3.5.1 とっておきの魔法、見せてあげる
次の朝。ルナリアが教室に向かっていると、生徒たちがまた騒ぎだしました。
「あの子、どうしてここにいるの?」
「森に入ったまま帰ってこなかったはずだ」
「森には大きな化け狼がいる」
「あんな下手な魔法で戦えるわけがない」
「きっと食われたに違いない」
「あれはぜったい幽霊だ!」
ルナリアの後ろから指さして「幽霊、幽霊」ののしります。
ルナリアの魔法なら、真っ赤な幽霊をけしかけられます。けれどもいまは朝、太陽にかき消され、なんにも見えないのです。ひどい言葉の嵐を、ただ我慢するしかありません。
授業が始まるとまた別の問題が起こります。魔法を使えないルナリアは一つも課題をこなせません。それだけならいつものことですが、生徒たちの中では『ルナリアは幽霊』なのです。
「幽霊でもルナリアはルナリアね」
「死んでも魔法が下手くそ」
「ちょっとつついてやろうか」
「幽霊だから痛くないだろう」
生徒たちはこんなことを授業中でも平気で言います。
ここは王さまが建てた、選ばれた者のみが行く学校。ほんとうはとても格式高い場所なのです。けれどもルナリアに向けられた言葉には、格式なんてこれっぽっちもありません。それなのに先生は注意しません。できの悪さにあきれかえっているものですから、生徒に悪口を言わせ、うっぷん晴らしをしているのでしょう。
そんな中、女の子がルナリアの背中を杖でつつきます。
「あら! 生きてるみたいね」と女の子はおきゃんな声をあげます。
ルナリアはその杖を腕ではたき飛ばしました。人を杖で触れるなど、刃の切っ先を当てるのといっしょです。
女の子はまるで岩にでも挟まれたかのように、手首をさすっています。反省する様子はありません。上目遣いでルナリアをにらみながら「あなた……覚えてなさい」と、ねとつく声でつぶやきました。
夕方。授業が終わるとすぐルナリアは森へと駆け込みました。生徒に捕まり、よってたかって呪いなんかかけられたら、たまったものではありません。黒い葉っぱの木々をどんどん抜けていきます。
ティランナ先生がケガしたのはおとといのこと。事故のことは全生徒に伝わっています。おまけにずっと傷治しの魔法を使っても、完璧には治ってないそうです。先生ですら手に負えない母親狼に、普通の生徒が敵うわけありません。
昨日とは違って、森まで追いかける人は誰もいませんでした。
森が真っ暗となる場所に、みんなが恐れる母親狼が待っていました。
普通の魔法使いなら宝石の力を借りて、強い光を放つでしょう。魔法の光と引き換えに、宝石は血の涙を流します。そしたらきっと狼は怒り、魔法使いを噛みちぎっていることでしょう。
でも、ルナリアは違うのです。
月明かりのペガサスを連れた小さな魔女を、狼は笑顔で迎えました。
「さぁ、おいで。あたしが案内してあげる」
母親狼に連れられて、ルナリアは森の奥へと進みます。ここはいつか見た道です。シャルが連れて行ってくれた泉への道です。森が深くなるごとに動物たちの数は増えていきます。
「ようこそ」
「かわいらしい魔女の子だ」
「魔女怖い……」
「大丈夫、あの子はとってもきれいな魔法を使うのよ」
「大狼さまが認めたのだ」
「百年生き、外の世界も知るお方」
「目はたしかよ。安心しなさい」
闇の中から小鳥たちの声がします。真昼の空に飛ぶ鳥たちと同じ声でした。
「狼さん、いまのほんと?」
「ほんとよ。きっとお父さまの四倍は生きているわ」
「外の世界も知ってるの?」
「外の世界といっても、あなたが生まれたのと同じ世界。あたしたちはこの狭い森に引きずり込まれたの」
狼の目がうるんでいます。ルナリアはこれ以上聞くのはやめました。
泉に着くと、空は一気に明るくなりました。泉の空に黒い葉っぱはありません。秋の夜風が水面を駆けます。ほんのちょっぴり欠けた月がルナリアたちを照らします。小さな星たちもちゃんと見えました。
ルナリア目がけ、黒い塊が七つ迫ってきました。昨日会った子ども狼たちです。
「ルナリア、昨日は悪かった」
「母ちゃんやられたから腹が立って」
「魔女だからと襲っちゃった」
「俺たち人を見る目を鍛えなきゃ」
「勉強するよ」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
ルナリアはごわごわした狼たちの首元をなでます。
「気にしないで、ここは悪い魔法使いがたくさんいるから。疑われてもしかたないの」
ルナリアは笑顔で許しました。
「それより、あなたたちはもっと静かに襲いかかる勉強をすべきよ。あんなにモタモタしてたら、もっとひどい呪いかけられちゃう」
ルナリアのあとに、狼の母親が付け加えます。
「そうよ。人間に狩りの指導を受けるとは、情けない」
母親狼に怒られた子ども狼は、すっかりしゅんとしていました。
「よぉ。ルナリア、久しぶり!」
後ろから荒々しい声が響きます。
ルナリアが振り返ると熊がいました。金色の地下牢にいたあの熊です。
熊は「よかった、よかった。会えてよかった」と大きな腕でルナリアを抱こうとします。
これじゃまるで襲いかかるのと同じです。
「うわっ!」と声をあげ、ルナリアは横に避けます。
それを見た母親狼が熊の腰に頭突きをかましました。母親狼は普通とは違ってとっても大きな身体です。熊より大きいものですから、熊はルナリアを抱く前にあっさりと倒れました。
「うれしいからって人の子に抱きついちゃだめでしょ! 大きな身体なんだから、吹き飛んでしまう」
「すまなかった、すまなかった。気をつける」と熊は謝りました。
ルナリアは辺りを見回します。泉のまわりにはたくさん動物がいますが、知っているのは狼の親子と熊だけです。猪もいましたが、ろうやにいた母親猪は見当たりません。声がまるっきり合わないのです。
「熊さん。半年前にろうやを出た動物たちは?」
ルナリアが尋ねると、熊は目をそらして泉を向きました。
月の光が風に揺れる水面にぶつかり、青いきらめきを放っています。その光はまるで魔法の宝石みたいです。
「もしかして……魔法使いたちに?」
目をうるませたルナリアに、熊は「あぁ」と答えて向き直ります。
「あれは魔物だ。ありゃ魔法を使うことしか能のねぇ化け物だ。仲間はみんな青い石に変えられちまった。お前とこの泉に来た魔法使いといっしょに」
熊はそのときたまたま遠くにいたため、宝石の魔法を受けずに済んだそうです。
ルナリアはその腕をそっと抱きしめて言います。
「熊さん。あの中身は魔法使いよ。姿を隠すため魔物に化けて、人や動物を石にするの」
「なぜだ? なぜそんなひでぇことをする?」
「みんな、石に飢えているからよ」
ルナリアはシャルの事情には触れないことにしました。だって人の世界の理解しがたい話など、言ってもわからないでしょう。杖の先を自分に向けて熊に差し出します。くぼみにはまった父親の宝石が、月とペガサスの放つ光を受け、青く色づきました。
「この宝石は魔法の源なの。熊さんが見た青い石と同じよ。私のお父さんも宝石に変えられてしまったの」
それを聞いた熊は口を震わすばかりで、言葉が出ませんでした。
「魔法の力は強大よ。使えるだけで特別な人になれる。でも他の魔法使いは、石がないと魔法を使えない。おまけに魔法を使うたびに減っていく。力を振るい、特別な人であり続けるために、魔法の石が手放せないの」
ルナリアは熊の腕にぎゅっと抱きつきます。そうでもしなければ自分がはち切れてしまいそうなほど、悲しくてたまらなかったのです。
そんなルナリアを熊が受け止めました。
「もう仲間のことは気にするな。人と違って俺たちは生きるだけでも運試しだ」
熊がそう言ったとき、ルナリアの背中を母親狼が鼻でつつきました。
「そうよ。これからをよくすればいいの。青い石になった魔法使いのためにも」
母親狼にうながされ、ルナリアは熊の腕から離れました。
周りを見ると、さっきより動物たちの数が増えています。母親狼のうわさを聞いて、ルナリアの魔法を見ようと集まってきたそうです。
「さっそく見せてくださいな、闇夜に輝く光のショーを」
ルナリアは動物たちの声に応て杖を握ります。
「じゃあいくよ! とっておきの魔法、見せてあげる!」
そう言って、泉に向かって杖を振りました。




