1.2.1 目利き商人はいじわるで
市場の街には、ルナリアの家から見える、黄金の街のにぎやかさはありません。雪の積もった道の両側には、暗い灰色の建物が並んでいます。街を行く人の雰囲気も、どこか建物の色とそっくりです。
街の真ん中まで行くと、市場が見えてきました。パンや野菜の店、肉屋の前には人が集まり、市場の外とは違って、話し声もちらほら聞こえてきます。その奥には貴重な香辛料の露店があって、そのさらに奥には織物や衣服といった布製品の店が並んでいました。
けれどもルナリアは、布製品の区画を通り過ぎていきます。そして宝石商の集まる区画も通り過ぎ、市場を出てしまいました。ルナリアは市場に店を出す権利を持っていないのです。では、どうやって持ってきた商品を売るのかといえば、市場に店を出している商人に服を売るのです。
市場を過ぎた先に、商人組合の大きな建物がありました。市場に店を出す商人はみな、組合に入っていて、外からくる材料や商品は組合が買い付けるのです。建物の前には、ルナリアと同じように商品を売る人が、一列に連なっています。並んでいる人たちはみな痩せていて、商品の入った袋のほうが丸々としています。
並んでしばらく経つと、商品を売る人の列は前へ前へと進んでいきます。ルナリアの順番がようやくきたころには、日はもう西の空にありました。
組合の建物は、窓はあるものの日の光がほとんど入りません。ランプの明かりが灯る暗い部屋の真ん中に、商品を買い付ける目利きの男がいました。男はルナリアと違って丸々と太っています。顔はほんのりピンクで、赤い髪とたっぷりたくわえたひげを剃り、頭に耳をつければ豚そっくりです。
「小さな嬢ちゃん、今日はなにを持ってきたのかね」と男が尋ねると、酒のひどい臭いが漂ってきました。テーブルの上にはコップになみなみと注がれた酒がありました。昼間から酒を飲むなど街の外ではありえません。それに顔がピンクになるほど酔った状態で、目利きなどできるのでしょうか。ルナリアは臭いを我慢しながら、袋にある服十着とパースの絵をテーブルの上へ並べました。
服十着はルナリアにとってひと月分の仕事です。目利きの男は、ルナリアがきっちり折りたたんだ服を乱暴に取りあげました。そして生地が避けてしまいそうなほど、服をギイギイ引っ張りだしました。
「服が傷むからやめて!」
ルナリアはすぐさま怒ります。
すると男は「丈夫な服か試しているのだ」と言いました。
冗談じゃありません。ルナリアの作った服は、ちょっと裕福な家の女の子が着るような服なのです。畑を切り開くときに着るような服ではありません。生地はやわらかく、飾りもついています。乱暴に扱われたら破れてしまいます。
ルナリアは男をひっぱたき、服を引き剥がしたい気持ちでいっぱいでしたが、我慢しました。目利きを怒らせれば、買い取り価格が下がってしまいます。ルナリアにはわかっていました。
結局、目利きがさんざん引っ張っても、ルナリアの服は破れませんでした。すると目利きは、酒臭い息をしながら、ギロリとした目で服を見ます。服をテーブルの上で広げると「飾りがずれている」と言いました。破れるほど引っ張れば、飾りがずれてしまうのは当然です。なんという言いがかりでしょう。ルナリアはすかさず「整えさせてください」と服をひったくり、飾りの向きを元に戻しました。
ここの目利きは、持ち寄られた商品にすぐ直る傷をわざとつけ、「悪い品だ」と安く買いたたこうとします。放っておけば、ただ同然の金額をつけられ、寒い夜に震えながら働いた日々が水の泡。お金ももらえないので、とうてい生活できません。
でも目利きの男や組合の商人は、そんなことおかまいなしです。とにかく安く仕入れて、ちょっと傷を直したあとは、市場で高く売るのです。商品を持ち寄る人々が暮らせなくなったら、自分たちが雇ってこき使えばいいと思っています。
たちが悪いことに、この街では組合しか商品を持ち寄れる場所がありません。他の街も似たようなものだとルナリアは聞いています。だからみな、目利きが悪さをしないように注意しながら、少しでも高値がつくよう願うしかないのです。
目利きの男はルーペを取り出してあら探しをします。ケチをつけるためならなんでもするのです。
けれども、ルナリアの作った服にひどい傷は一つもありません。目利きはようやくあきらめました。十着とも買い取ってもらえましたが、売り上げは服の材料代を引くと、半月しかもたない額でした。
「なんでこんなに安いの? 前の半分じゃない。なんで?」
ルナリアは顔を真っ赤にして言いました。母親と同じものを作っているはずなのに、一着あたりの値段が半分になってしまったのです。
目利きの男は「嬢ちゃんはまだ子どもだ。大人が作ったものはもっと質がいい」と言います。
「意味わかんない。合格品だから買い取ったんでしょ。年なんて関係ないはず。ちゃんとした値段で買ってよ」
ルナリアが反論すると、目利きは「嬢ちゃんにはわからんだろうが、世の中そういうものなのだ」と言いました。
「ほら、帰った帰った。俺はまだ別の商品を見ないといけないのだ」
目利きはハエを払うかのように、ルナリアに向かって手を振ります。けれどもルナリアは退きません。
「なに突っ立っている? とっとと帰れ」
目利きは組合の人にルナリアを追い出すよう合図します。そんな目利きに向かってルナリアは「まだ売るものが残っています!」と叫びました。テーブルには布に包まれたパースの絵があるのです。
ルナリアは目利きの前に絵を置いて、絵を包む布を外しました。すると闇夜の中にきらめくペガサスが現れました。銀色のペガサスはランプの炎に照らされて、ほんのりオレンジに輝いています。まるで火の中から生まれきたかのようです。
目利きの男はペガサスの絵を手に取り、くるくる回して見ています。キャンバスが動くたびにペガサスはきらきらと火の粉のような光を放ちます。目利きはその光に見とれているようでした。
「どう、きれいな絵でしょう?」
ルナリアは勝ち誇ったように言いました。きっと高値で買ってもらえると信じていました。けれども目利きの顔が急に変わりました。キャンバスの左下のサインをじっと見ています。
「嬢ちゃん、パースって誰だ?」
「有名な画家でしょう。その絵のようにきらきらしているはずよ」
「いや、俺は聞いたことがない。組合では絵画も扱っているが、こんな名前の画家は知らない。どうせただの平民の絵だ。そんなやつの絵にまったく価値はない」
ルナリアはテーブルをドンッとたたき、目利きに向かって顔をぐっと寄せました。鼻と鼻がぶつかりそうです。酒臭い息がルナリアの顔にかかります。でもルナリアは、引き下がりません。
「どうして? きれいな絵でしょう。どうして価値がないって言うの。誰が描いたかって関係ないでしょ」
ルナリアがそう訴えると、目利きは大笑いしました。
「ほんと、嬢ちゃんは世間知らずだ。関係大ありなんだよ。平民の絵など価値がない。ほら、この馬止まっているだろう。生きていない。嬢ちゃんにはわからんだろうが、世の中そういうものなのだ」
目利きはパースの絵を放り投げました。ルナリアにとってだいじなだいじな絵は、空中でくるくる回転して、床にたたきつけられてしまいました。組合の建物はみな靴を履いたまま歩きますから、床は土まみれです。
ルナリアはパースの絵へ駆け寄り、拾いました。絵は土で汚れていて、炎のような輝きはすっかり消えてしまいました。キャンバスの裏地も泥だらけです。
「どうして、こんなことをするの! 私の大切な絵なのに。弁償して!」
ルナリアは絵を抱いて、顔を真っ赤にしながら目利きに言いました。
すると目利きは「嬢ちゃんにとってはだいじな絵かもしれないが、俺たちにとっては価値のないゴミなのだ。ゴミは捨てなければならない」と腹を抱えて笑いしだしたのです。
組合の中にいた人もいっしょに笑っています。
「笑わないで! 私はお金が必要なの。母さんの病気を治すために薬代が必要なの。服をもっと高く買ってもらうか、絵を買ってもらわなきゃ薬は買えないの」
ルナリアは笑い声に負けないほど大きな声で言いました。
「そんなこと俺らには関係ない。嬢ちゃんのものを高く買えば俺たちが損するのだ」
するとルナリアは言い返します。
「いや、損じゃない。母さんが元気になれば、もっとたくさんの商品を持ち込める。そしたら組合の売る商品も増えるはずよ」
叫ぶように訴えると、組合の人は笑うのをやめました。
「なるほど、それなら俺たちも助かる。商品が増えるのはいいことだ。ならば金を貸そう。その金で薬を買えばいい。次に来るとき、同じ額を上乗せして返してくれればよい。母さんが元気になれば倍以上の服が作れるだろう」
ルナリアの顔は真っ赤になりました。あまりの腹立たしさに思わず歯を食いしばり、手をきつくきつく握りしめました。なぜなら、目利きはわずか半月で貸した金の二倍の額を返せと言ったのです。ひどい高利貸しです。とてもうなずける条件ではありません。
なにも言わず、パースの絵をぎゅっと抱いて、組合の建物から走り去りました。背中からあざ笑う声が聞こえます。組合の人だけでなく、組合へものを売る人たちもルナリアを指さし、笑っていました。
ルナリアは逃げるように建物の壁に隠れました。灰色の建物が作る陰は真っ暗で、人は誰もいません。耳をふさぎたくなるほどの笑い声はようやく止みました。パースの絵についた砂を払います。絵の中のペガサスに輝きはありません。砂がこびりつき、ペガサスを包む闇夜すら消えてしまったのです。だいじな絵を台無しにしても、あの目利きはなんとも思っていないでしょう。ルナリアはひたすら涙をこらえ、なんどもなんども顔を拭いました。
でも、あんまりぐずぐずしていられません。日没の時間がどんどん迫っているのです。ルナリアはパースの絵を布でくるみ、袋に入れて背負いました。そして組合の建物を避けながら、市場へ行きました。
市場に入ると真っ先に薬屋に向かいました。薬屋は立派な建物でルナリアの家の四倍はあります。店の中にはいろんな種類の薬草が置かれていて、なんとも言い表せない独特の香りが漂っていました。
ガラスの瓶が並ぶ机の奥にはおばあさんが立っています。
おばあさんはルナリアを見るなり「金は持っているのか。お前さんみたいにみすぼらしい娘に売る薬はないよ」と言いました。
ここの薬はとても高く、いまのルナリアに買えるものはほとんどありません。そのことをおばあさんはお見通しでした。それでもルナリアは母親の病状を説明し、一週間分の生活費を出しました。
「これでなんとかなりませんか。お母さんに元気になってもらいたいの。どうか、お願い」
おばあさんはルナリアが持っているお金を見ると、すぐ首を横に振りました。
「だめだめ、ぜんぜん足りないよ。それじゃ一回分にもなりゃしない」
「じゃあ、いくらあったらいいの?」
「その十倍はいるね。それだけあれば一回で治してやれるよ」
おばあさんの言った金額はとうてい出せません。ルナリアはしょんぼりうつむきながら薬屋を出ました。