2.7.3 僕らは檻の中
ルナリアはシャルから、学校ができる前の話を聞きました。
「この学校ができるさらに昔、この王国はとても貧しかったんだ。人々は豊かさを求めて他国へ逃げ、国は衰えつつあった。なんとか国を立て直そうとした国王は、黄金の鉱脈探しを命じた」
ためしに民に地面を掘らせたら、黄金の代わりに、青い宝石がたくさん出たそうです。まるで地下に眠る湖のよう。硬くて水のように澄んだ石は、宝飾品にぴったりでした。当然、国王は宝石を売ることを考えました。実際、黄金よりずっといい値がついたそうです。
「でも、青い宝石は国のもとへ来なくなった。石の輝きが城から見えているのにかかわらず」
「それって、懐に入れられたってこと?」
ルナリアが聞きました。
「そうだ。宝石採掘していたある男が宝石の力に気づいたんだ『宝石に願えば、どんな望みも叶う』と。彼は魔法を使って国の兵士を黙らせ、他の人々が掘り上げた宝石までも、自分の手にため込んだ」
「まさか王様が入れ替わったの? 採掘していた人に?」
「いや、そうはならなかった」
そのころには王城にも宝石の蓄えがありました。国王は自ら魔法の発動方法を研究し、一人で様々な術を行使できる大魔法使いとなったのです。そして配下の兵士にも魔法の使い方を教え、魔法使いの軍を作りました。
一方、例の男は宝石の力を独り占めにしていました。周りの人々は表では服従していても、陰では反抗心を煮やしています。そこに国軍が飛び込んだのです。例の男は王様以上の魔法使いとなっていましたが、国軍の方が数で勝っています。軍すべての力を集めれば、彼の魔力だって超えられるのです。
彼が支配していた人々は、しだいに国の側につきました。掘り出された宝石は国に流れ、やがて魔法の源泉が底をつきます。とうとう彼は魔法の力を失って、国軍が勝利を収めたのです。
「この戦いの過程が、僕らのいる王立学校の基礎になっている」
「つまり、元は軍の学校……」
「いまもここは軍事学校だ。だから軍事訓練という授業がある。卒業すれば当時の兵士と同じで国に仕える。ただし全員が軍に行くとは限らない。王城に入る者もいれば、領に戻って国の支配を補佐する者もいる。それは当時と違う」
シャルの話にルナリアは目をそむけ、きらきら光る水面を見つめています。
「そうなんだ……私、知らなかった」
「無理はない。これを知っている平民はいないはずだから」
「どうして私たちには知らされないの?」
ルナリアの視線は、ずっと泉の中です。
シャルもくるりと泉の方を向き、答えます。
「国は魔法の源泉を秘密にしたかったんだ。宝石さえ手に入れば誰だって魔法使いになれると、知られたくなかった。学校を出た魔法使いがなにをしているかも、伏せたかったんだ」
戦いの後、国王は、青い宝石が二度と民に渡らぬよう、強力な魔法でぜんぶ吸い上げてしまったのです。そうして大地から抜き取った宝石は、魔法でこさえた王城の地下空間に隠されました。
国は平民の手に魔法の力が届かないようにしたうえで、宝石にまつわる記憶を消し、自分たちには使えない特別な力だと信じ込ませたのです。
「でも王様は、魔法使いを欲しがっていた。魔法の力があれば国力を保てる。だから魔法使いを育てることにした。そしてこの王立学校を建て、生徒を募った。国に絶対忠誠を誓う魔法使いを育てるため、『魔法が使える』ことを入学の条件にして」
「それだと、入学できる人はお城の人だけになっちゃう」
「そうだ。これが学校の正体さ。軍事訓練が行われる理由も、あの法律の意味も、生徒の身分も。もうわかるだろう」
シャルは泉に吐き捨てるように言いました。
この学校の生徒は、魔法の素質だけで入学したわけではありません。宝石を持てる上流階級の子しか、入れないようになっているのです。きっと、試験をくぐり抜けるための練習もしていたことでしょう。そして宝石の魔力を借りて魔法使いとなり、国の宝としての身分を引き継ぐのです。
ルナリアが見つめている泉は水がとても澄んでいて、白い砂底がよく見えます。強い噴流が黒い落ち葉を押し流しているのです。純白と黄金で彩られた学校はこれと真逆。よどんで真っ黒に汚れた水のよう。この森みたいに闇がかかっていて、きっとひどい臭いを放つのです。
シャルの口調は、それに耐えられないと、訴えているようでした。
傾きゆく太陽に背中を照らされ、二人の顔に黒い影がかかります。
「どうしてシャルはここから逃げ出したいの。さっき私が妖精だったら、遠くへ行かせてって言ったよね」
「それは、僕が僕でいるためだ」
「どういうこと?」
ルナリアには、シャルの言っていることがさっぱりわかりませんでした。
「このままここにいたら、『悪い魔法使い』になってしまいそうだから」
シャルが泉を見据えたまま言います。
「どうして『悪い魔法使い』になるの? それはシャルの心が決めること。南西領主の子なら、なんだってできるはずなのに。立派な家の人なんだから、お金も力も困らないでしょ」
シャルの見つめる水面が風に揺れます。鏡のようにきれいに映っていた顔は、波で崩れてしまいました。とても冷たい風です。まだ春の初め。夕方になれば冷えるのです。
「ルナリア、そうとは限らないんだよ。たしかに僕は南西領主の長男だ。学校を出れば南西領を継ぎ、何不自由なく暮らせる。王族を除けばきっと誰より、いまの制度の恩恵を受けている。お金も力も、いまの制度に従う条件で手に入るものなんだ。
だから、僕は逃げられないんだ」
「じゃあ、継ぐのやめたら」
「それは無理だ。家は長男が継ぐことと代々決まっているんだ。平民の子のように自由じゃない」
シャルがピシャリと言いました。
幼い頃からしつけられているのでしょうか、表情こそは普段のシャルです。でもその内側に荒ぶる思いが見え隠れしています。握りこぶしが震え、瞳は水面のように揺れています。必死に隠そうとしているのでしょうけど、身体は正直なようです。この仕草こそ、本心でしょう。その矛先が王国の制度なのか、自分の家系なのか、ルナリアの無知なのかはわかりません。
「僕は逃げ出す術を知らないんだ」
そうこぼすシャルの言葉を聞いて、ルナリアは一つひらめきました。
「杖を折ればどう? 退学処分になるし、家にさえ帰らなければいいはず。ほら出て行く手段はあるよ」
すると、シャルがすぐさま「無理だ」と言いました。
「どうして?」
「杖を折れば僕らは一気に力を失う。宝石の使い方を知っていても、杖がなければ魔法使いとして生きていけないんだ」
シャルが杖に手を触れます。
「宝石の力を引き出すこの杖は、代わりがきかない。杖がなくなれば魔法使いの地位も永久に失う。もう国の宝でなくなり、ただの平民になってしまう。平民の身になればどうなるか、ルナリアは知っているはずだ。
この国では力も地位もない者に対しては、なにをしても許される。殺したってかまわない。殺しても罰せられない。学校の中で杖を折ればどうなる? 僕は狭い結界の中で魔法使いに囲まれる。僕に勝ち目はない。あの狂った法律のせいでね」
シャルは打ちつける激しい雨のように、早口で言い放ちました。そして暗い顔のまま、ボソリとつぶやきます。
「だから退学できないんだ。少なくとも、いまの僕にはね」
ルナリアは自分の手を見ました。べったり赤く濡れています。あまりにも強く手を握ったため、手に爪が当たって切れてしまったのです。それほどいらだち、心が煮えていました。
でも、その思いをシャルにぶつけることはできませんでした。だってルナリアも同じ立場なのです。家系の問題はなくとも、この状況から逃げ出せていないのは変わりません。
「ルナリアはどこで魔法を習ったんだい? 光の動物を生み出すあの魔法、心を宿した光が自らの意思で駆けていく。あのとき杖を握らなかった。宝石は瞬かなかった。あれはどこで身につけたんだい? どうか、どうか教えてほしい」
シャルにそう聞かれ、ルナリアは声をつまらせました。
隠したいからではありません。期待に添えないと見えていたからです。ルナリアは正直に言います。
「ごめんなさい、わからないの。小さいころから光の魔法は使えてたから」
落胆の気持ちを抱きながら斜め下へわずかに動く瞳を、ルナリアは見逃しませんでした。これでもシャルは、気持ちを隠そうと必死なのです。でも、彼の望む答えでなかったのは、丸わかりでした。ルナリアは気づいていないふりをして、話を続けます。
「夜になったら小指の先っぽほどの光を出して、お針子してたの。炉の火にかざせば消えてしまうお星さまのような光の球。お父さんに言われるまでは、誰だって出せるものだと思ってた。どうして私だけがこんな魔法を使えるのか、いまだにわからない」
「じゃあ光の動物を出すために、いったいどんな訓練をしたんだい? 最初からできたとは思えない」
柔らかでいてトーンの高い声でシャルが聞きます。冷めているようには感じません。むしろ期待感であふれています。それが余計にルナリアの胸を痛めました。
「実は、訓練してないの。訓練したのは動物を出せるようになってから」
弱々しい声で答えます。
「それなら、きっかけは? 昨日の夕食でルナリアは画家の話をしていただろう。その画家に会ったのか?」
シャルの質問に、ルナリアは首を横に振りました。
「画家には会ってない。市場の隅に捨てられた一枚の絵を拾っただけ。とってもきれいなペガサスの絵で、光にさらすと身体が銀色に輝くの。それを家に飾って、私は毎日絵の前で仕事をしていた。ただそれだけ。でも、きっかけはある」
ルナリアは故郷でのできごとをシャルに話します。母親の治療費のため絵を売ろうとしたこと、市場で価値がないと絵を投げ捨てられたこと、人さらいに遭ったこと、小さなキャンバスに描かれたペガサスが光となって現れ、ルナリアを守ってくれたこと。
それをシャルは黙って聞いていました。
「光の動物を出せるようになったのはそれから。私は、画家の絵が守ってくれたんだって思ってる。光の動物を出す魔法はその画家から教えてもらったの。たぶん、きっと」
「その画家の名前は?」
「パース。知ってるの?」
「いや、名前は知らない。でもおそらく、僕はその画家を知っている」
シャルが赤い空を見上げながら言います。
「銀にきらめく天馬が暗黒の泡を抜け出して、青空と黄金の世界に飛び立つ絵。僕はそれを見たことがある。天馬はペガサスのことだ。燃やされて、もうこの世にはないけどね。もしかしたら、あれは画家パースの絵だったかもしれない」
シャルはなんだか寂しそうな声で言いました。
「聞いてるだけでもすごそうな絵。なんで燃やしちゃったの?」
するとシャルは「領の主が嫌ったんだ」と言いました。
「それなら普通は目に届かないはず。どうしてシャルは、そんな絵が見れたの?」と、ルナリアは聞きます。
シャルがまとう雰囲気が変わりました。そしていきなり「僕が南西領主の長男だからだ! 絵を燃やしたのは僕の父なんだ!」と吐き捨てたのです。
きつい言い方にルナリアは思わず身を引きました。
もしこの場に父親がいたら、シャルは殴りかかったかもしれません。それほど怒りに満ちた声でした。それなのに、シャルの表情はひどく落ち着いています。雰囲気も普段のシャルに戻っています。オルカが遣った、のっぺらぼうの人さらいみたいに、魔法で繕った仮面をつけているようでした。
「怖がらせてすまない」
シャルの表情はずっと変わりません。南西領の話になってからずっとそうです。きっと家では心を隠し続けていたのでしょう。怒りを潜めるシャルに、ルナリアはなにも言えませんでした。
「ルナリア。君は僕よりよっぽど望みがある。僕は学校から出るなんて無理だと言った。でもルナリアには当てはまらないかもしれない」
「それ、どういうこと?」
「ルナリアには武器がある。宝石の力に頼らずとも光の魔法を使える。それに僕らと違って檻の外にいる」
「檻?」
「法律の授業で変な魔法をかけられそうになっただろう?」
「本から赤い光がぱあぁ~っと出るやつ? あれ、とっても気分が悪かった。本は燃えたしなんともなかったけど、いったいあれはなんなの?」
「あれは暗示だ。王国に逆らわないようにするための」
ルナリアはあぜんとしました。手に爪が深く食い込みます。また血がしみ出します。赤く染まった手が小刻みに震えました。
『まったく、ろうや好きな連中だ。狭い場所に閉じ込めることしか知らない』
ルナリアの頭の中で、青い小鳥の声がなんどもなんども、こだまとなって響きます。昨日習った空を飛ぶ魔法のように、ルナリアが獣たちを解き放ったように、魔法を使えばいくらでも人を自由にできるはずです。飛行の授業の先生は、上手くなれば透明の壁も抜けられると言っていました。
でも、学校のやっていることは正反対。ルナリアの家のそばにある透明な壁も、きっと……。
「どうしてそんなことを?」
ルナリアが聞きます。それ以外はもうため息しか出ません。
「王国に不都合だからだ。知恵と力と自由な心があってなにも持たない者ほど、恐ろしいものはない。だから、僕らは国に逆らえないようになっている。逆らえば、身体がいうことをきかなくなるんだ」
ルナリアはそっと岩から下ります。
そして杖を握り、シャルに向けました。
「ルナリア、やめろ!」
「どうして? シャルのためよ」
ルナリアの杖の宝石が青く輝きだします。
「ダメだ!」
シャルが叫びます。
ルナリアは聞きません。
青い宝石が夕陽より強い光を放ちました。
目を閉じてシャルを縛りつける魔法を探り始めます。
暗い紅色の檻がシャルを囲っています。内側にはトゲがついていて刺さると痛そうです。国に逆らえば檻は縮んで、シャルを突き刺すのでしょう。
――この檻を壊せばいいのね。
ルナリアにはすぐわかりました。
地下に閉じ込められた動物を助けたときのように、檻に向かって杖をなんども振ります。けれども檻はびくともしません。地下の土よりはるか硬いのです。なんどもなんども杖を振っても、檻は宝石の青い火花を散らすばかりで、壊れる兆しはありません。
とうとうルナリアは力尽き、倒れ込んでしまいました。




