5.2.3 国境に響く歌
王国の兵士はもうこの流れを止められません。いや、止める必要などないのです。みな剣も弓矢も降ろし、胸を躍らせています。
隊長が大声で呼びかけます。
「見ろ! 魔法使いどもは宝石のとりことなっている。
宝石は魔力の源泉だ。だがこれは光の幻影。やつらはそれに気づかない。手が空を切ってもわからない。
この姿を目に刻め! 魔法にすがる哀れな魔物、これがやつらの正体だ。
魔法で我らを脅し、バカにし、安い金でこき使い、兵士の誇りを貶めた。そんな魔法使いはもういない!」
高らかな声で語る隊長の話を、兵士は目を輝かせながら聴いています。
「さぁ、行け! 民に加われ! 城の庇護はもういらぬ。我らの未来は我らで切り開こう。
我らは魔法に頼らず生きてきた。この手足と頭があれば、必ずや自由を手にできる!」
隊長は固く握られたこぶしを、胸元でなんども揺らします。
「さぁ、行け! 俺について来い! 我らの誇りを取り戻そう!」
みないっせいにこぶしを天に突き上げ、大声を張って身を奮い立たせます。
そして人々の流れに乗って、国境の壁へと駆けだしました。
もう彼らは国の物ではありません。王城の兵士だって、魔法使いの支配にうんざりしていたのです。
彼らだって一人でもまともな魔法使いがいればと、ずっとずっと願ってきました。だからルナリアを学校へ送る馬車で、剣を持った軍人は言ったのです。
『素直な心のまま過ごしてくれ。決して力に飲み込まれないように』と。
でも、その願いが届くことはありませんでした。
今日、この日までは。
一度爆発した思いは止まりません。ずっと鍛えてきた身体で、どの人よりも速く街を走り抜けます。
とうとう人も獣も鳥たちも、国を隔てる透明な壁にたどり着きました。そしてみな思い思いに、壁を攻め始めました。
動物たちは己の身体で、兵士は剣や槍で挑みます。その他の人々は斧やナイフなど、あり合わせの刃物を打ちつけます。武器が一つもない人たちは素手か体当たりです。壁にぶつかるたび、虹色の波紋とともに強い反動が起こります。体当たりをした人は弾き飛ばされてしまいます。それでもあきらめることなく壁に突撃します。
そのころルナリアとパースも、獣たちに紛れて壁のそばにいました。パースが全身の力で斧を壁にたたきつけます。壁を突くたびに大きな波が起こります。でもパースはよろめくことすらありません。獣たちと息を合わせ、壁をたたきます。
けれどもルナリアは武器を持っていません。手にある魔法の杖は偽物、攻撃の魔法は使えません。使えるのは光を生み出す魔法だけ。
魔法の星をいくら降らせても、壁を破ることはできません。だからその様子をただ見守っていました。
どこからともなく歌声が響き渡ります。
壊せ、壊せ、さぁ壊せ。
ビラにならいてさぁ壊せ。
壊せ、壊せ、さぁ壊せ。
獣とともにさぁ壊せ。
おとこもおんなも関係ない。
大人も子どもも関係ない。
じいさんばあさん大歓迎。
赤ちゃんだって構わない。
お国の兵士もいらっしゃい。
壊せ、壊せ、さぁ壊せ。
みんなそろってさぁ壊せ!
いったい誰が歌いだしたのでしょう。ルナリアとパースにはわかりません。だって声が聞こえたときにはみないっせいに歌っていたのです。いまも領のいたるところから人が集まってきます。その人たちもつられて歌います。
壁を破る力は、どんどんどんどん強くなります。けれどもちっとも壊れる気配はありません。ヒビが入るわけでもないですし、大地を揺らす反動もありません。動物たちの突進とともに、ほんのわずかへこむだけ。事情を知っている獣や鳥たちは、きちんとタイミングが合っています。人間も同じ、みな歩調が合っています。
壁には最大限の力をぶつけています。それでも壊れないのは、まだ力が足りないからです。
パースが斧を壁に打ちつけます。その力こぶはもうパンパンに腫れています。手の豆はつぶれ、斧の柄は血だらけです。どんなに歯を食いしばっても、疲れが重なって力がだんだん落ちていきます。壁を生み出す圧倒的な魔法の力に、苦しみの表情が浮かんできました。
それを見たルナリアは頭をぐるぐる回していました。
――どうすれば壁を破れるのだろう? 私はなにをすればいいのだろう?
ルナリアは魔法の杖を見ました。杖に埋まった父親の宝石がきらりと光りました。
心の中で、たくさんの流星を描きだします。遠い空のかなた青い星からやってくる、小さな小さな宝石です。杖の中で父親の宝石が静かに見守っています。ルナリアはそれを包むように、胸元で両手を結んで祈ります。
「宝石の雨よ、どうかこの国に降り注いで!」
この願いが届いているのかは分かりません。
でもルナリアは立派な魔女なのです。光の魔法なら誰にだって勝てる自信があります。大きな流星だって呼べるのです。この魔法がうまくいったと信じていました。いまのルナリアにできるのはそれだけです。
突然、街中に大きな汽笛が鳴りました。
街のはるか遠くから、金色のなにかがやってきます。たくさんの人々を連れてやってきます。膝丈くらいの高さでふわりと浮かぶ船に乗ってやってきます。乗員はみな武器を持っていて、鋭い刃は青い光を放っています。街に散らばる宝石の輝きを反射しているのです。船は他にもたくさん武器を積んでいます。船の後ろにどっさりあってなんだか重そうです。けれども船は傾くことなく、まっすぐ街へ向かってきます。
その船の先頭には三人の男が立っています。彼らは組合にいた三人の男、ルナリアをさらおうとしたあの三人です。つまりこれは彼らの主、オルカが遣わせた魔法の船なのです。
街に着くと、それは船底に吹く風に乗って一気に浮きあがりました。屋根より高く上がった船は街の空を進みます。あっという間に壁の元までたどり着き、乗員と大量の荷を下ろしました。はしごなど使っていません。みんなふわふわと空から下りてきます。どれもみなオルカの魔法です。
「ありゃ魔法使いの軍隊だ!」
「王城の軍隊か」
「いや、あれはオルカ様の手下だ」
「頼む、邪魔しないでくれ!」
「俺たちの夢を壊さないでくれ」
「もう俺たち終わりだ……」
「これじゃあ……台無しだ」
人々が絶望の声をあげています。
そのとき船の上から、三人組の声がしました。
「台無しではありません」
「オルカ様はあなたたちの味方です」
「ほら見てください。このとおり」
三人組は乗員たちを指さしました。
その姿を見た人々がざわめきだしました。
「お父さん?」
一人の女の子が目を見開きながら尋ねます。
乗員だった男は「そうだ」と答えました。
女の子が走って行きます。
十歳くらいのその大きな身体を、父親は全身で受け止めていました。
「どうしてお父さんがここに?」
「オルカが解放したんだ。もう二度と人さらいをしないと約束して」
「それってお父さんは家に帰ってくるの? 魔法でポンと消えたりしないよね」
女の子が聞くと、父親は笑います。
「このとおり、ほんものの身体だ。消えやしない。壁を壊したらまた家族に戻れる」
この親子のように、たくさんの家族が再会を果たしました。
オルカはさらった人々を全員解放したのです。
三人組が船の上から音頭を取ります。
さぁ、再び始めよう。
魔法の支配はもう終わり。
オルカ様もお望みだ。
素手の者は武器を取れ。
壊せ、壊せ、さぁ壊せ。
武器はオルカ様の支給品。
この世きっての上ものだ。
さぁ、持ってけ持ってけタダだとよ。
オルカ様が保証した。
壊せ、壊せ、さぁ壊せ。
領きっての一大事業。
一夜限りの大工事。
王国をギャフンと言わせよう。
壊せ、壊せ、さぁ壊せ。
ビラにならいてさぁ壊せ。
壊せ、壊せ、さぁ壊せ。
獣とともにさぁ壊せ。
おとこもおんなも関係ない。
大人も子どもも関係ない。
じいさんばあさん大歓迎。
赤ちゃんだって構わない。
お国の兵士もいらっしゃい。
壊せ、壊せ、さぁ壊せ。
みんなそろってさぁ壊せ!
みんな歌を口ずさみながら、新品の刃を壁にぶつけます。人が増えたことも相まって、壁に大きな波が生まれます。一度、また一度、壁をたたくごとに地面が大きく揺れていきます。
ルナリアも小さな斧を壁に打ちつけます。
反動でふらつくルナリアをパースが心配そうに見ていました。
「無理しなくていいんだよ。ルナリアはたくさん魔法を使ったんだから」
「いい? 私は魔法使いのお姫様じゃないの。薪だって割れるんだから」
ルナリアはふらつきながら斧を振るいます。
強がりです。でももうなにを言っても、ルナリアが手を止めることはないでしょう。
パースは黙って斧を振るいます。
二人はただひたすら、壁に刃を打ちつけました。




