4.1.1 ちょうちょの巣にお邪魔
一ヶ月後、すっかり夜が冷えてきました。そんな日に、七頭の子ども狼がしっぽをフリフリ、ピョンピョン跳ねながら、ルナリアに声をかけます。
「ルナリア、やっと画家に会えるぞ」
「いっぱい待たせて悪かった」
「あの道なら大丈夫」
「ルリメアゲハの巣を通る」
「俺たちちゃんと伝えた」
「もう大丈夫、怖くない」
「安心して乗ってくれ」
狼の一頭がしゃがみ込み、ルナリアに「早く乗って」とせかします。
「ちょ、ちょっと待って『ルリメアゲハ』ってなに?」
初めて聞く名前にルナリアは狼に尋ねます。
「蝶だよ、蝶。青い目が二つある」
「やつらは石の涙が大嫌い」
「魔法を使えばすぐ気づく」
「泣かせたやつに集まって」
「毒のりんぷんすりつける」
「魔法使いはぐるぐる目が回り」
「五分もせずにバッタリいく」
子ども狼たちの話はチームプレー。みんないっしょにしっぽを振って、ルナリアを待っています。
それを聞いたルナリアは、顔からザァッーと血の気が引きました。身体もガタガタいっています。
――毒……。
ルナリアの顔は真っ青です。
「私、そんなところ行ったら殺されちゃうよ」
「大丈夫。やつらは俺たちに悪さしない」
「ルナリアも大丈夫」
「ルナリアの石は笑ってる」
「笑っていたら怒らない」
「光の魔法も大丈夫」
「やつらが怒るのは俺らといっしょ」
「自分の身を守るため」
ルナリアはまだ心配を拭えていません。
「それ、ほんと?」と聞きます。襲われなくても羽にぶつかっただけで、毒が回って死んでしまうかもしれません。ルナリアはそのことを狼にぶつけました。
「大丈夫、俺たち通ればみんな逃げる」
「ちょっと当たったくらいじゃ死にやしない」
「ルナリアのことは伝えてる」
「さぁ早く、背中に乗って」
「パースの家は森の端」
「もたもたしてると日をまたぐ」
「そしたら今日はお預けだ」
狼たちはそう言ってまたしっぽをフリフリしました。
「じゃあ、私、あなたたちを信じる。だからお願い、連れてって」
ルナリアがしゃがんでいる子ども狼の背に乗ります。手綱も鞍もありません。振り落とされないようしっかりつかまるのはルナリアの仕事です。
狼が駆けだします。初めはゆったり走り、あとからどんどん加速していきます。
ほんとうならもっと早くスピードに乗れるのですが、ルナリアが落ちないよう加速を抑えているのです。狼はまたがり方を教えつつ、ルナリアが怖がらずに乗れる速さを探っていました。
そんな狼たちの心づかいもあって、ルナリアはまったく怖くありません。まるで空を飛んでいるような気分です。冷たく湿っぽい風を切りながら、胸をからっと熱くして、深い闇の森を進んでいきました。
「そういえば、あの熊さんはどうしたの?」とルナリアが聞きます。
「おっちゃん冬眠準備で忙しい」
「木の実をため込み食っている」
「ぶくぶくぶくぶく太ってく」
「太らなきゃ年越せない」
「おっちゃんには時間がない」
「だから俺たちだけでご案内」
「おっちゃん、寂しそうだったけど……」
ルナリアはちょっぴりさみしくなりました。
「もう少し話をしたかったのに……」
黄金の地下牢からいっしょに逃げたのは、もうあの熊しかいないのです。泉で初めてショーをした日から一ヶ月、まったく会っていません。その間ずっと、安全な道を探してくれていたのでしょう。
一日でも早く、ルナリアがパースに会えるように。
光のショーをしていた泉を越えて、闇の中を進みます。ここからはルナリアの知らない世界です。獣道をびゅんびゅん駆けていきます。光の魔法もここから禁止。『ルリメアゲハの巣まで我慢』と狼に止められました。だからルナリアには、いまどこを走っているのか見当もつきません。
「ルナリア、これからしばらく声も出すな」
「それは俺たちもいっしょ」
「合い言葉は『大きな道が見えたら引き返せ。ルリメアゲハの巣まで我慢』」
真っ黒な狼たちは音も殺して、闇に溶けていきます。いまあるのは狼の体温と揺れる筋肉、あとは二十八本のかすかな足音だけ。
ルナリアはまだ見ぬ画家の姿を心に描き、身体の震えをこらえました。
しばらく走り続けると、向こうからぽつりぽつりと光が現れました。星の白、闇に浮かぶ緑、それと小さな青の輝き。それらはどんどん数を増していきます。
「あ、狼さんが来た」
「魔女もいるわ」
「あの子は大丈夫」
「石が笑っている」
「目が覚めている」
幼い子どもの声がいくつも聞こえます。ルナリアの目の前で、何百もの青い目玉がまばたきしていました。黒い羽についた目玉模様が、星の光を放つ白い花に照らされ、輝いているのです。銀と青を混ぜた宝石色の目は、ひどくつりあがっています。声こそあどけなくとも、これじゃあお化けです。
「ルリメアゲハの巣だ。もう声を出して大丈夫」
「魔法の光を軽く灯して」
「えっ。あの蝶は魔法が嫌いなんでしょ? そんなことしたら私たち……死んじゃうよ。本気で言ってるの?」
ルナリアは乗ってる狼の首元をペンペンたたきます。
「魔法の光がルナリアの合図」
「俺たちそう約束した」
「魔法を見せなきゃ」
「俺たちなにされるかわからない」
狼たちの言葉に続けて、ルリメアゲハも言います。
「狼さんの言うとおり」
「ほんのちょっぴり確かめたい」
「ほんとのルナリアだってこと」
「悪い魔女だと怖いもの」
「だからお願い」
「どうかあなたの灯を見せて」
狼がゆっくりと足を止めます。
ルナリアは狼の首筋をつかんでいた両手を離し、胸元で結びました。そっと両手を開くと、中から黄緑の光を放つ魔法の蛍が飛び立ちました。一匹ではなくたくさん、百は超えているでしょう。蛍はどんどん数を増し、ルリメアゲハの目より多くなりました。辺りは儚い黄緑の光でいっぱいです。
「ルナリアやりすぎ」
「そんなに数はいらない」
「対抗してどうする?」
狼たちが口々に言います。
「だって怖かったんだもん。ずっとにらまれているみたいで」
ルナリアがそう言うと、ルリメアゲハたちは左右に分かれていきます。
「ごめんなさい。ごめんなさい。怖がらせてごめんなさい」と。
目の前から青い目玉は姿を消し、白と緑の光が灯る道が現れました。どうやらほんもののルナリアだと分かってくれたようです。
ルナリアが「さぁ、おいで」と両手を広げます。
すると放った蛍たちは、いっせいにルナリアのもとに集まって闇に消えていきました。
蛍がいなくなると、ルナリアを乗せた狼が道に入っていきます。意外と道は広く、高さが人の丈の倍ある母親狼だって通れます。他の六頭もどんどんついてきました。
ここは満月より明るく、光の魔法はいりません。葉っぱのない、ユリに似た花が白く輝き、人の顔より大きなキノコが暗い蛍の光を放っています。森の闇より湿っぽい、土の香りが鼻をくすぐります。ルリメアゲハが隠れた道の両側には壁があって、見た目は木の幹そのもの。ここは木が折り重なって生まれたトンネルなのです。
狼は早歩きで進みます。さっきの風を切るような走りに比べたら、いまはのろのろ運転です。
実はここに生えている花やキノコは、ルリメアゲハたちのご飯です。芋虫の間は蛍色のキノコで育ち、大人になると白く輝く花の蜜を吸います。けれども花もキノコも珍しい種類で、この森ではトンネルの中しか生えていません。狼たちは巣に生える花やキノコを踏みつけないよう、足の置き場所を選んでいるのです。
ここはルリメアゲハが棲めるわずかな場所。壊すことは許されないのです。
ルリメアゲハの棲むトンネルをしばらく進むと、前からオレンジ色の光が射し込んできました。もうすぐトンネルは終わりです。花もキノコもまばらになり、とうとう木の壁もなくなりました。視界は一気に開け、まばゆい炎の輝きがルナリアの目に刺さります。森の闇にすっかり慣れていたので、とっさに瞳を手でおおいました。
とはいっても、炎は学校のランプのように強くはありません。目を炎の明るさに合わせるのはすぐでした。
ルナリアはゆっくりと手を外します。
開けた場所でゆらゆら揺れる小さなたき火と、三人くらい住めそうな丸太の小屋。小屋のそばには真っ黒なキャンバスがあって、男の子がひとり、筆を走らせていました。




