2.6.2 黄金の地下牢
通路はとても長くて真っ暗です。ジメジメしていて、腐った肉と血の臭いがします。なんてひどい場所でしょう。
ルナリアは臭いをこらえながら、光のうさぎを放ちました。うさぎはルナリアの手から離れると、全速力で通路を駆けていきます。明るいのはうさぎの周りだけ。光のうさぎがいなければ足元すら見えません。ルナリアはおいていかれないよう走り続けます。
「うっ……」
息を吸うたびにひどい臭いが鼻をつきます。湿気のベタつきも合わさり、気持ち悪くてたまりません。通路を囲う土の壁にはたくさん黒いシミと、鋭いひっかき傷がいくつもあります。
光の向こう、闇の中からは低い叫び声がこだまします。得体の知れない化け物がうなっているかのよう。ひたいから冷や汗が流れます。
だけどルナリアは小鳥のお願いを聞いたのです。恐ろしいティランナ先生をだましてまで、ここにきたのです。もう後には戻れません。戻ったら先生や生徒に捕まっておしまい、作戦はおじゃんです。前に進むしかありません。
ルナリアは通路を奥へ奥へと進みます。うさぎがちょこんと待っています。通路はここで終わりです。
そこで見た光景にルナリアは叫びました。
「なんなのよ、これ!」
終点には大きなろうや、黄金の地下牢があったのです。
土を深く掘っただけの空間を、金色の格子が真っ二つにしています。その格子の奥で、動物たちがぎゅうぎゅう詰めになっていました。みんな身体がボロボロでぐったりしています。うさぎの光に照らされた瞳に力はなく、眼差しはうつろです。死ぬほど弱り果てているわけではありません。でも、暴れる力もないのです。
「うそ、でしょ……」
ルナリアは両手で口を押さえ、がっくりと膝を折りました。もう臭いなんてどうでもいいです。
いったいどうして、こんなむごいことをするのでしょう?
動物たちの叫びがルナリアに向けられます。
「誰か来た」
「魔女が来た」
「小さな魔女だ」
「どうせろくでもないやつだ」
「悪い魔法をかけられる」
「かんべんしてくれ」
「もう痛いのは嫌だ」
「治されるのも嫌だ」
「どうせまた痛めつけられる」
「どうかお助けを」
「どうかこのまま帰ってくれ」
「どうかこのまま静かに……」
ルナリアは耳をふさぎます。けれども声は止みません。頭の中にジンジンと響いてきます。
――いったい彼らになにをしたの?
――いったい彼らがなにをしたの?
――こんなひどい仕打ちになんの意味があるの?
――こんなことしなくたって魔法の授業はできるはず。
いえ、いまは頭でグルグル考えている場合ではありません。やるべきことがあるのです。
「いまからあなたたちを出してあげる」
ルナリアは杖を取り出しました。宝石の輝きがうさぎの放つ光に混じり、地下牢を青く照らします。
動物たちは怯えながら金の格子から離れていきます。われ先にわれ先にと、ろうやの奥へと引っ込んでいきます。
「もう魔法は嫌だ」
「早くあっちにいってくれ」
ルナリアの思いを拒むかのように、後ろ足で砂を飛ばしています。砂は金の格子にぶつかって、パラパラと地面に落ちていきます。ルナリアには一粒も届きません。
信用されていないのは明らかです。こんな状態で魔法を使うわけにはいきません。
しびれを切らしたのか、光のうさぎが格子の中へ飛び込んでいきます。光の身体なら物があってもすり抜けられるのです。けれども金の格子の間をくぐろうとしたとたん、光のうさぎはパッと消えてしまいました。
ルナリアの手元には宝石の光だけ。冷たい青の輝きが地下を照らします。
動物たちはその光から逃れようと暴れだします。身体の大きなものほど奥へ逃れ、ルナリアの側に小さい動物が追いやられています。宝石が彼らの心を凍てつかせてしまったようです。
ルナリアが呼びかけます。
「どうしてろうやの奥に閉じこもるの? 外に出たくないの? また森を走ったり、大空を飛び回ったりしたくないの?」
だけど、動物たちは黙ったままです。
言葉を替えましょう。
「私、青い小鳥に言われて助けに来たのよ」
すると動物たちが足を止めました。ルナリアに背を向け、われ先に奥へ行こうと押し合っていたのに、急にくるりと向きを変えたのです。まるで魔法にかかったかのようでした。
ぎゅうぎゅう詰めの動物たちの中から、一頭の猪が現れます。
「小さな魔女さん。それほんと?」
「ほんとだよ。うそじゃない」
「青い小鳥は、私の娘といっしょに捕らえられたあの小鳥?」
「あなたの娘さんかはわからない。私、猪さんのことまではわからないの」
猪は鼻から大きく息を吐きます。
「たしかに人の目では区別つかないでしょうね……」
なんだか落胆した様子です。
ルナリアはふと気づきました。
――もしかして、猪さんの娘さんってティランナが治した子かな。
だけどいま言ってもしかたありません。あの猪は魔法で捕まっていて、ルナリアにどうすることもできません。それよりも、この黄金のろうやをなんとかする方が先です。
ルナリアは話を進めます。
「私は青い小鳥のお願いを聞いてここに来たのよ。ほんとだよ。あなたたちのことも、通路の開け方も、みんなあの小鳥が教えてくれたの」
「ほんとうに、先生のお使いじゃないわね?」
動物たちの鋭い視線がルナリアに向けられます。目玉の動き、まばたき一つまで探っているようです。でも、ルナリアに臆する理由はありません。胸を張って視線を受け止めます。
「お使いじゃない。あんな目のつり上がった先生の言うこと聞くもんですか。私はティランナの目をくらませてここまで潜り込んだの。きっといまごろカンカンで、頭から湯気がでているでしょう」
ルナリアははっきり言いました。
猪がルナリアの瞳をにらんでいます。ときおり後ろに目配せして、他の動物たちの様子をうかがっています。みなピタリと止まったまま、一言も発しません。息の音がかすかに聞こえるだけです。
猪が金の格子に沿って、ろうやの端から端までゆっくりと歩きます。
格子の真ん中から左。左から右。また格子の真ん中へ。鼻をヒクヒクさせながら歩きます。その間、目はずっとルナリアの瞳を見据えています。心の底までのぞきこみ、掘り暴こうとしているようでした。
「どうやら、うそはついていないようね」と猪が言います。
「ええ、もちろん」とルナリアは答えました。
猪が荒々しい鳴き声をあげました。
なんどもなんども、まるで咳きこんでいるかのようです。
「私たちを閉じ込めた人に目くらましの魔法を使うなんて。あなた、大変なことをしでかしたようね」
猪はまた咳きこむような息をします。けっして苦しんでいるわけではありません。腹の底から笑っているのです。ルナリアにはそれがわかりました。
「あなたは他の魔法使いとずいぶん違うようね。かわいらしいうさぎの魔法で気づくべきだったわ。ここの魔法使いはあんなまどろっこしい魔法なんて使わないもの。いや、きっと使えないでしょう。あれはあなたの心をよく映していたわ。ごめんね、嫌な思いをさせちゃって」
そう言って、猪はちらりとろうやを振り返りました。動物たちの意思を確かめているのです。
答えはすぐ返ってきました。
「あなたに賭けてみましょうか。小さな魔女さん」




