第四十四話:一人の完全無欠の探求者だ
窓のない寝室。簡素なベッドの中で、薄いタオルケットにくるまり、エトランジュは小さな寝息を立てて眠っていた。
そこかしこに設置されたお手製の魔導機械の駆動音を除いて、他に音はなかった。側に直立した睡眠不要のドライが寝入る主をじっと眺めている。
それは、ドライが作られて以来、変わらない光景だ。
ドライの脳内で時計がチクタクと動いている。
ドライは実は戦闘向けの魔導機械ではない。
《機械魔術師》の中でも特に攻撃系スキルの才能を有していたエトランジュは、己のスレイブに戦闘能力を求めなかった。
代わりにドライが有するのは、隠密としての力と――権限だ。
エトランジュはドライに彼女の持つ全ての魔導機械の操作権限を与えた。
この屋敷は、要塞だ。ただでさえ強固なセキュリティはフィル・ガーデンを守ると決めた時に万全と化した。
ドライの視界には屋敷の魔導機械がキャッチする様々な情報が流れていた。
屋敷の外に取り付けられたカメラには何も写っていなかった。
音も時折聞こえる風の音くらい。気温や湿度なども正常。熱源探知にも一切の異常はない。
だが、フィルはエトランジュに注意しろ、と言った。機械人形にあるまじき事に『胸のざわめき』を感じる。あの青年に毒されすぎだろうか?
と、そこで不意に、ドライに送られてきた映像データにノイズが奔った。
画面がちらつき、すぐに元に戻る。注意して確認するが、特にセンサーに変わった様子はない。
その時,不意に御主人様が身を起こす。
エトランジュは寝ぼけた様子もなくすかさず時間を確認すると、今にも泣きそうな声を出した。
「…………あ…………ありえない、のですッ……私が……寝坊!? ドライッ! 何で起こしてくれなかったのですッ!?」
「フィル様から絶対に出すなと頼まれておりましたので」
「ああ……貴方と、いう、スレイブは――」
恨みますよ、フィル様。それが主人のためとはいえ、悲しそうな声をあげられると『心』が痛む。
エトランジュが起き上がる。どこか神秘的に輝くエメラルドの瞳。主人は起き上がると、即座に近くに用意してあったお召し物を確認し――そちらを取らずに修理を終えたばかりの機神を手に取る。
フィルはドライに、エトランジュの事を任せたと言った。言われるまでもない事だ。
だが、そもそも――ドライのマスターに、護衛など必要ない。
「んん…………ドライ――――招かれざる客、のようなのです。撃退の準備を――」
「センサーには何も写っておりません」
「能力による干渉を受けたのです。『撹乱』か『差し替え』か――そう。相手は恐らく、私と同じ――《機械魔術師》。まったく、次から次へと、どういう事なのでしょう」
その声には緊張感がなく、それ故に絶対の自信が感じられる。
そこにいるのは、恋に、衝動に振り回される少女ではない。一人の完全無欠の探求者だ。
機神を身につけ、手を伸ばすと、その腕に長剣のような大きさの巨大なスパナが――幻想兵装が出現する。マスターはそれを軽く回転させると、柄でとんとんと肩を叩いて言った。
「やれやれ、こんな夜にやってくるとは、不躾な。誰だか知らないですが――軽く、腹いせに遊んであげるのです。さっさと倒して…………次は私が食事でも作って待っていてあげるのです」
エトランジュは一度深呼吸をいれると、立ち上がった。
§ § §
…………なるほど、厳重な、セキュリティだ。
申し訳程度に塀を擁した屋敷を確認し、男が頷く。近くに集まった数人の男女が真剣な表情で頷き、同意を示した。
屋敷は一見、ただの屋敷に見える。磨かれた鉄の門には鍵はかかっておらず、見張りの兵士もいない。
だが、男達には、その屋敷が不可視の力――《機械魔術師》の力で守られているのがわかった。
《《同じ機械魔術師。手口はよく知っている》》。
スキルと魔導機械のコンボにより敷かれるセキュリティは極めて強力だ。並の《斥候》ならば解除の余地もないだろう。だが、同じ《機械魔術師》相手ならば話は別だ。
二言程呟くと、男達の姿がぶれた。そのまま背景に溶け込むように色を失う。
精度の高い光学迷彩。熱源探知を誤魔化し、特殊な音波による生体察知を誤魔化し、重量による感知すら誤魔化す。
《機械魔術師》のスキルを突破するには《機械魔術師》のスキルが最適だ。如何にSS等級の探求者でも同じ職の人間複数人には敵わない。
速やかに制圧せよ。それが、男達に下された命令だ。詳しい事情は知らない。知る必要もない。
彼は聡明でその命令は絶対に正しい。
神経を尖らせ慎重に門を抜ける。そして、数歩足を踏み入れ――そこで、地面に生えた砲塔と『眼』が合った。
「ッ!?」
黒光りする砲塔から弾丸が発射されるのと、男がスキルによる障壁を張るのはほぼ同時だった。
夜闇に瞬くマズルフラッシュ。刹那でばらまかれた無数の弾丸が、男達の障壁を撃つ。
混乱が広がる。男達が掛けている迷彩は完璧だ。あらゆるセンサーを誤魔化し、目視による看破もほぼ不可能なはず。
だが、それ以上に男達を混乱させたのは――。
「ゴム弾だ、舐められてるッ!」
ばらまかれた弾丸は、殺傷能力の高いものではなかった。特殊ゴムで作られたゴム弾は主に大型の魔物や賊を殺さずに制圧する時に使うものだ。
ゴム弾では機械魔術師の『遮断障壁』は削れない。逡巡が脳裏を過る。
――そこで、足元で熱と衝撃が奔った。
「ッ!?」
仲間達が小さく息を呑む。大きなダメージはなかった。だが、それは男達が万全の装備でここにやってきたからだ。
対《機械魔術師》の戦闘は慣れている。だから、装備もしっかり揃えてきた。
『遮断障壁』のスキルは前方に障壁を張るスキル。防ぐものは物理魔法問わず、数あるスキルの中でも上位の防御性能を誇るが、足元は守れない。
攻撃の正体は――電気だ。地面に、電気を流された。《機械魔術師》の持つスキルの一つ。
《機械魔術師》の作る工場にありがちなセキュリティだ。
そこで、上から声がした。
「呆れた。電撃対策も、完璧、なのですか……」
「ッ…………」
言葉の通り、呆れ果てたような声。
薄緑の髪に銀の瞳。小柄な身体を装甲服で包み、ターゲットが屋根の上から男達を見下ろしていた。
その眼は真っ直ぐに男達を射抜いている。迷彩も効いている様子はない。
《機械魔術師》の力は主に問題と対策で成り立っている。
強力な攻撃スキルがあれば、それを防ぐための防御スキルもある。感知能力を誤魔化すスキルがあれば、それを更に看破するスキルもある。
看破された以上、迷彩は不要だ。奇襲に失敗したからには正面から叩きのめすしかない。
「そのスキル……その装備、もしや貴方達、全員、《機械魔術師》なのですか? 何者? 一体フィルは……何を――」
圧倒的な不利を前に、エトランジュの声には怯えがなかった。その余りにも泰然とした様子に、背後の仲間達が警戒が奔るのがわかる。
このターゲットは――これまで相手をしてきたどの機械魔術師とも違う。備えをさせるわけだ。
だが、まだ作戦が失敗したわけではない。呼吸を整え、尋ねる。
「なぜ、中に誘い込まなかった? なぜ、このような手ぬるい奇襲をした?」
半分時間稼ぎ、半分本心から出した疑問に、エトランジュが眼を瞬かせた。
「決まっているのです。私の屋敷を汚されるのは、勘弁して欲しいのです。それに、殺さずに済むのに殺すのは私の流儀に反するのです」
高等級の探求者のものとは思えない、予想外に甘い言葉だった。
相手が手を抜いても、こちらは手を抜かない。彼からは殺さずに済むならばそのようにと言われているが、殺害の許可も出ている。
甘っちょろい流儀のせいで、お前は死ぬのだ。
仲間達が攻撃スキルを発動し、地面に幾本もの砲塔を生やす。
《機械魔術師》のスキルは消費が激しく、故に持久戦には向かない。
向けられた殺意を見て、エトランジュは唇に指を当てしばらく考えると、言った。
「言っておきますが、私、『綱引き』は、ほんの少しだけ得意なのです」
屋根の縁から仲間達が出した総数の倍以上の砲塔が生える。仲間達が息を呑む。
そして、圧倒的に有利だったはずの戦いが始まった。
§ § §
《機械魔術師》同士の戦いは力比べだ。スキルの威力というのは本来術者の能力に比例するもので、《機械魔術師》の場合もそれは変わらない。
まさか同職と交戦する日が来るとは思わなかったが、戦いとはいつだって突然発生するものだ。
だが、その戦いは僅か数十秒で終わった。屋根の上に腰をかけていたエトランジュがどこか不満げな吐息を漏らす。
「ふん……肩すかしなのです」
この程度ならばスパナを使うまでもない。
エトランジュ・セントラルドール。攻撃型《機械魔術師》。
《機械魔術師》の技術樹は大別すると製造型と攻撃型に分かれる。だが、その人口比率は魔導機械の開発に適した前者が圧倒的に多い。
そして、侵入者達は前者、エトランジュは後者だった。
前者と後者では同じスキルでも練度が違う。銃弾の嵐をさらなる嵐でずたずたにされ転がる侵入者達を見下ろし、エトランジュは小さくため息をついた。
「しかし、この連中一体――大した腕ではないにしても、こんなに《機械魔術師》がいるなんて」
フィルの忠告を思い出す。彼はこの事を把握していたのだろうか?
どちらにせよ、どういう事情があるのかは相手を尋問すればわかる事だが……。
無事帰ってきたら……とっちめてやるのです。
…………顔を見たらそんな気も吹き飛んでしまいそうだが。
そんな事をのんびり考えた瞬間、ふとぴりりと空気が張り詰めた。
送られてくるドライの警告。雷の柱が落ちてくる。
――エトランジュがスキルを使えたのはほとんど幸運だった。
「ッ……!?」
光が収まる。思考を再び戦闘用に切り替える。
今の雷は――開発型のスキルじゃない。
正面の門の前に、一つの人影があった。見覚えはないが、わかる。術には癖がある。薄汚れたコートを着た妙齢の女性《機械魔術師》――間違いない。
会ったことはない。だが、見たことはある。この女は――。
「貴女――【機蟲の陣容】の映写結晶の――」
名も知らぬ《機械魔術師》は、エトランジュの言葉ににやりと笑みを浮かべた。ぎょろりと見開かれた大きな目。やせ細った長い手足。
疲労しているのか、濃い隈が張り付き、頬は痩け、だがその瞳の奥はぎらぎらと生命力に輝いている。
その身から感じる魔力は先程倒した者達とは比べものにならない。
間違いない、この女――エトランジュと同じ攻撃型だ。女が腕を持ち上げる。それと同時に放たれたレーザーは、エトランジュに命中するその寸前に屈折し天に消えた。
「場所が……悪いのですよ」
ここはエトランジュの屋敷だ。魔術師の屋敷には様々な仕掛けがある。
この場所ではたとえ実力が同程度だったとしてもエトランジュに敗北はない。もちろん、実力で劣っているとも思えないが。
スキルの行使速度はほぼ同等だった。双方の背後に一斉に砲塔が転送され、同時に双方の右手に激しい雷が宿る。
「「破壊信号!」」
弾丸と弾丸がぶつかり合い耳をつんざくような戦場のBGMを奏でる。
エトランジュの放った銀の雷と、相手の放った金の雷がぶつかり合い、衝撃が駆け抜けた。
§
女はあり得ない強さだった。力が、ではない。スキルの習熟度もエトランジュと同等程度か少し下だろう。
強いのは――意志だ。
女は意志だけで、有利なフィールドにいるはずのエトランジュと、接戦した。
互いの電撃の余波で屋敷の機能が半壊し、流れ弾で塀がひしゃげる。地面が融解し、放たれた電磁波で探査系スキルはしばらく使えないだろう。
身体の半分以上が焦げ、物理的に立っていられなくなった敵を見下ろし、エトランジュは冷や汗を腕で拭った。女の後ろにボロボロの砲塔が転送される。
「はぁ、はぁ、どう、なっているのです……」
あり得ない。あそこまでの攻撃を受けた状態で術を使えるなど――《機械魔術師》の術はそんなに単純なものではない。
女が半死半生であるに対して、エトランジュは消耗こそしているものの、ほぼ無傷だ。
だが、圧倒的不利な状態であるにも関わらず、その目は変わらず爛々と輝いている。恐怖の欠片も見えない目。
もしもエトランジュがフィルの施術でベストコンディションでなかったら、もしもここがエトランジュの有利な場所でなかったら――圧されていたかもしれない。
もはや手段を選んではいられない。
膨大な魔力を糧に術を行使――幻想兵装『スパナ』を顕現する。
《機械魔術師》の技術樹。攻撃の型の最奥のスキルの一つ。それを見て、女の表情が一瞬、確かに歪んだ。
この相手を殺さずに制圧するのは骨だ。それは既にわかっていた。
それでも、エトランジュは目の前の明らかにおかしくなっている同胞を殺したくはなかった。それが一瞬の隙を生み出した。
女が両腕を地面に叩きつける。地面に展開された大型の魔法陣――転送魔法陣を見て、エトランジュは慌ててスパナを振り上げた。
――まずい、何かを呼び出すつもりだ。何か、良くないものを!
幻想兵装のスパナに紫電が奔る。屋敷内で戦況をモニタリングしながら適宜防衛機能を展開していたドライから制止のメッセージが届く。
だが、躊躇っている場合じゃない。
「吹き飛ばして、やるのですッ!」
《機械魔術師》が転送できるのは魔導機械のみだ。ならば、出てくると同時に焼き尽くせばいい。――その術者ごと。
スパナに蓄積された莫大な電気エネルギーが闇を剥ぐ。
これこそが攻撃型《機械魔術師》の持つ最も強力なスキルの一つ。電気は一部の魔導機械の動力にして、天敵である。
――これで終わりだ。
「『電磁災害』!」
エトランジュがスパナを振り下ろすと同時に、スパナの先から全てを終わらせるエネルギーが解き放たれた。
§
音が消え、光が消え、刹那に莫大なエネルギーを放出した術が終了する。
魔力の消耗による倦怠感を感じつつ、エトランジュは前を見た。
先程まで門があった場所には何も残っていなかった。金属の外壁は完全に融解し、前方数メートルの道路まで歪んでいる。
エトランジュを散々手こずらせた女は地面に転がり、完全に意識を失っていた。だが、センサーはその女がまだ生きている事を示している。
《機械魔術師》には雷に対する致死防止スキルが存在するのでその力でかろうじて生きながらえたのだろう。このままでは死にかねないが、今のうちにフィルの置いていった魔力阻害の腕輪でもつけて無効化した後に治療すれば問題はない。
他の男達もとりあえずは生きているようだった。虫の息だが、襲ってきたのは相手の方なのだから仮に死んでも文句は言うまい。治療カプセルにぶち込んで五分といったところだろうか――だが、エトランジュの屋敷の治療カプセルは今の攻撃の余波で完全に故障しているだろう。
屋敷の補修をして襲撃者達を拘束して治療カプセルにぶち込んで拘束して――完全に徹夜なのです。
朝になってフィルと会ったら文句を言ってやろう。改めてそう心に決めたところで、それまでスキルの余波で停止していたドライからの通信が入った。
『エトランジュ様、まだ残敵が――』
「!?」
慌てて顔をあげる。いつの間に現れたのか、それは、屋敷の屋根の上に悠々と立っていた、月明かりを背に、ぴんと背筋の延びたシルエットから得体の知れない寒気を感じる。
馬鹿な……全員、確かに倒したはず――『電磁災害』に、耐えられるわけが――。
影が屋根の上から飛び降りる。重い動き。地面を蹴る金属音。天から真っ直ぐ落ちてきた蹴りが、後ろに下がったエトランジュのすぐ前、数センチの所を真っ直ぐ通り過ぎ、一度融解し再び固まった金属の床に突き刺さる
反射的に理解した。これだ。あの女が転送してきたのは――これ。
戦闘態勢に入る。大きく後退するエトランジュを、それは追わなかった。
細身の人影が、ゆっくりと突き刺さった足を抜く。
魔術発動の気配はなかった。一度溶けたものとはいえ、ただの蹴りで特殊合金製の床を陥没させるとは、恐ろしい膂力だ。
襲撃者の姿が再点灯した明かりにより顕わになる。
その姿を見て、エトランジュの思考は今度こそ凍りついた。
「!? ??? 小…………夜……? なの、です?」
フィルが名付けの際に由来にしたという夜を思わせる美しい黒髪。ドライと異なり、技術の粋を尽くし人間に近づけられた整った容貌に、白磁を思わせる白い肌。
頭に取り付けられたテスラ社制の魔導人形の証であるアンテナが小さく明滅している。
魔導機械を取り扱う最大手から生み出された、戦闘用機械人形。フィルの――友人。
そこまで深い交流があったわけではなかった。せいぜい会えば会話をする程度の仲だ。
だが、こと魔導機械において、エトランジュが見間違えるわけがなかった。
他人の空似などでは絶対にない。たとえ同じシリーズだったとしても、機械人形には個体差が存在するのだ。
小夜は倒れ伏す仲間達を無視し、まっすぐエトランジュを見る。
達人を思わせる緩やかな動きで構えを取ると、氷のような声で宣告した。
「私はテスラGN60346074型戦闘用機械人形です。名前はありません。マスターの命に従い――貴女を破壊します」




