1.3.3 ペガサスの背中
人さらいと戦っている間に、どれほど時間が経ったのでしょう。夜の雪原はいっそう冷え込んできました。ルナリアは身体を震わせ、真っ白な息を吐きながら、前へ前へと進みます。戦っている間はまったく気にならなかったのに、急に寒さと疲れが押し寄せました。でも、いまは一人ではありません。銀色の大きなペガサスがルナリアの横を歩いています。
ルナリアは木の枝に灯した炎を思い浮かべます。するとペガサスが炎のようにきらめきだしました。触ってみるとぜんぜん熱くなく、本物の馬のような温かさでした。
「もしかして、乗っていいの?」
ルナリアに触られたペガサスがしゃがみこんだのです。ルナリアはとても喜びました。だってこのペガサスは空を飛べるのです。ペガサスに乗れば、歩きにくい雪の上を行く必要はありません。
ルナリアはペガサスの背に飛び込みました。すると透き通った温かいオレンジの光に包まれて、雪の上に落ちました。光はだんだん離れていき、ルナリアはまた寒い夜の中に放り出されてしまいました。光の塊は目の前でペガサスの姿に戻りました。
「どうして? なんで乗せてくれないの?」とペガサスに聞きました。
するとペガサスは頭を下げ、しょんぼりとした様子で首を横に振りました。
ルナリアは気づきました。このペガサスは人を乗せられないのです。動物のようにしっかりした身体を持っていません。ただの温かい光の塊にすぎないのです。お日さまや月明かりと同じで、どんなに握ってもつかめませんし、手からすり抜けていきます。だから、ルナリアは雪の上に落ちてしまったのです。
けれども、ペガサスはずっと待ってくれています。小さなルナリアに合わせて身体を縮め、ほかほかの身体をすり寄せてきました。空を飛んだり、走ったりはしてくれなくても、このペガサスといっしょなら寒さをしのいで歩けます。ひとりぼっちのつらさもまぎれました。
ルナリアは歩き続けます。ときおりペガサスの光に飛び込み、暖を取りながら雪道を進みます。家にたどり着いたのは、日をまたいだころでした。
家に着くと、ルナリアはペガサスを外で待たせたまま部屋に入り、炉で枯れ枝を燃やしました。そして背負い袋を下ろしてすぐ、母親のもとへ駆け寄りました。
「お母さん、大丈夫? 具合はどう?」
部屋が寒すぎて、息が真っ白になっています。
「大丈夫よ、悪くはなっていない」
強がりでした。母親は冷え切った家の中で寝ていたものですから、すっかり凍えていたのです。身体のどこもかしこも震えていました。
「それより遅かったね。なにかあった?」
母親にそう聞かれたルナリアは、市場でのできごと、帰り道で人さらいに遭ったことを正直に話しました。けれども、ペガサスのことは黙っていました。ルナリアの親戚で魔法を使える人は一人もいません。自分の娘が魔女だなんて信じるはずがありません。人さらいから逃れた方法を聞かれても、「人さらいは別の子をさらって、満足したから帰ったの」と答えました。
「まぁ、ルナリアはいつからうそをつく子になったのかしら?」
ルナリアの母親は弱々しい声で叱り、そっと笑いかけました。
「人さらいに襲われたら、普通の人はぜったい逃げられないのよ」
そのとき、ルナリアの背中に温かいものが触れました。振り返ると、オレンジ色のペガサスが鼻をヒクつかせていました。広げられた翼は狭い家の壁に当たって、先っぽが切れています。家の入口にある木の扉はちゃんと閉じたまま。どうやら壁をすり抜け、入ってきたようです。ルナリアは、すり寄ってくるペガサスをそっとなでました。
「でも、別の人さらいに遭ったらどうしよう? 私の魔法、そんなに強くはないの」
ルナリアは不安げです。その心を支えるように、ペガサスは暖かい光を放ち続けています。
「大丈夫よ、ルナリアはもう魔女の子だから。そのかわいらしい魔法を見せればもう誰も襲ってこないはず」
ルナリアの母親は、光り輝く魔法のペガサスを見ても、驚く様子はありません。むしろどこか誇らしげな眼差しでルナリアを見つめていました。
「お母さんは、魔法怖くないの?」
ルナリアがそう聞くと、母親は「怖いよ」と答えました。
「でもね、ルナリアの魔法は大丈夫」
母親は掛け布から右手を出しました。するとペガサスが歩み寄り、その右手をペロペロとなめます。ペガサスの放つ光は強さを増して、二人の身体を温めました。
どうして外で魔法を使ってはならなかったのか、ルナリアはまだ知りません。むしろ使ったほうが得とすら、思えました。
★
そのころ、ルナリアの家から遠い場所で、ある話が行われていました。部屋の明かりはろうそく一本しかありません。薄暗い部屋に不気味な影が四つ伸びています。
「主、あの娘は魔女、国の宝です」
「キャンバスから銀のペガサスを出しました」
「なにもない闇から光を生んだのです」
男三人が主に報告します。話は見事にシンクロ、なんという連係プレーでしょう。
それを聞いた主はくちびるをかんでいました。
「主、どうしたのです」
「あたしは魔女だ。魔法の素質ある子を見つけたら、国に告げて王立学校へ入学させる義務がある」
「では、すぐに国に連絡を」
「早くしなければ主が罰せられます」
「俺たちも手伝います」
「いや、待て」
主はそう言ってなにかを取り出します。
それは水のように透き通った青の光を放ちました。すると男たちの顔が変わり、スラリとした紳士になりました。身体も服装もさっきと大違いです。
「娘が魔法を使うとき、この光を見たか」
男は三人そろって首を横に振ります。
「ならば連絡は遅らせろ」
主がそう言うと、すかさず男が尋ねます。
「どうしてです? 連絡を怠れば主は……」
「それは考える。勝手なまねはするな! あたしとの関係もけっして明かしてはならぬ」
「ですが、国に逆らえば主は……」
「そこはなんとかするからひとりにしろ。外せ!」
主の命令にしたがって、男二人はスルスルと部屋をあとにしました。でも、残り一人はしつこく残っています。
「ところで主、今月の給料は……」
「やらん! とっとと外せ!」
青い光が放たれると、残る一人もどこかに消えてしまいました。
三人が消えた部屋で主は椅子に腰掛けます。机の上にひじを置き、水晶玉を見ながら頭を抱えます。透明だった水晶玉が白く濁りだしました。
それからしばらく、主は水晶玉が描く映像に見入っていました。




