2.2.2 おまじない
「法律の授業が終わったようね、ルナリア」
ろうかでルナリアを待っていた女の先生が、声をかけてきました。
「あの人、いったいなんなの! 私がわからないところ聞いたら、変な魔法かけようとするの」
ルナリアは爆発した怒りをぶちまけます。
女の先生がうんうんと、うなずきながら受け止め、フフッと笑いかけました。
「たしかに国の教官はおかしいわ。魔法で教えをたたき込むなんて間違っている」
「そうでしょ! それならなんであんな人がいるの?」
怒るルナリアのくちびるに、先生が人差し指を当てました。
「しっ~。大きな声を出しちゃだめよ」
二人の周りには、生徒たちが集まっていました。みんなちらちらとルナリアを見ています。先生はけっして魔法で口を止めたわけではありません。生徒たちの視線に気づいたルナリアは、声を抑えます。
「あの授業は国で定められているからよ。私たちは国に逆らえないの。でも、今日はあまりにひどいから、校長先生が叱っているわ」
先生がひそひそ声で言いました。
でも、ルナリアは納得いきません。先生の答えに顔をぷっくり膨らせます。
「怒ってもあなたには手をつけられないわ。ここは校長に任せて、あなたは私のところへ」
ルナリアは先生に連れられて、学校の庭へ行きました。
庭には緑の芝生が広がっています。
生徒たちが魔法の杖を握りしめ、青い空にぷかぷか浮いています。
「さぁ、これから飛行の授業よ。空をふわりと歩けば、気が紛れるわ」
そのころ、焼け焦げた臭いの残る教室では、王城の教育係と校長先生の話が続いていました。
「あの娘はいったい何者なのだ。どうして入学させたのだ」
教育係はいまだに怒っていました。
「国の法律に定められているからであろう」
校長先生が答えます。
「そんなことわかっておる! 私は国の教育係として遣わされているのだぞ」
教育係の男はまるでバカにされたかのように怒りました。
校長先生はもう言葉が出ません。
ルナリアには魔法の力があります。学校の試験にも合格しました。おまけに杖がなくても、光のペガサスを生み出せるのです。国からの知らせだけでなく、ノルン先生も言っていました。魔法の力を持つ子はこの学校に入らなければなりません。これは国王が定めた法律です。誰も逆らえません。校長先生にだってどうすることもできないのです。
「娘の服には強いまじないがかけられていた。私の授業のためだけにかけられたまじないだ。国に従う契約魔法を破ったのだ。普通の人間にできるわけがない。魔法使いが関わっている」
教育係の男がぶつぶつ言っています。
「真っ白で不思議な服を着ていると思ったが、そのような代物だったとは……」
校長先生は頭痛げに顔をしかめます。
「魔法学校の校長ともあろう人がどうして気づかない? 国の魔法を結集した国王陛下の本が焼けたのだぞ。たった一人の、平民あがりの娘のためだけに!」
教育係の男はたいそう怒り、机を殴りました。
「ああーっ! 国王様の手を煩わせることになる。なんてことだ!」
声に激しい怒りと嘆きが混じっています。そして「ああーっ! ああーっ!」と奇声をさんざんあげたのち、とうとう頭を抱えてがっくりと机に伏しました。
「だが、お主も気づかなかったのだろう。とても上手く隠されたまじないだ。私だけを責めるでない」
校長先生が言い返します。
「そのようなまじない、いったい誰がかけたのだ」
「わざわざ聞かずともわかるであろう。ひとりしかおるまい」
教育係はその『ひとり』が誰なのか、すぐに気づきました。西方領にいたルナリアを推薦する人など、その人しか考えられないのです。
「しかし、あの娘にまじないをかけて、いったいなんの得がある」
「それはわからん。ただ、なにかを期待しておるようだ」
校長先生の言葉に教育係は「フッ」と笑いました。
「いったいどんな期待だ。無知なのか頭が切れるのかよくわからん、反抗心まみれのおてんば娘に、いったいなにを期待する。国に背き、平民に魔法を施せば処罰されるだけだ」
「そうだ、我々に逆らえば処罰される。あの子はいずれ法を犯すだろう」
「たしかに校長の言うとおり。あの娘、平民に魔法を施してはならぬことにひどく食ってかかっていた。法を守る意識などあまりないだろう」
「ならば待とう。お主が気にする必要はない。法を犯したら厳正に処罰すればよいだけだ。だが、一つ考えを改める必要がある」
「いったいどこを改めるのだ?」
教育係は校長先生をにらみつけています。『あなたごときに言われたくない』とでも思っているのでしょう。この男、かなりプライドが高いようです。
「お主の話を聞く限り、ルナリアは意外と頭のよい娘だ。本の中身をそのまま頭にたたき込むより、自ら読み解くことを願ったのだ。我々とは違う意志を持っておる。それに杖がなくとも魔法を使えると聞く。おそらく杖の扱いもとうに慣れているであろう。自らにかけた魔法も強力に違いない。我が国の言葉だけでなく、他の国、もしかしたら獣の言葉もわかるかもしれん」
もう本の魔法は使えません。同じ手は二度と通用しないでしょう。法律をたたき込もうとした教育係のもくろみは、失敗に終わったのです。でも、彼は笑っていました。「フッ」と人をバカにするような薄ら笑いを浮かべています。
「処罰は簡単ではないな。教えてもいない変な魔法を使うかもしれん。それにしても……獣の言葉か。もしほんとうにわかったならやっかいだ。あいつらはなにを考えているかわからない」
「罰するなら早急に、校内で済ませなければならない」
校長先生はずる賢い狐のような眼差しで、教育係に助言します。
「校長も恐ろしいことを言う。さっきとは別人だ」
「私も恐れを感じているのでね」
「王城に帰ったら監視を増やすようお願いしよう。この学校には結界が張られている。娘の力では出られまい」
「それはありがたい。私も他の先生とともに結界を強め、協力者が出ないよう見張っておこう」
「では校長、娘が法に触れたら速やかに連絡するように。無事卒業して平民に魔法が渡ったらろくなことはない」
「もちろんだ。力を持った平民ほど恐ろしいものはないというからな」
いらだっていた教育係の表情はすっかり元に戻りました。
いまは待つしかないのです。焼けた本だって一ヶ月あれば作り直せます。入学生は月に一人いるかいないかです。もし魔法の素質を持つ子が現れても、入学を少しずらせば問題ありません。
ルナリアには通用しない。それだけです。
ただ教育係にはもう一つ、解決しなければならないことがありました。
「校長、一つ頼みがある」
「なんだね?」
「宝石を一ついただきたい」
「なぜだ、なにがあった」
男は杖を掲げます。男の杖に青い宝石はありません。代わりに黒いくぼみがぽっかりと空いています。
「娘のまじないのせいで、宝石が蒸発したのだ。これでは王城へ帰れない」
杖の宝石がなければ魔法は使えません。教育係もいまはただの人です。魔法使いが魔法を失えばどれほどつらいか、校長先生はよくわかっていました。
「よかろう。特別に宝物庫を開けることにしよう。準備をさせるから、お主は待っておれ」
「それはありがたい」
教育係を部屋に残して、校長先生は教室をあとにしました。
教室でひとりになった教育係は、教室に転がっていた水晶玉を手に取りました。本を焼いた炎から逃れられたのでしょう。透き通ったきれいな球のままでした。
その水晶玉をしばらく見つめたあと、彼は星座が描かれた天井を向きました。
なぜ娘を国に告げたのだ。
こっそり始末すればよいものを。
平民あがりの魔女なんて、腹を空かせた狼だ。
なぜ娘をかばうのだ。
すぐ檻に入れればよいものを。
解き放たれた狼は、いずれあなたも食らうだろう。
なぜ娘に期待する。
いったいなにを企んでいる。
私はあなたが恐ろしい。
ここにいない『ひとり』に向けられた問いかけは、部屋に響くだけ。答えなど返ってきませんでした。