3 鍋物の対価
マイタケ、ゴボウ、長ネギ、白菜、糸こんにゃく、油揚げ、セリはないから三つ葉で代用。比内地鶏も手に入らないから地元の地鶏でごめんなさい。デパ地下で手に入れたきりたんぽ鍋セットを使って、本日はきりたんぽ鍋!
何を隠そう、私はきりたんぽが大好きなのである。だし汁を含んで柔らかくなったきりたんぽを食べる至福の時。いつかは現地で本物を食べたい魅惑の鍋物なのだ。
「ヴォルフも気に入ってくれるかな?」
最後に入れる刻んだ三つ葉を準備した私は、蓋を少しだけ開けて三つ葉を放り込んだ。それから少し待って土鍋を前にいつものように座ると、パチンと手を合わせる。
「いただきます!」
蓋を開けるとふわりと三つ葉の香りがして、口の中に涎が滲み出てくる。その香りと共に、青白い光が部屋中に広がり、私の待ち人がやって来た。
「こんばんは、リナさん。春の香草のようないい香りがしますね!」
「いらっしゃい、ヴォルフ。三つ葉の香りよ。さあ、座って」
私が指差した先には、色気のない座椅子がある。椅子文化のヴォルフの為に、先週の土曜日に実家から持ってきたのだ。
「不思議な椅子ですね……意外とふかふかだ」
今回は靴を脱いで待っていたようで、ヴォルフは靴下を履いていた。さらに、襟のある白い長袖のシャツに、白いマフラーのような襟巻き、黒っぽいズボンと、中々にラフな格好だ。軍服は好きだが鍋を囲むのに適さない、という私の主張をきちんと覚えていたらしい。
「座布団よりそっちの方が楽でしょ? 今日の服は普段着?」
「はい、自分の服です」
「その襟巻きは外していいわよ。ここには私しかいないんだし、リラッ……えっと、ゆっくりくつろいで」
「そ、そうですか……二人きり……リ、リナさんがそう言ってくださるなら」
もちゃもちゃと不器用な手つきで白いマフラーをはずしたヴォルフは、きちんと畳んで床に落く。異世界の将軍が、何となくネクタイを外したサラリーマンのような姿になった。
「さあ、食べましょう。今日は秋田名物きりたんぽ鍋よ」
「きりたんぽ?」
「そう、この穴の空いたやつがきりたんぽ。炊いたご飯を練り潰して串に刺して、焼いたものなの」
ヴォルフ用の少し大きな器に、きりたんぽとだし汁を取り分ける。三つ葉の香りとよく染みたきりたんぽが絶妙なバランスだ。フォークを使ってきりたんぽを掬ったヴォルフは、ふーふー言わせながらぱくりと齧る。するとたちまち目尻が下がった。
「このダシが、とてもいいですね! 潰したゴハンも香ばしい」
「でしょでしょ? 残念ながらこれは出来合いのものだけど、いつか現地で食べさせてあげたいわ」
「遠い国の鍋物なのですか?」
「同じ国の鍋物だけど、北の寒い地方の郷土料理なの。後から地図を見せてあげるわ」
「地図、ですか……よろしければ、是非に」
ヴォルフは、しゃくしゃくとした歯ごたえのマイタケや、柔らかくなったゴボウもまんべんなく食べていく。甘い白菜はもちろん、地鶏も喜んでおかわりをした。
「うーん、鳥肉のダシ汁にミツバの香りがたまりません! 最後まで飲み干せるなんて贅沢ですね」
「これにうどんを入れても美味しいみたい。まだ試したことはないんだけどね」
「ウドン……また謎の食材が」
よく食べるヴォルフも、油揚げは少し苦手だったみたい。口の中に入れて変な顔をしていたので聞いてみると、「パフスパフみたいです」と言って、よく噛まずにほぼ丸飲みだった。
「ぱふすぱふって何?」
「植物を乾燥させた、身体を洗う時に使うものです」
「油揚げって、あんたの好きな豆腐を油で揚げたものよ?」
「これが、あのとーふ⁈ 信じられません」
ヴォルフの目が丸くなる。だしをたっぷり含んだ油揚げは美味しいのに、苦手なら仕方がない。かわりに糸こんにゃくを入れてやると、これは食感が面白いとにこにこして食べた。何故だろう、どちらかと言えば糸こんにゃくの方が苦手だと思うのに、不思議な将軍である。
「きりたんぽ鍋、とても美味しかったです」
「お腹いっぱい! 幸せだわ」
「私も、幸せです。それであの、リナさん……この間からのお礼と言いますか、対価を」
追加のきりたんぽもしっかりと食べ、どうやら満足したらしい様子のヴォルフが、ポケットから何かを取り出した。ローテーブルの上に置かれたのは中身がパンパンに詰まった茶色の革袋で、ヂャリッというなんとも言えない重みのある音がする。
「それは何?」
「な、何も言わずに受け取ってください!」
ずいっと押されて形を崩した革袋に、私は剣呑とした目を向ける。角のない、薄くて丸くて平らなものがくっきりと浮かび上がっており、開けずとも何となく中身がわかってしまった。
「あんたを呼んだのも助けたのも偶然だし、それはいらない」
「しかし、魔法術師殿には対価を払わねば」
「それはそっちの常識かもしれないけど、本当にいらないから。第一、私は魔法術師とかじゃないの」
「リナさん」
私がムッとした声を出すと、ヴォルフはとたんに情けない顔になる。別にヴォルフが悪いわけではないと、私もわかっている。ハルヴァスト帝国では普通のことで、こちらでも何かのサービスに対して対価を支払うのは普通である。
しかし、私が偶然にもヴォルフを助け、こうして鍋を囲むことには対価など必要はないと思うのだ。
「私は、あんたと鍋物を食べたいから勝手に呼んでるの。それだけじゃ駄目?」
「駄目、ではありませんが……」
「真面目よね、ヴォルフって。いいわ、その中から一枚だけもらう。一枚だけよ」
「では、カーネリウス帝正金貨の初年度刻印があるものを」
パンパンの革袋を紐解き、中から取り出したのは、金色に輝く大きな金貨だった。大きさも厚みも、五百円硬貨よりもデカい。金貨の表側には精密な人の横顔が刻印されており、私には読めない文字が散りばめられている。
「価値は聞かないでおくわ……これは、時空を超えてあんたと出逢った記念。ありがとう、大事にする」
私の言葉に、ヴォルフはホッとしたような顔になった。将軍だというのに、ポーカーフェイスができない性分らしい。
(それはそれで可愛いんだけどね)
私はズシリと重い金貨を、アクセサリーボックスの一番上にしまう。これは誰かに見せてはならないものだ。
それから話をそらす為に、ノートパソコンを持ってヴォルフの隣に移動した。
「リナさん?」
「さっき話した地図を見せてあげるわ」
「これの中に地図が?」
「パソコンっていうの。これで世界中の情報が見れるし、離れたところにいる人とやりとりもできるのよ」
「この世界は、魔法技術がかなり発達しているのですね」
「私たちは科学技術って言ってるけど、ヴォルフにしてみたら魔法みたいなものかな」
あまり驚かせないように、まずは検索ツールで世界地図を画面に表示する。すると、それだけなのにヴォルフの目は画面に釘付けになった。
「これが世界地図。私の国はここで、きりたんぽ鍋がある秋田はここ……ってヴォルフ、大丈夫?」
「大丈夫です……こんなに精密な地図が」
「別に機密情報とかじゃないから心配しないで」
あまりに真剣に、食い入るように地図を見るヴォルフの鼻を指先で弾く。急に振り向いた顔がかなり近くて、私は魅入られたようにヴォルフの琥珀色の目を覗き込んだ。
縁が薄っすらと緑色をしていて、とても綺麗だ。睫毛も長いし、くっきり二重だし、理不尽にも腹が立つ。モテそうな顔に地位も高いとなれば、世の女性は放っては置かないだろう。
「大事なことを聞いてなかったわ」
「な、何でしょうか」
「ヴォルフって独身? 恋人とか婚約者とか、まさか奥さんいたりする?」
もしそうであれば大問題だ。半ば無理矢理のように週末鍋に付き合ってもらっているけど、特定のパートナーがいるのであれば、私が浮気相手と疑われても仕方がない。するとヴォルフは、勢いよく否定した。
「いませんから! 次々と昇任したせいで忙しくて、あちこち異動になって、特定の人など作る暇なんて……やっと暇になったかと思えば、売れ残りの年齢に」
「売れ残りって、あんた何歳なの?」
見た目は三十代半ばだ。美味しいものを食べて破顔する姿は子供のようだが、目尻のシワは誤魔化せない。海軍の将軍なので、海風に晒された髪は先の方がパサついていて、肌も日に焼けている。
「三十二になります……ハルヴァスト帝国では、二十代半ばから三十になる前には婚姻を結ぶのが普通なのです」
「たった二年くらい過ぎただけで売れ残りとか言っちゃ駄目よ。実力は知らないけど、頭はいいんだから頭脳戦で頑張りなさいよ」
「私の副官であれば、経験も豊富で実力もある、申し分のない大佐なのですが……私の下にいると日の目を見ないことが申し訳ない」
しょぼんと項垂れてしまったヴォルフの背中をさすりながら、私は検索ツールにある書物のタイトルを打ち込む。軍のことを知らない素人の私でも聞いたことがある、有名な書物だ。
「ほら、ヴォルフ。こんなのはどう? 昔々の頭のいい人が考え出した兵法で、現代でも商売戦略にも用いられるほどなんだって」
日本語を読めないヴォルフの為に、注釈付きの有名な一節を読む。最初はよくわかっていないような表情だったのに、もう一節を読んであげた時には、何かを考え込むような顔になった。
「面白い考え方ですね。あの、最初から読んでいただいても?」
「いいわよ、悪用しないと約束してもらえるなら」
私が言葉に出さなかったことまで、きちんと理解してもらえたらしい。ヴォルフは座椅子から降りて膝をつくと、私の手を取って額をつけた。
「命の恩人たるリナ・ヨソハラ殿の名誉を傷つけるような振る舞いは、私の名に賭けて、決して致しません!」
芝居めいた仕草がよく似合う異世界の将軍は、ちょっと引き気味になった私に向かって真剣に訴えてくる。
「貴女と過ごす至福の時を守る為であれば、このヴォルフガング・ブライトクロイツ……」
「そ、そういうの、いいから。ね? 楽しく美味しく、お腹いっぱい鍋物を食べる! それが大事、わかった?」
「では、どうすれば」
「もう、この石頭! 真面目過ぎるの、柔軟に対応して!」
この時私は、異世界の生真面目な将軍が、三十二歳まで売れ残っている理由を垣間見た気がした。
そして、少しでも柔軟な考え方ができるようになれば、と勧めた懸賞付きパズルによって、素晴らしい食材を手に入れていくまで、あと少し。