4.4.2 ガラスの壁と引き換えに
それからも十日に一度、ルナリアは狼に乗って夜の森を走り、パースに会いに行きました。三回行くごとに一枚ずつ、パースは個展に向けた絵を仕上げていました。
ルナリアはどの観客よりも先に、その絵を見ることができました。
一枚目は『紅の黄金』。黄金の冠をかぶった王様と、貢ぎ物を捧げる一人の男が描かれています。
王様は地面に擦るほど長い、紅のマントを羽織っています。着ている服は、冠と同じ黄金と大きな青い宝石が散りばめられており、普通の人には手に届かない代物です。しかもとても重そうな服なのに、王様の身体ごとわずかに宙に浮いています。きっと魔法の力が働いているのでしょう。
王様の前にひざまずく男は、茶色に黒カビが生えたような穴だらけの服を着ています。ほおはこけ、腕は骨がでばり、身体は傷だらけです。その両手には数枚の金貨が載っていました。でも金色なのはごく一部。ほとんど暗い紅に汚れています。王様と男は無表情、まるで鏡に映したように同じ顔でした。
二枚目は『太陽』。太陽と壁に囲まれた広場が描かれています。
水平線から太陽が顔を出し、空は真っ赤に焼けています。太陽の前には黒い門があって人々がその前に集まっています。けれども門の扉は閉じられたままです。
しびれを切らせたのか、壁をよじ登っている人がいます。その人を阻むように、壁の上には岩が浮かんでいます。絵の中には他にも岩が描かれており、壁の内側の地面から浮き上がる岩、壁の上めがけて飛んでいる岩もありました。浮かんでいる岩はみな地面から引き抜かれたもので、広場は穴だらけでした。
赤い太陽が朝日なのか、夕陽なのかは絵に描いてありません。それはパースも教えませんでした。
どの絵も焚き火の光を受けてきらめいています。特に青い宝石はほんものそっくり。絵の具に入った銀の鉱石のおかげです。どれもパースにしか描けない絵でした。
そしてパースと会った後、ルナリアは毎回ノルン先生の部屋を訪れました。パースからの宿題『犠牲を出さずに宝石を生み出す方法』を答えられずにいたのです。パースは個展の作品に集中していますから、いちいち聞きません。けれどもルナリアはずっと気になっていたのです。
ノルン先生は『この世で一番ヒントを持っているのはルナリアよ』と言っていました。
ルナリアは先生との話で、自分の奥底に眠るヒントを導こうとしていました。だって魔法のことはノルン先生の方が詳しいのです。他の先生に聞くことはできません。『バカな考えはやめなさい』と言われるのがオチです。学校での味方はノルン先生しかいないのです。
けれども先生は話をしてくれても、それ以上のヒントは与えてくれませんでした。
「私の中に、いったいなにが眠っているのだろう」
寮の五階、黄金の飾りがきらめく部屋で、毎夜ひとり考えます。
明かりを消して両手を胸に当てると、心に描いたとおりの光があふれ出ます。この力はどこからきたのでしょう。幼いころから魔法を使えたルナリアは、答えを見つけ出せずにいました。
そうして過ごすうちに年は明け、春が近づいてきました。木々に積もった雪がとけてドサリ、ボサリと落ちてきます。熊はまだ目覚めてません、ルリメアゲハは巣でじっとしています。でも昼間は小鳥のさえずりが聞こえてきます。もう雪の日はすっかり減りました。
パースのところへ行くと、また一枚、絵ができあがっていました。ルナリアを待ち構えていたように、キャンバスが置かれています。
狼から降りると、パースが「じゃ~ん!」と、得意げにキャンバスを回しました。
そこにはいままで見たどの絵よりも、明るい世界が広がっていました。
高く上がった太陽に、白い波が押し寄せる大きな水面。その水の上をピンクの魚が何匹も飛んでいます。しぶきをあげて水から飛び出すもの、高い空を泳いでいるもの、水へと帰ろうとしているものだっています。どれも三匹ずつ連なって半円を描いていました。
けれどもこの魚、なんだか不思議です。川に棲むのと違って、尾びれが身体に対して水平ではなく、垂直についているのです。パースが間違えたのでしょうか。こんな魚いるはずないと、ルナリアは首をかしげていました。
魚たちの向こうには、木が一本だけ生えた小さな陸地がありました。木はとても立派です。ルナリアが住んでいた平原に生える、栄養の足りないひょろひょろの木ではありません。学校の周りを囲む、幹も葉も真っ黒な不気味な木でもありません。ベージュ色の幹は、昼間から酒を飲んでぶくぶく太った、市場の目利きみたいです。幹には葉は一枚もなく、ぜんぶてっぺんについています。葉の隙間から大きな茶色の実が三つ見えました。
どれもルナリアの知らないものばかりです。
「この波立った青色はなに」
「これは海だよ。僕らのいる地面を囲っている」
「じゃあこの魚は? 尾びれの向きが変だけど」
「それは魚じゃなくてイルカっていう動物。形こそ魚そっくりだけど、生き物としては僕らの方が近いんだ」
「じゃあこの木は?」
「それはヤシの木。ここから遠い南国に生えている」
ルナリアはさらりと答えるパースの目を見つめています。首をかしげ、目をパチパチさせています。
「どうしたの、ルナリア?」
パースはとぼけた声で聞きました。
「こんなもの、いったいどこで知ったの? 見たことあるの?」
「いや、じかに見たことはないよ。ぜんぶ本で知ったんだ」
パースは小屋に戻って、ガサガサと音を立てています。しばらくすると両腕に何冊もの本を抱えて、出てきました。どれも表紙は絵の具でベタベタです。そのうちの一冊をめくります。中身には汚れ一つありませんでした。
開かれたページにはヤシの木が描かれています。ページをめくると、こんどはしましま模様の蛇が現れました。蛇なのに水の中を泳いでいます。さらにページをめくると、おめかししたような翼の鳥がいました。別の本を開けると、二階建ての大きな船が描かれていました。煙突から煙を出して、海の波に逆らうように船首を向けています。
「どれもこの国にないものだよ」とパースがつけ加えました。
どの絵もカラフルです。本の中にあるすべてがルナリアにとって新鮮でした。
「そんな本、どこから手に入れたの?」
「古道具屋から買ったんだ」
「ということは昔の本?」
「そうだよ。遠い昔、この国がまだ外とつながっていたときに書かれた本なんだ」
ルナリアはポカンとした顔でパースを見つめています。
胸の中で家のそばにあったあの光景が蘇りました。透明な壁の向こうにあるきらびやかな街。母親と暮らしてたころのルナリアにとって、一番近く最も遠い街です。心の底でずっとずっと憧れを抱いていました。
壁がない時代に思いをはせたことはありません。だけどよく考えれば、あの壁は学校を包む結界によく似ています。あの壁は魔法使いが築いたものでしょう。そうであれば青い宝石の力が必要です。
宝石は最初からあったわけではありません。元は土に埋まっていたのです。
シャルがそう教えてくれました。
「みんな青い宝石がなかった時代の本」
ルナリアの小さなつぶやきに、パースは「そうだよ」と答えました。
「どうしてそんな本を集めようと?」
ルナリアが尋ねると、パースが真剣な眼差しを向けました。
「僕はずっと探し求めていたんだ。青い宝石がどうして生まれたのか、この壁を破って外の世界へ逃れるにはどうすればいいのか……。この国で絵を描き続けるのは苦しいんだ。オルカと、僕を理解してくれるわずかな人たちのおかげで稼げているけど、南西領のパトロンからもらったお金を崩しているのが現実なんだ。だからもっと広い世界で絵を売りたい。南西領主のような魔法使いに怯えることなく、自由に絵を描きたい。どんな手段でもいいから、壁の向こうへ飛び出すのが僕の夢なんだ」
「だから壁がなかった時代の本を集めたの? それだと宝石の生まれた理由も、壁を作る魔法も載ってないよ」
ルナリアは首をかしげます。
「ルナリアの言うとおり。だけど宝石のない時代の方がよっぽど進んでたんだ。ガラスもあったし、本を刷る輪転機もあった。土を掘る機械だって、いまと比べものにならないくらい高性能だった。きっと古い時代の本に壁を破る技術が眠っているはず。僕はそう思ったんだ」
パースは本を広げ、ページを繰りながら説明します。
本にはルナリアが見たことのない機械ばかりが描かれています。その中には機織りや裁縫機も入っていました。
「すごい機械……どうしていまはないんだろう?」
ルナリアは目を輝かせながら声を漏らします。
「この本にある機械はみんな外国製なんだよ。壁ができる前からこの国は貧しくて、遅れていたんだ。周りの国はさらに技術が進んでいく。だからみんな豊かさを求めて出て行ったんだ。そのころの王様が黄金の宝探しを命じるほどに」
パースの言ったことは、もう亡くなった南西領主の長男、シャルの話と重なります。
「その宝探しで出てきたのが青い宝石……みんな宝石の魔法に目を奪われて、機械を作らなくなったのね」
パースがうなずきます。
「残っていた外国の機械は、魔法使いが消し去ったんだ。僕の想像だけど、改良を続ければ魔法を超える力はあったんだと思う。機械の力を魔法使いたちは恐れていた。だからその力があれば魔法の壁だって打ち破れると信じてる。だけど僕は、この機械を作れるだけのお金を持っていない」
「じゃあ本を見せて、協力してくれる人を集めようよ! パース一人だけじゃなく、みんなのお金を集めればできるかもしれない」
ルナリアの話に、パースは首を小さく横に振りました。
「本の文字を見てごらん。この国にはない形だよ。僕は南西領でパトロンのおじさんから習ったけど、これを読める人はほとんどいない。それに機械の絵もここではない世界から持ってきたようなものばかり。これを僕に売った商人は『できの悪い幻想画の寄せ集め』って、笑ってたよ」
ルナリアは言葉がわかる魔法を自分にかけたので、パースの本に書いてあることがちゃんとわかります。この国の人が読めない文字だって、読み解くことができるのです。だけどその前は文章を読めませんでした。ただのぐちゃぐちゃな模様の羅列にしか見えなかったのです。
「そんな模様と空想じみた絵を見せて説明しても、ほんとに作れるものだって誰も信じてくれない」
パースは力なくつぶやきます。
「じゃあ、絵を写して私たちにもわかる言葉に変えてみたらいいんじゃない。どう?」
「それは試したよ。『不気味な怪物を見せるな! 縁起悪い!』ってボコボコに蹴っ飛ばされたよ。三回もね」
パースが苦笑いしながら言いました。
ルナリアは頭を抱えました。けれども、これ以上良いアイデアは出ませんでした。
「そういえば、青い宝石の作り方って手がかりあった?」
パースがルナリアに投げかけます。だいぶ前にパースと約束した宿題です。
「いえ、ぜんぜん。先生に相談しても私の中にヒントがあるってばかりで……」
ルナリアの答えに、パースは肩をすくめながら、鼻で大きく息を吐きました。
「なんだか悲しいことだね。僕らよりお金も時間も、人を動かす力もあるはずなのに。どうしてそんなに投げやりなんだろう。ぜんぶルナリアに押しつけるなんて!」
パースが落ちていた小石を蹴ります。でも石は地面深くに埋まっていて、足を痛めるだけでした。
パースは「つっ~っ」と息を漏らしながら足をさすっています。
それを見てもルナリアはなにもできません。
ひたいに手を当て、自分の頭の悪さを嘆くばかりでした。
「私、もう少し考えてみる。この魔女の力がどこから湧いているのか。自分の心をたどれば分かるかもしれないから」
「僕も本を集めてヒントを探してみるよ」
そのとき、ルナリアに一つ疑問が湧きました。
――でも、どうしてパースは宝石を欲しがるんだろう。
さっきまで機械の力で壁を壊す話をしていたのに、宝石を生み出す方法を知りたいというなんて。矛盾しています。だって宝石が無限に生み出されるなら、永遠に魔法の力が存在し続けるなら、国を囲う透明の壁はなくならないはず。そしたらパースの夢は遠のいてしまうとルナリアは思いました。
「どうしてパースは、宝石を作り出す方法を探しているの?」
ルナリアがそう言うとパースは「たしかに筋が通ってないよね」と笑いました。
「でも命もお金も使わずにたくさんの宝石を出せるなら、石の力で壁を抜けられる。いまの僕らには機械で壁を壊すより、宝石の力を借りる方が望みがある。僕はそう思っているんだ」
狼の鼻先がルナリアの背中をつつきます。もう学校へ帰る時間です。
ルナリアは狼の背にまたがりました。
学校へ向けてくるりと回るルナリアに、パースが叫びます。
「ルナリア! もし壁を抜ける方法を見つけたらこっちに来て。そして一緒に外の世界へ旅立とう!」
ルナリアは振り返ります。
「ぜったい約束してくれる?」
「もちろん!」とパースが答えます。
「ほんとのほんとに?」
「ほんとのほんとにほんとだよ」
パースがルナリアに笑いかけました。
約束の言葉が響く中、ルナリアを乗せた狼は走りだしました。




