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drop(改訂前)  作者: いつき
本編
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第十話 『秘色笑顔』

 春華は、その表情をした春華はもう、分かっているはずだ。でなければ、こんな寂しげな表情をするはずがない。罪悪感にまみれた、傷ついた表情をするはずがない。

 春華は知っているのだ、藍華が、そういう気持ちを持ったことを。

 そして、その相手を。

 そうでなければ……説明がつかない。

 藍華はそっと唇をかんだ。できれば、知ってほしくなかった。一生知らないままでも良かった。一番知られたくなかったのは瑲也でも、誰でもなく――春華だった。

 この事実を知って、一番傷つくと分かっていたから。

「あたしは」

 恋なんて、したことないよ。

 そう言いたかったのに、その言葉は出なかった。ただ一言。

「違うの」


 そう出ただけだった。


「わたしは、本当に駄目なお姉ちゃんだね。お姉ちゃんみたいに、妹の気持ちが分からない。妹が辛い思いをしてるのに、それにさえ気がつかなかった」

 何年も、一緒にいたのにね。

「違うよ、あたしのは違う感情だった。お姉ちゃんたちが羨ましかっただけだよ。そんな恋がしたいと思っただけだもん」

 嘘じゃない、本当にそう思うんだから。

 そう言いたいのに、上手く言葉は出てきてくれなかった。何かがつっかえたように、ただただ意味の無い言葉を紡ぐだけ。

「確かに、恋かもしれないと思ったよ。でも違うの。お姉ちゃんを傷つけてまで、傍にいたいとも思わなかった。多分、あたしは」


 お姉ちゃんに恋をしていた、瑲さんが好きだったんだ。


「お姉ちゃん一人を見続ける、瑲さんが好きだった。お姉ちゃんを傷つける人なんて、好きになれるわけないよ」

 だから、きっとその感情は、結ばれた瞬間に終わる恋だ。

「お姉ちゃんをどこまでも好きな瑲さんを含めて、あたしは瑲さんが好きだった」

 涙が出た。分かったから。口に出してそうなんだと、納得したから。あぁ、そうなんだって。

 スッと心に落ちて、そして掴みきれなかった淡い感情は消えていった。その淡い感情が消えていく感覚が、少しだけ寂しかった。

 なくなってしまえばいいと何度も思ったのに、いざ消えていくとなるととても――切なくなった。涙が出そうになるほど、いつもあった感情が消えていくのが悲しかった。

「うん、分かってる。知ってる。藍華は、そういう子だね? だから余計、わたしは嫌だったよ。初恋でないにしても、そんなあやふやな感情を藍華に持たせて」

 どんなに、悩んだんだろうって、気づいたとき……涙が出たよ。

「だって、始めから、それが恋じゃないなんて、分かるわけないでしょ? どんなに藍華は悩んで、わたしの前で無理して笑ってたんだろうって。そう思ったら、痛くて、仕方なかった。でもね、でもこれだけは言わせて」

 わたしは、瑲に恋をしたことを後悔してないよ。藍華を、傷つけたとしても、それを知ってたとしても、

「わたしはきっと、何回でも、恋をしちゃうんだろうね」


 それはなんて、愚かな恋だろう。 

 なんてバカげた感情だろう。

 誰よりも近くにいた藍華いもうとを傷つける感情なのに。


「それで、いいと思う」

 それが二人の恋だと、藍華は知っていたから。

「だから、あたしも、そんな恋をするよ。諦めたくても、辛くても、後悔はしない恋をする」

 そう言うと、泣き出しそうだった春華の顔が、少しだけ笑顔になった。

「わたし、藍華の初恋を見た気がするよ。相手も……、分かる気がする」

「私も、そう思うなぁ。あいちゃんの初恋の人」

 そして姉二人は、顔を見合わせて笑うのだ。





「お姉ちゃん、何でずっと黙ってたの?」

「あいちゃんとはるちゃんの邪魔しないほうがいいかなって思ったから。あいちゃんの初恋の人は分かったし」

「初恋、の人? まだだよ。あたしの初恋」

「「うん、気がつかないうちは、まだ恋じゃない」」

 そして二人は、少しだけ寂しそうに笑うのだ。

「苦しくても、悲しくても、諦めないでね? それはきっとあいちゃんの力になるから」

「わたしたちだけの、藍華もいつか……誰かに取られちゃうんだね」

「「いい恋が、訪れますように」」

 容姿のよく似た姉二人は、少しだけ首をかしげて笑った。ふわりと、優しく、優しく、笑うのだ。

 まるで、これから起こることが分かるように。その結末さえ、知っていて、それを知らせるように。

 苦しいかもしれない恋が、諦めなければいけないかもしれない恋が、決して無駄ではないと、妹に知らせるように。

「変なお姉ちゃんたち」

「まぁ、お姉ちゃんは池平選ぶくらいには変人よね」

「はるちゃんも中々だと、思うけどな」

 三人で笑いあいながら、話していた。





「はるちゃん。何で、あいちゃんにあんなこと言ったの?」

 朔華の口調に、非難の色が少しだけ混ざった。藍華が部屋へ戻ってしまい、今では二人しかいなかった。

「なんとなく、わたしも藍華も、そういうことを話す時期が来た気がしたから」

 対して、春華の口調はそっけない。あっさりとそういった後、食器を持って席を立ち上がる。

「何も、二人ともが傷つくことないと思うけど」

 もっといい方法があったはず、と朔華は呟く。春華は勢いよく蛇口から水を出し、食器を洗い始めた。

「これが、一番よかったよ。わたしも、藍華もきちんと話さなきゃいけなかったんだよ。きっと」

 ジャーッと勢いのよかった水が急に止まり、あたりが静まり返る。朔華は少し奥にあるキッチンへ回り込み、春華に話しかけた。

 少しだけ眉を顰めて、春華を心配するように覗き込んだ。

「傷ついてる?」

「ううん。辛いのは、きっと藍華だから」

「恋じゃない、よ?」

「知ってる。あの子は、そんな恋をする子じゃない」

 朔華はポンポン、と優しく春華の頭を叩いた。しっかり者の次女は、時々我慢しすぎることがある。姉妹が大好きだから、唇をかみ締めてまで涙を堪えることがある。

 こぼれる限界まで、泣いていないと言い張ることがある。

「はるちゃん、泣いていいよ」

「な、……かないよ」

 泣けないよ。藍華が泣かないんだから。

「わたしは、気づけなかった。いつも近くにいたのに。もっとうまく、恋じゃないって気づけたかもしれないのに。きっとわたしが、藍華を傷つけた」

「いいじゃない。もう。あいちゃん、次の人見つけたみたいだし。はるちゃんがそんなに自分を責めると、あいちゃんも自分を責めるよ」

 本当に二人は、相手のことを思いすぎるんだから。

「姉妹なんだから、もっと傷つけあって生きてもいいんじゃない? 私たち、まともにケンカしたこともないね」

 いつだって仲のよい姉妹だったから。大きなケンカは起こったことがない。

 何かが起こったとしても、どうにかして穏便に解決することになっていた。優しい姉と、しっかりモノの真ん中、そして素直な末っ子で。

「お姉ちゃんが、優しいからだよ」

「はるちゃんが、しっかりしてるからだね」

 結局のところ、この三人は自分の姉妹が大切で仕方がないということ。

「ねぇ、はるちゃん。もし……あいちゃんが本当に失恋したら、どうする?」

 朔華の言葉は、真理をついているだけに、痛かった。

「何も、できないよ。わたしたちは失恋した人の気持ちを、経験してないんだから」

 わたしたちからの慰めを、藍華はきっと望まないだろうから。

「でもあいちゃんの心を揺さぶる人は、いつも少し遠い人だね」

「今回のほうが、遠い気がするよ」

 相手は教師である。

 しかも告白するタイミングさえ計らせない。

 恋なんて、しない。そんな教師。

 子供なんて相手をしない、そんな大人。

「手強い気がするなぁ」

「何で、好きになったのかな……」

 ポツリと、春華は呟いた。

「わたしは勝手だね。お姉ちゃん。どうしてもっと、好きになってもらいやすい人に恋しないんだろうかって思った。よりにもよって、どうして、初恋があの人なんだろう」

 食器を洗い終わり、いつの間にかきれいに乾燥機に入れた春華は、席に座った。そして腕を組み、おでこをその上に乗せる。

 悩みが、悩みを呼んで、もう絡まって解けなくなる。

「失敗してほしいとも思わない。だけど、成功するとは思わないよ」

 また、あの子は傷つくんだろうか。

また、一人で泣いてしまうんだろうか。

「でも、後悔しない恋、なんだから」

 それでも朔華は諭すように、春華に声をかけた。春華の隣に座り、背中をあやすように撫でる。

「大丈夫。私とはるちゃんの妹だよ? 簡単に傷つくわけない」

「わたしの妹でも、藍華の方がきっと強いからね」

 自らに言い聞かせるように春華は言い、そして顔を上げた。

「瑲くんに、全部話す?」

「うん。隠しても、ばれるから。あいつには」

 あいつには何も隠せないから。

 昔から、そうだったから。隠そうとして、失敗して、そして相手を傷つける。

「少し、ゆっくりと話してくる。泣いちゃいそうだから」

「昔から、泣かないはるちゃんの唯一の泣く場所だもんね」

 決まって泣きたいとき、春華は蒼也のもとに行くから。



 後悔しない恋をする。

 それはきっと、何にも変えがたい力になるでしょう。



 そしてその人を、より強くする。

 傷ついても、決して折れない芯の強い人になる。


 傷つかずに、強くなんてなれない。






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