3.3.- ノルン先生の正体
先生の部屋でルナリアは元の姿に戻してもらいました。
「ごめんなさい。私が弱すぎるから……」
ルナリアはペコリと謝ります。
そんなルナリアに、ノルン先生は首を横に振りました。
「謝らなくていい。あなたは悪くない。杖なしであれほどの魔法を使えるなんて上出来よ」
そう言って、先生がため息をつきました。
「……ここの人間もずいぶんと落ちぶれたものね」と。
「きっとみんな、これの正体を知らないから。ひどい魔法に変えても平気なんでしょう」
ルナリアは杖の宝石を指しながら言います。
先生は淡々と「ええ、きっとそうね」とだけ答えました。
ルナリアはふと、学校へ導いた軍人の言葉を思い出しました。
『どうか、素直な心のまま過ごしてくれ。決して力にのみ込まれないように』
これは魔法使いではなく剣士が言ったものです。
ここにいる生徒は彼が託した思いとは真逆です。あれはルナリアだけに投げかけられたものでしょうか。いずれにしろ、他の生徒は宝石の力に溺れています。
「じゃあ、先生はどうして宝石の正体を教えないのですか? 普段の格好なら『先生』って言われているのに、授業してるところ、見たことありません」
「それは……」
「教えてください。気になります!」
先生はルナリアから視線をそらしました。苦しい顔つきで壁にかけた絵を見ています。絵にはきらびやかな黄金の街があります。ルナリアの家のそばにあった街にそっくりです。どうやってもたどり着けない幻の街は、青い炎に照らされてきらりと輝きます。
先生はルナリアに向き直り、口を開きました。
「たしかに私は先生だった。同時に王城の軍人でもある。軍といっても外国と戦うわけではない。国を守るという名のもと結界を築き、杖の宝石を掘り当てるのが務めだった。私は誰よりもたくさん宝石を国に捧げ、その功績で学校の先生となった。軍事訓練の授業、ティランナ先生の前任としてね」
「掘り当てるって……国にある青い宝石は魔法で王城に移したんですよね」
「そう。土に眠っていたものはすべてね」
先生の言うとおりなら、鉱脈の宝石はもうないはずです。宝石を掘り当てる方法は一つしかありません。
「じゃあ、もしかして先生って……」
ルナリアは謝りながら、最も忌まわしい人々を指す言葉を口にしました。
「『ごめんなさい』なんて言わなくていい。私は『人さらい』だった。百人以上の心を魔力に引き換えてきた。そうやって私は毎月のように、宝石を国に納めたの」
先生はそう言って、真っ黒な軍服を箱の中に投げつけます。
箱は服を食べるように勝手に開き、胃袋に入れたらひとりでに閉じました。
「あのマントを着れば誰だって魔物に化けられるのよ。私は魔法使いであり続けるために、素顔を隠し宝石を削りながら、普通の暮らしを送る人々を捕らえて宝石に換えてきた。人の姿を捨てて暗闇でこそこそするだけの、卑怯でどうしようもない魔女だった。それは学校でも同じ。人を狭い世界に閉じ込め、宝石に変える魔法使いをたくさん育てた。宝石の正体を明かさないまま、子どもたちを魔法の力に溺れさせた」
先生が目を伏せながら言います。
「そうして私は罪を重ねていったのよ」と。
ルナリアは熱く煮えるなにかをこらえながら、ただ黙って聞いていました。
先生は壁にかかった絵へ吸い込まれるように歩きます。絵のそばにある青い炎が先生の涙を照らします。まるで瞳から宝石があふれているようでした。
「この絵は『ガラスの壁の向こう側』、結界の外が描かれている。私たちがくだらない結界を張っている間に、外国はどんどん進んでいく。私はくだらない魔法を使って国に協力した。宝石にすがる魔法使いを生み出した。だから私は授業をやめたのよ」
「そんなの理由になってない! そこまでわかっているなら、どうしてほんとのことを教えないの? 先生の立場があったらまともな人を育てられたはず。それなのに、身を引くなんて……先生はずっと魔物のままよ!」
ルナリアは声を荒げながら言います。
背中の影から真っ赤に燃え上がるペガサスが飛び出します。あまりに沸き立つ心がペガサスを呼んだのです。先生の丈より大きな身体は、光の塊でも迫力があります。耳をくるくる、鼻をピクピクさせながら、先生をにらんでいます。ほんとうの炎だったら、とっくに焼き殺していたことでしょう。
でもペガサスは光の塊にすぎません。それは自分でもわかっています。だから鋭い眼差しを向けるだけで、先生にはなにもできませんでした。だけど脅しとしては充分です。
「あなた、意外と恐ろしい魔法を使うのね……」
「そんなのどうでもいいです! どうして先生が正しいことを教えないの? どうして、悪い魔法ばかり使うティランナが先生なの?」
先生がゆっくりとルナリアに向き直りました。
「それは国が決めたことだからよ。魔法使いは国に逆らえない。王城の軍から送られた私は特にそう。杖に埋まった宝石の正体は教えてはならない。親にも同じ義務が課せられている。学校を出るまでは、無限に湧き出る泉のような幻想を抱いていてほしい。そうしなければ、あなたやシャルルのように杖を折ってしまうから」
「そんなの言い訳です!」
「私はうそつきでいられなかった。でも正しいことを教えれば、罰せられて宝石になってしまう。だから、黙るしかなかった。だから軍人にも先生にもなれないように振る舞って、軍と学校を連絡する事務員に落ち着いた」
先生はまた黄金の街の絵を向きました。一粒の青い涙が落ちます。
もうがんじがらめだったのです。先生は狭い結界の中。どれだけあがいても黄金の街には届きません。この檻の中で生きるしかなかったのです。
そんな先生の横で、赤いペガサスが身体をふるふる震わせます。光の粉が部屋いっぱいに飛び散ります。その一粒が絵にぶつかって、金色の文字を浮かびあがらせました。
『パース』
銀色のペガサスを描いた画家のサインです。
ルナリアと目が合うと、パースのサインは恥ずかしそうに消えました。
ルナリアがそっと部屋の扉を開けます。
先生は絵のそばでうつむいたまま動きません。部屋から抜け出すのを止めはしませんでした。
先生の部屋を出たあと、ルナリアは自分の部屋に帰りました。部屋の扉を開けると、まるでお姫さまが来たかのように、黄金の光が出迎えます。どんなにできが悪くても、ルナリアはいまも学校の生徒なのです。
窓からは大きな夕陽が見えます。まもなく夕食の時間です。
食事だってちゃんと用意されています。ただ、みんなといっしょというわけにはいきませんから、いつものように時間前に忍び込み、くすねたお皿で自室に持ち帰ります。
そしていつものように明かりを消して、光の動物たちと戯れながら夕食をとりました。
ちゃんとお風呂も入れます。日付が変わる直前を狙って、七階のを使えば大丈夫。誰もいない不気味な場所ですから、みんなめったに近寄りません。物好きな子が三人いますが、この時間ならとっくに寝ています。なにかが出そうな気配がしたら、湯船から宝石色の光を噴水のように出して遊びます。弱い明かりでも真っ暗よりはまし。ちっとも怖くなくなります。
そしてまた部屋に戻れば、光の動物たちと眠るのです。
ルナリアは夜の間だけ魔女でいられます。
たとえひとりぼっちでも、この時間が一番楽しく、幸せでした。




