2.5.1 南西領主の息子シャル
しばらくすると夕食の時間になりました。昨日は個室でしたが、今日はみんなといっしょ。食堂には立派な椅子とテーブルが並んでいます。テーブルにはハーブを効かせた大きなお肉や、野菜がごろごろ入った温かいスープ、温かな焼きたてのパンがたくさんありました。おまけにこれらはおかわり自由だそうです。
ルナリアはスープとパンは食べました。でも肉は身体が受けつけません。ルナリアは学校に来るまで、肉なんてほとんど食べたことないのです。昨日はあまりにもお腹が減っていたので、なんとか口にかき込みました。だけど今日はぜんぜんダメ。身体が慣れていないせいか、口にすると脂が気持ち悪く感じるのです。
他の生徒たちはゆっくりと夕食を楽しんでいます。ルナリアと違って肉も平気です。パンもばくばく食べます。
――私だけ違う。私、ここにいてはいけない子なのかな?
だって他の生徒とルナリアは身なりから違うのです。彼らの服には手間のかかる、美しい模様の刺しゅうが施されています。生地も見たことないものばかりです。
ルナリアはお針子でした。ちょっぴり裕福な人向けの服を作っていましたから、上等な生地も知っています。けれども生徒たちの服はもっと上。あの生地屋のおじさんだって知らないでしょう。どれもルナリアには手が届かないものばかりです。
対してルナリアの服は、ほとんど全身淡いクリーム色。新品でどんな汚れもたたけば取れるので、どの生徒の服よりもきれいです。だけどちっともおしゃれではありません。法律の先生が『平民』とののしった、普通の人が着る服のほうがよっぽどいいです。上から下までクリーム一色なんていう人は、ルナリアしかいません。
旅立ちの前、恥ずかしかった旅人のマント姿がここでは普通。それだけが救いでした。
食事がのどに通らないルナリアは、席を立とうとしました。
でも、立ちあがるより先に、誰かが左肩に触れました。
振り返ると男の生徒がいました。髪は銀、細身で背はすらりと高く、ルナリアより頭一つ半上です。
「どうしたんだい、気分が悪いの?」
生徒は心配そうに聞いてきます。
「いえ、なんとなく……食べられない、です」
ルナリアはたどたどしく答えます。女の子にさっき話し方を注意されたからです。いえ、注意などされていなくても普通の話し方は許されないと、ルナリアは気づいていました。
この生徒の服を見ると、鳥の紋章が刺しゅうされています。ただの鳥ではありません。一つの身体に翼は四つもあって、まるでちょうちょのよう。きっと立派な家に伝わる紋章です。どの家のご子息なのか、ルナリアにはさっぱりわかりません。だけど彼もまた別世界の人だと、すぐにわかりました。
「僕はシャルだ。南西領主の家系だが、家のことは気にしないでくれ」
どうやら家紋を見ていたことに気づいたようです。ルナリアも慌てて名乗ります。
でもシャルはすぐ「名前は知っている」と言いました。
「ルナリアは魔法を使いすぎだ。初めての飛行で、校舎を回って金の鳥を鳴らすなんて」
シャルは柔らかな話し方で言います。
「え? 見ていたの、ですか?」
ルナリアは思わず声が裏返りました。
「ちょうど飛行のクラスにいたから、みんなこっそり見ていたよ」
気づけばシャルの後ろには、他にも十人ほどの子が集まっていました。なんだかみなルナリアに興味津々です。
生徒がルナリアに尋ねます。
「ルナリアは家でどんな練習していたんだい? 僕にはあれが初めてとは思えない」
「いえ、先生に教えてもらったとおり飛んだ……だけです」
ルナリアが答えると、生徒たちはいっせいに「「「「「え~~~っ!」」」」」と声をあげました。みんな目が点です。「うそでしょ」とつぶやく生徒もいます。
「じゃあ、どんな魔法で入学したの」
「見せて見せて」
生徒がどんどん集まってきます。
ルナリアの周りはあっという間に人だかりです。
ルナリアのほおが真っ赤になります。胸がドキドキしてしかたありません。ほんとは『もう、やめて!』と逃げ出したい気分です。でもただの平民だと、思われたくありません。魔法を見せるしかなさそうです。
ルナリアは目を閉じ、深呼吸して気持ちを静めました。生徒たちの騒ぎ声が聞こえますが、気にしてはいけません。胸の前で祈るように手を結びます。そしてもう一度深呼吸をしたあと、手を広げて天井を仰ぎました。
周りにちっぽけな銀色の光が集まってきました。星粒のような小さな光はどんどんどんどん集まって、顔よりも、お化けのようなカボチャよりも大きくなって、ぐんぐん膨らんでいきます。やがて光の塊は弾けて、中から膝丈ぐらいの雪うさぎが現れました。
ルナリアが目を開けると、光のうさぎが飛び込んできました。
うさぎは霞のように薄く、はっきりとは見えません。ランプの光に負けているのです。だけど鼻をヒクつかせる姿や揺れるひげ、ふわふわと手に伝う体温はほんものそっくりです。
ルナリアはそのうさぎをそっと床に放します。うさぎは生徒たちの足元をすり抜けて、草原を駆けるかのように跳びまわります。足音はありません。物にぶつかることもありません。だって光の塊なのですから。
光のうさぎは食堂を好き放題走ったあと、外へ出ていってしまいました。
「なんだか機嫌が悪いみたい」
ルナリアはボソッとつぶやきました。
生徒たちはそんなルナリアを、じっと見ています。みな一言も発しません。
「もう魔法は終わり。このとおり、私の魔法はとっても弱いんです」
――きっとみんな魔法に失敗したと思っている。ランプの光でかき消されそうなうさぎなんてありえないよ。きっとバカにされる。
ルナリアは覚悟していました。
生徒たちのひそひそ話が聞こえてきます。
「この魔法、いったいなんなの?」
「こんな中途半端な魔法、初めて見た」
「部屋の明かりに負けるなんて、使えない魔法ね」
女の子三人がクスクス笑っています。
彼女たちに向かってシャルが言います。
「そこのお嬢さん、笑うのはよしたまえ。気づかなかったのかい。ルナリアは杖を使っていない。宝石の放つ青いまたたきがなかっただろう。もし笑うなら、いますぐ宝石を捨ててまねるといい」
シャルの刺すような眼差しと言葉に、三人はすっかり黙りました。
こんどは集まった生徒が騒ぎ始めます。
「杖なし? うそでしょう」
「でも、シャルルの言うとおりだ。ルナリアは両手しか使っていない」
「宝石なしで呼び出しの魔法を使うなんて……」
「こんな中途半端な召喚魔法なんてないよ。光を走らせただけだ」
「だけどあれはただの光には思えない。まるで生きているみたいだった」
「術者の思いに反し、動くだけの意志がある。あのうさぎには魂がある。そんな魔法、誰が使える?」
みんなすっかりだんまりです。誰もあの魔法は使えないようです。
「いったいどうやってこんな魔法を……」
生徒のひとりがルナリアを見つめて言います。
もうルナリアを笑う人はいません。さんざん笑っていた女の子たちも、いまはおそれるような眼差しで見ています。
「その魔法、いつ覚えたの?」
「豆粒くらいの光なら、小さいころに」
「へぇ~。誰に教えてもらったのだ。父君? 母君?」
「いえ、誰にも教えてもらっていません。でも動物を出す方法は、パースに教えてもらいました」
「パース氏とはどういうお方なのだ?」
「画家です。絵を描いても市場の隅に捨てられる、無名のお方です」
ルナリアがパースの話をしたとたん、みんな呆然としてしまいました。口がぽっかり開いています。そして「うそだ」、「そんなわけない」、「ぜったいなにか隠している」と口々に言いました。
「ほんとはとても高名な家系で、小さいころから特別の訓練を受けていたんだ」
そんな説すらあがりました。
「ルナリア。あなたはどちらの家のお嬢さん?」
女の生徒が尋ねました。純粋なきらきらした視線に悪意はありません。素直な興味で聞いてきたのだと、ルナリアにはわかっていました。
でも自分は平民の娘。真夜中まで針子をしても粥しか食べられない、貧しい家だったのです。そんなこととうてい言えません。ここはルナリアにとって場違いの、地位ある子どもたちが行く王立の学校なのです。
「ごめんなさい!」
ルナリアは集まっている生徒を押しのけ、食堂から逃げだしました。いろんな声が飛び交いますが、知ったことではありません。一度も振り返ることなく、そのまま寮に向かって走りました。