3.4.4 宝石の涙
帰り道、ルナリアは母親狼に、森に入った理由を聞かれました。
ルナリアは学校でのできごとをぜんぶ話しました。光を出す魔法しか使えないこと。魔法のできが悪くていじめられていること。昨日はねずみに姿を変えられたこと。いじめてくる生徒から逃げるため、森へ入ったことも。
「私、ほんとは学校に戻りたくないの。できるならここを出て、外へ帰りたいの」
最後にルナリアはボソリと言いました。
「やっぱりあそこはおかしな場所なのね。お嬢ちゃんのような子が、ひどい目に遭うなんて」
母親狼の声は、雪道をひとり歩くように悲しげです。
「狼さんは昨日悪い魔女に会ったんでしょ。いったいなにがあったの?」
「なにがあったも、ただの理不尽よ。あの女はあたしを見るなり、冷たい石のまたたきとともに魔法をぶつけてきたのよ」
狼はゴロリと寝転がり、おなかをルナリアに見せました。そこにはナイフで肉をなんども切りつけたようなひどい傷があります。真っ黒な毛はチリチリに乱れ、ルナリアが少し触れると、小さな炭になって崩れてしまいました。
すべてティランナ先生のしわざです。
大けがをしていたのは母親狼が牙をむいたからです。
「あの魔女のうわさは絶えない。ただでさえ狭い森にあたしたちを閉じ込め、魔法の実験台に変えていく。あたしたちが自分と同じ生き物だと、ちっとも思っていないでしょう。まるでこの世の主にでもなったよう。なにも言わない石だって、怒り、悲しむでしょう」
母親狼が身体を起こします。傷ついたおなかはすっかりルナリアの頭の上です。
よく見れば脚も傷だらけ。身体が大きかったからこれで済んだのです。そうでなければ連れ去られていたでしょう。親子はバラバラです。
「残念だけど、学校の人間はまともな魔法を使わない。他の魔法使いもその弟子も、あたしたちにとっては同じ」
狼の言葉は鋭い氷柱のようでした。冷たい刃がルナリアの心に刺さります。
ルナリアは魔法の杖を手に取りました。これは偽物の杖、だけど他の杖と見た目はたいして変わりません。これを持っている限り、学校の魔法使いといっしょのはずです。
「だけど私もその弟子よ。悪い魔女じゃないって、どうして思ったの?」
ルナリアが尋ねると、母親狼は「ふふっ」と笑いました。
「お嬢ちゃんのうわさを聞いていたからよ。あの忌まわしき魔女から森の動物を解き放った」
母親狼が鼻先でルナリアの服を指します。
「それに、一つも飾りのないこの真っ白な服。こそこそ隠れて悪さなんてできない。これがあなたの目印よ」
「ほんとにそれだけ?」
ルナリアは狼の目をのぞき込みながら、首をかしげます。母親狼は杖を差し出すよう言ったのです。ろうやの動物たちが流したうわさや服の色が、決め手ではないはずです。
「疑っているようね」
「だって矛盾してるから。うわさを聞いているなら子どもたちを止めたでしょう。他の動物は優しかったよ。猪さんや熊さんは私を守ってくれた。杖を出す必要もなかったよ」
狼は身を伏せて、ルナリアの目線に顔を合わせました。
「ごめんね。怖い思いをしたでしょう。でもね、あたしは疑わなきゃならなかった。魔法の力を使えば姿や服だってつくろえる。いくらだってあたしたちをだませるの。あの女はお嬢ちゃんを利用したのよ。だからよけいに……」
それを聞いたルナリアは、ぐぅぅっと歯を食いしばりました。よりによって、ティランナ先生が自分の姿を使ったのです。ルナリアを嫌い、もう二度と自分の授業を受けるなと言いながら、ルナリアに化けたのです。いや、嫌いだからできたのでしょう。動物たちとの関係が壊れることに、心が痛むこともなかったでしょう。
「じゃあ、どうして私が私だと分かったの」
「魔法の使い方はうそをつかないわ。他の魔法使いはあんな回りくどいことしないもの」
ルナリアはまた首をかしげます。
「でも、もし私が私じゃなくて悪い魔女の化けた姿だったら、魔法一つであの子たちはろうやの中。使い方なんて見る暇ないはず」
「ええ、今回は幸運だったのよ。息子だけじゃなくお嬢ちゃんも。息子が見た魔女は、下手な魔法が解けたあとだったから。もしあなたに化けた姿を見ていたら、とっくに八つ裂きにしていたでしょう」
狼が小麦の穂を揺らすそよ風のような声で言いました。最後にちょっぴり、子どもたちの未熟な狩りの腕をボソリと嘆いていました。
ルナリアと狼はまた歩き始めます。森がどんどん浅くなり、ほんものの月と星が見えました。学校はまだ見えません。いっそこのまま学校が消えてしまえばいいのに、とルナリアは思いました。
でもルナリアには、ここで暮らす術がないのです。真っ黒な木には実がついていますが、人が食べられるものには思えません。それに魔女は国の宝。ずっと森にいれば、先生や軍服をまとった魔物がルナリアを探しに森へ押し寄せます。ぜったい捕まるでしょうし、森の動物たちはかくまった罪でなにをされるかわかりません。どんなに帰りたくなくても、ルナリアは戻らなければならないのです。
ルナリアは学校の方角から目をそらし、話を続けます。
「じゃあ、これからどうやって私を見分けるの?」
「どうしてそんなことを聞く?」
「なんとなく気になって……。だって、私の姿を借りた悪い魔法使いがもし現れたら、ここの動物たちはまたひどい目に遭う。そしたら私はもうこの森に行けなくなる。いまの私はここしか逃げ場がないの。行けなくなったら、私はもう……生きてられないの」
母親狼はルナリアの背丈に合わせて、また顔を低くします。
「大丈夫よ、ちゃんと目印を見つけたわ」
母親狼がにんまりしながら、しっぽを振っています。
「あなたの宝石は笑ってた」
「それ、どういうこと?」
ルナリアがすかさず聞きます。
「魔女の宝石は泣いているのよ。人にはわからないでしょうけど、かすかに血の涙を流す悲鳴がするの。どんな音かきちんと教えれば、ここの動物たちはみんな気づくわ」
「きっと杖が搾りあげているのでしょう」と狼が最後に付け加えました。
それを聞いたルナリアは目を見開きます。彼女は杖の役割を見抜いていたのです。
「どうしてそんなこと知ってるの?」
「獣の勘よ。当たっていたのね……悲しいことに」
秋の夜風が黒い枯れ葉を落とします。その一枚がルナリアの頭に落ちました。
「もしかして、宝石の正体もわかるの?」
「ええ。だいたい想像がつくわ。知っているの?」
「宝石は心の上澄みよ。それも命あるものの」
ルナリアは杖の先を握って、狼に差し出します。宙に放った魔法の光を呼び寄せて、杖に埋まった宝石を照らします。闇に隠れていた宝石は銀の光を浴びて、透明な青色に変わりました。
「この宝石は私のお父さんなの。学校で与えられた杖に埋まってた。私はその杖でいろんな魔法を使った。魔法は願いを叶えてくれるけど、使うごとに宝石をすり減らすの。宝石が杖から離れたとき、お父さんは小さなシワシワの人形になっていた。まるで水を失くした葉っぱのようだった……」
ルナリアは目をきつく閉じ、まぶたの奥に浮かぶものを必死にこらえます。
「お父さんは家に帰らなかった。出稼ぎの間に悪い魔法使いに捕まって、魔法の石にされたの。それで、私の魔法で、小さく、枯れたの……」
ルナリアはとうとう泣き崩れ、母親狼の真っ黒なほほにぎゅっと抱きつきます。体温に触れながら、流れるような毛を涙で濡らしました。
「こらこら、自分を責める必要はないでしょう」
狼のほほが揺れます。
「でも、お父さんをボロボロにしたのは私なの……」
ルナリアはずっと狼をつかんでいます。
「いいえ。責められるべきはお父さまを宝石にした魔法使い。お嬢ちゃんのせいじゃない。その宝石が手元にあるのは、お父さまが選んだからよ」
狼がほほをなんども動かします。いいかげん離れなさいと言っているかのようです。
――お父さんが選んだから……。
ルナリアは抱きつくのをやめました。手に持った杖を見ると、くぼみにいる父親がルナリアを映しています。ほんのり青みがかった、べそっかきの顔がそこにありました。
「ほら、お父さまも言っているでしょう。さぁ、泣くのはおやめ」
狼が鼻先でルナリアに触れます。つつき方が光のペガサスとそっくりです。
「お嬢ちゃんはいい魔女よ。あたしなら愛娘の優しい魔法に、喜んで身を差し出すわ。きっとお父さまも同じ。そうでなければ、他の宝石みたいに泣いていたはずよ。だからもう、泣くのはおやめ」
宙に浮かべていた光の球もゆっくり下りてきます。人肌ほどの温度を放つ炎の輝きとなって、翼の生えた馬、ペガサスに姿を変えました。
そのオレンジ色のぬくもりを受けながら、ルナリアは涙を拭いました。
「あなたの姿……どこかで見たことあるわ」
狼がペガサスの姿を眺めながらつぶやきました。
「それ、さっきの話?」
「いえ、ずいぶん前の話よ」
「え? それ、どこで見たの? ねぇお願い、どうか教えて!」
ルナリアは目をオレンジにきらきらさせながら狼に尋ねます。顔にはもう涙はありません。
「こんどは急に泣き止んで。いったいどうしたの?」
「知りたいんです。狼さんがペガサスに会った場所を」
「会ったといっても、ペガサスは空想の生き物。あたしが見たのはペガサスの絵よ」
「その絵はどこで見たの?」
ルナリアは狼に食いつくように聞きます。
「この森を抜けた先、どんなに歩いてもたどり着けない場所よ」
「それって『ガラスの壁の向こう側』?」
「ガラスがなにかは分からないけど、壁の向こうであることは間違いない」
狼が立ち上がります。
「さぁさぁ、元気になったところで行きましょ」
ルナリアは光のペガサスと狼に挟まれながら、また歩き始めました。
結局ルナリアは、画家パースのことに触れられませんでした。話そうとしたら狼が止めたのです。その理由はちっとも教えません。「狼さんのケチ」って言ってもダメでした。
ちょっと進むと木がまばらになり、だんだん学校の形が見えてきました。
そこで狼の足が止まりました。
「もう、これ以上行けないの?」とルナリアがひそひそ声で聞きます。
「あたしは目をつけられているから」
狼がそう言って、鼻先をクイッと下から上へ動かします。行きなさいという合図です。
ルナリアはひとり学校へ向かって歩きます。だけど、なんどもなんども、後ろを見ます。
「そんなに振り返って、どうしたの?」と狼が優しい声を投げかけます。
ルナリアは「また森に入っていい?」と、もじもじしながら尋ねました。
「もちろん。森の動物たちには伝えておく。魔法使いどもが化けても大丈夫なように。だから、またおいで。お嬢ちゃん」
それを聞いてルナリアはにっこり笑いました。
「もう『お嬢ちゃん』はやめてね。私はルナリア。狼さんは?」
「あたしは『狼さん』のままでいい。さぁ、行きなさい。ルナリア」
ルナリアは最後の木の横を通り過ぎました。満月の光がくっきり見えます。光のペガサスは姿を消しました。
振り返ると、狼も森の闇に消えていました。
もう学校は真っ暗です。白い校舎には赤い炎がいくつか灯っていますが、窓の向こうに明かりはありません。校舎の扉は閉まっていて、押しても引いてもびくともしません。きっと魔法で鍵をかけたのでしょう。ティランナ先生の件がありましたから、鍵もいつもより強力になっているはずです。いずれにせよ、ルナリアに開けることはできません。
ルナリアは校庭の芝生を歩きまわって、隠し通路を探しました。
芝生の庭に一つだけ岩があります。試しにつついてみるとピクリと動きました。とても重そうな見た目でも、乾いた布地のようにとっても軽いのです。
岩を動かすと、地下への入口が現れました。ルナリアは光の球を生み出して地下へと潜ります。身体がすっぽり入ると、岩は勝手に動いて入口をふさぎました。
地下の通路には不気味な青い炎が灯っています。どこかで見たものと同じ炎です。ルナリアは通路の途中で立ち止まりました。すぐ横には古びた扉、目の前には見覚えのある道。ここはノルン先生の部屋の通路だったのです。
――扉の向こうにはきっと先生がいるはず……。
ルナリアは忍び足で素通りし、そのまま自分の部屋へと帰りました。




