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drop(改訂前)  作者: いつき
本編
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第二話 『青色絵の具』

 美術室には誰もいなかった。

 そのことに若干の寂しさを覚えつつも、一人でいる気楽な部活が好きなのであまり気にもならない。

 藍華はかばんを隣のイスに置くと、いくつも立ててあるキャンバスから少し小さめの物を取り出した。

 二人の男女の絵だ。少女が右で、少年が左の背中合わせ絵。とても丁寧に描かれている。

 触れ合っているのは背中だけで、それが友人関係かどうかなんて分からない。

 ただ、雰囲気だけで、恋人同士だと見る者に知らせていた。色も塗られていない、黒と白だけの寂しい絵だった。



 藍華はしばらくその絵をじっと見た後、パレットと筆を取り出した。アクリル絵の具と呼ばれるものをパレットに出し、人物から塗っていく。

 肩より少しだけ長い髪の少女は上を見上げていた。その頭は少年の肩に乗っている。その少年は下を向いていた。

 少女の髪は濡れたような黒、頬は対照的な白。制服はこの学校の制服だ。膝を抱え込んでいるせいで、少し捲れたスカートから素肌が見えていた。


 そしてその左足には、薄い線が走っている。


 他の皮膚とは違うと一瞬で分かる――古い傷跡だった。

 そこだけは違う生き物のように、薄い桃色の傷跡。

 

 内側から外側へ斜めに走る線がやけにはっきりと描写してある。

 少女を全て塗り終わると、藍華はその足の傷を撫でた。

「もう、諦めてるんだよ……」

 水を含みすぎた筆から、涙の代わりに雫が一つ――零れ落ちた。




 どれくらい時間が経ったのか、藍華さえ分からなくなったとき、美術室の扉が開いた。

「もう下校時間だ。さっさと帰れ」

 どこか不機嫌さを含んでいる声に、もうそんな時間かと思うと同時に席を立った。しかしすぐさま、その声がいつもの先生ではないことに気がつき、慌てて振り返る。


「「あ……」」


 二回目だ、と心の中で呟く。

「菊池先生。どうしていらっしゃるんですか? え、あの坂野先生がいつも鍵を閉めてくださってるんですけど」

 顔見知りの……というか、部活をまったく見に来ない顧問の名前を口に出す。未だにあちこちの賞に応募しては入賞する美術講師だ。

 しかしかなりの変わり者で、やる仕事といえば、とっくに生徒のいなくなった美術室に鍵を閉めるだけ。

美術の時間は教材のビデオをセットし、プリントを配るとさっさと部屋へ帰ってしまうのだ。

「その先生、外国の賞に入選して旅行中。ついでにあっちで少し勉強して帰るんだと」

 早く出ろ、と冷たく言われて、急いでキャンパスを片付ける。そしてかばんを片手で掴むと、頭を下げてすぐさま教室から出ようとして、捕まった。

 

 右手をがっしりと掴まれる。


「何か言うことは?」

 意地悪そうな声が聞こえる。ぎくりと肩をこわばらせた後、おずおずと声を出す。

「先生の秘密は、しゃべりません。……アメの分は」

 ほう、とわざとらしく聞き返されたので、慌てて言い直す。

「言いません! 絶対に」

 そう言うが早いか、手を振り払って外へ出た。




「おかえり。あいちゃん。今日はちょっと早いね」

 玄関を入ると、部屋から足音がして、腰まで伸ばした髪が艶やかな少女が出てきた。真っ黒な髪と少々幼い顔は次女である春華とそっくりだ。


 藍華は少し明るめの髪をしているし、くせっ毛で大人びた顔立ちをしている。

 長女と次女は母親似、三女は父親にだというのが周囲からの評価だ。


「ただいま。早く美術室から追い出されちゃったから」

 着替えてこようと階段に向かう。しかしその途中で声がかかった。

「藍華? やっぱりわたし、藍華が終わるまで学校で待とうか?」

 部屋着にエプロンをして、お玉片手にこちらへ来るのは春華だ。

 その後ろには、同じくエプロンをつけた瑲也(そうや)がいる。


 藤田 瑲也


 藍華たちの幼なじみ兼春華の恋人。

 数年前に引っ越したが、去年帰ってきてめでたく春華と恋人同士になった。



 藍華の初恋の人。



「いいよ。お二人さんの邪魔をするほどあたしヤボじゃないもん」

 からかい半分の言葉を出すと、『わたしと瑲は別に』と言い返してきた。

 そして春華は決まりが悪くなったのか、台所へと帰っていく。

「あいちゃん。はるちゃんは心配してるんだから、からかっちゃだめだよ?」

 容姿は似ているのに、おっとりとしている朔華とはきはきしている春華では性格が全く違う。

 朔華がやんわりと注意したので、藍華はにこっと笑ってうなづいた。そして春華の後を追おうとしている瑲也に声をかけた。

「お姉ちゃんをよろしくお願いしますね」

 他人行儀な言葉に眉を寄せた後、少しだけ笑った瑲也を見て、藍華は笑った。

 ――見たこともないくらい大人びた、さびしい表情だった。



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