2.7.2 シャルの心
森の奥は昼間でも太陽の光が届きません。辺りは夕闇から夜の闇へと変わりました。ルナリアの足元を小さな光のうさぎが歩いています。明かりはこれだけです。
『この森の動物は光を嫌っている。宝石のまたたきを放てば、怒りを買ってしまうんだ』
シャルからそう聞いていたのです。ルナリアにとって光を出すのは慣れっこです。魔法の杖など必要ありません。おまけに魔法のうさぎが放つ光は月明かりのよう。このくらいの明るさなら、動物たちを怒らせる心配はありません。
二人並んで森を歩き続けます。
「まだ授業ですよね、どうして私のところに来たのですか?」
ルナリアはひそひそ声で話します。
この森に入る人間は魔法使いだけです。だから大きな声を出すのもダメ。獣たちが荒立ってしまいます。
「学校にこもっている気になれなかったんだ。ルナリアを見世物にしたくなかった。ティランナは君をさらし者にしようと、学校に近い場所で立ちんぼさせた。僕はあんな魔女の思い通りにさせたくなかったんだ」
声を抑えながら、ときおり語気にとげを立ててシャルが言いました。
「でも、授業をほっぽり出すとマズいと聞きました」
授業を欠席すれば、学校は『国の宝が消えた、探せ!』と大騒ぎになるのです。きっと森の中だって探しに来るでしょう。だからルナリアは心配になったのです。
「今日の授業はぜんぶ中止になったよ」
「中止?」
「ルナリアが騒ぎを起こしたものだから、全校生徒で動物たちを捕らえることになったんだ」
地下牢を破ったことは、ルナリアの想像以上におおごとだったようです。シャルの話を聞いて、ルナリアは全身が冷めていくのを感じました。心臓がバクバクと早く動きます。
「もしかして、あの動物たち、ほとんど捕まっちゃったのでしょうか?」
「残念だけど、七割がたはね」
「そう……ですか」
ルナリアは目元を拭いながら、力なく言いました。
逃げ切った三割の動物たちはいいとして、残り七割はどうなるのかわかりません。この学校はもっと頑丈なろうやをこさえ、もっと強力な魔法で動物たちを封じ込めてしまうかもしれません。そうなったら、ルナリアが動く前よりことはやっかいです。ルナリアはひどく悔やみました。
「落ち込むことはない。ルナリアは正しいことをしたんだ」
シャルがルナリアの背を支えます。
「でも、動物たちは? また捕まっちゃった動物がどう考えているか、わからないでしょう」
「大丈夫だ。あの小鳥、青い小鳥は脱出劇をぜんぶ見ていた。上手い具合に隠れながらね。あの小鳥は君を悪く言わなかったはずだ。あの行いのほんとうの善し悪しはそのうちわかるよ」
たしかにそうです。小鳥はルナリアを責め立てはしませんでした。それどころか結界を破ろうと、必死につついていたのです。
ルナリアは首をかしげています。まだ納得しきれていないようです。だけどシャルの言うことを信じるしかありません。そうでもしなければ耐えられませんでした。
ルナリアも、動物たちの思いを信じることにしました。
「それと、僕はくだけた話し方が好きなんだ。どうかかたくならないで」
そう言うシャルに「え、そうなの?」とルナリアはまぬけな返事をします。
「そんな感じでお願いするよ」
シャルが言いました。
光のうさぎが銀色から淡いピンクに変わり、二人の前をくるくると回りました。
「そういえば、先生にお願いして学校を出るのは『無理だ!』って言ってたよね。あれはどうして?」
「この学校は、自主退学できないんだ」
シャルはそう言って目を伏せます。
「それって私たち、ろうやに入れられているのと同じじゃない。どうして?」
「ここは王立の学校だ。僕たちは国の宝なんだ。国が宝物を手放すと思うかい?」
「国の宝なら、もっとだいじにしてほしいな。なんで自由にさせてくれないの?」
ぐちをこぼすルナリアに、シャルが首を横に振ります。
「ルナリアは、ここがどういう場所か、知ってるかい?」
「いや、魔法の学校だとしか……」
ルナリアの言葉を聞いたシャルが「そうか……」と落胆した声を漏らしました。
「なにか私、まずいことを言った?」
「いや、ルナリアは悪くない」
木の葉がサラサラ揺れる音と沢の流れが聞こえます。辺りの湿り気が強まってきました。地面を流れる水を渡ります。冷たい水が足に入ってきます。でも、ルナリアにとってはへっちゃらでした。その様子をシャルは見ていました。
「ルナリアって、どこの領から来たんだい?」
「西方領よ」
「魔女オルカの領か……」
シャルの足が止まります。
「そうよ。どうしたの?」
「君は平民の生まれだね。違うかい?」
シャルから放たれた言葉は、ルナリアがずっと避けてきた一言でした。
学校にいれば、周りは地位ある生徒ばかり。無知で貧しいのは自分だけ。ルナリアは平民の娘だと知られるのが、怖くてたまりませんでした。だってこの学校では、平民をさげすむような法律を教えられるのです。平民の娘だと知った瞬間、笑いものにするのは目に見えていました。だからぜったい、知られたくなかったのです。
でも、もう繕えません。隠し通せるだけの知識も知恵も、ルナリアは持ち合わせていないのです。バレるのは時間の問題でした。もう隠してもしかたありません。ルナリアは静かにうなずきます。
その顔をうさぎの光が映し出していました。ルナリアの赤白いほほに、きらきら光る二筋のしずくが流れ落ちました。それが地面に落ちる瞬間をシャルは見逃しませんでした。
「どうして泣くんだ。ルナリアが泣く必要はない」
シャルがルナリアのほおに触れながら目を合わせます。
「僕は言ったはずだ。この四枚羽の鳥の紋など気にしてはならないと。それはルナリアに対しても同じ。僕は家柄なんて気にしない。笑うなんてぜったいしない。言いふらしもしない」
ルナリアもシャルを見ます。彼の目はまっすぐルナリアを見ています。宝石のような澄んだ青の瞳に、ぶれは一つもありません。ルナリアがうかがい知れるだけの心の奥にも、見下しあざける心はこれっぽっちもありませんでした。
「それ約束できる?」
「もちろん。うそはつかないさ」
冷たい水を渡り終えると、森の闇がだんだん晴れてきました。まぶしい太陽の光が見えてきます。光の方へ進むと、黒い葉をつける木々はいきなり途切れました。太陽の下に大きな泉が現れました。
泉はとても澄んでいて、白い砂がはっきり見えます。湧き出す水が水面をゆらゆらと揺らしています。ルナリアの横を歩いていたうさぎはもういません。太陽の光に溶けてしまったのです。
二人は泉に沿って歩きます。
「シャルはいつから私の生まれに気づいたの?」
「夕食のときに『おや?』って思ったよ。家のことを聞かれた瞬間、逃げ出したからね。それに『ルナリアに宝石のことを聞かれた』って言う子がいた。入学前に知っているべきことを君は知らない。おまけに杖を持たず魔法を使う。まるで森の中から迷い込んだ妖精みたいだった」
「だから領を聞いたの?」
「そうだよ。ルナリアの正体を確かめたかった」
「結局、私は普通の人間だった」
「西方領の平民。おとぎの国の妖精ではないと仮定した場合、僕が思いつく唯一の答えさ」
「もし私が妖精だったらシャルはどうする?」
ルナリアはシャルの目をのぞき込むように聞きます。
「僕はちょっと怖がりながらお願いしていたと思う。ここから出して、遠い世界に連れて行って。と」
「それなら私、妖精がよかったな~。不思議な力で世界を飛べるなんて夢みたい」
ルナリアはくるくる回って踊ります。
シャルはその姿にほほえんでいました。
おとぎ話に出る妖精の魔法は、魔法使いとは比べものにならないほど強力だといいます。だけどルナリアは普通の魔女。世界を飛び回るのは夢にすぎないのです。
「でも、どうして他の領の出だったら妖精になっちゃうの?」
「それはおいおい分かるよ」
「なにそれ? ケチ」
ルナリアがそう言っても、シャルは答えませんでした。
「それより先に言っておきたいことがあるんだ。なんだか、いま言っておかないと後悔しそうな気がする」
「どうして?」
「魔法の水晶玉が言ったんだ」とシャルは言います。
「シャルはいったいなにを言いたいの?」
ルナリアはさらに『なにもったいぶってるの』と言おうとしましたがやめました。シャルの面持ちがやけに深刻そうだったからです。
魔法の占いはよく当たります。力のある人なら未来を見通せます。杖の宝石にはそれだけの力があるのです。きっとシャルは、なにかとんでもないものを見てしまったのでしょう。だから声をかけてきたのです。
「ルナリアはおかしいと思わないかい? この学校」
シャルの言葉に、ルナリアは「ええ、まったく意味不明よ」と答えました。
「実は僕も同感なんだ。ここは狂っている」
シャルの口から出た言葉に、ルナリアは目が点になりました。
だってシャルはルナリアより学校に慣れています。いままでこの学校で上手くやってきたはずです。それなのに『ここは狂っている』と言ったのです。それが意外でした。
いったい彼の心になにがあったのでしょう。
「気にならないかい。どうしてこんな学校になったのか」
「それは……気になるよ。だってここ意味不明だし」
「じゃあ、僕の知る限りの話をしよう。ここがどうしてこんな学校になったのか。どうかルナリア自身でかみ砕きながら聞いてほしい」
ルナリアはシャルにうながされて、泉のほとりにある岩に腰掛けました。ここにはもう人の気配はありません。獣たちもいません。泉の魚がツンと泳いでいるだけでした。




