2.3.- 飛行の授業
そのころルナリアは、中庭で空中散歩の練習をしていました。
「さぁ、やり方はわかったわね。こんどは一からやってみましょう」
先生に教えられたとおりに杖を振ると、透明な階段が現れました。
この階段は他の誰にも見えません。ルナリアにだけ、ぼんやり白い光となって見えています。どんな魔法使いであっても、この階段に踏み込むことはできません。そんな不思議な階段を一歩、また一歩とのぼっていきます。
緑の芝生がどんどんと離れていきます。校舎のてっぺんを越えると、風がふわふわりと吹いてきました。こんなに高いところに行くなんて、生まれて初めてです。ルナリアのひたいには冷や汗がぷつぷつ出ています。
「ルナリア、あんまり下を向いちゃダメよ。いまは集中しないと」
横には先生が歩いています。飛行に慣れていない生徒には、落ちてもけがしないように、先生がずっとついているのです。ルナリアは言われたとおり、前だけを見るようにしました。
手の中で青い宝石が輝いています。宝石の光がある限り、透明な階段が次々と現れて、ルナリアをどんどん前へ、どんどん高く導きます。魔法の階段はとっても丈夫で、ほんものの石段と変わりません。
「あなたとっても上手よ。さぁ、こんどは高さを変えず曲がってみましょう。透明な道があると思って」
手元の宝石がきらりと光ります。すると透明な階段は形を変え、校舎をぐるりと囲むドーナツのような道になりました。
校舎を左手に、ルナリアは時計と反対方向に進みます。ここは空の上、校舎のてっぺんについた飾りにだって手が届きます。
校内で一番高い塔には金の鳥がついています。ルナリアが触りたいと願うと、ドーナツから新しい道が生まれ、金の鳥まで伸びました。
ルナリアはできたての道を進みます。足は動いていません。歩かずとも風が運んでくれるのです。身体はすーっと浮き上がり、あっという間に金の鳥にたどり着きました。金の鳥に触れると、ただの飾りだったはずの鳥は頭をプルプル震わせました。
「まあっ!」
ルナリアは思わず両手を胸元に引っ込め、声をあげました。
鳥が空に向かって「コケコッコー」と時をつくります。
ルナリアは鳥の胸をさすり、最後に胸元についていた金の鈴をチリンと鳴らしました。鈴の音とともに、金の鳥は鳴くのをやめて、元の飾りへと戻りました。
ルナリアは細く伸びた道をまたすーっと戻り、ドーナツの道を進みました。
「あなた、すごいわ! 初めてでここまでできるなんて。この調子なら飛行もどんどん速くなって、いつか世界中のどこへだって飛べるようになるわ」
先生がパチパチ拍手しながら言いました。
「世界中のどこへでも? 壁の向こうにも行けるの?」
ルナリアは先生に尋ねます。
「ええ、あなたがいい魔女になれればね」
先生の言葉にルナリアはわくわくしました。だって家の近くにあった幻の街にも行けるのです。服を売りに行っていた、灰色の暗い街とは違うにぎやかそうな街。ずっとずっと行ってみたかったのです。
壁の向こうにはきっと華やかな世界が待っている。ルナリアはそう信じていました。
学校の周りをぐるりと進んでいると、赤い小鳥が飛んできました。
「小鳥さん。さぁ、おいで」
ルナリアは左手の人差し指を伸ばします。すると赤い小鳥がちょこんと指先にとまってくれました。
小鳥はピィーツ、ピィーツさえずります。指の上で向きを変え、頭を左右に振りながら、ルナリアを見ています。
くちばしがまた開きました。
「よぉ、見ねぇ顔だな。新入りさんかい?」
――えっ?
ルナリアは身体が地面に引き寄せられるのを感じました。足元にあった魔法の道はすっと消えてしまったのです。叫びをあげながら、猛スピードで落ちていきます。指先の小鳥はもういません。強い風が身体に打ちつけます。緑の芝生がどんどん迫っています。芝生の厚みはほとんどありません。固い地面と同じです。落ちたら骨がたくさん折れるどころでは済みません。
そのときルナリアの身体にブレーキがかかりました。落ちるスピードがゆるやかになります。気づけば全身、透明な膜に包まれていました。シャボン玉のような膜に包まれたルナリアは、地面を一回ボヨンと跳ねます。シャボン玉はもう一回地面に着くと、パンッと割れ、ルナリアは放り出されました。思いっきりしりもちをつきましたが、校舎の高さから落ちることに比べたら、たいしたことはありません。だけどあまりの痛さに、ルナリアは顔をしかめながら、お尻をなでました。
「ダメよ、集中を切らしちゃ! ちょっと上手くできたからって、お調子者になってはいけません」
先生はさっきと違ってカンカンです。
ルナリアは杖の先でなんどもなんどもつつかれました。
「どうして集中が切れたのか、理由を言いなさい」
先生に言われてルナリアはしどろもどろです。どうやって答えればいいのでしょう? 鳥の声が聞こえたなんて言ったら、ちょっぴり変な女の子になってしまいます。
でも、繕うための話が思いつきません。
「小鳥がしゃべったの。私、びっくりして集中が切れて……」と、正直に答えました。
先生は肩をすくめ、首をかしげています。
「不思議ね、金の鳥は大丈夫だったのに?」
たしかに先生の言うとおり。だって小鳥でびっくりするなら、金の鳥が動いた瞬間に落ちていたかもしれないのです。だけどあのときは大丈夫でした。
――いったいなにが違うのだろう?
ルナリアは考えこみました。
でもやっぱり思いつきません。
「私、動物の声なんて初めて聞いたの。そんな魔法を使った憶えはないのに……」
先生がヒントをくれるのをちょっぴり期待しながら、ルナリアは伝えます。
「あらあら、動物の声を聞く魔法なんて、ここでは習わないわ」
「じゃあ、どうして動物の声が聞こえるの?」
先生はフフッと笑いました。
「あなたは不思議な子ね。だって小鳥に話しかけていたでしょう。試験でも馬に話しかけていたって聞いたわ」
先生がそう言うものですから、ルナリアの顔が真っ赤になりました。たしかに学校へたどり着く前、霧の中にとり残されていたときに、石像となった馬へ話しかけていました。その瞬間を見られていたのです。
まさか知られているなんて、ルナリアは思いませんでした。
「そんなに恥ずかしがらなくていいわ。あなたの力は特別な力、普通の魔法使いにはないものよ。だいじに使いなさい」
先生がほほえみながら言います。
ルナリアは「わかりました」と、にっこり答えました。
「さぁ、今日は終わりにしましょう。初日としては十分合格よ。もう疲れたでしょう」
空はすっかり夕焼けです。緑の芝生はオレンジ色に変わっていました。
ルナリアは先生にペコリと礼をして、中庭をあとにしました。