4.3.1 ルナリアとパースの展覧会
それからもルナリアは、ノルン先生が見張りの日にパースのところへ通い、それ以外は泉で光の魔法を練習しました。
日にちが経つごとに、だんだん吐く息が白くなっていきます。木には黒い葉っぱがついたままですが、怪しげな色の実はすべて落ちました。そしてとうとう森の中にも雪が降り始めました。
ルリメアゲハたちは狼たちの頼みを聞いて、いっときはトンネルの外へ出てくれました。だけど雪が降り出してから、ずっと巣の中にこもりきり。寒さと雪の重みに耐えられないのです。巣に生えたキノコは蛍色の光とともに熱を出します。ルリメアゲハたちはその熱で冬を越すのです。
彼らに協力をお願いしたのは、少しでも安全にパースと会うため。世の中そううまくはいかないようです。その代わり、ルナリアには子ども狼が七頭ついています。
ほんとうはルナリアを背負う一頭だけで、他の六頭はいないはずでした。だって彼らは、母親から「いいかげん一匹狼になりなさい」と口酸っぱく言われているのです。だからルナリアを迎えるときはいつも一頭だけ。けれども森の奥深くまで進むと、勝手に合流して七頭になるのです。一頭たりともそろわない日はありません。そのままルリメアゲハの巣を通り抜け、パースの家へ向かうのです。
ほんとはよくないのですが、ルナリアにとっては心強い味方です。
彼らが七頭いっしょなのはわけがあります。
「「「「「「「父ちゃん」」」」」」」
子ども狼たちがいっせいに声をあげ、大きく尻尾をフリフリします。左右に振れるタイミング、その大きさ、高さもみんな同じです。毎回とはいきませんが、ルナリアとパースが会う日はたいてい、父親狼が結界のそばで待ってました。そして親子は結界にぶつからないよう、ギリギリまで近づいて話をするのです。
「また母ちゃんは来てないのか?」
「母ちゃん警戒している」
「魔法使いがずっと見ているって」
「今日の見張りはいい人だ」
「だから俺たちの邪魔はしない」
「だけど母ちゃんは見られてる」
「母ちゃん来れば、魔法使いもやってくる」
「だから母ちゃんお留守番」
それを聞いた父親狼はがっくりです。
子どもたちもしょんぼりしています。
ほんとはこんな思いなど、しなくて済んだのに。
父親狼から話を聞くと、子ども狼が生まれたとき、家族はみな結界の外側にいたそうです。彼らはみな自由でした。けれども母親と子どもだけ、学校の結界に引き込まれてしまったのです。何人もの魔法使いに囲まれて、青い宝石の光とともに、父親の前から消えてしまいました。とても大がかりな瞬間移動魔法です。狼の親子はその犠牲になってしまったのです。
国軍や王城に雇われる生徒たちは卒業前、人間以外の動物相手に戦闘訓練をします。
その標的にと、親子は引き裂かれてしまったのです。
そのときルナリアは「じゃあ、どうして狼さんは危ない森にいるの? 学校の近くだから悪い魔法使いがいっぱいいるでしょう」と尋ねました。
すると、父親狼は天に向かって牙をむき、吠えました。
「俺は結界の内側に引き込まれたって構わない。俺たちは家族だ。バラバラにされるよりマシだ!」と。
そんな狼たちの横で、パースの絵画展が開かれようとしています。ルナリアが見せた魔法の絵が完成したのです。
風船のようにぷっくりした豚たち、最後には怒って空へ消えてしまった光の魔法が、とうとう絵になったのです。もうだいぶ前の話なので、パースに言われるまでルナリアはすっかり忘れていました。
キャンバスはルナリアの足から腰くらいの高さで、横は身体の幅二つ分。絵はところどころ穴の空いた布で隠されていました。
「ルナリアの絵からどう変わったか見てて」
パースが「じゃ~ん!」とボロ布を外しました。
黒っぽい背景に銀の鉱石で描かれた絵。いつもと同じ絵の具を使っていますが、描かれたものはいままでのと大違いです。キャンバスの向こうに広がっているのは、間違いなく幻の景色でした。
闇夜に銀色の流れ星がたくさん降っています。星は世界を分ける透明な壁にぶつかって、虹色の波紋とともに大きな穴を空けました。その代わりに流星は壊れて、青い光となって飛び散ります。光は地上へと降り注ぎ、山のように積もります。きらきら輝くそれは、まるで杖に埋まった青い宝石のようでした。
絵の中にいる人々はみな青い宝石へと群がります。宝石を手に収め、天に向けて掲げます。人々はとても小さく描かれているので、その表情まではわかりません。
でも、とにかく石に夢中です。透明な壁に空いた穴は地上まで広がっているのに、壁の外に出ている人は誰もいません。外にいるのは獣たちばかり。豚も狼もみな翼が生え、空へ飛び立つさまはまるで天使のようです。闇夜の地上で宝石を握る人々には目もくれず、夜明けの空を鳥のように飛んでいました。
「壁の向こうにいるのが風船の豚さん?」
「そうだよ。ルナリアのおかげで思いついたんだ」
「なんだかすごい絵ね……」
「ありがとう、そう言ってもらえて」
雪がちらついてきたので、パースは慌てて絵に布をかけます。それを一人でひょいと持ち上げて、小屋の中へと入れました。その間、一分も経っていません。だけど小屋から帰ってきたパースは、真っ白な息をたくさん吐いていました。あの絵はそれほど重いのです。
息が落ち着いてから、パースが言います。
「あの絵、こんど展覧会に出そうと思うんだ。他に三、四点足して」
「でも、どこの展覧会に出すの? そんなの開く人って、私たちの手に届かない大金持ちでしょ」
「そうだよ、魔法使いの絵がたくさん並ぶ。おまけに絵を置くだけでお金をとられるんだ。僕にはとうてい出せないよ。出しても望み薄だとわかってるし」
「じゃあ、どこの展覧会に?」
「個展だよ。市場の路上に出すんだ。『至高のソロアート』って感じで」
ルナリアはきょとんとしました。パースが言ったタイトルもさることながら、市場の人たちが絵なんて観るとは思えないのです。それにパースの名が広まっているとは思えません。だってパースの絵を売ろうとしたとき、組合の目利きが投げ捨てたくらいですから。
パースにはとても言えませんが、うまくいくとは思えないのです。
だけどパースは自信いっぱいです。
「だからもっといい絵を用意しようと思う。せっかく市場に行くんだ、ちゃんと売ってお金をもらわないと」
ますますやる気です。
もう止めない方がいいでしょう。
「じゃあ、私もお返ししないとね。タダっていうわけにはいかないでしょ」
ルナリアは杖を一振りしました。
ふわふわ降る雪がみんな青色に変わりました。まるで雲からこぼれた魔法の宝石です。その雪の一粒が落ちた瞬間、地面の色が一気に変わりました。ルナリアの足元はみんな宝石色です。雪だけじゃなく流星も降り注ぎます。両腕で抱えきれないほどの大きな大きな宝石です。光の塊のはずなのにほんものそっくり、雪の地面にころころりと転がります。青い光は消えることなく、山積みのパンのように重なります。
きっとパースの絵にいる人々が見たら、みんなここに押し寄せ、宝石を握って喜んでいることでしょう。そんな光景が広がっています。
「ちょっと色を合わせないとね」と杖をもう一振りします。
するとルナリアのクリーム色の服も、明るい青に染まっていきました。服にはうっすら白色の、幻の羽根が四枚ついています。ルナリアはすっかり妖精に大変身。杖を振ると、青い宝石が無限にあふれ出すのです。
ルナリアは結界の中から出られません。どんなにうまくいきそうになくても、こうやって精いっぱい応援することしかできません。パースはそんな思いを知っているのでしょうか。ひたすらメモを取っています。
その目は宝石なんかより、ずっとずっと輝いていました。
「なんか見せた絵の代金より、いっぱいもらっちゃった。観るだけならお金を取らないつもりだったのに……」
「いいの。私だって魔法の練習になるから。それに絵と違って、この光はタダだもん」
「そういえば、ルナリアの魔法って不思議だね。石の悲鳴が聞こえない」
「えっ?」
ルナリアは思わず声を漏らしました。
パースの言うとおり、ルナリアの杖の宝石は静かに眠ったまま。どんなに魔法を使っても宝石は減らないのです。他の魔法使いの杖と違って、ルナリアの父親は削れて消えることなく、ずっと手元にいます。
だけどパースは『石の悲鳴』と言いました。母親狼やルリメアゲハたちと似た言葉です。
「パースって、魔法の宝石の正体を知ってるの?」
ルナリアはおそるおそる聞きました。
パースは静かに服の首元を開きます。するとそこから宝石の青い光があふれ出ました。ひもを上へと引っ張ると、手の平ほどの大きな宝石が二つ、服の中から出てきました。
「この宝石は僕の父さんと母さんなんだ」
「私と同じよ……この杖に埋まった宝石は、私のお父さんなの……」
ルナリアもパースも驚きの目で互いを見ています。
「どうして、ルナリアの父さんは石にされたんだ?」
パースに聞かれたルナリアは首を横に振ります。
「わからない。出稼ぎに行ったきり帰ってこなくて、その間に魔法の宝石にされたの。それで私が学校へ入って初めて与えられた石がお父さんだった」
パースは黙って聞いています。
かたやルナリアは泣きそうでした。
「パースのお父さんとお母さんは、なんで石に?」
ルナリアはすっかり涙声です。
「両親は僕と同じで画家だったんだ。知識も腕もいまの僕よりずっと上でパトロンがついていた。商いだけで上り詰めた大金持ち、たった一人のパトロンだった。その人はもっと広い世界で稼ぎたいと夢見てた。僕の親はパトロンの望みに従って、いつも外の世界ばかり描いていたんだ。ガラスの壁の向こう側、行き詰まったこの国と正反対の理想郷」
パースはうつむきながら言います。
「だけどこの国を統べる魔法使いたちからみれば、それは許されない『革命画』だった。とうとう南西領の主に嫌われて……僕の親は……」
南西領の主。つまりシャルの父親です。シャルが見た絵はパースの親が描いた絵だったのです。
話を聞くと、その絵は『焚書』として焼かれたそうです。
パースも両親とともに捕らえられ、領主の檻の中にいました。だけど、いっしょに囚われていたパトロンに助けられたのです。そして宝石に変わってしまった両親が手渡され、家族が手配した馬でパースは領から逃れました。その馬には持てる限りの金貨がくくりつけられていたそうです。
そのあとパトロンと家族がどうなったか、パースには分かりません。
しゃっくりを繰り返し、とぎれとぎれに吐き出される声が、パースの思いを表していました。
「親の宝石がここにいるのは奇跡なんだ。あの領主は宝石を盗られまいと、ずっとずっと握りしめていた。あの男は『これで一年、魔法に困らない。大魔法も望みのままだ。さぁなにに使おうか』って、口笛吹きながら笑ってたんだ! あいつは人の命を魔法の道具に変えた! 絵に託した思いを踏みにじり『蚊の羽音』と嘲った! 耳障りだからと、なにも言わない宝石に変えた! 自分にぜったい逆らわない、ただ望みを叶える奴隷に!」
ぶつける相手のない怒りが、森に響き渡りました。
パースも知っていたのです。杖に埋まった宝石、魔法使いの力の正体を。
両親を失う事件を通して。
「ねぇ、ルナリア。宝石を手に入れる手段は他にないのかい?」
パースの顔は怒りと悲しみで真っ赤なまま。ルナリアの胸を突き刺すような眼差しで見つめています。
きっと彼にそのつもりはないでしょう。いつもの柔らかい声でしたから。ただ、あふれる感情を抑えきれなかったのです。この憎しみあふれる形相はルナリアではなく、ほんとは遠くにいる領主に向けられているのです。
そんなパースに対して、ルナリアは「ごめん、知らないの」としか言えませんでした。
パースは冷めた声で「そうか……」とこぼしました。落胆する様子はありません。きっと彼にとっては予想どおりだったのでしょう。パースは顔を拭って、両親の宝石を服の中に隠しました。もう石の光は見えません。
ルナリアの側も同じです。地面を覆う青い宝石の光はありません。雪にかけた魔法はぜんぶ解け、元の綿色に戻りました。流星は一つもありませんし、宝石も跡形なく消えてしまいました。ルナリアの服はすっかり元のクリーム色、とんぼのような四枚羽もありません。
あれはすべて幻。宝石の妖精なんていないのです。
ルナリアはしばらく考え込んだあと、パースに言いました。
「もしかしたら……ノルン先生なら、もう少し知っているかもしれない」
「ノルン先生? どんな人?」
パースはいぶかしんでいます。だって学校の側にいるのはみんな魔法使い。森の動物たちから聞かされ、ずっと前から知っているのです。宝石のことを知ったら、魔法使いなんてそうそう信じられません。ルナリアは動物たちの紹介があったからこそ、普通の女の子として迎えてくれただけ。
そのことをルナリアはよくわかっていました。
「大丈夫。あの学校で私を助けてくれた、たった一人の先生よ。部屋にパースの絵を飾っていた」
「その絵、どんな名前だった?」
「『ガラスの窓の向こう側』、だけど前に見せてもらった灰色の絵より、ずっと小さかった」
「市場の魔女に描いた絵のレプリカだ。あの絵を持つ人ならきっと信用できる。どうか聞いてきて。ものすごく気になる。この状況は、あんまりだ」
「わかった。じゃあ、今日は帰るね」
ルナリアは子ども狼たちに声をかけます。狼の親子もお別れです。
パースは手を、父親狼は尻尾を振って見送ります。
ルナリアたちはそれを背中で受け止め、ルリメアゲハの巣の向こうへ走りました。




