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drop(改訂前)  作者: いつき
本編
6/43

第六話 『ベージュ色絆創膏』

「お前、本当に絵を描くことが好きなんだな」

 スケッチブックにあたりをつけながら、窓から見える風景を描いていく。黒と白で彩られている風景はそれでも、鮮やかに見えて不思議な感じがした。

 自然の多くないこの町をよく見れば、とろこどころで意図的に植えられた木々に気づく。

「でも、風景画は、あんまり好きじゃないんですよ」

 鉛筆の濃さを変えながら、今度は校舎を描き入れる。藍華は自分を不思議そうに見つめている菊池に向き直った。

「だって、変わらないように見えて、すぐに変わっちゃうんですから」

 ページを変え、今度はすばやく窓際に置かれている石膏像をデッサンする。

「ほら、これはどうやったって形は一緒でしょ? あとは光の当たり具合。でも、風景はほとんど毎日違うから」

 風とか、天気とか、成長とか……。大まかながらも、デッサンは正確で、その白い像にはない、薄い色さえ感じてしまいそうになる。

「美大でも受けるのか?」

 菊池が問うと、一瞬ぼけっと首をかしげた後、笑った。

「まさか、あたしにそんな才能ないし。勉強し始めちゃうと、絵がきらいになりそうで」

 自由に描いて、文句も何も言われないから絵を描くのが好きなのに。

 好きなものを、好きなように描く。そこに上手、下手は存在しない。ただ描きたいから、描く。それがとても好きなのだから。

「それに芸術関係の大学って、授業料高いじゃないですか」

 藍華は笑いながら、鉛筆を置いた。すっかり磨り減ってしまった鉛筆を削ろうと、筆箱からカッターナイフを出す。放課後、美術室にいることが多くなった菊池を見ながら、藍華は言葉を続ける。

「それより、そろそろ期末ですけど、いいんですか? 最近、ここにいる時間長くありません?」

 仕事サボってることも秘密ですか? 笑いながら、そう言った。

「それはさすがにばれますよ。あたしは餌付けされちゃってますけど」

 カッターナイフの刃を出して、鉛筆に当てた。 机の上にはさまざまな濃さの鉛筆が並ぶ。絵画に疎い菊池には2Bくらいしか身近でないので、触らずに眺めているだけだった。

 シャッシャッと小刻みに聞こえる音は危なくない程度に軽快だ。

「サボってるっと年配の先生に嫌味言われるんじゃないんですか?」

 菊池に話しかける藍華の視線は鉛筆のほうで、菊池の表情がどんなものか知りもしない。

「まぁ、俺、ここの副顧問だし」

「はぁ? って、っ――――」

 かしゃん、とカッターナイフを落とす。左手の人差し指の付け根を押さえ、藍華は舌打ちした。痛みで眉をしかめ、それでも『先生が、副顧問?』と小さく問う。

「おい!」

 ぐいっと手を引かれ、水道のところまで引きずられる。そして容赦なく水道水をかけられた。

「っ……」

 声を出さないようにしながらも、傷にしみて涙まで出そうになった。

「馬鹿か、お前は! カッター扱いながら、よそ見する馬鹿がどこにいる!!」

 怒鳴られて、びくりと肩をそびやかせば、菊池は慌てて言った。

「悪い。声が大きかった。でも、どうかしてる。カッター使いながらこっち向くとか。しかも指切るし。傷は深くないけど、これは保健室に行っといたほうがいいだろ」

「え、嫌です。絶対嫌。帰れって言われますもん。ならバンソーコ張りますからいいです」

 引っ張られている左手を菊池の手から抜き取り、かばんを探る。小さなポーチからは絆創膏がいくつか出てきた。

 しかしそれはぱっと取られ、取った人間に視線を向ければ苦い顔をした。

「早く行って来い。荷物置いたままでいいから」

「いやです」

「平田」

「こんな時間に帰りたくないんですってば!!」

 苛ついたように出された言葉に、菊池は目を丸くした。

「何だって?」

 聞きなおすと、藍華ははっと目を見開いた。その後に、自分が口に出したことを恥じるように、下を向く。

「だから……絵をもっと描きたいだけです」

「違うだろ」

 怪我をしてない右手を掴めば、ぱっと振り払われた。

「こんな時間に帰ると……。やっと吹っ切れた思いが持ち上がりそうな気がして怖いんです!」

 泣き叫ぶような声だった。

「まだ分からないんです。完全に吹っ切れたかどうか。お姉ちゃんが、春ねえが幸せになることは確かに願いました。でも、それが恋愛まで全部応援できるか、自信ないんです」

 ――怖いんです。

 冷たい水のせいでとまっていた血は、あっけないほど早く流れ出した。

 これと一緒なんだろうかと、藍華は傷口を見ながら思う。何度も何度も、『憧れ』だったと言い聞かせた。

 何度も何度も、諦めたんだと思うようにした。

 何度も何度も、忘れようとして涙を流した。

 なのに……、結局、まだ諦め切れてないんじゃないかと思う。どこかに燻ってるんじゃないかと考えてしまう。

 いつか、姉の幸せも願えないような。そんな自己中な人間になってしまうんじゃないだろうかと思う。


「あたしは、確かに、瑲さんに恋にも似た感情を抱きました。でも、春ねえに嫉妬するようにはなりたくないんです」

 もう、嫉妬をする時期は過ぎたと思ったけれど。それが本当かどうかなんて、今は分からない。

「嫉妬、しないだろ。お前は」

「へ?」

「嫉妬しないって言ってんの。俺が」

 血が流れ出した指を捕まえて、自分の手の高さまで引っ張りあげようとする。しかし身長差が大きいせいで、うまくいかず、菊池は自分が膝を折った。

 そっと藍華の手を握り、藍華を見つめた。

「お前はもう吹っ切ってる。だから、あの絵をもう描かないんだろう?」

 どこまでも、確信めいていて、自身ありげな目で藍華を見つめる。二人の会話でだけ通用する『あの絵』……。

「ただの、気分転換かもしれないじゃないですか」

「あ〜、そうかもな」

 傷口を眺めていた菊池が、顔を左手に近づけるのを感じ、藍華は手を引いた。

「な、何でもう吹っ切ったって思うんですか?」

 手を引いたものの、完全にとらわれたままの藍華は苦し紛れに会話を続ける。

「絆創膏、貸せ。貼るから」

 藍華の言葉に答えず、絆創膏を受け取る。男にしては細くて、長い指が絆創膏をはがし、自分の指に貼り付けていく。どこかそれを他人事のように見つめながら、しかし我に返って、慌てる。

「質問に答えてください、菊池先生」

 そう言うと、面白そうに口角を上げ、意地悪く笑った。

「実を言うと、お前はそいつに恋自体してないように思う。吹っ切れたとか以前の問題」

 唐突だった。

「どう、してですか」

 確かに恋というには、稚拙な感情だったかもしれないけれど。

「本当に恋してるやつは、嫉妬を嫉妬って気がつくまで結構時間がかかるんだよ」

 当然のことのように言う。

「嫉妬じゃない、感じがする。ただぼんやりと、『いやだ』と思ったり、イライラしたりする」

 それである日突然気がついて、自分の嫉妬深さに驚く。

「恋の自覚と一緒」


 突然気がつく人もいる。それが『恋』なのだと。

 気が付かない人もいる。他から何かない限り。

 そして後悔する人がいる……あのとき、気がついていたら何か変わっていただろうかと。


「お前は、自分の嫉妬のせいで姉が傷つくんじゃないか、と心配した」

 普通はしないんだよ、そんな先のこと考えるなんて。

「できないんだな。多分。そんな先のこと考えるなんて」

 俺の考えてる恋は、そんなもんだけど? 

 最後は、半ばおどけるように言ってから、折っていた膝を伸ばす。

 一気に広がる身長差を見つめながら、ぼんやりと言われた言葉を反芻していた。しかしよく理解できず、首をかしげる。すると『やっぱりお前は恋してないんだよ』と笑われた。

「先生って、意外にロマンチストですね」

 笑われた意趣返しにそう口に出すと、菊池は苦笑いした後答えた。

「恋愛って、持つ感情の中で一番きれいなもんだろ?」

 だからみんな、夢を持つんだよ。

「そんな、もんですか?」

「そんなもんです」

 からかうようにそう言われて、理解できない自分の感情は何だったのだろうかと考えた。

 自分は、子供だから理解できないんだろうか、とも思った。


 ただの憧れだった?

 少し幼い恋だった?

 それとも、家族の情だった?




「ただいま」

「「「おかえり」」」

 三つの声はいつも通り聞こえてきて、それがそんなに嫌ではなくなっている。

 貼られた絆創膏を見て、触れられた左手がやけに熱く感じたのを思い出した。頭を慰めるようにたたかれたときには何も感じなかったのに。

 教材置き場で耳元に声を感じたときも、体に別の体温が近づいたときも……。

 何かを感じた気がした。


 その気持ちの色は、まだ分からないまま。

 

 何にでも染まりそうで、だけど何にも染まらない色。

 一番静かで、綺麗で、優しくて、寛容な色。



 そう、たとえるなら、いまだ見ぬ感情の色は、何色にでもなってしまう――だけど何色でもない透明。



 そのココロに、色が来る日が来るのだろうか。






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