3.1.1 魔物の巣で
ルナリアが目覚めると、そこは薄暗い部屋の中でした。青色の不気味な炎が一つ、ゆらゆらと揺れています。部屋の明かりはそれだけです。そのすぐ横に金色にきらめく街の絵が飾られています。さらにその隣には、黒いマントの魔法使いが立っていました。
「むぐうぅ、むぐっ」
ルナリアは叫ぼうとしましたが、声が出ません。くちびるがべったりついて離れないのです。
きっとこの魔法使いが口封じの呪いをかけたのです。
「ようやく目覚めたようね、ルナリア」
冷たく淡々とした女の声がします。魔女が頭のフードを取ります。
その顔にルナリアは見覚えがありました。
学校に来て最初に会った先生、ノルン先生だったのです。
先生はまとっていた黒いマントを脱ぎ、部屋の隅にある箱へ向かって投げ捨てました。
閉じていた箱のふたが勝手に開きます。投げられたマントを食べるかのようです。箱が開くと中から青い宝石の光が放たれます。でもそれは一瞬。マントを口に入れると、箱はひとりでに閉じました。
「あのマントは国軍の魔法使いが着るもの。学校を卒業して軍に雇われた生徒はみんなこれを着る。あなたのふわふわのクリーム色とは真逆の服。見たことある?」
ルナリアは首を横に振りました。
「あなたはとても幸運ね。あれほどあなたに似合わないものはないから」
先生がルナリアにほほえみかけました。
「ぜったい大声を出さないって約束する?」
先生の言葉にルナリアがうなずきます。すると青い光が部屋中に弾けて、ひっついたくちびるが離れました。口が自由になったとたん、ルナリアは激しく息をしました。
「怖がらせて、ごめんね」
先生がささやくように言います。
「先生、私……いったいなにがあったんですか?」
「あなたは法律を犯した。国から賜った魔法の杖を折った。だから国軍に捕まった」
ルナリアを捕らえたのはかぎ爪の魔物です。それがノルン先生のところに運んだのでしょうか。
「先生って軍の人だったの?」
「ええ、肩書きはそう。でも私の心はもう、軍人ではない」
「それってどういう……」
「細かい話は後で。先にやるべきことがある」
先生がルナリアのそばにある箱に杖を向けます。箱はとても大きく、ルナリアくらいの子なら二人は入るものです。見た目は木でできていますが、ただの箱ではなさそうです。
そんな箱があるなんて、ルナリアは気づきませんでした。
先生が杖を一振りして箱を開けます。中から二つの物を取り出して、ルナリアに見せました。
ちらりと見える長い棒は宝石のない杖でした。宝石をはめ込むくぼみがぽっかり空いています。
「模造の杖よ。あなたがここにいるための細工。形は似ているけど、この杖に魔法を使う力はない」
もう一つの手にあったのは、ルナリアの父親と同じ顔をした人形でした。ずっとずっと帰らず、無残な姿となり果てた父親そのものです。それを見たルナリアは、また目をうるませながら崩れてしまいました。
「そんなに泣いて、どうしたの?」と先生が聞きます。
ルナリアは叫びたくなるほどの声を殺しながら「その人形はお父さんなの」と言いました。ずっと家に帰ってこなかったことも伝えました。
「そう……めったにないことが起きたようね」
ノルン先生は悩んでいます。部屋に静かな時間が流れます。青い炎の揺らめきしかありません。
一分ほど経ったとき、先生はくちびるを震わせながら、心の奥底を搾り出すように言いました。
「青い宝石はね。命あるものから作られた、心の上澄みなのよ」
それが魔法の宝石の正体なのです。先生はそれをルナリアに伝えました。
「父君は姿こそ変わってしまった。でも心はまだ生きている。あなたのそばにいるの」
先生は机の上に杖と人形をそっと置き、黒いマントをしまった箱をちらりと見ます。その瞬間、歯を食いしばる様子が見えました。心の内から湧きあがるものをこらえるように。
ルナリアは机の上にある人形を手に取りました。どんなにしぼんでいても、顔は間違いなくルナリアの父親です。でも人形の瞳に光はありません。もう語りかけてくることはありません。
ルナリアはとても悔やみました。
「私のせいでお父さんがこんな姿になったの。私が魔法をいっぱい使ったせいで小さくなってしまったの。私のせいで、私のせいで……」
父親を宝石に変えたのはルナリアではありません。けれども宝石は魔法の源。ルナリアよりずっと大きくてまだ三十歳にもなってない父親が、小さなシワまみれの人形に変わったのは、ルナリアが魔法に引き換えてしまったからです。
父親の人形に涙が一粒落ちました。
そのとき、ルナリアは首筋に人肌のようなぬくもりを感じました。
振り返るとオレンジ色の小さなペガサスがいました。最近はうさぎばかり出していたので、その姿を見るのは久しぶりです。ペガサスが舌でルナリアをペロペロとなめています。
「もういいよ。これ以上あなたがいたら、お父さんがもっと小さくなっちゃう」
ペガサスはルナリアの言うことを聞きません。舌でなめ終えたら、鼻先でルナリアをつつきました。痛くはありません。ただ人が指で触れたような温かさがあるだけです。
ルナリアは人形に言います。
「お父さん、もういいよ。私、もう現実を受け入れたから。これ以上小さくならないで、ずっと私のそばにいて。お人形の姿でいいから」
光のペガサスは消えません。オレンジの身体にぽつりとついた黒い目玉で、ルナリアをのぞきこむように見ていました。
「ルナリア、その魔法はあなたのものよ。宝石からむしり取った力ではない」
「どういうこと?」
「ペガサスを出しても宝石は減らないってこと。ここに来る前のこと、もう忘れたの?」
先生の言うとおりでした。この魔法なら杖がなくても使える。魔法使いでいられる。だから自信を持って杖を折り捨てたのです。ルナリアは父親の姿を見てパニックになっていたようです。
「そのペガサスはあなたを慕っている。あなたは消えてはならない、父君とともにいたいのでしょう」
ルナリアはうなずきます。
「それなら、私の話をよく聞いて」
先生はルナリアに杖を渡しました。青い宝石がないだけで、他は前の杖とそっくりです。
「あなたは杖を折った。このままではあなたは法律を犯した罪で、国軍に捕まり、処罰される」
「退学処分ではないのですか」
ルナリアの質問に先生は首を横に振りました。
「違う。現実はあなたが思うように甘くはない。杖を折れば普通は魔法を使えなくなる。杖を持ってないと知られれば魔法使いでないとみなされ、身分を失う。魔法使いでない者はただの平民。なにをしても許される。宝石に変えて、魔法の力に変えてもかまわない」
「それじゃあ、その処罰って……宝石に変えられるってこと?」
先生は「そうよ」と、さらりと言いました。
「なんてこと……」
ルナリアは自分の行いが招く結果を知って、また落ち込んでしまいました。手やくちびる、いや全身わなわなと震えています。青い宝石にされて魔法に引き換えられるのは、時間の問題です。
それなのに、なぜか先生はにっこりしていました。
「そうこわばらないで。ぜったい石にはさせないから」
先生の笑みは邪悪な魔女のものではありません。『ぜったい救い出せる』という自信の表れでした。
「でも、どうやって?」
「さっき言ったとおり、その杖は魔法の杖と似せて作ってある。宝石をはめるくぼみもあるけれど、宝石をすり減らし魔法に変える力はない。だから普通の魔法は使えない。これからはあなただけの力で乗り切らないといけない。けれどもあなたは、魔女であり続ける」
先生がペガサスを指さします。
指されたのが恥ずかしかったのか、ペガサスは身体を半分に縮めてルナリアの背中に隠れました。
「光の魔法さえ使えれば、魔法使いの身分は奪われない。杖を折った証拠は私が処分した。たとえ杖が偽物でも、あなたは杖を折っていないことになる。杖の形さえ整えれば、あなたを罰することはできないのよ」
先生は杖を手に取りました。あの忌まわしき青の光がぼんやりと放たれています。
「ルナリア、父君を机の上に」
「いったいなにをする気なの?」
「父君を宝石に戻すのよ。それを杖にはめれば、あなたはあなたのままでいられる。ろくでもない魔法使いに捕まって、悪い魔法に引き換えられることはない。それは父君も同じ。杖に収まっている限り、お父さまはあなたの手元にずっといられる。離さないように握りしめて。ルナリアは生きていなければならない」
ルナリアはほんの少したじろぎました。
横からペガサスがルナリアをつつきます。また勝手に大きくなっていました。そしてなにかを訴えかけるように寄り添います。
ルナリアはただ、人形の顔を見つめています。
人形のしわしわの顔がピクピクリと動きます。動かない身体で懸命にほほえみかけたのです。ルナリアは父親をぎゅっと抱きしめました。心に焼き付けようと顔を見つめました。
「お帰りなさい。お父さん」
ルナリアは机の上に父親を置きました。
「では、始めましょう」
先生がルナリアの父親に向かって杖を振りました。
杖から放たれた宝石の光が部屋中を照らします。見ていられないほどのまぶしさに、ルナリアは手で目を押さえます。視界は透明な水の青でいっぱいです。父親の姿はもう見えません。光の色に染まり、溶けていきます。もうすぐ魔法は完了です。杖の宝石が力を弱めていきます。
部屋に灯る不気味な青い炎が見えたころには、父親の人形は小さな青い宝石へと姿を変えていました。
ルナリアは先生から宝石を受け取り、杖のくぼみにはめました。宝石はくぼみよりずっと小さく、ポロリと落ちてしまいそうです。でも宝石は、まるでそこが居場所なのだと言うように、ぴったりと杖のくぼみにひっつきました。
「その杖はあなたの父君よ。だいじにしなさい」
ルナリアは杖の宝石をじっと見つめていました。




