1.5.2 生地屋のおもてなし
市場に戻ると、ルナリアは真っ先に薬屋へ向かいました。もうお金はじゅうぶんあります。薬屋のおばあさんはすぐさま薬草を混ぜ合わせ、薬を作ってくれました。
「これ一袋で直るはずだよ。おだいじに」
薬屋のおばあさんは、いつもどおりのおばあさんでした。今日はちょっと優しい感じがしましたが、ルナリアだから特別というわけではなさそうです。おばあさんはけっしていじわるではありません。ただ、お金さえあればよかったのです。
ルナリアは薬の袋をしっかり縛り、薬屋を出ました。
こんどは生地屋に向かいます。店のそばには宝石店が並んでいます。近くを通ると、またひそひそ声が聞こえてきました。市場の通りは狭いものですから、なにを話しているのか、はっきり聞こえました。
「あの子、オルカ様に話しかけた子だ。半月前にもめごと起こした」
「なんでもほんものの魔女らしい」
「あんな小さい子が? 十歳にもなってないだろう。九つくらいか?」
「いやいや、きっと魔法で子どもに化けているんだ」
ルナリアは歯を食いしばります。若返りの魔法なんか使っていません。それに背は小さくても、ほんとは十一歳です。そんなに幼く見えるのでしょうか。
「だからオルカ様と話ができたのだ」
「よりによってあのオルカ様に」
「あーおっかねぇ、おっかねぇ」
「自分の魔法にそうとう自信があるのだろう」
「でも、泣いて大慌てで逃げてた」
「いえいえ、あれはただの演技よ」
「かわいい顔して、ほんとは怖い魔女なのさ」
みんな店の裏に隠れ、ときどきルナリアを指さしながら、チラチラと見ています。建物の中に入れなかった人は身を縮め、わなわな震え、ひざまずく人さえいました。
――たった半月で、こんなに変わるなんて……。
ルナリアは気分が悪くてしかたありません。生地屋へと走ります。胸に手を当て、もう片方の手首で目元を拭っています。ゼーゼーハーハー、息は荒く、口からは悲痛な音が漏れています。
生地屋の店主が見えます。
「お、おい、大丈夫か」
店主が慌てて通りに出てきます。
ルナリアは彼の胸めがけ、飛び込みました。
店主ががっしりとした身体で受け止めます。べそをかいた顔を見ただけで、事情は想像できたようです。だって周りの人たちがそろってルナリアを指さし、話をしているのですから。なにを言っているのかも耳に入っています。店主は真っ先にルナリアをなだめました。
ルナリアがほんの少し落ち着くと、店主はなにごともなかったように、いつもの太陽みたいな明るい声で、話しかけました。
「母ちゃんの薬は買えたか」
ルナリアはうなずきました。
「そうか、そりゃ良かった。用事がすんだら早く帰って、温かいお湯で薬を飲ませろ。そしたら母ちゃん、早く元気になるから」
ルナリアはまた小さくうなずきました。
「今日はどれだけ買っていく?」
「この袋に詰められるだけ」
ルナリアは空っぽの背負い袋を店主に預けました。袋いっぱいの生地の量は、半月前に買った分の倍はあります。でもいまはたくさんお金を持っていますから、それだけ買ってもじゅうぶん余ります。前に来たときは、一割引いてやっとお釣りが出たほどでしたから、大違いです。
「袋に詰められるだけと言うのなら、いっぱい金持ってるだろ」
ルナリアが言わずとも、店主はお見通しでした。
「じゃあ、今日からは通常価格で売ろう」
店主が値引きをやめると言ったものですから、ルナリアはすかさず「どうして?」と聞きました。
「だって金はあるんだろ。もう値引く理由はない。今日からルナリアは普通のお客さんだ」
店主はそう言って、「ガハハハハッ!」と大声で笑いました。彼の振る舞いは周りの人たちと真逆。魔女だと知りながら値上げしたのです。生活がかかっているとはいえ、この街の商人なら、きっと無理してでも値下げします。だって魔法使いを敵に回したら、なにされるかわかりません。薬屋のおばあさんの接客すら例外なのです。
それでも生地屋の店主は、普通のお客さんとして接することを貫きました。普通の女の子としてルナリアを受け止めたのです。
ルナリアは店主の言うとおり、元の金額を払います。それでもじゅうぶんなお金が残りました。
店主はお金を受け取ると、辺りをちらりと見ました。
「見ただろう! この子は普通の女の子だ」
市場の人たちは口を押さえ、驚いた様子で二人を見ていました。おそれ多いと目をそらす人、ひざまずく人もかなりいます。まるでルナリアが去るのを待っているかのようです。
「なんでそんなに怯えている? お前らのせいでこの子はべそをかいたのだ」
けれども、市場の人たちは声一つあげず、ピクリとも動きません。それを見た生地屋の店主は、通りにくりだし、大声で怒鳴りました。
「お前ら、自分のやってることをおかしいと思わないのか? 自分の子に怯えたり、ひざまずいたりするのか? しないだろ!」
すると、道ばたにいたおじさんがつぶやきました。
「その子は魔女の子だから。魔法でなにされるかわからない。おっかない魔女の子だから」
その言葉を聞いた生地屋の店主は、ひざまずいているおじさんの喉元をつかみ、顔を強引につり上げました。
「最初からおっかねぇ子なんていねぇよ。そんな態度をとるから魔女は怪物になるんだ!」
店主は市場のみなに聞こえるような大声で、おじさんを怒鳴りつけました。その怒声を聞いた市場の人たちはみな、きょとんとしています。
ルナリアにとって、これほど怒った店主を見るのは初めてでした。
市場が静まりかえると、店主がルナリアのもとに戻ってきます。
「早く帰って、母ちゃんに薬を渡してやれ」
店主はそう言って、ルナリアの丸く膨らんだ背負い袋をポンとたたきました。
店主に見送られ、ルナリアは市場をあとにしました。逃げるように街を抜け、雪の平原を進みます。そして日が沈む前に、無事家へ帰りました。