5.2.2 いたずら実行
夕刻。ルナリアとパースは、八頭の狼とともに西方領の平原を駆けていきます。暗い闇の森に棲んでいて、まぶしいのが苦手な狼たちでしたが、いまでは太陽の輝きもへっちゃらです。
赤い日はもう地平線のすぐそばに迫っています。太陽の光がすっかり消えたらショーの始まり。狼は国境の壁に近い教会めがけて進みます。ぶらさがった金色の鐘は、どんどんどんどん大きくなります。
大きな鷹がルナリアたちの頭上を越えていきました。狼よりずっと速く、教会の街へ飛んでいきます。目の前にある太陽は少しずつ地面に姿を隠します。鷹の羽ばたきとともに、ゆっくり、ゆっくりと地平線の下に沈みました。
カラーン、カラーン、カラーン……。
前方から鐘の音がしました。約束の時がきたのです。
パースが弓を握ります。
ルナリアは空を見つめ、祈りを捧げました。
夕闇にぽつりぽつりと銀色の光が灯ります。まだ空は赤いのに魔法の星は負けずに輝いています。月よりまぶしいそれは、どんどん数を増していきます。きっと遠い空に浮かぶ星の何倍もあるでしょう。夜が深まり、隠れた星が顔を出しても、ルナリアの魔法に敵いっこありません。そしていまも、明るい星は増える一方です。
「じゃあ、いくよ!」
ルナリアの合図に、前にいるパースがうなずきます。
ルナリアは杖を握り、そのくぼみに埋まった青い宝石を一目見ました。宝石にまぶしい魔法の光はありません。二回、淡く穏やかに点滅します。この宝石は魔法で変わってしまったルナリアの父親です。
点滅のあとはもう光を放ちません。ただ静かに、ルナリアを見つめています。
ルナリアは父親が収まった杖を天高く掲げ、教会の街に向かって振り下ろしました。
空に浮かんでいた明るい星が、杖の動きに合わせて地上へ降ってきます。銀色の尾をたなびかせる様子は、ほんものの流星と同じです。高度が下がるにつれ、ただでさえ明るい星がより強い光を放ちます。星の群れが街を通り抜けると、国を囲む透明の壁にぶつかって砕け散りました。
星の欠片は青い光となってパラパラと落ちていきます。それは杖に埋まった青い宝石のよう。きらきらりと魔法のまたたきを放ち、地面へと落ちていきます。宝石はしょせん光の塊です。壁を破る力はありません。身体に当たっても、痛くもかゆくもありません。土に着く音さえしないのです。けれどもほんものの石のように転がり、ぶつかり合い、積み重なって宝の山になっていきます。
流星が降ったのは教会の街だけではありません。ルナリアが放った光の魔法は四方八方に飛び散りました。国境の壁にぶつかれば、きっと同じことが起こるでしょう。
そんな中、ルナリアたちは宝石の雨降る街へ入りました。
教会の街にはもうすでに動物たちがいました。王城からきた兵士たちを押し切って、街の奥へ奥へと進みます。魔法の力を持たない兵士たちは、猛スピードで突っ込む動物の群れに敵いません。矢を射ろうとしても、小鳥につつかれて狙いを定められません。そして知らない間に背負った矢はぜんぶ抜かれ、兵士は武器を失いました。
兵士は王国の軍人です。そばには魔法使いがついています。けれども魔法の助けはありません。
魔法使いたちはみな空を見ていました。兵士のことなどそっちのけで宝石の雨を浴びていました。魔物には化けていません。人間の姿で、降り注ぐ青い光を見ています。きらきら輝く瞳は無邪気な子どものようです。
杖を振ると、杖に埋まった宝石がきらめきます。その青い光といっしょに先っぽから白い煙が飛び出します。煙はそのまま広く長く伸びていき、大きな布へと変わりました。
魔法使いは布を空にふんわり浮かべます。何枚もの布が競い合うようにあがっていきます。われ先に、われ先にと広がる布に、宝石の雨は等しく降ります。どの布も、あっという間に大きな山ができました。また杖を振ると布はくるりと丸まって、大きな袋となりました。固く口を縛った袋は、次々と地上へ降りていきます。その袋が土に着く前に、彼らは杖から新しい布を生み出し、空へ飛ばしました。
降りてきた袋など誰も見ていません。みんな空ばかり見ているのです。閉じた袋から宝石が水のように漏れていても、それに気づく者は誰もいませんでした。
「もう幻のとりこになっている」
パースが構えた弓矢を下ろしました。
ルナリアは狼の背に揺られながら、パースの身体越しに魔法使いたちを見ています。そしてふと、思い返しました。
魔法の杖をもらったとき、魔法使いはみな青い噴水を見ています。宝石色の噴水は、地下から無限の魔力が湧いているかのよう。でもあの光景を見られるのは、杖を受け取るその日だけ。それに学校では宝石は与えられるものでした。恐ろしい『宝石の魔法』など、知らないままで済んだのです。
けれども大人になったら、なにもせず宝石が与えられることはありません。ずっと湧き出る宝石など、大人になった彼らには届かない夢なのです。一個の宝石を得るのにさえ、命を代償に生み出さねばなりません。一つの犠牲も払わずに魔法の石が雨のように降るのを見て、ずっと秘めた願いが、尽きない魔法への欲とともに爆発したのです。
魔法使いたちは時間を忘れて遊ぶ子どものよう。集めてはすり抜ける宝石を求め続けていました。魔物に化けていたら、こんな風にはならなかったことでしょう。
ルナリアは空を見つめてつぶやきます。
「じゃあ、もっともっと宝石を降らせてあげるね。いまはその心のままでいてほしいから」
遠い遠い空のかなたに小さな星が一つ生まれました。その星はだんだん大きく、明るくなっていきます。地面へと近づいているのです。銀色に見えた光はちょっとずつ青みがかっています。月と同じ大きさまで膨れたころには、すっかり宝石と同じ色となりました。まるで青い宝石でできたほんものの星を、呼び寄せたかのようでした。
星は国境の壁にぶつかると大爆発を起こしました。
宝石の雨がきらきらりと降ってきます。もう街中、青い宝の山です。
「ルナリア、やり過ぎだよ」
パースにそう言われたルナリアは「えへへ」と頭をかいています。
「これでも道はふさがらないよう加減しているの。ぜんぶ宝石の山になったら誰も通れないもん」
「たしかに通れるが、まぶしくてたまったもんじゃねぇ!」
父親狼が文句を言いました。
それでも狼の親子はスピードを落とすことなく、国境の壁へ走ります。
「なんだか、ちょっと怖いや……」
パースが小声でつぶやきます。
ルナリアはその声に気づくことはありませんでした。
前には、先回りしていた鳥や獣がたくさんいます。後ろからも大きな足音がいくつも聞こえます。まるでルナリアたちを覆い隠すかのよう。宝石に目を奪われることなく、動物たちは走り続けます。
そんな中、街のいたる所で歓声がわいていました。
「な、なんだ。これは!」
「宝石だ。宝石の山だ」
「透き通った青、おまけに光っている」
「こんな石、他にあるか?」
「俺は宝石など見たことねぇが、勝手に光る物なんてどこにある?」
「一つ失敬しようか」
「一つと言わず、いっぱい持って行こう」
「大丈夫。十個、二十個、いや百個持っていてもバレやしない」
「これだけ降ってるんだ。どうせまたすぐ積もる」
「むしろ取らねぇと前に進めねぇ」
「さぁ、持ってけ持ってけ。これは天のお恵みだ」
「さぁ、持ってけ持ってけ。きっと神のお恵みだ」
人々は宝石の山に群がり、青い光の塊をかきこみます。けれども手にした宝石は手をすり抜けて、ぽろぽろりと落ちていきます。なんどやっても同じ、ぽろぽろりと落ちていきます。
「なんだこれ、まったくつかめねぇ!」
「握った先から落ちていく」
「持てなきゃぜんぜん意味はねぇ」
「いや、こりゃ光の塊だ」
「山へ飛び込みゃ、石が身体をすり抜ける」
「そのまま地面へ真っ逆さま」
「こりゃ、ただのまやかしだ」
「どうせいつか消えちまう」
「さぁ行こう! 幻につき合う暇はない」
「ほら、獣の群れが走ってる」
「こりゃまるで絵のとおり」
「あの絵は神のお告げに違いない」
「国境の壁は破れるぞ」
「さぁ進め! 壁を打ち破ろう!」
人々は宝石を捨て、いっせいに壁へと向かいます。夜が深まるとともに、人の流れはますます大きくなります。ここの住人だけではありません。街の外からやってきた人々がどんどん合流しているのです。
そんな暴れ川の中で、ある人が宝石に埋もれる人だかりを見つけました。
「あれを見ろ、まだ幻に群れている」
「杖を振って布を出している」
「ありゃ魔法使い様だ」
「魔法使い様はまやかしに気づいてない」
「宝石に心を盗られてる」
「ありゃきっと天罰だ。神がもたらした天罰だ」
「風は俺たちに吹いている」
「さぁ進め! 壁を打ち破ろう!」
普通の平民は青い宝石のことを知りません。あれが魔法の源であり、命の犠牲で生まれたものであり、魔法使いにとってのどから手が出るほど欲しいものだと、みんな知らないのです。知っているのは魔法使いと、魔法に関わった一部の人だけ。だからどうしてこんな結果になるのか、多くの人はわからないのです。
ルナリアとパースが仕掛けたいたずらは、とうとう神の業となりました。




