Prologue:最初は『才能がない』と言われた。
最初は『才能がない』と言われた。
探求者になるには強さが、才能が余りにも不足している、と。
次に『無駄な事を』と言われた。お前に契約できる『スレイブ』程度では大成できない、と。
卑怯者だと言われた。譲ってくれと言われた。ずるいと言われた。どうせ野垂れ死ぬと言われた。
あらゆるやっかみを受けた。ある勇猛果敢で才気に溢れた探求者が言った。
『自分より遥かに強い怪物を使役して怖くないのか』、と。
戦い続けた。敗北した。勝利した。駆け抜けた。
《魔物使い》として、契約した魔物――全幅の信頼を置く『スレイブ』と共に。
そして今、僕は今、あらゆる障害をねじ伏せ、魔なる王の城の前に立っていた。
「ようやくここまで来たか」
魔物を蹴散らし、暗き森を踏破したその先にあったのは聳えるような黒き城だった。
空に渦巻く雷光に押しつぶされるような圧迫感。
大国、グラエル王国を震撼させた最上級――L等級に認定された魔王、シィラ・ブラックロギア。
今はまだ森から出て来ていないが、いずれはその強大な力は周辺の街々に向かうだろう。その前に滅ぼさねばならない。
僕の言葉を聞いて、傍らに控えた白髪の少女――僕の使役する『スレイブ』が答えた。
「はい……ご主人様。私に全てお任せください。尽く討ち滅ぼしてご覧にいれましょう」
これまで討伐に向かい、そして帰ってこなかった探求者達は紛れもなく英雄である。そんな滅びの邪竜との決戦を前に、しかしその表情はいつも通りだった。声にも気負いの一つもない。
肩まで切りそろえられた美しい髪はぼんやりと銀に輝き、同じ色の瞳はどこか物憂げにも見える。着込んだ純白のエプロンドレスは特注品だがこの場には不適切で、防御の意味では役に立たない。
この世の者とは思えないという言葉にピッタリの美貌だが、実際に少女はこの世の者ではなかった。
あらゆる生命に憎悪をぶつけるこの世界で最も忌み嫌われた種の一つ。
その中でも特に悪辣で、かつて街一つを喰らい潰し派遣された討伐隊を尽く屠った亡霊。
ただ在るだけで周囲に悪影響を撒き散らす――いや、かつて撒き散らしていた、災厄。
『夜を征く者』。
アリス・ナイトウォーカー。俗に言う、『夜の女王』である。
種としての強さは恐らく同格。ならば僕が丹精込めて育てた彼女が負けるわけがない。
咆哮が聞こえ、脳内に警鐘が響きわたる。だが、僕はそれを気力で無視した。
既にここは魔王の胎内に等しい。最初から覚悟していた事だ。
和解の道はない。既にそれを考慮する段階は過ぎている。
その竜は滅ぼすためだけに生まれた。
僕は――戦争に来たのだ。さぁ、最後の戦いを始めよう。
「アリス、まずはノックだ。『エヴァ―ブラスト』」
巨大な金属質の門に向かって指を差し、命令する。
出てきた声はいつも通り落ち着いている。アリスの手の平から光が放たれ、戦いが始まった。
§
アリスの放った光が空を薙ぎ、大地を焼く。それは、小さな太陽の如き極光だった。質量すら感じさせる光が古城に満ち、破壊の嵐が縦横無尽に吹き荒れる。僕はその衝撃の余波を屈んで耐えた。
状況は想定通りに進んでいた。相手は何人もの英雄を屠った強敵だが、こちらは魔王級との戦いを幾度も経験している。マップも能力も弱点も既に調査済み――僕に魔王討伐の栄光のチャンスが与えられたのは、偶然ではない。
シィラ・ブラックロギアには攻撃を通すために絶対満たさねばならない条件がある。
往々にして強力な魔王はそういう理不尽な特性を持っているものなのだが、城内に隠された『朽ちた聖剣』がなければ一切の攻撃が通らないのだ。
だが、事前に知っていれば手に入れるのは難しくない。
手に握った錆びついた長剣が魔王を殺せと、物語を終わらせろと。囁いていた。
全てがシミュレートした通りに進んでいた。事前に想定した広間に魔王をおびき出しての交戦。
避ける間もなく文字通り光の速度で放たれた破壊の奔流がシィラを飲み込む。
――僕の想定ならば、それは完全な勝利を約束してくれるはずだった。
破壊が終わり、光が発生と同じく、一瞬で晴れる。
「く……」
低い唸り声が出る。そこには、傷ひとつない黒色の巨体が聳えていた。
とある神話に語られる魔王が何の痛痒も見せず、顎を高く上げ咆哮する。
「何故だ……おかしい。何故ダメージがない……」
目を見開く。相手の耐久も確認済みだ。僕の計算が正しければ、アリスの今の攻撃ならば、いくら竜とはいえ、いくら魔王と呼ばれた存在とはいえ、三回は殺し尽くせる程の威力を持っていたはずだ。
「ご主人様、危ないっ!!」
それは一秒にも満たない刹那の硬直だった。
横から強く突き飛ばされると同時に、その口腔から黒のエネルギーが放たれる。
「くっ……」
ごろごろと無様に床を転がるが、なんとか体勢を整えた。衝撃に揺れる視界を気力で無視する。
猛烈な吐き気を堪えつつ、視線を向けた先には――何もなかった。
先ほどまで立っていた場所は数十メートルにわたってごっそり削り取られ、深い奈落を見せていた。
ぞくりと全身を打たれたように寒気が奔った。
強い……いや、理解していたはずだ。相手は数多の英雄を屠った王、この程度は想定の範囲内だ。
準備の手を抜いたつもりはない。情報もアイテムも、限りある時間で最善を尽くし揃えた。財の八割を投げ売ってこの最後の戦いに備えたのだ。
蜥蜴に酷似した頭部が動く。高い窓から差し込む月明かりの下、冷たい空気の中、真紅の眼球がギョロリとこちらを捉える。直接ぶつけられた絶対強者の殺意に、僕は――反射的に叫んでいた。
信頼しているスレイブの名を。
「アリイィィィィィィィィィィィィィィスッ!!」
瞬間、シィラの破壊の跡、深く空いた奈落から人影が飛び出した。
シィラの注意が移る。アリスはくるくると空中で器用に回転すると、僕の前に綺麗に着地した。
うっすらと差し込む月光を反射し、銀髪がキラキラと輝いている。
「お怪我はありませんか? ご主人様」
アリスが心配そうな表情で僕の顔を覗きこむ。病的なまでの白い肌。この世のものとは思えぬ整った相貌。肌とコントラストを成す、興奮に変化した血のように真っ赤な瞳。
その姿に早鐘のように打っていた鼓動が収まり、落ち着きを取り戻す。
アリスは強い。こと、夜の彼女が負けるわけがない。
――だが、僕の自信はアリスの次の言葉に打ち崩された。
「ご主人様、……まずいです。たった一度の攻撃でライフストックが三割を切りました」
「は? 三割……? 何の冗談だ?」
意味がわからなかった。
ありえない。ライフストックはナイトウォーカーの生命線――文字通り命そのものだ。それを、たった一撃で七割以上を吹き飛ばすなど、魔王の攻撃力が高いとかそういう問題ではない。
シィラはこちらの様子を窺うように低い声で唸る。すぐさま思考を切り替えた。
いや……問題は攻撃力ではない。防御力だ。アリスの攻撃を受けて無傷というのは想定の遥か上である。最大の攻撃を正面から当ててノーダメージでは勝ち目が薄い。何か見落としでもあったのだろうか? だが、反省するのは後だ。
「撤退する」
相手の能力が余りにも想定から外れている。
ここで勝利に、栄光に固執して、万が一にもアリスが消滅すれば僕は一生後悔するだろう。
当然だが、勝てなかった時の事も考えていた。計画は事前に共有している。
アリスの方に向き直ろうとしたその時、地面が爆発した。
「ッ!?」
白い光。身体が吹き飛ばされ、柔らかい腕が僕を横から抱きとめる。もはや一刻の猶予もない。
大丈夫。まだ十分、逃げられる。こういう時に落ち着くのはマスターの仕事だ。
相手は小回りが効かず、空も飛べない。床を壊して地下に落とせば――。
「アリス――何をやっている!?」
命令しようとしたアリスを見たその時――僕の思考を本日最大の混乱と衝撃が襲った。
アリスが白く発光していた。細身の身体から今まで見たことのない膨大なエネルギーが立ち登り、陽炎のように揺れている。
アリスのスキルは把握している。だが、この力は――。
広間全体がパラパラと崩れる。己の世界の崩壊に、シィラが悲鳴のような咆哮をあげる。
「ご主人様……逃げてください……」
今まで見たことがない表情だった。悲しそうを通り越した非情な表情で、アリスが呟く。
何をしようとしているのかは不明だが、何かよくない事をやろうとしているのだけは分かる。
「アリス、やめ……」
「ご主人様!!」
全身に感じる重み。抱きしめられている。理解すると同時に――心の底から僕は『恐怖』した。
衝撃に思考が凍り、筋肉が痙攣する。身体が、手の、足の、そして口の筋肉が脳の指令を無視して動作をやめる。恐怖のオーラ――アリスの有する最も基本的な力が僕を蝕んでいた。
それでもなんとか命令を言い切ろうとするが、唇が唇で塞がれる。
一瞬が引き伸ばされ、一秒が十秒にも、十分にも感じられ、そしてようやくアリスが唇を離した。
「ご主人様……お別れです。またどこかで――」
アリスが微笑む。その表情には尋常ではない覚悟が篭められていた。
所詮ただの人間である僕にアリスの心は読めないが、それくらいはわかる。必死に声を出す。
「やめ……」
音が消える。視界が光で満たされる。
――そして、気づいたら僕は異国の往来の真ん中に立ち尽くしていた。
頭の中が真っ白だった。
燦々と降り注ぐ陽光。露天の呼び込みの声、喧騒。エンジンの音に排気ガスの匂い。四脚の魔導機械の鋼鉄の脚が金属の床を打つ音は僕が拠点としていたグラエル王国では聞き慣れないものだ。
「ありえない……ここはどこだ……」
自分の頬をつねる。痛い。幻ではない。ゆっくりと周りを見渡す。
大型の馬車が楽にすれ違える程の大通りのど真ん中に、僕は立っていた。流体的なフォルムの機動鎧を着た人族や、三メートルを超える機械人形が、僕に好奇の視線を投げかけてくる。
「おい、そんな所に突っ立っていると邪魔だ!」
「す、すいません」
後ろから突き飛ばされ、ふらふらと道の端まで歩いて行き、座り込む。
頬を触る。汗をかいていた。湿度は大したことはないが、気温が高い。
「暑い……?」
馬鹿な、今は冬だったはずだ。この暑さ、どう考えても冬のものではない。
「落ち着け……」
落ち着いて、情報を集めるのだ。空を仰ぐ。これは夢ではない。幻でもない。
王都では考えられない幅広で金属製の道に、馬車代わりに使われている魔導機械。
発展度合いはともかく文化が違いすぎる。そもそも、先程掛けられた言葉――言語が違った。
思考を切り替え、とりあえず一旦常識は捨て、状況の把握に務める。
魔王との決戦に挑んだのは夜だ。だが、今は朝。時差がある。気候も言語も違う。
どうやら僕は――相当な長距離を『転移』させられたようだ。
空間に干渉するスキルは総じて消費が激しい。空間転移の魔法は並の術とは比較にならない凄まじい量の魔力を使う。宮廷魔術師クラスが全力を絞り出して数十メートルがやっとというレベルだ。
だが、それは逆に言えばエネルギーさえあれば長距離でもなんとかなる、という事でもある。
アリスが最後に見せた異常な力。あれほどの力があれば――。
「そうだ……アリス……!」
と、そこで慌てて周囲を見渡すが、先程まで確かに僕を抱きしめていたはずの銀髪の少女の姿は影も形もない。
分断された。というより、逃された、というべきか。深呼吸をして自分を落ち着かせる。
取り急ぎの危険は去ったが、これは致命的だ。『魔物使い』の力は契約を交わしたスレイブの力だ。
スレイブと分断された時の定石に則り、目を閉じ、意識を集中して『アストラルリンク』を探る。
魂と繋がっている糸を辿ろうとして、そこで僕はようやく孤立している事に気づいた。
手が震えた。夢でも見ているかのような気分だった。
「ははは……そんな馬鹿な……魂の契約の証たるアストラルリンクが……繋がらないなんて――」
もはや乾いた笑いしか出てこなかった。今日何度言ったかわからない言葉が、再び口から漏れる。
アストラルリンクとは最も尊い契約により結ばれる魂の繋がりである。『魔物使い』は最も絆を育んだ、たった一人のスレイブとのみそれを結び、繋がりを通じてその力を借りるのだ。
本来ならどれだけ距離が離れてもアストラルリンクを探れない事なんて――ないはずなのに。
僕は――思った以上に異常な事態に巻き込まれているのかもしれない。
頭を抱える。もうパンク寸前だった。強すぎる魔王、ありえない長距離転移、切断されたアストラルリンク、まるで僕の見知った世界が僅か一日でガラリと変わってしまったかのようだった。
ともかく、信じたくないが、僕は身一つでなんとかやっていかなくてはならないようだ。
スレイブとセットでようやく一人前とされる『魔物使い』たる僕がたった一人で――。
僕はこれまでほとんど見たことのなかった『興味深い』光景を再度確認し、頷いた。
「仕方ない、やり直すか」
悩みは置いておこう。今すべきは打ちひしがれる事ではない。ひ弱な僕は思考をやめたらすぐに死んでしまう。
アリスは心配ない。魔王の力は異常だったが、それを考慮しても彼女の生存能力は並外れている。
それこそが――僕が彼女と共に魔王に挑んだ理由なのだから。
スレイブは《魔物使い》にとって半身のようなものだ。彼女が無事ならば僕はまだ戦える。
大きく腕を伸ばし柔軟をする。
その時には最悪だった気分もある程度回復していた。
ポジティブにいこう。逆に考えるのだ。逆境は人を成長させる。
スレイブはいないが全てがリセットしたわけではない。
僕は魔王討伐を任じられた《魔物使い》――フィル・ガーデンのままだ。
まずは状況確認と――新しいスレイブだ。僕は覚悟を決めると、いつも通り笑みを作った。
§
ナイトウォーカーの名の由来は、その能力が夜と朝で天と地程の差がある事から来ている。
朝の彼女はSS等級の魔物と同程度しかないが、逆に言えば夜のアリスはほぼ無敵だった。
特に今日は満月。彼女の力は十全以上に働く。相性も悪くはなかった。
時も場所も状況も、ほとんどが僕の考える通りに動いていた。負ける理由がない――はずだった。
アリスをスレイブにして四年、僕はこの日初めて敗北を経験し、全てを失ったのだ。
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