2.1.2 魔法の杖よ、この手においで!
ルナリアはさっそく、学校の中へ案内されました。
校舎の壁は真っ白で汚れ一つ見えません。天井にはオレンジの炎がいくつも灯り、心地よい暖かさを保っています。床は黒い木の板でできていて、森の香りを放っています。ろうかは二頭立ての馬車だって通れます。高さも大人の丈の三倍はあるでしょう。
ルナリアは目をキョロキョロ見回します。ここはまるで別世界です。
でもルナリアを出迎えた女性は、そんな様子に目もくれません。一言も話さず、早足で広いろうかを抜けていきます。
正体を覆い隠す、闇より黒いマントを着た姿は、ちょっと不気味です。しかもこの人、ちっとも名乗っていません。学校の人なのでしょうが、それなら逃げるような速さで歩く意味がわかりません。ルナリアはだんだん怖くなりました。
「あ、あの……お名前は」
ルナリアは声を震わせながら尋ねました。緊張のあまりくちびるの動きがガタガタです。
女性は「ノルンよ」と名乗りました。
「ノルン先生はなにを教えているの」
「宝石の魔法。でも、いまは校外とのやりとりをしているの」
「宝石の魔法って?」
ルナリアは聞きます。
「杖を使った魔法のことよ。杖には魔法の宝石がついている。宝石の力を借りるから『宝石の魔法』って言うの」
先生は案外おしゃべりなようです。さっきまでムスッと固い面持ちだったのに、話しかけてからは普通の人に戻りました。
ルナリアは話を続けます。
「じゃあ、校外のやりとりって?」
「あら、変わったことを聞くのね。あなたのような新入生を迎えたり、王城とやりとりしたり、卒業を控えた生徒の就職先を見つける仕事よ」
そんなこと言われてもルナリアにはちんぷんかんぷんです。そもそも、普通の人ならこんな質問はしないでしょう。
でも新入生の受け入れをしているなら、さっきの馬車のことだって知っているはず。ルナリアは止まってしまった馬車の話をしました。
「あれは試験よ。素質のない子が来れば、あの森で迷って死んでしまう」
ノルン先生があっさりと言うものですから、ルナリアはゾッとしてしまいました。やっぱりあの馬車はルナリアを殺す気だったのです。ここは魔法使いの学校、普通とは感覚が違うようです。
「そんなに怖い顔しなくても……ルナリアは一番の難関を突破したのよ。もう大丈夫」
だけどルナリアの心臓はバクバクしたまま。先生の言葉を素直に受け止められずにいました。
「ところでルナリアは、いつから魔法を使えるようになったの?」
ルナリアは市場の怖い魔女に目をつけられ、人さらいに襲われたときのことを話しました。
「そう……大変だったのね」
ノルン先生はうつむきながら言いました。さっきとは違い、どこか冷め切った口調です。感情を一切殺した、そんな声でした。いったいどうしたのでしょう。
「でも宝石なしで、それほど魔法を使いこなせる人はいない。ルナリアは間違いなく立派な魔女になれるわ」
そう言うノルン先生の顔はこわばったまま。
ルナリアは黙って小さく礼をしました。
真っ白なろうかの真ん中で、ノルン先生が止まりました。壁にそっと手をかざします。
すると壁は光を放ち、音を立てて動きだしました。
奥からぽっかりと一つの部屋が現れます。部屋は真昼のようにまぶしく、ルナリアは顔をそむけ、目を手でおおいました。
しばらくして目が慣れると、部屋の様子がだんだん見えてきました。部屋の真ん中には井戸があって、そこから噴水のように青白い光が飛び出していました。宙に放たれた光は、本物の水さながらに地面へ落ち、部屋の床を青白くぬらしていました。
光の噴水を取り囲むように、先生が何人も立っています。青い輝きのせいで、みな影みたいに真っ黒です。
「おやおや、また小さい子」
「ここへ来るのは早すぎやしませんか」
「いや、小さいことはいいことだ」
「魔法の勉強は早いほうがいい」
先生たちの声が聞こえます。
「さぁさぁルナリア、こちらへ来なさい」
そう呼びかけられて、ルナリアは部屋の中に入りました。
部屋に入ると真っ正面に、白髪に白いひげをたくわえたおじいさんが立っていました。
「ようこそルナリア。私はこの学校の校長だ、よくここまできた」
ルナリアはまわりの光景に圧倒され、きょとんとするばかり。ここはまるで別世界です。青い光に包まれた校長先生は神様みたいに見えます。
「こ、ここは……な、な、なんでしょうか」
ルナリアは声をつまらせながら、校長に聞きました。
「なにって、ここは試験室だ。君はこれから最終試験を受けることになる」
年を重ねた低い声はとても威厳がありました。
試験。
その言葉を聞いて、ルナリアは自分の血の気が引いていくのを感じました。さっき霧深い森に捨てられて、殺されそうな思いをしたばかりなのです。また同じような目に遭うかもしれません。
「そんなに恐れなくてもよい。井戸の中に手を入れ、一分以内に底に沈んでいる杖を捕らえるだけだ」
井戸の中は強い光で満たされ、のぞき見ることはできません。底がどうなっているのか、どれだけ深さがあるのか、まったくわかりません。ただ青白い光は杖が放っているのだと、ルナリアは感じました。
校長先生が青い石を取り出し、井戸の中に入れました。石はいくら待っても音一つ立てません。光の中に吸い込まれてしまったようです。
「このとおり、井戸はとても深い。間違っても身体を入れてはならんぞ」
この井戸にはロープなどついていません。井戸の底に沈んだ杖を捕まえるには、魔法を使うしかないのです。物を浮かびあがらせる魔法なんて、ルナリアは使えません。
「捕まえられなかったらどうなるの?」
ルナリアは校長に尋ねます。
校長はそれを笑い飛ばしました。
「捕まえられないことなどあるまい。君に合う杖が浮かんでくる。とても簡単だ。もし杖を手にできなければ、君は素質のない偽物だ。立派な、王国の魔女になる資格はない」
冗談じゃありません。いったいどこが簡単なのでしょう。ルナリアにはとても信じられません。ノルン先生はずっと黙ったまま。その重苦しい顔に、ルナリアはますます不安になりました。
「それでは試験を始める」
校長の合図で、ルナリアは井戸に手を入れ、ぎゅっと目を閉じました。
ふわりふわりとのぼる、青白い光を思い浮かべます。光といっしょに杖がついてきて、どんどんルナリアのもとへ近づいていくイメージです。ほんとうに杖が浮かんできているのか、ルナリアにはわかりません。
だけどさっき出した真っ赤なペガサスも、心に描いて生まれたものでした。
――杖を手にする瞬間をイメージできれば、捕まえられるかもしれない。
ルナリアはそう思ったのです。
心の中にある杖は井戸の底からふわりと浮かびました。青い光を放ちながら、すーっとルナリアの手元に浮かんできます。
――さぁ、どんどん浮かんで。この手においで!
杖はどんどんどんどん、ルナリアの手元に近づいてきます。もう少し、もう少しで手に届きます。よけいなことを考えてはいけません。集中力が切れたら落っこちてしまいます。もう杖はすぐそばです。
手のひらになにかが触れます。その感触がルナリアの中で雷のように駆けめぐりました。のぼってきた杖を逃さないよう、パッと手を広げてつかみ取りました。
光の中から手を出すと、青い透明な宝石がついた杖がありました。長さは腕の半分ほど。宝石は親指の先っぽくらいで、きれいに細工されています。しっかり握りしめると、宝石はキラキラと青白い光を放ちました。
「合格だ。わが校への入学を許可する」
校長先生の言葉とともに、拍手がわきました。
ルナリアは先生たちから「おめでとう、おめでとう」と握手を受けました。ちゃんと握り返しますが、目は点のまま。杖があがってくる不思議な現象に、自分の頭がまだついていきません。
「なに驚いている」
「君は魔女なのだ」
「魔女なら魔法が使えて当然だ」
「素質がある証拠」
「びっくりしてたらキリがない」
先生たちがルナリアに声をかけます。
その中にノルン先生はいませんでした。
「さっそく、明日から魔法の授業を受けてもらおう」
校長先生がほがらかな声で言いました。
それを聞いてルナリアは心配になりました。
「先生、なにか準備はいるの? 私、なにも持ってないの」
弱々しい声で言うルナリアに、先生たちは笑います。
「大丈夫。必要なものはすべて与えられる。魔法使いは国の宝なのだ」
「じゃあ、お金は?」
「お金もいらない。必要なものは国から出る。なにも心配しなくてよい、君は特別なのだ」
ルナリアは先生たちに連れられ、光の噴水あふれる部屋を出ました。もう二度とこの部屋に入ることはありません。ちらりと振り返ると、無限に湧き出す光の噴水は、壁の向こうに消えていました。
学校のろうかを進むと、授業の様子が見えてきます。ある教室では大砲の弾がふわふわり、くるくるりと踊っています。別の教室ではお人形が机の上を駆け回っています。身体はほんものの人間のようにやわらかく、物語に出てくる妖精のよう。庭では生徒たちが空の上を歩いています。ここではお話の世界と違い、ほうきは使わないようです。
ルナリアは目を輝かせながら、不思議な光景に見とれていました。
「君もすぐ飛べるようになるさ」
「魔法の使い方さえ習えば、杖一振りでどんなことも叶うだろう」
先生たちがにっこりほほえみながら言いました。
教室の列を過ぎると、ルナリアたちは外に出ました。
橋の向こうに白い建物があります。校舎と同じ金色の飾りに彩られ、夕陽を受けて赤くきらめいています。純白の壁には青い宝石がいくつも埋まっていて、杖と同じ光を放っています。ここがルナリアが暮らす寮の建物です。建物はとても高くて七階まであります。その中の五階にある一室に案内されました。
扉を開けると真っ暗だった部屋に、やわらかいランプの光が降り注ぎました。部屋の広さはルナリアの家の半分ちょっと。一人で使うには広すぎるほどです。部屋の右側には机と椅子に、本を並べる棚があります。左側にはベッドがあって、雪のように白いふとんがかかっています。ベッドはとても大きく、二人、いや三人眠れるかもしれません。
「ここがルナリアの部屋だ。好きに使うとよい」
ルナリアは部屋に入り、中をグルグル見回しました。
ランプの光を支える台は金色です。机にも金色の小さな飾りがあります。試しに持ってみると、飾りはとても重く、想像の倍はあります。部屋にある金色は黄銅などではありません。ほんものの金だったのです。ルナリアはまるでお姫さまになったかのようでした。
「起床は七時だ。それまではゆっくり休みなさい」
先生たちが次々と部屋を出ていき、ルナリアひとりになりました。
不必要なほど広い部屋にルナリアは困り果ててしまいました。荷物は画家パースの輝きを失ったペガサスとわずかなお金、あとはつかみ取った杖だけです。いままでの暮らしと違いすぎて落ち着けません。
――領のオルカ様もこんな暮らしをしているのかな?
ルナリアはあの魔女のようになりたくありませんでした。ここで華やかな暮らしをしていたら、普通の人としての感覚が壊れてしまいそうです。貧しく大変な人々の心を理解できない、彼女のようになってしまうかもしれません。ルナリアはそれを恐れていました。馬小屋で寝てもいいって言われたら、間違いなく馬小屋を選んでいたでしょう。
ここへ来るとき、剣を携えた軍人が言っていました。
『どうか、素直な心のまま過ごしてくれ。けっして力にのみ込まれないように』
いまできるのは、この身分におごらないよう、胸の内で誓うことだけでした。
初日に限り、食事は部屋まで運ばれました。夕食はとても豪華で、ひもじい暮らしをしてきたルナリアにとっては、逆に吐きそうでした。でも結局ぜんぶ、胃袋へむりやり詰めこみました。
食べ終えるとベッドに横たわります。
そしてちっとも眠れぬまま、朝を迎えました。