第二十三話 『疑色質問』
前話から大分、時間が経ってしまいました。すいません、お話に関係するお知らせを、一番下に載せています。
「藍華どうしたの、その顔!!」
心配そうな顔が、今日に限って気に障った。いつも心配はされている。
友達に話すと、笑われるくらい。お姉ちゃんたちはいつもいつも、あたしの心配ばかりしていた。
自分よりも、あたしを大切にしてくれた。
だけど、今日に限って、腹立たしくなった。
「春ねえには関係ない」
「関係あるわよ!!」
ぐいっと肩をつかまれ、無理矢理顔を向けさせられた。
自分と少ししか似ていない顔が、一番上の姉と似通った顔が、すぐ近くにあった。
穏やかな顔をしていれば、姉と大差ないのに、こうした瞬間の顔はどきりとするくらい鋭い。
そしてそれこそがこの人の本当の表情だと思った。
「何があったの。何で今日こんなに帰ってくるの早いの?」
矢継ぎ早に尋ねられるそれは、触れられたくないものでしかなく。
「藍華? 大丈夫? 泣き……」
「煩い!!」
思わず叫ぶと、春華の顔が強張った。
今まで見たことがないくらい、ショックを受けた顔だった。最低だと思った。自分の感情もコントロールできず、大好きな姉を傷つけた。
でも止まらない。
「どうしてそうやって聞くの? ほっといてくれないの? お姉ちゃんだって、言いたくないことくらいあるでしょ!! あたしだってあるんだよ!!」
「藍華……」
確かめるように呼ばれて、次いで抱きしめられた。少しだけ小さな姉の頭が頬に当たる。
「ごめんね。でも心配だよ」
傷ついていないか、泣いていないか、心配でたまらないよ。
「藍華が元気になるまで、勝手に心配させてて」
そうしたら、もうお姉ちゃん、何にも聞かないよ。
お姉ちゃんのほうが、泣き出しそうな声だった。
「春、ね」
「大丈夫、だよね」
最後に、それだけ言った。そして笑う。近頃よく見るようになった、優しい笑顔だった。
「ぅ〜〜」
「……」
「うう――」
「平田? 姉の方?」
ぎゃっと少女が飛び上がった。見知った少女とどこか似ているその姉は、少々……というかかなり変わっている。
妹と違って、しっかり者という評判をよく聞くが、どこがか、と聞きたいくらい落ち着きがない。
妹のことになると、という制限つきではあるが。それさえ除けば、勉強もできるし、人間関係もそつなく形成しているようだ。
加えて、彼氏もしっかり者だったりする。似たものカップルなのだと、見知った少女が言った。
「き、菊池先生」
物理準備室の前で百面目をしていた少女、春華は気まずそうに目をそらせた。
そして制服の裾をじっと見つめた後、何か決心したかのようにこちらを見る。
見知った少女と似ているが決定的に違う、偽りを許さない瞳だった。
見知った少女は偽りを見抜こうとしない。人を信じているからだろう。
だから、人の奥を見つめているはずなのに、何故か偽りを見抜けない。人の感情は分かりすぎるくらいなのに、何を隠しているかは分からない。
ただ隠そうとしている、と分かるだけだ。
だけど、こちらは違う。
それは初めて会ったときから分かっていた。最初は、似ていると思った。人の深奥を見つめるその瞳が。次いで全く違うものだと感じた。彼女は決して偽りを許さない。
吐くことも、吐かれることも。
自分の中に疚しいものが何もないからこそ、相手にだってそれを求める……そういう人間だと感じた。
彼女とは違う。姉に負い目を負っていた、あの少女とは違うのだ。とてもよく似ているけれど。その自分が隠しているもの全部を見抜いてしまいそうな瞳は。
「質問?」
「いえ、えっと、ハイ」
少し迷ったように言いあぐねる。そして頷いた。随分とはっきりしない。いつもなら用件だけ言って帰って来るのに。
「少しお時間よろしいでしょうか。多分、そんなにお時間をとるようなことはないと思います」
そう言いつつ、また迷っているようだ。
終始落ち着かない様子であちこちに視線を彷徨わせる。そして両手を組んだり、止めたり、指を組み合わせたりする。
「ここでどうぞ?」
「えぇっと。できれば、入らせてもらえません?」
目が泳いだ。人の嘘が許せないということは、自分の嘘も許せないということ。
……隠し事が天才的に下手だということも、彼女と違う。彼女は無意識のうちに一番ふれられたくないことは隠すから。
「何、用件って」
この少女が姉妹バカだということは知っている。と、いうか、結構有名な話だった。
まさか、と思うが、それはあくまで予想に過ぎない。
彼女が口を開いて初めて、事実に変わる。口に出していない今は、まだそれは予想だった。たとえそれが、どんなにありえそうだったとしても。
それしか考えられないとしても。
今は、まだ。
「先生に、お聞きしたいことがあります」
受験ももう終わり、あとは卒業式を迎えるだけ。
自由登校の中、三年生が来ていると非常に目立つ。……志望校に合格し、遊びたい盛りだろう彼女たちが学校に来ることは当分ないと。
次に会うのは、卒業式の日だと思っていた。
「藍華のことなんです」
予想が、事実へと変わった瞬間だった。
「わたしが、とやかく言うのは、多分、間違ってるんだと分かってます」
ぎゅっと、こぶしが握られた。
あふれ出る言葉を抑えるように。暴れる感情を押し込めるように。妹を心配する、自らの心を殺すように。
「それでも、わたしは、先生にお聞きしたいことがあるんです」
強い瞳だと思った。いっそ冷たささえ孕んでいる、その瞳に射抜かれる。そらすことを許されなかった。年齢にしてみれば、自分より幾年も遅く生まれてきた……子供といってもいいような少女に。
鋭く光る瞳の中の明るい光に、恐れさえ覚えた。
そして、やっぱりほんの少しだけ、この少女は彼女に似ていると思った。
姉妹だからではなく、面差しが似ているからではなく、本質が、その核が、同じだと思った。
「先生、藍華は……先生に惹かれているんでしょうか」
「何で、俺に聞く?」
やっと答えられたのはそれだけで、喘ぐような返事だったと自分でも分かった。
ばれると思った。自分の気持ちが。あのスケッチブックを見てから離れない、ある可能性が。
この少女に見破られると思った。
「先生なら、ご存知かと思いまして」
「あいつの気持ちなんて、知るわけないだろう」
それは本当だった。もしかしたら、という可能性はある。だけどそれは可能性で、前のような憧れかもしれない。
「お前の彼氏に向けた、憧憬かもしれないだろう?」
「ふざけないでください……っ!」
ふわりと怒りで空気が動いた気がした。
それほど、強く感情が表に出た。しかし空気が僅かに動く程度の、静かな怒りだった。じりじりと迫る、触れるものを傷つける――そして自らの体さえも傷つけるそんな怒り。
「確かに、蒼に向けた感情は、憧れだったかもしれません」
だけどあれは、間違いなくあの子の初恋です。
「恋と呼べなくても、恋とかけ離れた感情でも、あの子が『そうなのかな』と疑った時点で、ソレは恋です」
恋じゃないと言い聞かせることが、証でしょう?
「わざわざ言葉にしないと、納得できないような、そんな感情だったんです」
もし今回の感情が、またそんな感情だったとしたら。
「それも、間違いなく恋だと思いませんか?」
少なくとも、わたしはそれが恋だと思います。
「わたしも、何度か『恋じゃない』って言い聞かせました」
それで納得するかどうかは別として、言葉にすると、本当にそんな感じがするんです。
「淡い、色のない感情だと、先生はお思いになっていますか?」
「知らないって、言ってるだろう」
揺れる。揺れる。
恋? 恋じゃない? それはどこがどう違うの? その違いって何?
どこからどこまでが恋なの? どうなったら恋ではないの? どう思うことが恋なの?
誰が決めるの? どうやって決めるの?
「先生、恋って何ですか」
淡い笑顔が、優しい声が、儚い問いかけが。
揺さぶって、どうしようもなくなって、心の中をさまよっていたものを形にしていく。心に浮かぶ少女はただ一人で、それでもその感情の正体を未だ掴めずにいる。
「先生、妹は、藍華は」
先生に、惹かれていると、わたしは思っています。思ってるだけで、本当かどうか分からないけど。
「だからって、先生にどうにかしてほしいって言ってるんじゃないんです」
藍華の問題に、首を突っ込むのは間違いですから。今の行動も、間違いですから。
「先生の、気持ちまで知りたいわけじゃないんです」
ただ、わたしは知りたかったんです。
「藍華が、どう思ってるのか」
ただ、それだけを知りたかったんです。
「妹の気持ちくらい、知っとかなきゃ、協力できないですから」
せいぜい、悩んで、迷って、苦労してください。
「わたしは、妹の味方ですから」
ねぇ、恋って何?
始めは数話で終わる予定だったこの話。予想に反して、随分と長くなってしまいました。
そこでプロットから練り直したいと思っております。もちろん、話のあらすじ事態を変えるつもりはありませんが、藍華の学年や選択科目なども視野に入れなければいけなくなったのです。
人物についても、これを機にしっかりと捉えられたら、と思っています。
ということで、以前に増して更新がのろのろ、そして書き直し多数になると思います。
しかし、藍華や先生が大好きですので、完結だけはしたいと思ってます。
よろしくお願いします。