4.6.4 力を合わせて1、2の、3!
ルナリアの周りで動物たちがガツガツと肉を食らっています。辺りに血のひどい臭いが漂いだしました。
「どうしてなの……どうして、どうして?」
ルナリアは大粒の涙を流します。
七頭の子ども狼たちは母親の宝石をぐるりと囲み、遠吠えをあげています。
「「「「「「「母ちゃん……」」」」」」」
嘆く狼たちの頭としっぽは、しゅんと垂れ下がっています。
母親狼の宝石は熊の頭より大きくてとても立派です。誰にも使われていないそれは、彼女そのままの原石です。だけどもう、親しく接してくれた母親狼は帰ってきません。一度宝石になったものは二度と元には戻らないのです。
「いったいなんなの……。この世界は、なんなのよ!」
とうとうルナリアの中で、はち切れそうな思いが爆発しました。叫びながら立ち上がり、自分の声がこだまする中、服から杖を取り出します。いつも握っているうそっぱちの杖です。それで大空を指し、一気に振り下ろしました。
空から大きな流星がやってきます。白銀の光を放つ大きな星です。それはルナリアとパースを隔てる壁にぶつかると、宝石の雨に変わって散ってしまいました。しょせんは光の塊、魔法の結界は貫けないのです。
「ぬぅわわわわぁぁぁっ!」
ルナリアは言葉にならない声を上げながら、黒い森の枝を全身の体重をかけて折り取りました。そしてめいいっぱいの助走をつけて、結界に向かって突進しました。木の枝のとがった先が透明の壁にぶつかります。その瞬間、虹色の波紋が広がってルナリアを押し返しました。
反動でルナリアは倒れてしまいました。けれどもすぐ立ち上がり、壁に向かって走りだします。転んではすぐ立ち上がって、走ってはまた転んで。ルナリアはそれをなんどもなんども繰り返します。
壁の向こうでは、パースが無言のまま斧を壁に打ちつけます。ルナリアより強い力でたたきつけられる刃は、壁に大きな波を生み出します。反動も比べものにならないほど大きいはずなのに、パースはびくともせず、なんどもなんども速いペースで斧を連打します。まくった袖から見える、太い筋肉のたまものです。
「どうしたんだ、二人とも」
「ちょっと頭を冷やせ」
「落ち着けよ」
母親を囲む狼たちが心配そうにルナリアを見ています。
その横っ腹に熊が強烈な頭突きをかましました。
「おまえら! いつまでも『母ちゃん、母ちゃん。アォ~ン、アォ~ン』って鳴いてるんじゃねぇ! ほらいくぞ、二人に続け!」
熊は結界に向き合い、狼に向けたのよりもっと強烈な頭突きを、透明な壁にかませました。
熊の力はパースより強く、離れた場所で壁をたたくルナリアにも、反動の波が伝わってきました。のけぞりそうになる熊の様子を見ていると、とても痛そうです。それでも、なんどもなんども頭突きを続けます。
熊にならって猪たちも壁に向かって突撃します。
パースの側では父親狼が、牙をむきながら壁に突進しています。
「いくぞ」
「俺たちも力を出そう」
「ルナリアのために」
「俺たちのために」
「父ちゃんに会うために」
「いっせいに!」
「「「「「「「1、2の、3!」」」」」」」
七頭の子ども狼は息を合わせて走りだし、同時に壁にぶつかりました。
大きな大きな虹色の波紋が壁に広がります。狼たちが生んだ波は桁違い、辺り一面を揺らしました。子どもとはいえ化け狼の子、身体は熊と同じ大きさです。さらに熊よりスピードがでるものですから、壁にぶつかる衝撃が一番大きいのです。
七頭そろって突進を繰り返します。子ども狼たちがぶつかるときだけ異様に大きな波が生まれ、だんだんミシリ、ミシリときしむ音が聞こえてきました。
そのことに気づいたパースが声を上げました。
「みんなペースを合わせよう。僕の合図でいっせいに壁を打つんだ。さぁ。1、2の、3!」
森の動物たちが一斉にぶつかるものですから、壁を走る波はさらに大きくなり、地面すら揺らすようになりました。鼓膜が破れそうなほど激しい音が壁から放たれます。大きな反動のせいで、みんな全身ボコボコです。それでも壁への突進は止まりません。ペースを早めながら、「1、2、3!」の合図とともに渾身の力をぶつけます。
やがて壁からピキッ、ピキッと音がして、白いヒビが現れました。
「一気にいくぞ! 魔法で修復される前に! さぁ。1、2、3! 1、2、3!」
パースの声とともに全員身体をぶつけます。少しずつ小さくなっていくヒビが、また一気に広がります。突進のたびにヒビはどんどん大きくなっていきます。一回、また一回と繰り返すごとに、ヒビの広がる幅がどんどん増えていきます。もう魔法の修復が追いついていないのは明らかです。
パースが声を張り上げます。
みんなも声を合わせます。
もちろんルナリアも。
「「「「「「「「1、2、3!」」」」」」」」
激突の瞬間、結界が大きくゆがみました。
もう反動はありません。
ヒビは学校を囲う結界すべてに広がって、粉々に砕けて散りました。ルナリアもパースも動物たちも勢い余って、いままで踏み入れたことのない地面に飛び出しました。
「「やったぞ!」」
パースと熊の声が重なりました。動物たちの喜びの声が聞こえます。狼の父子は「ただいま」「お帰り」とぴったり身を寄せ合い、喜びにひたります。
ルナリアもパースと抱き合い、そっとキスしました。
けれども、笑っていられるのはつかの間です。パースの目が真剣そのものに変わりました。
「あんまり喜んでいられない。すぐ魔法使いたちがやってくる」
「じゃあ、準備しないとね」
パースは小屋に戻って、お金と画材を大急ぎでまとめます。
絵の代金として魔物から受け取った金貨は、風になって消えていました。あるのは画材のお釣りだけです。
ルナリアは少しでも早く旅立てるよう、パースのお手伝いにいそしみます。だいじな画材を六つの袋に分けて、子ども狼たちにくくりつけていきました。
それとあともう一つ、だいじなものが残っています。母親狼の大きな大きな宝石です。
ルナリアは形見の石を小屋で一番きれいな布にくるみ、残りの一頭の背中に結びました。
自分の持ち物はありません。あるとしたら寮の部屋に置いたペガサスの絵ですが、とうてい取りに帰れません。もうあの絵とはお別れです。
パースもずっと過ごしてきた小屋とお別れです。中には描きかけや昔に描いた習作が残されています。けれどもぜんぶ持って行くことはできません。パースは、魔法使いが握っていた九本の杖と習作を焚き火に放り投げ、一緒に燃やしてしまいました。
空っぽの小屋はそのまま。これを燃やせば、森に火が移ってしまいます。ここは西方領でたった一つの貴重な森、壊してはなりません。
炎の色は焚き火の赤ではありません。水のように透き通った翡翠の色です。それはまっすぐ高くのぼり、一分もせず消えてしまいました。
「さぁ、行こう! 日が昇らないうちに」
ルナリアはパースとともに、父親狼の背にまたがります。
「ねぇ、パース。馬はどうしたの? 南西領から逃げたときは馬に乗っていたんでしょ」
すると父親狼がちらりと振り返りました。
「馬は……俺が食っちまったんだ」
父親狼がパースのそばにいるのは、馬を食べてしまったことの償いだったのです。
「もういいかい? 行くよ!」
パースが父親狼に合図します。
狼の親子は一斉に走りだしました。
森の動物たちもついてきます。もう学校の狭い森に住む必要はありません。結界が戻らないうちに、できるだけ遠くへ逃げるのです。後ろを振り向く者は誰もいません。
結界の外にいたルリメアゲハが、羽の青い目玉で見守っています。彼らは白い花と蛍色のキノコで生きています。二つとも珍しい種類で他ではめったに生えていません。だから獣たちのように自由に動くことはできないのです。せめて魔法使いがこの旅立ちを邪魔しないよう、毒のある宝石色の羽をちらつかせ、許す限りついてきました。
「パース、これからどこへ行くの?」
ルナリアが聞くと、パースは高らかに笑います。
「それはお楽しみ。僕しか知らない秘密の場所さ」
ルナリアたちは山を駆け上がっていきます。闇夜より暗い森がどんどん開けていきます。木々の隙間から月が顔を出しました。それでもまだ山の中を進みます。
ルナリアはパースの背中をぎゅっと抱きしめました。
いまは暁。
少しずつ、日の出が近づいています。




