4.1.4 幻の空中絵画
ルナリアの杖から、ピンクの光がぷうっと飛び出し、ふんわり浮かびあがります。光の玉は風船みたいにふくらんで、どんどんどんどん大きくなります。やがて耳と足もポンポン生えて、鼻もギュッと伸びました。丸々太ったピンクの豚のできあがりです。
杖の先っぽからもう一つ、ピンクの光が現れます。光はあっという間にピンクの豚に大変身。二頭の豚は空をふわふわり、くるくるりと踊ります。互いの身体がぶつかると、ボヨンとはねて別れます。
さらに白い光も加わって、モコモコの羊たちが現れました。あとは白と黒の牛の群れ。ほんものと違ってみな丸々と膨れあがり、風の入った袋のようにぷかぷか浮いています。白い羽が生えているわけではありません。でも空で遊ぶ彼らは、まるで天使のようでした。
「なんだろう? 一つ一つは見たものばかりなのに……」
パースはすっかり見入っています。
「こんな動物たち、描いたことないや。さっき見せたとおり、現実のものばかり描いていたから」
パースは見たものをありのままに描く、写実主義の画家だったのです。
「でも、あのペガサスの絵は? ペガサスは現実にはいないはず」
「あれは他の画家が描いたもの。『ペガサス』と言えば、みんなが翼のある馬を思い描く。それほど有名なものなんだ。ルナリアが持っている絵は僕のやり方で描いただけ。コピーはしてないけど、オリジナルじゃない。いま目の前に舞う動物たちも考えたのはルナリア。絵描きのくせに、なんだか恥ずかしいや」
パースは紙をとってなにかを書き始めます。
それを見たルナリアは杖を振り、気ままにふわふわ飛ぶ動物たちを止めました。
パースが首を横に振り、訴えます。
「どうか止めないで。これじゃあまるで宙に浮かぶ石像だよ。せっかく飛び出した子たちがかわいそうだ」
ルナリアは慌てて杖を振りました。
光の動物たちは自由になると、闇夜の空へ吸い込まれるようにのぼっていきました。
ルナリアはガックリです。
「消えちゃった……嫌われたのかな?」
寂しそうにつぶやきます。
「まるでほんものの動物みたい。こんど会ったときは優しくしてあげて。そしたら仲直りできるはずだよ」
なぐさめるパースの声は、すっかり穏やかです。
でも、彼の筆先は紙の上で止まっています。
「もしかして、パース困ってる? 私がひどいことしたから」
ルナリアはすっかり落ち込んでいます。光の動物たちが消えてしまったのはルナリアのせいです。もしパースが描き写そうとしていたなら、絵は台無しです。また未完成のキャンバスが増えてしまいます。
「大丈夫、メモは終わったから」
「メモ?」
「そうだよ。まさかルナリアの魔法を写すと思った?」
ルナリアは小さくコクコクとうなずきます。
「僕はそのままコピーなんてぜったいしないから。ちゃんとかみ砕いて絵にするんだ。一瞬見ただけでももう充分。ちゃんと絵にできるから心配しないで、どうか顔を上げて」
パースがにっこり笑って言います。
ルナリアはそっとパースに向き直り、顔を上げます。そして「へへっ」と笑いました。
「でもパースが考えて描いた絵、またコピーされたりしないかな? 魔法の力で」
「大丈夫、この銀色は魔法でもまねできない。絵も同じ、僕の描いた世界は魔法では盗めない。だから最初の一枚は僕にしか売れない」
パースはまた小屋に戻り、一枚のキャンバスを持ってきます。幅はルナリアが両腕を広げたくらい、高さは脚の長さほどあります。その表側をルナリアに向けました。
そこにはなにも描かれていません。一面泥のような灰色だけ。たとえ練習であったとしても、ルナリアに見せた未完成の絵とは大違い。目に映る光景をそのまま写すパースのものとは思えません。もっと幼いころの落書きでしょうか。いやいや、画材は貴重なもの。そろえるだけでお金がかかります。平民の暮らしならこんな無駄づかいができるわけありません。ルナリアには身にしみるほど分かっています。
「これはね、魔法をかけられた絵だよ。これを市場に置いていたとき、通りがかった魔女に盗まれそうになったんだ。魔法で絵を頭に焼き付けて、魔法の杖で描いたコピーを館に飾ろうとしたんだ。僕から買わずにね」
「魔法を使った瞬間、ぜんぶ灰色に変わっちゃったの?」
「そう。記憶に焼き付くより先に絵はこのとおり、魔女の頭に残ったのは一面灰色だった」
ルナリアの頭に甲高い笑い声が響きます。市場で会った魔女オルカのあざけり笑う声です。
パースがどんなにすごい絵を描いても、しょせんは平民。魔女がまともに接するわけがありません。意地汚い鳥の声を放ちながら、いい気味とばかりに魔法でその場をあとにしたはずです。少なくともルナリアはそう思っていました。
「魔女って怖かったでしょう。ついでに悪い魔法かけられそうにならなかった?」
ルナリアが心配そうに尋ねます。
するとパースは吹き出しました。
「呪いをかけられていたらここにいないよ。もう一度描いてほしい、って言われて五倍値で売ったんだ。あれはいままでで一番高く売れた。僕の絵を認めてくれたたった一人のお金持ち、あの人はまともな魔女だった。僕の知る限りたった二人だけ。そのうちの一人さ」
笑いながら陽気な声で答えます。
「その魔女の買った絵って、どんなもの?」
「『ガラスの窓の向こう側』、ぜったいにたどり着けない黄金の街の絵だよ」
――ノルン先生の絵。
いえ、先生の部屋にあったキャンバスはもっと小さかったはずです。魔法をかければダメになってしまう絵の具です。ものを縮める魔法は使えません。きっと誰かがコピーしたのでしょうか? いや、それも違います。先生の部屋にあった絵にも、絵の具の輝きがちゃんとありました。きっとあれはパースが描いたレプリカ。じゃあパースが五倍値で売った絵は、誰が持っているのでしょう?
ルナリアは頭の中でぐるぐる考えます。
その背中に、子ども狼の鼻先がぶつかりました。
「そろそろ時間だ」
「夜はあと半分」
「夜更かしももう限界」
「ルナリアは魔女の子」
「でも身体は普通の人間」
「さぁさぁ乗って」
「どうか背中で寝ててくれ」
子ども狼たちがルナリアに言います。
「え~っ。もうちょっといさせて。もっとお話したいの」
そんなルナリアにパースが言います。
「狼たちがそう言うのなら、今日は帰ったほうがいい。あんまり遅いと面倒なことになるはずだ」
たしかにパースの言うとおりでした。朝一時間目の授業に出なかっただけで、あの学校は大騒ぎになるのです。だってまだルナリアは王国のだいじな魔女で、国の宝物なのです。先生が総出で探せば、森の動物たちに被害がおよびます。それに監視の目も増えるでしょう。
「そうね……もしかしたら会えなくなるかもしれない」
「じゃあまた別の日に。売り出しに行ってなければここにいるから」
「どうしてパースはこんなヘンテコな場所に住んでるの?」
「それはまた今度。時間がない、さぁ出発だ」
パースの声に従うように、狼はルナリアをすくい上げました。軽い身体は宙に浮かび、狼の柔らかい背中にポンと乗りました。
ルナリアはしかたなく狼にまたがり、ちらりと振り返りました。
パースが手を振っています。
ルナリアはその姿をずっと見つめたままです。
「ルナリア、行くぞ」
狼が走り出します。パースの姿がどんどん小さくなります。キャンバスの近くにあったたき火は消えて、白い花と蛍色のキノコの輝きが増していきます。
「もう一人のまともな魔女……こんど確かめようかな?」
ルナリアはそうつぶやきながら、にまにま笑いました。
「ダメダメ! 我慢よ、我慢」
ルリメアゲハの宝石の眼差しに見守られ、ルナリアを乗せた狼は、闇夜の森へと駆け抜けていきました。




