第九話:最初の知的でちょっとよそよそしいアムも、好きだな
自慢じゃないが、僕は力と魔力と反射神経と――肉体的性能を使わない事には自信がある。
王国で探求者の学校に通っている時は首席で卒業したし、商人として見込まれ一緒にビジネスをやろうと言われたこともある。俳優にスカウトされた事もある。《魔物使い》の師にもよく『お前にせめて平均程度の基礎能力があったらなあ』と嘆かれていたものだ。とても失礼な話だ。
「フィルは本当に器用だな……」
だが、残念なことに探求者になるためには魔力と筋力がこの世の全てなのであった。
「わぁ……凄い……ありがとうございます!」
アムは僕が即席で作った剣を満面の笑みで振り回している。切断したアリの大顎を元に、『構築ペン(分解ペンとほぼ真逆の事をできるペン)』で溶接、形を整えただけの即席の剣……というか棒だ。
素人仕事なので切れ味は皆無に等しいがリーチや硬い分だけ、折れた銅の剣よりはマシだろう。
アムの浮かれた様子からはつい数十分前の意気消沈っぷりは欠片も見えない。
……僕は最初の知的でちょっとよそよそしいアムも、好きだな……。
そんな思考が一瞬脳裏を過るが、そんな事を考えていたらこの先どうにもなりそうもないので、気を取り直して本題に入る。
「さて、アム。反省会でもしようか……まだ後十三体もポーンアントを倒さないといけないわけだし」
大切なのは未来に繋げる事だ。同じミスを繰り返してはならない。
荒野の真ん中で反省会をする。僕の問いにアムが造ったばかりの剣を振り上げ、元気よく答えた。
「はい。装備が悪かったんだと思います」
「そうだね」
よくわかってる。よくわかっていて、嘘までついたのに罪悪感が見えないのがとても不思議だ。
「僕の考えだけど……アムは全体的に事前準備が足りないよね。特に情報収集が、さ」
魔物の情報、動き、弱点、イレギュラー発生時の対応策、必要な装備、有効なスキル。それらの情報収集は探求者にとって必須であり、初心者とベテランの最も大きな差異もそこにある。
僕の目的は一時的な成功ではなく長期的な栄光だ。
探求者は種族等級が高ければ高いほど力で押しきろうとする傾向にある。一時的なスレイブとは言え、アムにはそうなってほしくない。
まぁもちろん、万全の準備の上で敗北したシィラ戦のようなイレギュラーもあるのだが。
地面にアントから切除した針でガリガリとポーンアントの絵を描く。
「わ……フィルさん、絵、上手ですね……」
「……まずは特徴からだ。モデルアントの攻撃の起点は大顎、前脚、そしてお尻にある針だ。針には毒はないが、大顎や脚と異なる金属でできていて――」
先程手に入れたばかりの情報を噛み砕きアムに説明する。アムはそれを素直に聞いていた。
たまに質問なども飛ばしてくる。こうして見るといい子なんだよなあ。
続いてポーンアントを相手にする際の注意事項を教える。
「最も注意すべきは顎でも装甲でも力でもなく、その社会性だ。ポーンアントに限らずモデルアントはピンチになると救援電波を飛ばして仲間を呼ぶ。救援部隊はただのポーンアントではなく、ナイトアントをリーダーにした十匹程度の群れだ、何度も呼ばれたら逃げるしかない。今は、ね」
ナイトアントの討伐依頼はCランクだ。ポーンアントより一段階強い。弱点は大体一緒だけど、二回り大きく、羽があって飛べるところが違っている。なるべくなら相手をしたくない。今は。
「さっき救援を呼ばれなかったのは何故ですか?」
「うん、それはアムが脅威とみなされなかったからだね。言い方を変えれば雑魚だったからだね」
「!? フィルさん、ひ、酷いです……」
本当の話だ。だがまあ、ここまで話せばポーンアントなんて敵ではないだろう。色々言ったが、今回の一番の敗因はアムの認識通り、攻撃力不足だ。武器さえあればアリなど恐れるに足らない。
腕を伸ばし、真剣に講義を聞いたアムの頭を、褒美代わりにくしゃくしゃっと撫でてやる。一瞬驚いたように目を開くが、すぐに目を細めて気持ちよさそうに相好を崩した。
…………よし、ライフドレインはちゃんと切っているな。
「フィルはアムに甘いな……」
「スレイブは甘やかす時には甘やかす主義なんだ」
悪性霊体種は特にスキンシップを取ってあげないと不安のせいかよくない事を考えるから、たっぷりやってあげないといけない。たとえ駄目な子でも、だ。
「よくポーンアントを倒せたね、アム。新記録じゃない?」
「……えへへ……もっと褒めてください」
「……倒したのはフィルだろ」
サファリがぼそりと身も蓋もない事を言う。
そうだよ、僕だよ! でも、戦えたんだし、アムが囮をやらなきゃ倒せなかったんだからそこは褒めてあげてもいい。
僕は経験豊富なのでどんな駄目な子のいいところも見つけてあげられるのだ。
しばらく撫でてやると、力を抜いてこちらにもたれかかってきたのでしっかりと抱きとめてやる。
柔らかい重みが胸にかかり、もう慣れてしまった『恐怖のオーラ』が全身を貫いた。
「……あぁ、もっと……フィルさん……」
アムが恍惚とした甘い声を上げる。身体も完全に弛緩し、全く力が入っていなかった。
最初のぴりぴりしていた空気は微塵もない。いつか悪い男に騙されないか心配になる。
「……それはよかった……リラックスしすぎないでね」
アムは調子に乗りやすいようだ。その辺りはこちらでコントロールしてあげる必要がありそうだ。
もっとも、散々鍛え上げた僕のグルーミングスキルが優秀すぎるせいな可能性もある。
そのままの姿勢で数分間力を込めて抱きしめた。
「フィルは本当にアムに甘いな……」
「それ褒め言葉だから。甘やかせる時に甘やかしてあげないとね……そろそろ終わりみたいだけど」
「……ああ、そのようだな」
新たなポーンアントの姿が地平線の向こうから見えた。腕の中のアムを揺すって起こす。
「アム、アム! 新しいアリだ。出れるな?」
「……後十秒、十秒だけ……おねがいひまふ」
「……」
僕はアムを突き放すと、容赦なくその頬を叩いた。景気のいい音が荒野に虚しく響く。
ほんっとうにこの子はダメだな。
頬を押さえ裏切られたような表情で僕を見るアムにため息が出る。
「フィル、アムは本当に大丈夫なのか……? ただのランナーの私が言うのもなんなんだが……」
「……今更だね。僕はずっと不安だったよ……っと…………七体、か」
随分多い。先程のように二体で手間取っていたらとてもじゃないが相手にならない数だ。
サファリが心配そうにアムに問いかけている。
「アム、七体いるが大丈夫か?」
「……ちょっと厳しいかもしれません……」
アムがこわばった表情で言う。そりゃ怖いだろう、先ほどは二体のアリにボロ負けだったのだ。
――だが大丈夫、今のアムには僕がいる。実力の確認を兼ねて一人で戦わせた先程とは違う。
そもそもモデルアントには他にも強力で特殊能力を持つナイトやルーク、クイーンなどがいるのだからここで及び腰になっては話にならない。
サファリもわかってない。そんな言い方じゃだめだ。
「やれやれ、サファリもわかってないな。僕が魔物使いとしての真の力を見せてあげるよ」
「何だと!? 真の……力?」
サファリがごくりと唾を飲み込み、僕を見る。
そう、僕は《魔物使い》だ。スレイブの能力を最大限に高めてやるのがマスターとしての仕事だ。
見るがいい、最前線で戦っていた《魔物使い》の力を。
僕はアムの髪を引っ張ってこちらを向かせると、眼と眼を合わせてはっきりと言った。
「アム、奴らを倒せ。一匹残らず倒せ。全部倒せたら……」
「……たら?」
「さっきの続きをしてあげる」
「え……」
「お、おい……」
こういうタイプのスレイブにはご褒美をぶら下げてあげるのだ。馬の目の前に人参をぶら下げるのと一緒である。全てが終わった後は疲弊するかもしれないし、うまくいったあとどうすべきかも課題ではあるが……その辺りは後で考えよう。
この子は潜在能力を発揮できてなさすぎだ。
アムはぼーっとした目でしばらく黙って言葉の意味を咀嚼していたが、ゆっくりと立ち上がった。
その眼にはもはや恐怖なんてない。いや、敵の姿も見えていない。
あるのはご褒美に対する妄執だけだ。サファリがアムに必死に言葉をかける。
「アム、七体だぞ!? わかっているのか!? 本当に倒せるのか!?」
「わかってます。サファリさん……でも私、さっきの続きしてもらえるなら、死んでもいい……」
「フィル! 止めろ! こいつ本気だぞ!? 死地に赴く戦士の眼をしている!」
何で僕がけしかけたのに僕が止めるんだよ。アムの種族等級は高い。
僕は夜魔について基本的な知識しかないが、種族等級は適当に設定されているわけではない。
武器は新調した。情報も与えた。今なら勝機は十分にある。後は仲間を呼ばれる前に倒すだけだ。
最後に僕はさらに勝率を上げるべく、《魔物使い》としてできる事をする。
アムの左手を軽く叩いて左手に意識を向けさせる。
「アム、アムの左手にあるのは何だ?」
「フィル、さんが作った、剣です……」
「右手にあるのは?」
続いてアムの右手を叩く。アムが右手を見る。正確には、手の甲に刻まれた翼の紋章を。
紋章を通して、アムの精神が、力がさらに高揚するのがわかる。理想的な状況だ。
アリの群れはもう百メートルの所まで迫っていた。地響きがはっきりと伝わってくる。
だが、アムの意識は完全に僕の声に向けられていた。トランス状態に入っている。
「契約の紋章……」
「そうだ。そして、それは絆の、信頼の証だ」
「信頼……絆の……証……」
僕たち有機生命種にとっても精神の高揚はポテンシャルの解放をもたらすが、精神そのもので肉体を形作っている霊体種への効果はその比ではない。
そして――単純な事は決して悪い事ではない。
そこで、僕は敵に聞き取られるリスクを覚悟の上で叫んだ。
「そうだ、アム。復唱しろ。僕の後に続けて唱えろ。『我、闇の祝福を賜りし者なり』」
「『我、闇の祝福を賜りし者なり』」
「『常世の神よ、さらなる悪夢の祈りを、聞き届けたまえ』」
「『常世の神よ、さらなる悪夢の祈りを、聞き届けたまえ』!」
これは、呪文だ。夜魔がその力を解放するための補助的なトリガーだ。本来、本能的に使えるはずの能力を、未熟故に使えなかった者たちのために生み出された『先人の知恵』だ。
アムの呟くような声に呼応して、周辺に黒い霧のような物体が発生する。この世のものではない純粋な闇の元素――アムの魔力を元に生成された悪夢の欠片だ。
いける。僕はその瞬間、勝利を確信した。そしてマスターの高揚はスレイブにも伝わる。
僕は指を天高く掲げ、叫んだ。
「『悪夢の福音』」
「『悪夢の福音』!!」
唱えた瞬間、周囲に充満していた黒い霧――力がアムに収束した。その背中に黒の翼が生える。
既存の付与魔法とは異なる強力無比な力が紋章を通して伝わってくる。
アム・ナイトメアの力は確実にこれまでの生涯で絶頂にある。僕の興奮も最高潮だった。
これこれ、これだよ。これが僕の知識の中にある夜魔だ。
『悪夢の福音』は夜魔が生まれ持つ固有の力だ。
夜魔は人の夢に入るとてもユニークな力を持つが、『悪夢の福音』はそのために使う力を身に纏う事で全ての能力を劇的に向上させる。
最上位の悪性霊体種だったナイトウォーカーも持たない力である。それを前にして興奮しなかったらそれは嘘だ。
そしてそれが自らの手により成ったとなれば、《魔物使い》冥利につきる。
昔、悪性霊体種について時間をかけて調べたかいがあった。
分解ペンでアリの大群を指す。
「アム、奴らを倒せ。今のアムは……最高のスレイブだ!」
「はい! フィルさんは最高のマスターです!」
アムが地を蹴った。風が吹く。大地に罅が入る。一瞬でアムの姿が僕の目の前からかき消えた。
 




