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drop(改訂前)  作者: いつき
本編
22/43

第二十二話 『苦色自覚』

「でねっ、告白しちゃった〜」

「え、で、どうなったの?」

「OKだって」


 恋をする女の子は可愛くて、キラキラしてて、一生懸命に真っ直ぐ生きている。

 そう見える。


「昨日ね、一緒に帰って……」

「ほんと、好きだよね、彼氏のこと」

「好きだよ〜」


 そんなふうに、素直に言えたらいいんだと思う。

 そう言えば、付き合う付き合わない別にしても、少しはましな恋をした、と自分に胸を張れるんだと思う。


「昨日、別れちゃった」

「どーして!!」

「それがね」

 

 そしていつかはそんなふうに人に言える日が来るんだと思う。





 ねぇ、自覚したら、少しは苦くなくなるんだと思ってたの。

 気持ちの正体を掴めば、何かが変わると思ってたの。なのに、結局何もできなくて、むしろ苦しさは増えて、泣いてしまいそうになる。

 そんな自分がひどくいらだたしくて、自分に言い聞かせた。

『恋』なんかにふりまわされてどうするの? 理性を失ってまで、追いかけてしまえるほど価値があるの?

 ないでしょう。一時の気の迷いでしょう。少し優しくされたから、勘違いしたんでしょう。

 先生があまりにも、優しくて、甘えてしまったんだ。今までいないタイプのひとだったから、恋なんて勘違いしてしまったんだ。

「そうだよ……」

 そうじゃなきゃ、説明できないよ。

「どうして、絵が描けないの――?」

 どんなときだって紙と描くものさえ与えられていれば心は落ち着いたのに。

 今はシャーペンを持つ気にさえならない。真っ白な紙を目の前にして、何を描いていいのか分からなくなった。

 何を見ても描く気なんて起こらなくて、代わりのように思い浮かぶのは『迷惑だ』というひどく冷たい言葉だけだった。

「大丈夫だよ」

 自分に言った。

「もうすぐ、春休みだから」

 そうしたら少しは落ち着いて、もしかしたらこの気持ちは消えているかもしれない。

 少し冷静になれば、この気持ちの本当の正体が違うものだと思うかもしれない。

「帰ろう」

 それでも美術室ここに来てしまうのは、少しだけ期待しているせいかもしれない。もしかしたら菊池が来るかもしれないと思っているのかもしれない。

 来てほしいと、思ってるのかもしれない。

 顔を見たいと、声を聞きたいと思っているのかもしれない。




 藍華は席を立ち、今日も真っ白のままだった用紙をしまおうと画材置き場へ向かおうとしたとき、ドアがスライドした。

はっとして慌てて画材置き場へ入ろうとするが、目が合ってしまい入ることができなくなった。

「こんにちは」 

 いつもはしない挨拶をした藍華を菊池は見る。どことなくいつもより不機嫌そうだった。

「平田。俺なんか、したっけ? お前に」

 気まずそうな口調に藍華は一瞬だけきょとんとした。そして苦く笑う。普通に接していたはずだったのに、どこかしらばれていたらしい。

「いいえ。何でも。少し調子が悪いだけです」

 嘘じゃない。だけど本当のことでもない。だから罪悪感なんてあるわけがない。

「送ってやろうか?」

 だけどダメだ。感じてしまう。自分が悪いんだと思ってしまう。

 そして菊池の優しさの元を邪推してしまった。そしてそのまま菊池へとぶつけた。いつも思っていたこと、だけどどうしても言えなかったこと。

 言ってはいけないと思っていたこと。

「先生、ずっと……思ってたんですけど」

 傷つけてしまうかもしれない。

「あたし」

 あたしは。

「あたしは……先生の元の生徒じゃないですよ?」

 あたしに優しくしたって、その生徒が救われるわけじゃないんですよ。

「先生がいくら、いくら悔やんだって」

 その生徒の傷が、先生によって癒されるわけじゃない。

「先生が傷つけて後悔してるなら」

 その生徒にすればいいじゃないですか。

「先生のせいで、あたし」



 そこから何も言えなくなり、教室から出た。



 菊池は止めようと伸ばした手を下げた。





「バカか、俺は」

 恋ではないと言い張った。恋ではないと、今も思っている。

なのに、どうして彼女はそう思ったのか。後悔していないといえば嘘になる。傷つけたことへの罪悪感だってある。

 もう、癒えていてほしいとだって思う。

 だけど、彼女と重ねているなんて考えたこともなかった。考えたくもなかった。

「でも、傷つけた」

 彼女に優しくしたのは、償いなどという崇高な思いからではない。

 だけどその思いの底を聞かれると困ってしまう。なんと言えばよいか分からぬ感覚がいつだって心を占めるのだ。

 彼女に優しくしたからって、自分の過ちが帳消しになるなどと思っているわけではなかった。

 自分の甘さが生徒を傷つけたという自覚を、いつまでも持っていなければいけない、そう思うだけだ。

「もう、二度と」

 あんな過ちは犯さない。そう決めた。

 中途半端な感情が誰かを傷つけるのならば、そんな感情の元を挟み込まなければいい。実際、そうしてきたはずだ。しかし彼女だけ、別だったのかもしれない。

 少し、気になっていた。

 恋とも呼べない感情に苦しんでいた彼女に、勝手に親近感を持っていたのは自分だ。

 一緒だと、勝手に感じたのは自分なのだ。もしかしたら、生徒に持っていた感情が何なのか分かるかもしれないと思った。

 結局。

「傷つけただけだ」

 もう過ちは犯さないと決めたのに。

 生徒を傷つけないと決めたのに。

 もう、あんな感情感じたくないと思ったのに。いつの間にか、またもってしまっていたのだろうか。だとしたら……。

「俺は本当のバカだ」

 傷つけるだけ傷つけて、それでまたあの彼女も『過去形』の告白を残して去っていくのだろうか。『好きです』でもなく、『付き合ってください』でもなく。また……。

「『好きでした』か」

 もう終わってしまった感情だけ、告げられるのだろうか。



「平田……」


 

 誰もいない教室で、彼女の名を呼ぶ。だけど物足りなくて、呼びなおした。



「藍華」


 

 初めて単体で口にするその名は甘く、甘く響く。

 生徒の名を、呼びたいと思ったことなどなかったのに。

 こんなに、甘く響くことなんてなかったのに。その名を紡いだ自分の唇さえ甘くなった気がした。


「なぁ、俺はお前が好きだと思うか?」

 元生徒への後悔からではなく、まして重ねて見ているわけでなく。平田藍華という人物を、好きだと思うか?

「お前は、俺に恋してると思うか?」

 もしもそうなら、自分はどうするだろう。

 そう考えたとき、ついぞ動くことのなかった心の底が疼いた。もう忘れてしまうくらい長い間、高鳴ることがなかった心が動いた音がした。

「バカらしい」

 そう呟いて、席を立った。そのときふと思いつき、画材置き場へ足を向ける。

 むっとするような絵の具の匂い、少し古びた紙の匂いが充満していた。そういえば彼女はそんな匂いさえも好きだと言っていた。

 しばらくその中を彷徨い、きれいに整頓された一角に目をつける。

 そしてその一番上に積まれたスケッチブックを手に取った。

 見慣れたスケッチブックだった。いつも彼女が持っていたもので、その表紙をさらりと撫でる。

 他の女生徒とは違う、少し大人びた字体の名前を撫でるとき、少し指が震えた。

 『Aika.H』と書かれた字は流れるような字体だった。よく見る丸文字ではなく、少しだけ角ばったそれでも読みやすい文字。

 そっとそれを開くと、見知ったタッチの絵が無数にあふれ出る。

 描かれた絵の近くには描いた日、時間、場所などが書かれており、そのときの様子などもメモされている。

「こまめなやつ」

 くすりと笑いをこぼすが、少しだけ切なくなった。まるでそのときを切り取るかのような、忘れてしまわないように一生懸命な彼女が見えてしまった気がした。

 イスに座りなおし、一枚一枚見る。

 その中のほとんどが人物画で、そして彼女の大切な姉妹たちだった。笑っている顔、寝顔、怒っている顔、落ち込んだ顔。

 彼氏に見せるだけの、とても優しい顔。どこまでも、安心しきった顔。そのどれもが彼女の感情を読み取るかのように描かれている。

 モノクロなのに、何よりも鮮やかにその笑顔が焼きつく。

 最後のページは、『少女』の泣き顔だった。この前自分に気持ちを伝えた、少女の泣き顔。彼女からは見えていないはずなのに、その泣き顔は本当にそのままだった。


 『2月14日 16時30分頃 家にて 

 今日の美術室でのこと。頭にこびりついて離れない。自覚してしまったかもしれない』


 一瞬、止まった。

 その文字が何を意味しているのか分からない。彼女が何を思って描いたのか、分からない。それでも……。止まってしまうくらいには、何かが流れた。

 痺れるような感覚が、体をめぐった。

「何が」

 離れない?

「何を」

 自覚した?

 その答えが知りたくなったが、知らなくて言いと思っている自分がいる。まだ自分が自覚するには早い気がした。恋心だと、言うにはまだ早い気がした。


長くなってしまってすみません。完結が見えない……。

いえ、最終話の構想はできてるんですけど、そこまで行く道のりが見えません。

気長にお付き合いくだされば幸いです。

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