第十一話 『黄色絵画』
「藍華ちゃん。文化祭、どうする?」
「あぁ〜。美術室で展示をするから、そこで待機してなきゃいけないの」
「そっかぁ、じゃあ、他の子達と回ろうかな」
「二日目は一緒に回れるから」
「じゃあ、二日目は一緒に回ろう」
一学期から仲のいい詩織の誘いを惜しげに断り、さて、と腰を上げた。
「美術室に行ってくるね。もう時間ないし」
「大丈夫? 美術部の人、ほとんど手伝ってないのに」
何を展示するの? と聞かれたので、少し迷った後口に出す。
「美術の……坂野先生がいるでしょ? その先生の絵と、先輩が残していった絵と、あとポスターとか」
「藍華ちゃんのは?」
そこを聞かれるとは思っていなかったのか、藍華はぎょっと目を見開いた。
「えっ?」
「だから、藍華ちゃんの絵はいくつ出すの?」
改めて聞かれると、どう答えていいか分からなくなった。
「二つとか」
「少ないじゃん!」
もっと出しなよ〜、見に行くから。という友人を尻目に、半ば逃げるように教室から出た。
出す絵は二つ。
一つ目は、背中合わせに座っている春華と瑲也を描いた絵。そしてもう一つは……今現在描いている絵。
それが、藍華の作品になる。
一つ目は、青色が多く使われた、少し悲しい絵。判断できない、淡い感情を表した、失恋の気配さえ漂わせる絵。
なら――――二つ目の作品はどんな絵だろうか。
「もう、終わったんだから大丈夫」
あの感情は、消えてしまった。いや、もしかしたらもう消えてしまったものを、ここ数ヶ月、探していただけかもしれない。
泣きたいほどの切なさもなく、心を握られるような動悸もしない、ただそれは、見つめるだけで満足してしまう、なんとも、幼く、淡い思い。
「大丈夫だよ」
あたしは、恋をしたことがない。そして、当分することもないだろう。だから大丈夫。もう何かに惑わされることもない。
「もう、誰かを……」
春ねえを、傷つけることもない。名づけることもできなかった感情の最後の欠片が、涙となって一粒だけ流れた。
今流行の歌が学校中に流れている。外で違う音楽と、歌声が流れる。みんなの……笑い声が聞こえてる。
「なのに、何であたし一人だけここにいるの?」
独り言に答えてくれる声があるはずもなく、受付の机に突っ伏した。
「ずるい……。交代してくれるって言ったのに」
交代するはずの美術部員はまったく来ない。すでに二人目が来るはずなのに、それも来ない。
『さぁ、やってまいりました。我が南ヶ丘高校の煌祭。今年もどうぞ、楽しんでください。なお、午後六時からミス・コンもありますので、そちらもお楽しみに』
明るい、朔華の彼氏の声が聞こえてくる。智さんだ、と思いながら、先ほどの放送を反芻していた。
『ミス・コン』
この高校のものは少し変わっていることで有名だった。
「ミス・コン……だけじゃないでしょ。智さん」
ミス・コンテスト
――通称ミス・コン――は通常、女性を対象としている。そのため、女性側から『女性の商品化』と呼ばれ、反対も数多くあるのだ。
が、しかし、ここの高校のものは一味も二味も違う。(代々の会長が変人だからだという噂が実しやかに囁かれている)
この学校のミス・コンの中には『ミスター・コンテスト』つまりは男性のコンテストも含まれているのだ。しかも……男装、または女装の出場。(女装はミス・コンテスト、男装はミスター・コンテストに出場する)
なので、生徒からは『裏ミス&ミスター・コンテスト』――裏ミス――と呼ばれている。今年も例外なく、開催されるらしい。
智が家へ来たとき
『今年は期待できるよ。うちの生徒会から出したしね』
と、自身有り気に言っていた。確かに、今年生徒会に所属する人間は、すごくきれいな人たちばかりだった気がする。
「真紀〜。そろそろミス・コンの準備〜」
「はいはい。もう少しね」
そんなことを考えていると、その生徒会の人間が二人、こちらに歩いてきた。この間の補習にいた二人組み。
「ごゆっくり見ていってください。パンフレットはご自由にお持ち帰りください」
機械的に言葉を紡ぎ、頭を下げた。そして頭を上げた瞬間、真紀と呼ばれる少女と目が合う。
「あ、やっぱり。この間……夏休みの補習で化学室にいたよね?」
長い髪を今日は下ろし、メガネをかけていた。この間の姿より地味だったが、それでもなお、美人だと思う。
「あ、はい」
「初めまして。私、黒田真紀。生徒会執行部で書記をしてます。智先輩――会長をいつも注意してくださるお姉さんに助けてもらってます」
にこり、と彼女は笑った。藍華もなんとなく笑うと、真紀は視線をもう一人の少女へと移した。
「え……っ! あ、あたし、池田佳奈美です。生徒会で会計をやってます。同じく、春華さんにいつもお世話になってます」
ぺこり、と頭を下げると、二つにくくっている髪も揺れた。
「さっそくですけど、会長からの伝言をお伝えしなければいけないんです」
そう前置きして、真紀は胸ポケットから紙を出した。
「えっと、
『藍華ちゃん、智です。朔華さんがこちらへ来ました。本当は美術室まで案内したいところなんだけど、できないからこっちへ着てくれるかな? 忙しいのなら、僕の仕事が終わるまで待ってもらうことになるんだけど』
だそうです」
「え、朔ねえ、ここの卒業生ですから、これますよ?」
「えぇ! そうなんですか?!」
佳奈美が答える。しかし真紀は『知ってます』とさらりと言った。
「じゃあ、何で……」
「心配なんでしょう? 一人で歩かせるのが」
おっとりと優しそうなお姉さんだし、お祭り気分で浮いてる校内を歩かせたくないのよ。一人。と、同い年の人間とは思えないほど、大人びた顔で笑う。
「だから、あなたを呼んだ、と。智先輩、意外と心配性」
くすりと笑う姿も、妙に大人びていた。
「私たち、これから少し用事があるから、手伝うことはできないんだけど。ここ、少しの間だけ、空けられない?」
真紀がこちらを見た。
「む、無理です。ここにいないと、中説明する人いないし」
「そうか。じゃあ、あ……!! 菊池先生!」
真紀が一人の教師の名を呼ぶ。ここ数週間、まったく話さない人。話したくなかった人。
「何? 黒田。俺忙しいんだけど」
「どうせ、告白する人たちから逃げてるんでしょ? ちょっとここ、頼めませんか? 彼女、これから用事があるんで」
「え、いいです。あたし、ここに残りますから」
菊池と向かい合い、話し始める真紀を止めようと前に身を乗り出す。
「まぁ、いいけど。ここ、人少なそうだし」
暑かった、と菊池はネクタイを緩めた。そのついでにボタンもあける。
「だらしないですねぇ。それでも先生ですか?」
からかうように言うと、菊池は真紀の顔を見つめた。
「お前頭いいけど、先生への対応がなってない」
「大丈夫です、先生だけですから」
にこっと笑う。が、目は笑ってない。
「お前、今回のテスト0点な」
「得点ですか? その前に10が付きますよ、先生」
二人の、なんとも言えない会話が怖かった。
「真紀〜〜」
「あぁー、もう、分かったわよ。出ればいいでしょ? 出れば! 裏ミス・コン」
そう言うと、『よろしくお願いしますよ』と菊池に念を押し、藍華と向かい合った。
「智先輩の伝言、確かにお伝えしました」
とだけ言い、くるりと踵を返した。
「えっと、じゃあ、先生、いいですか?」
「あぁ、いってらっしゃい」
さすがにタバコは吸えないらしく、受付のイスに座りふわりと手を振った。
「いってきます」
その顔を見るのが、少しだけ、怖くなった。
菊池の顔をまともに見ることができずに、足早にその場を後にした。
「って、言われてもなぁ」
もともと人が来ないんだから、ここに自分がいるのがいいのかどうか分からない。客が来ないのに、受付に座る自分が、少しバカらしい。
「見て回るか」
絵などに興味はない。もともと、抽象的なものは苦手だ。だから数字で表されるものが好きだった。考えなくても、数字は正しく答えを示してくれるから。
コツリ、コツリと靴がなる。一つ一つの絵を見て回るうち、菊池の足がある場所でとまった。
「これ……」
二つ並べられた絵は、ここ数ヶ月で見慣れたタッチだった。優しく、丁寧な筆遣い。正確さが少しかけたデッサン。それでも高校生が描く絵にしては、十分すぎるほど見事な絵。
一つは以前、見た絵だった。秘密を知ったときに見た絵だ。聞かなくてもよかった。少女の秘密。
あの絵を見たとき。彼女の顔を見たとき。聞かずにいられなかった。聞いては、いけなかったんだろうと今にして思う。
触れられたくない過去、それは誰にでもあるものだ。
「もう一つ」
もう一つの絵は、見たことがない絵だった。
「いつの間に描いたんだ……?」
夏休みが終わって以来、美術室にめったに姿を現さなかった。文化祭の準備に追われている時期になると、絵をばかりを描いてもいられないだろう。そして一つだけ、思い当たった。
「あのキャンパス……」
昨日、大きな荷物を抱えていた彼女が思い出された。少し見えたそのかばんから見えたのは……キャンパスだった気がした。
「家で描いてきたのか」
その絵は、黄色。茜色を使っているにもかかわらず、イメージは黄色。二人が自転車に乗っている姿が小さく、描かれていた。
少年が前で自転車をこぎ、少女はその少年に掴っている。小さく、描かれている二人は楽しげに笑っていた。夕暮れの道を走り、ぴたりと寄り添った二人はとても仲がよさ気に見える。
題名は『夕暮れは黄色』
それはイメージでしかない。二人の……笑顔の。それでも、菊池は笑顔を浮かべて、受付へ帰っていった。
彼女の気持ちも、彼の気持ちも……。
まだまだ発展途上。