし、褒めて煽てて甘やかすだけがマスターの仕事じゃない。
魔物使いの心得その8
スレイブは甘やかすだけではいけません。悪いことをやったらきちんと叱りましょう。
犬猫と違って大体高い知性を持っているスレイブには、コミュニケーションを取りながらの体罰も効果的です。ただし、やり過ぎると変な癖がつくので注意しましょう。
「それに、余りご褒美を与えすぎると、ご褒美の価値が下がる」
アムが涙をこぼしながらアリの死骸に分解ペンを突き立てている。
これで討伐証明は九個手に入れたことになる。後残りは六個だ。
空を見上げ、時間を測る。魔導機械には夜など関係ないし、アムは逆に夜の方が強くなるが、僕はただの人間だ。夜になると視界が悪くなるし、疲労で思考や判断も鈍る。腹も減る。
猶予はあまりないと考えたほうがいいだろう。
「サファリ、そろそろこっちからモデルアントを探そうか……時間もないし……」
「そうだな……先ほどのアムの戦闘能力があればこちらから探しても十分勝ち目があるだろう……」
「いざという時はアンプルもあるしね……なるべくなら性能テストは別の日にやりたいけど。ナイトくらいなら倒せるだろうけど、ビショップとかが出てくると今のアムじゃ荷が重いだろうし」
「……アンプル?」
まぁ、心配はいらないだろう。モデルアントの巣は遥か遠く、百キロ近く離れているはずだ。
B等級討伐依頼の対象であるルークやビショップは基本的に巣からそう離れないはずなので、奥まで踏み込まない限りは問題ないだろう。遭遇したとしてもナイト程度のはずだ。
「って、どんだけ解体に時間をかけてるんだ」
速やかに獲物を分解する技術は優れた探求者の条件である。戦場で時間をかけて解体するなんて、聞くだけでナンセンスなのがわかるだろう。
僕は、たかが魔導機械の解体に四苦八苦しているアムの方に向かっていった。
§ § §
凄い。信じられない。アムは半ば夢心地で、前に座るマスターを見た。
夜魔は強力な種族だ。その自覚があったからこそ、アムには常に劣等感に悩まされていた。
いくら相性が悪いとはいえ、明らかに格下の魔物すら倒せず、自分の力の制御すら覚束ない。
誰からも認められず、忌み嫌われ――そしてそれを当然だと思っていた。
それが今はどうだ。
あの瞬間、アムの全身に巡る莫大な力は確かに全生命体から怖れられる『夜の魔物』のものだった。
即席の武器で、これまで手も足も出なかった魔物を何体も倒し、そしてまだ――余裕があった。
そしてその力を与えてくれたのは――間違いなく、目の前の青年だ。
アムの知る《魔物使い》の持つ力はそこまで強くはない。
一人では戦えず、スレイブを強化するスキルもそこまで強くない、余りぱっとしない職だ。
だが、フィル・ガーデンの手際はまさしく魔法よりも魔法らしかった。
アムにはわかる。目の前の青年がやったことは単純な能力の増強ではない。潜在能力を引き出しただけだ。
――だがそれはアム自身を含め、これまで誰にもなせなかった事でもある。
これまで見ていたマスターの手際はアムが見慣れないもので、しかし水際立っていた。
堅物な機械人形と談笑し、ただ請われるままに人を運ぶランナーと言葉を交わし、脆弱な身で、しかし恐怖の欠片も見せずに淡々と魔導機械に立ち向かい、アムの力を引き出した。
アムは人間不信だ。自覚がある。これまでずっと周囲全てを敵だと認識してきた。
だが、不思議と目の前の青年は信頼できた。
そしてそれはきっと――その身に纏う強力な『同種』の匂いとは無関係なはずだ。
偶然ではない。これはきっと運命だ。胸元をぎゅっと手で握り、高まる鼓動をごまかす。
これまでは辛いことばかりあった。でもきっとこれからアムに待っているのは薔薇色の未来だけだ。
だって、目の前のマスターはアムに確かに言ったのだ。
『僕にはアムを幸せにする義務がある』、と。言ってそして、泣いているアムを抱きしめてくれた。
つい半日前まではこんな事になるとは思ってもいなかった。きっと、どんなひどい目に遭っても腐らずに真面目にギルドに通い続けたのがよかったのだ。
ランナーの移動速度はアムが知っているよりも数段上で、凄い勢いで風景が流れていた。
そもそも、ランナーは本来、行き専用である。帰りも付き合ってくれるなんて滅多にない話だ。
贔屓だと思いかけ、アムは抱きかけた嫉妬を霧散させた。最初に声を掛けた時は完全にダメ元で頼りないとすら思っていたが、そんな事を棚にあげて潤んだ目でマスターの後頭部を見つめる。
贔屓されて当然だ。この人は凄い。強く、格好良く、優しく、そしてきっと――この地でたった一人のスレイブであるアムを贔屓してくれるはずだ。
マスターはあれほどの成果を出したのに、思ったより喜んでいなかった。
背中を向けているが、魂を見る目を持つアムには何かを真剣に考えているのがわかる。
しばらくの沈黙の後、フィルが真剣な声で言う。低い、しかし耳触りのいい声だ。
「今日は少し調整しただけだ。夜魔の潜在能力は本来こんなものじゃない。大丈夫、心配はいらない。アム、まだ出会って間もない状態で言うことじゃないけど――僕を信じて全て任せて欲しい」
「それは……」
戸惑う。なんでそのような事を言うのだろうか、アムは既にマスターを信頼している。
ポーンアントを倒せたのはその証明だ。信頼をなくしてスレイブはその力を発揮できない。
「あらゆる障害は排除する。アムは力を手に入れ皆に認められ、そして――友達も大勢できる」
「友……達……?」
ポーンアントを倒せた以上に信じられない言葉に、アムは瞠目した。
アムに友達はいない。そもそも他者を害する力を本能で行使する悪性霊体種に友などできない。
誰もが恐れ、近づかない。怖れない者も極稀にいるにはいるが、いずれアムの元から去っていく。
既に考えなくなって久しい言葉にアムは完全に沈黙した。
強くするというのはわかる。悪性霊体種をスレイブにする《魔物使い》が少数だが存在する事も知っていた。だが、もしもこのマスターが本気でそんな事を考えているのならば、常軌を逸している。
そしてアムが言葉を失ったのはその言葉が冗談でもアムを鼓舞する目的でもなく、本気で言っている事がわかったからだ。
フィルが続ける。その声は思い詰めたかのように低かったが、同時に強い自信に満ちていた。
「全て、僕が変える。だが、それにはアムの完全な協力が必要だ。停滞した状況を変えるには大きな力がいる。辛い事がある、嫌な事も――だけど、その先には間違いなく大きな喜びが待っている」
その時、アムはどうしてこの眼の前のマスターに、自分と同じ悪性のスレイブが素直に付き従っていたのか心の底から理解した。
声が、仕草が、視線が、その全てが、アム達、弱き者を惹きつけるのだ。仕草の全てが真実だとわかるからこそ、強く心が動かされる。そして、心とは霊体種にとって全てと言っても過言ではない。
「頼みはしない、君は契約により僕に全てを委ねた。だから、『命令』する。アム・ナイトメア、僕を信じ、僕についてくるんだ」
「……はい」
アムの口から出てきたのはたった一言だった。だが、それは命令によるものではなく、当然契約によるものでもない。この瞬間、アムは禁則事項は不要だと言い放ったあの時と異なり、他者への嫉妬や優越感などとは無関係にその全存在を委ねる事を誓ったのだ。頬に感触を感じ、指先で触れる。
涙だった、自覚はなかった。悲しい事など何もないのに涙が流れるわけがない。
自分の身体の反応に戸惑い硬直するアムに、マスターが器用に身体を反転させる。
吸い込まれるような漆黒の瞳には、その身の丈に合わない強い光が輝いている。
そして、マスターはアムの涙にも一切動揺することなく、あっけらかんとした様子で言い放った。
「じゃあとりあえずは――アム、君のトラウマを洗いざらい、吐き出して貰おうか」