3.4.2 闇夜の化け狼
真っ黒な木々のすき間から、赤黒い夕空が星粒のように見えています。闇夜にうごめく動物たちが目を覚まし、不気味な鳴き声をあげます。ルナリアを囲むうなり声が、少しずつ大きくなっていきます。
木の枝がベキベキとたくさん折れる音がします。数人よってたかって枝を折っても、こんな音にはなりません。人よりも大きな動物がルナリアに迫っています。「グルルルル」とうなり声をあげてやってきます。
「人のにおいがするぞ」
「どんなやつだ」
「女の子だ。まだ小さい。服が白いからよく見える」
「魔女の子か」
「ひとりぼっちの魔女の子だ」
「魔女の子なら悪い子だ。さぁ、さっさと食っちまおう」
「大きくなる前に食っちまおう」
低い声のやりとりはどんどん大きくなっていきます。それなのに姿はまったく見えません。森の闇に溶けているのです。
ルナリアは怖くて怖くてたまらなくなりました。胸元で祈るように両手を結びます。小さな光の球を作って、そっと宙に浮かべました。球は空中で弾け、森の中に銀の光が降り注ぎました。
銀色の光は決して太陽のように強くはありません。月のように小さな輝きです。けれども、うなり声の正体を暴くには充分でした。影のように真っ黒な、七頭の狼が姿を現しました。
狼たちはよだれを垂らし、鋭い牙をむき出しにして、ギラギラ輝く目でルナリアをにらんでいます。狼の身体は異様に大きく、男の人の丈より一回り上です。こんな身体の狼、普通はいません。生半可な攻撃では倒せないでしょう。
そんな七頭にルナリアはすっかりと囲まれていました。もう逃げられません。それにルナリアには光の魔法しかないのです。倒すこともできません。
「狼さん。今日は食べないで見逃してほしいな~。そしたら私、魔法使わないよ。変な魔法かけられるの嫌でしょ?」
ルナリアは声をかけてみます。
すると狼たちは牙を引っ込めました。うなり声も止みました。互いに目配せしながら、また話を始めます。
「どうして俺たちの言葉がわかるのだ」
「いいや、ただの気のせいだ」
「じゃあ、なんで娘の言葉がわかるのだ」
「きっと魔女の力だろう」
「こりゃ気味が悪すぎる」
「さぁ、さっさと食っちまおう」
「助けがこないうちに食っちまおう」
だめです。狼たちがルナリアを食べようと、またどんどん詰め寄ります。
ルナリアは目を閉じて、心の中で光の動物たちを描きました。
すると宙に浮かんだ光の球から、馬の脚が生えてきました。次に首と頭、胴といっしょに翼が生まれ、狼の倍はある大きな銀のペガサスとなりました。しっぽまではっきり見えると、ペガサスは光の球から飛び出し、強く強くまたたきました。太陽にかき消されてしまう淡く儚い光でも、闇を切り裂くには充分でした。
「まぶしいよ」
「なにも見えないよ」
「目が痛いよ」
狼たちが口々に叫びます。どうやら暗闇に棲んでいる狼たちは光が苦手なようです。小さな月の光なら平気でも、ペガサスの光には耐えられません。
ルナリアは心の中で、ペガサスの翼をはためかせました。
狼の前に立つペガサスも大きな翼を動かします。
すっかり混乱した狼たちは慌てふためき、少しずつルナリアから離れていきます。
――どうかこのまま森へ帰って。
ルナリアはそう願いました。
「落ち着け、これは幻だ」
狼の一頭が言いました。
「まぶしいだけの光の塊」
「ぶつかっても痛くない」
「翼はあっても馬だぜ、馬。草食だ」
「草食なら怖くない」
「きっとこの子は戦えない」
「さぁ、仕返しに食っちまおう」
「俺たちに刃向かった罰として」
最初の一言がきっかけで、狼たちはペガサスの正体に気づいてしまいました。ペガサスの光に顔をしかめながら、また鋭い牙をむき出しにしてルナリアに迫ります。
もうこの目くらましは使えません。ルナリアはどうすれば狼たちを追い払えるか考えました。
ペガサスに火を吐かせるのは? だめだめ、熱くないからすぐ気づかれちゃう。
緑の蛇をたくさん放つのは? だめだめ、相手は大きな狼。踏んづけられてすぐバレる。
瞳に星を降らせて目潰しするのは? だめだめ、それだと狼は動かない。そばを通ればかまれちゃう。
じゃあ、どうすれば? どうすれば……。
そうやって考えていると、七頭の狼がいっせいに笑いだしました。
「おやおや、嬢ちゃんなにもしない」
「ずっと考えてばかりいる」
「なんだかびくびく震えてる」
「きっとまともに魔法使えない」
「こりゃ楽ちん楽ちん、食いやすい」
「食われたくないのなら」
「とっとと魔法をかけてみろ!」
あざけり笑う狼に、ルナリアの血が煮えたぎりました。
「あなたたち、『魔法をかけてみろ』って言ったね」
ルナリアは狼に杖を向けました。父親の宝石が埋まった偽物の杖です。振っても魔法は使えません。
狼たちは杖を見ても、まったくひるむ様子はありません。むしろジリジリとルナリアに近づいています。
「そうだとも。俺たちを倒せる魔法が使えればの話だが」
狼の一頭が笑いながら言います。残りの六頭もいっしょに笑います。
たしかにルナリアには狼を倒せる魔法はありません。だけど胸の底から狼と戦える自信が湧いてきました。
「じゃあお望みどおり、魔法をかけてあげるね。早く逃げないと、ぜったい後悔するよ」
そう言った瞬間、狼たちが飛びかかります。
ルナリアは杖を振りました。
狼の顔目がけ、毒々しい紫に輝く霧がもくもく吹き出します。霧はあっという間に七頭の狼を包みました。
狼たちはすっかりパニックです。普段は鼻で獲物を追っているのに、動きがガタガタです。足がすくんだり、互いにぶつかったりしています。人の丈を超える狼です、激突すればただでは済みません。おかげでルナリアを囲んでいた狼たちの輪が崩れました。
輪の切れ目からルナリアはそっと抜け出します。でもこれでは不十分、さっきのように頭が冷めたらもうおしまい。彼らは鼻が利きますから、どんなに走っても捕まってしまうでしょう。
紫の霧が晴れていきます。ルナリアにとってだいじなのはこれからです。
霧がすっかり消えたあと、狼たちは慌てふためきました。互いの身体をキョロキョロ見てはつついたり、自分の身体を土や木にすりつけたりしています。
「なんだよこれ?」
「うわ、変な色!」
「変な色になっちゃった!」
真っ黒な毛が自慢だった狼たちは、すっかり色が変わっています。一頭はお花のようなピンク色。一頭はバラのような赤。もう一頭は青空に浮かぶ白い雲で、もこもことした模様付き。他の三頭は白黒で、シマウマ柄にパンダ柄、ホルスタインのような牛の柄。そして残る一頭は虹の色で、赤から紫の帯が、身体中をぐるぐる動いてました。
「『魔法をかけて』って言ったから光らせてあげたの。それ、ずぅ~っと消えないからね。私を食べると一生そのままよ」
「「「「「「「えぇ~っ?」」」」」」」
狼たちはがっくりです。
ここは太陽が届かない真っ暗な森。この森にいる限り、七頭は光りっぱなしです。
「カッコ悪いよ」
「恥ずかしいよ」
「これでは姿を隠せない」
「狩りができない」
「食べものにありつけない」
「俺たち暮らせない」
「どうか魔法を解いてくれ」
狼たちはすっかり涙声です。
「食べようとして悪かった」
「もう食べたりしないから」
「どうか魔法を解いてくれ」
元に戻すようひたすらお願いします。
でもルナリアは、かけた魔法を解く気はありません。狼たちをほったらかして、くるりと後ろを向きます。
その瞬間、黒いなにかが足を止めました。




