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drop(改訂前)  作者: いつき
本編
13/43

第十三話 『竜胆色車内』

「あいちゃん。今日、傘いるよ」

「へぇ? 何で。雨?」

 雨マークなんてあったかなぁ、とついさっき見ていた天気予報を思い出す。

「今日雪降るんだって」

 綺麗だよね、そう言って朔華は笑う。

「何でも、一番の寒気らしいよ。積もるかもね」

 って、もう、降ってるよ。外を見ると、もうすでにちらちらと雪が降り始めている。それも積もりそうな粉雪だ。

「春ねえは?」

「はるちゃんは大丈夫。瑲くんがもう持ってってたから」

 相合傘でも、ぬれるより良いでしょう? と正論を言う。

 いや、姉の場合、ぬれてでも一人で帰りそうだけど。そう呟くと、朔華はにこりと笑った。

「大丈夫。結局はるちゃんは瑲くんに勝てないから」

 確かに、と思わず頷いてしまった。いつも大抵のことは春華の言うとおりになるが、本当にダメなときは瑲也が譲らない。

 そういうときは、春華が折れるのだ。

「だから、はるちゃんにはあえて言ってないの。瑲くんへのサービス?」

 首をかしげると、朔華は笑った。

「積もる?」

「うん、ちょっと積もってるかも」

 窓から見える道路は、もうすでに白くなり始めている。

「まぁ、太陽が昇れば少しは溶けるでしょ」

「滑らないように気をつけてね」

 朔華は人事のように言う。一コマ目が休講のため、自分が家からでるのは太陽が昇ってからだと知っているからだ。

「うん、行って来るね」

「いってらっしゃい」

 靴箱の隣から傘を出すと、傘の留め金を外す。ばっと少し開いた傘を少し振り、玄関の扉に手をかける。チラチラと降る雪が目に少し痛く、足早に家を出た。

 寒そうで、でも雪が降ると少しだけわくわくする。いつもと違う風景が好き。




 はぁ、と息を吐くと、白い吐息は空気に溶けてなくなってしまう。このもやもやとした実感も、少し痛くなる感情も……。

「こんなふうに……溶けてなくなっちゃえばいいのに」

 雪のように淡く、白い吐息のように儚く、

 触れればその体温で溶けてしまうもののように、

 時間がたてばなくなってしまうもののように、

「全部」

 全部――――なくなってしまえばいい。跡形もなく、消えてしまえばいい。

 そんな感情、持っていたことさえ、忘れてしまえばいい。


 そんな感情――それは、何?


「って、変な感傷に浸ってる場合じゃないんだよね」

 足を早くし、感覚のなくなっている足先に力を込める。早くしないと頭の上に、雪が積もってしまいそうだ。

「さむっ」

 最後に一息だけ、白くなって、溶けた。

 雪のように、吐息のように、白く溶けていく……声。




「はい、これで終わり。各自解散」

 放課後、SHRショート・ホーム・ルームも終わり、藍華は教室を出た。もちろん、ちらりとも外を見ていないので、どうなっているか知る由もない。

 歩けないほどいつの間にか積もっているとか、このままだと帰るのに苦労しそうだとか、そんなこと露ほども知らない。

「積もってるねー」

「帰れるかな」

「部活できなくない?」

 そんな会話が、繰り広げられていることも、知らないままだった。

 タッ、タッ、タッ。軽快な足音が、階段に響く。ガラガラと扉を開けると、いつもと変わらない美術室が目に入った。

「ちょっと寒い」

 教室なのにもかかわらず、息が白くなり思わず身を振るわせた。慌ててストーブのスイッチをいれ、一番近い席に座る。

 すぐ温まるわけはないので、コートは着たまま、マフラーは巻いたままだった。

 スケッチブックに描かれた絵から、本格的に描く絵を選ぶ。人物に飽きた気がして、校舎のスケッチを取り出した。

 ちょうど部屋も程よく暖まり、キャンバスを出すついでに、コートを脱ぐ。防寒具を全て取り去り、下書きしていった。

 そして、ふと、不明瞭なところがあり、窓から校舎を見ようとした。

「何……これ」

 外を見た瞬間、出た言葉はこれだけだった。いつもより、寒かった。いつもより勢いよく雪が降っていた。


 しかも積もりやすい、粉雪が。


 チラチラと、細かい雪が風に乗る。そんなに降っていないようにも見えるのに、粉雪は積雪量が多くなるらしい。

 くらりとめまいを覚えた。いったいあたしにどうしろと、という悲鳴が心の中で聞こえる。

「どうしよう……これ、帰れるの……?」

 そんな疑問が浮かび、慌てて行動に出た。キャンバスをしまい、コートを掴み美術室から出る。そのまま階段を下りて、靴箱まで走った。

 人気はまったくない。


 まぁ、こんなに雪が降ってて残ってるやつのほうが少ない――か。


 小さくため息をつき、二年の靴箱へ向かう。当然、姉の靴ももうなかった。靴を履き、一歩踏み出すが、不安定で仕方がない。

 もともと雪が少ない地方で、年に一、二回積もる程度なのだ。しかも、積もってもすぐ溶ける。足元がどうしても頼りなく、尻込みしてしまう。

 薄く積もっているなら、珍しくて、少し嬉しい。いつもと違う風景は、それだけで綺麗だと思うから。

 でもここまで積もられると逆に怖いのだ。こけないだろうか、車が突っ込んでこないだろうか、それが心配になる。自分だけでなく、この町の人みんな雪に慣れていないから。

「帰らなきゃ」

 いつまでもここにいると、本当に帰れなくなってしまう気がして、足を踏み出した。

 ……が。

「うわぁっ」

 ツルリ、とすべり、思いっきりこけた。受験生じゃなくってよかった、と思わないでもない。

「サイテー」

 あちこちについた雪を払い、立ち上がるが、それさえも苦労する。立ち上がろうと足をつくのに、すべる。

「もうっ!」

 立ち上がれずに、声を出すと、さっと目の前が暗くなった。いきなりこんなに暗くなるわけがないと思い、ひざと手をついて下を向いていた顔を上げた。




「お前、まだ残ってたわけ?」

 聞き覚えのある声にはっとして顔を上げた。

「先生……」

 文化祭以来会っていない、菊池がそこにいる。手を差し出されるが、なぜか掴む気になれず、一人で立とうとする。

「きゃっ」

 そして再びこけた。情けなくなり、顔がまともに上げられない。

「おい」

 差し出される手を取ろうか取るまいか迷っていると、勝手に腕を掴まれる。そしてぐいっと力強く引っ張られた。

「素直に取れよ、手」

「すみません」

 どうして、素直に取れなかったのか分からない。だけど、取りたくないのは確かで、しぶしぶ謝った。

「ちょっと来い」

 そして腕をとられたまま、引っ張られた。

「あ、ちょっと。菊池先生」

 抗議の声を上げるが、菊池は一向にかまう様子はない。

「先生、痛い……」

 痛い、と言うとほんの少しだけ手の力を緩められる。しかしそれだけで、掴まれていることは変わらなかった。

 掴まれたまま、引っ張られるまま藍華は菊池に従った。




 しばらくして、菊池が止まったのは職員室の前。そして扉を開けて、中に入る。

「すみません、生徒が残ってたので送っていきます」

「えっ」

 声が漏れた。すると職員室の向こうから、担任が出てきて眉をしかめた。

「平田、俺、すぐ帰れってSHRで言ったよな?」

「え、そうですっけ?」

 もうその頃は、何を書こうか考え始めていて、先生の言葉なんて聞いてなかった。

「俺が送っていきましょうか?」

 担任が言うので、慌てる。

「そんな、いいです! 一人で帰れますから」

 先生方に迷惑をかけるなんて、いくらなんでも気が引ける。

「無理だから、これで帰るのは」

 先生が二人して、窓の外を指差した。先ほどより勢いのある雪、それに職員室に残っている先生も少なかった。

「もう、みんな帰ってるの」

 言い聞かせるように言われる。だけど納得できずに言葉を紡ごうとすると、耳元で先生が笑った。

「また、こけたいわけ?」

 ぼっと顔が赤くなる。もしかしたら、一人で立てずに悪戦苦闘しているところも見られていたのかもしれない。いや、この様子なら間違いなく見られていただろう。

「というわけで、瀬戸先生。俺が送っていきますから」

「いいですか? よろしくお願いします。まだ仕事が残ってるもんで。早く帰りたいんですけどね」

 勝手に先生同士で話が進んでいた。どうすればいいのか分からず、藍華は途方にくれていると、菊池は話を終え、再び藍華の手を掴む。

「じゃぁ、お先に失礼します」

「あ、先生……」

 有無を言わせずに引っ張るので、引きずられる形で職員室を出る。

「気をつけてな」

「はい……、さようなら」

 担任にもそう言われるので、もう諦めた。





「先生……」

 無言。

「先生……?」

 返事がない。

「菊池先生、怒ってらっしゃいますか?」

「怒ってる」

 そう言うだけで、菊池はまた外を向いてハンドルを切った。車に詳しくはない藍華なので、自分が乗っている車がかろうじで日本車だと分かるだけだった。

 しかし流れるようなボディも、走りも、それなりに高いんではないだろうかと思わせる。音楽もかけず、ラジオもかけず、車の中は実に気まずい雰囲気で満たされていた。

「何を、怒ってらっしゃるんですか?」

 何を怒られているのか分からず聞くと、菊池は藍華のほうを見て、また不機嫌そうな顔をした。

「お前が……」

 お前が?

「雪が降ってるのに残ってたり、こけたのに意地でも俺の手を取らなかったり、一人で帰ろうとしたりすること」

 怪我でもしたらどうするんだ、と怒られて、ほんの少しだけ肩をすくめた。

「大丈夫ですよ、こけるだけならケガしないし」

 そう返すも、菊池は怒ったままで、藍華は首をかしげた。

「大体、雪が降ってたら普通すぐ帰るだろ」

 あきれたような声がする。少しだけ、嬉しいのはどうしてだろうと自問自答するも、菊池に会うのが嫌だと思っていたことを忘れることができた。

 シートに体を預けると、かすかにタバコと他の匂いがした。たとえるなら、少し薄い紫色。落ち着いていて、神秘的で、謎めいた男の人。


 それはまるで、先生みたいな……?


「先生……」


 何の、香水つけていらっしゃるんですか?その問いに、菊池は目を丸くした。

「は?」

「タバコと、それとは少し違う匂いがしたから」

 あぁ、と菊池は頷くと、答えを返す。

「多分、ムスク系統の香り。この前家でアロマ焚いて、気に入って時々してるから、その残り香だろ」

 先生が、アロマ焚いてるなんて、意外。

 そう藍華が笑うと、菊池がむっとしたように返した。

「お前みたいな成績悪い人間に悩まされてるんだよ。ストレスがたまって仕方がない」

 落ち込むせりふだったが、冗談の色を残していたので、笑った。

「先生、みたいな匂いだなって思ったんです」

 その色は――自分には似合わない色だけれど、少しだけ今度焚いてみようかと思った。


 先生の香りは、ムスク。


 色で表現するなら、薄紫色。綺麗な、花の名前を持つ……


 竜胆色。



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