渋色嘲笑
先生が藍華ちゃんを追いかけるまで。
平手打ちの真相……って感じです。ヘタレな先生が書きたかっただけです。すみません、カッコ悪いヒーローばっかり好きで。
代わりに強がり、というかカッコいい女の子が多いです。
……この短編を書き上げるのに、一週間以上かかったのは、ここだけの秘密です。だからテンションがまちまちなんです。
先生の口調なんて、覚えてないよーと言いつつ書いた覚えがあります。
「お久しぶり。『菊池先生』?」
「随分な口を利くんだな、黒田」
にっこり笑った彼女は、学校を出て行く前と全く違う。
目の中に冷めた色を残したまま、それでも道から外れないようにと真面目な生徒の仮面を被っていた彼女はどこにもいなかった。いるのはただ、妖艶に微笑む女性としての彼女。
彼女は外国に行って、自分の中の『何か』を自覚したんだろうか。
あの頃のように、前髪を下ろして、ひたすら目立たないようにと俯いている彼女ではなかった。
まぁ、あの頃同様、冷え冷えとした声を持ってはいるが。今の彼女は髪を上げ、ドアに寄りかかるようにして立っていた。
「あら、敬意を払っているつもりだったんですけど? お気に召さなかった?
なら言い直します。お久しぶりです。『腰抜け』さん。藍華を放っておいて、今更ここで何してるの?」
彼女はいつか、あなたと私は似ている、と言った。
何が似ているのか、まだ分からないが、間違ってもこの臆病さではないだろうと思ってしまう。臆病者は、相手の臆病に寛容なはずだ。事実、俺は他人のそういう部分を見ないようにしているから。
「何って」
「藍華の描いた絵を見て、藍華のことを思い出して、感傷に浸って? それで? あなた、何を望んでるの? 藍華をどうしたいの? 思い出の中の藍華を、愛してるの?」
痛いところをつかれて、つい顔を歪める。そうじゃない、とさらりと返せばいいのに、『彼女』を失ったことは予想以上に痛く、顔に出た。喪失感、というものを久々に感じた。
するり、と黒田が寄りかかっていたドアから離れる。
近づいてくる彼女を睨みつければ、『怖い顔しないでください』と笑われた。その笑顔は柔らかく、一瞬だけ彼女が友人へ向ける笑顔と一緒に見えた。
黒田はこちらの目の前に来て、先ほどと全く違う種類の笑顔を見せる。
「私は、あなたの幸せを願うほどお人よしではないんです。
……だけど、友人の幸せを願うくらいには、友達思いですよ。友人の恋が叶えばいいと願う程度には、人並みの愛情を持ってます」
彼女の絵を見て、黒田は笑う。まるで自分の一番痛いところをつかれたように、切なさをにじませた。
もしかしたら、もしかしたら彼女もまた……弱い人間なんだろうか。全く、そうは見えないけれど。
「もし、あなたが、手紙をくれた女の子のように藍華を見てるんなら、今すぐ忘れて。
そんなことで覚えていられたら、藍華に迷惑だから。今まさに追いかけようとしてるのも、それじゃあ無駄でしょ? 藍華の恋が叶ったって言うより、あなたの後悔がなくなっただけだわ」
「そうじゃっ」
答えられない自分を見て、黒田は笑った。馬鹿にしたような色もなく、怒ったような色もなく。
じゃぁ、何?
黒田は笑って首をかしげる。
あなたの心の中にある感情、それって一体、何?
自分から離れていった彼女を、わざわざ追いかけて引き止める、その想いって何?
その心に、何があるから、彼女を側に止めときたいと思うの?
そう、聞いているようにも見える。
「分かんないのに、藍華を引き止めて、何が楽しいの? 先生」
私も分かるよ。相手のことを、『どう思う?』と聞かれて戸惑う気持ち。相手を傷つけると分かってるのに、相手を弄んでいるようにも見えてしまう行為。
彼女は厳しい言葉の中に、同情の色を含ませた。
「分かんないから、引き止めるんだよね。本当は。
もし、手を放してしまえば自覚したとき、手に入らなくなった事実に耐えられないから。だから、卑怯でも、その人を傷つけても、引き止めておきたくなる」
その気持、ちゃんと分かるよ。
彼女はそう言って、自分の心の中にあるものを暴いた。何でもないように、全てを知っているとでも言うように。優しく、残酷に一番痛いところをついて笑った。
「分かるけど、藍華は止めて。それは、藍華を傷つけることにしかならないから。他の人間なら、私には関係ないけど、藍華はダメだよ。先生。他の人間なら、黙ってるけど」
藍華だけは、絶対にダメ。傷つけないで、お願いだから。
「私の友人が、私がしたことと同じ理由で傷ついて欲しくないの」
「随分と、勝手な言い訳だな。黒田」
自分も、お前も、腹が立つほど、自分勝手だ。
「知ってます。自覚もあります。……だけど、それで友人が傷つくのは絶対に、ヤダ」
自分は、彼女をどうしたいんだろう。引き止めて、どうする? 『平田 藍華』という人格を、どう思ってる? どうすれば、自分は満足するんだろうか。
「そんなの……」
あぁ、今まで自分はどうして、こんなに頑なに気持を否定していたんだろう。
認めてしまえば、ひどく簡単で、温かな感情なのに。今まで感じたことのない、柔らかな想いなのに。
「俺は、あいつに恋してるよ」
いくら否定しても、『恋かもしれない』という思いは拭いきれなかった。
いくら違うと言い聞かせても、彼女と接触するのを止められなかった。それは多分、紛れもない『恋』というものなのだろう。
「だけど、引き止めるのは怖いな、今更」
彼女に触れるのが、怖い。引き止めて、拒絶されるのがひどく怖い。拒絶された後、自分は一体どうなってしまうのだろうかと、不安に体が揺れそうになった。
「そう」
黒田は一度だけ優しく笑い、次いで手を上げた。
パン
一際大きな音がして、じんわりと痛みが頬を伝う。
その痛みはすぐに熱さへと変わり、頬を熱する。手のひらを当てるとそこだけ熱く、あぁ、殴られたな、と人事のように感じた。
これで罪が消えるんなら、どんなにか楽なことだろう。これで全てが許されるなら、どんなにか安い贖いになるだろう。
……だけど、これは罰でもなんでもないんだ。
「このっ、腰抜けっ!!」
彼女は泣きそうになっていて、そこでようやく我に返る。
「私はっ、私はもう後悔しても、こっちに帰って来れないっ。……亮の、側にもう、いれない」
それが彼女の『腰抜け』の理由だろうか。
「いくら悔やんだって、こっちにいたいと思ったって、あの頃のことを思えばこれが最善だって分かってる!! これが、一番いい方法だったって、今だってはっきり言える!」
それが、悔しい。
それが『正解』だと分かっているから、完全な後悔にはなりはしない。間違っていれば、『あの時、こうすればよかった』と悔やめるはずなのに。
「またそれで後悔して、先生、それでいいんですか?」
平手じゃ、すみませんよ。後悔して、一人で被害者面して。叶わない想いを漂わせて、感傷に浸るなんて許さない。
「後悔するって分かってるなら、今すぐ藍華に会いに行けばいい。会って、それで振られればいい。それが嫌なら、無理矢理にでも引き止めればいい。それだけでしょ」
何がそんなに、難しいの?
ただ『好きだ』ということが、まだ難しいというの?
「言えるときに言わないと、本当に後悔しますよ。先生」
泣いたって、言えなくなったときにはもう遅いんだから。
「私みたいに、強がったって、……腰抜けには変わらない。そうでしょ?」
バンっ、と彼女を越えて、扉を開ける。
走る足が絡まって、今にもこけそうになる。震える足は、搾り出す吐息は、何に向かっているのかさえ、自覚するのが難しい。
だけど自分は、彼女に伝えるべきことがあるはずだ。
まだ伝えていない『想い』があるはずだ。
それが受け入れられるかどうかは、全く別の話だけど。伝えなければいけない気持なのだろう。
「あんたがもし、やるべきことをやったなら、いくらでも謝ってやるわよ」
後ろから聞こえてきたその声はもう、不敵で不遜な態度だった。それに笑い返し、足を速める。どうか彼女を引き止められるように、と。惹き止められるように。
「バカみたい……」
『正解』を選んで、後悔している自分が、ひどく惨めに見える。
『間違い』を選んで、『彼』の隣で笑っていたいと思っている愚かな自分がいることを自覚して、唇を噛んだ。
「好きなら、そういえば言いだけなのに」
好きだと言えば、変わっていたのだろうか、彼と彼女のように。
泣きそうになった瞬間、再び美術室の扉が開いて、慌てて振り向いた。今は泣きそうだから、もう菊池にだけは見られたくなかった。一番似ている彼には、泣き顔を晒したくなかった。
「見つけた……、やっと」
だけどそこにいたのは、菊池ではなく彼で、我慢していた涙がこぼれる。
「どうやって、見つけたの?」
「さっき、チラッと見えたから」
ああ、自分は菊池と同様で、相手から逃げられはしないんだと再認識する。
それと同時に、後から後から涙がこぼれて、嗚咽が漏れて、顔を手で覆った。惨めな自分が、彼の目に入らないように。
「どうした? 真紀」
「後悔、してた。今、後悔しても仕方ないことを、心の底から悔やんでた」
行かなきゃよかった。
亮の側にいればよかった。
好きだと言えばよかった。
――ずっと、一緒にいたいと願えばよかった。
「どうして?」
「うらっ、羨ましかったから!! 一緒にいられる二人がっ!!」
自分で焚きつけたくせに、羨ましくて仕方なくなった。
一緒にいられない自分が惨めで、いたたまれなくなった。だから、言わなくていいことを言って、菊池を傷つけたのかもしれない。
「一緒にいればいいだろ、そんなの」
何でもないように言いつつ、亮がどんなに考えてその言葉を出したか知ってる。
知ってるから、その手を取るなんて愚かなまねは出来なくて、自分の手を握った。彼の手に縋りつかないように。理性で押しとどめた。
「俺は、ずっと後悔してる。お前を止めなかったことを、この一年、ずっと後悔してた」
戻っておいで、と何でもないように言うから、笑ってその手を握って放した。
「亮」
ねぇ、もう少しだけ強がらせて。
もう少しで終わりだから。もうすぐ、帰って来れるから。
だからもう少しだけ、強がっていさせて。腰抜けでいさせて。……臆病者のままで、あなたを好きだと思わせて。
……え? 真紀ちゃんたちの恋路? あんまりしっかり考えてないんですよー。
一応書いたけど、あんまり納得しなかったし、もう5、6年前に書いたものなんで、今更披露できる代物でもないし。
いつかっ、いつかしっかり考えて書き直したい。(元は単なるラブコメディーだったんだけど、書くうちにシリアスになった)
あと、数話書いたら一応完結。
正直お姉ちゃんたちが書き足りないので、あたらしく二人の物語を連載として載せるか、『drop』の番外編として載せるか迷ってます。