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2 土鍋で召喚?! ②

 ハルなんとか帝国とか聞いたこともなければ、私は医術師とかいう怪しい職業では断じてない。そもそも将軍などという役職に、こんなに若そうな男がなれるわけがない。

 私は自称帝国海軍の将軍に、あからさまに疑いの目を向ける。


「将軍? 将軍って前線に出るものなの?」


 疑念に満ちた私の声音に、ヴォルフガングと名乗った自称将軍は項垂れた。


「恥ずかしながら、私は試験の成績だけで受かったような名ばかりの将軍なのです。現場指揮を執っていたのですが、まあ、この通りと言いますか」


 ハルなんとか帝国の軍人も、御多分に洩れずしょうもない試験で昇任するらしい。


(ああ、あれか。実力を伴わないタイプなわけね)


 別に馬鹿にするわけじゃないけど、一緒にいたであろう軍人たちが少しだけ可哀想になる。


「それでもあんたは将軍なんでしょう? 一番先に戦線離脱してどうするのよ。残った部下たちが可哀相だわ」

「それはその通りなのですが、しかし私の副官は叩き上げの優秀な軍人ですので心配はいりません」

「ふぅん、で?」

「は?」

「あんたはそれで悔しくないわけ?」


 私のこの一言はヴォルフガングにとっても痛いところを突いてしまったようで、彼は大きな体を縮こまらせた。


「正直悔しいです。ですが、経験もないこんな若造では、歴戦の猛者たちに立ち向かうなんて到底無理なことなんです」


 容貌の割には意外に小心者なヴォルフガングに、私は溜め息すら出なかった。


「まあいいわ。とりあえずそれ返してよ」


 私は未だに握られているスマートフォンを指差すと、ヴォルフガングはワタワタとしながらお手玉し、終いには床に落としてしまった。


「ちょっと、何するのよ!」

「すみません!」


 ヴォルフガングより先に拾おうとしゃがんだ私は、血塗れだったスマートフォンが綺麗になっていて、ローテーブルや床に付着した筈の血が一切痕跡を残していないことに驚いた。幻を見たわけではなく、本当に本物の超常現象だと脳が理解すると、ヴォルフガングのつま先から頭に目を這わす。


「ねえあんた、血だらけだった割には元気よね」

「ええ、貴女が飲ませてくれた薬湯のお陰ですっかり傷が癒えました。浄化の魔法術までかけていただき恐縮です」


 見に覚えのないことに感謝されても嬉しくはない。というか、魔法とか使えるわけがない。


「あれ水よ?」

「はい……えっ、水?」

「だってあんたが水って言ったから、水を飲ませただけなんだけど」


 私かまだ水が入ったままの状態のグラスを指差すと、ヴォルフガングがそのグラスに口をつける。


「……ね、ただの水でしょ?」

「いえ、これは……ソーマ? ソーマですよね?!」


 急に興奮し始めたヴォルフガングだけど、私には何がなんだかわからない。


(ソーマってミネラルウォーターの名称? ヤバい薬? それとも神話の話?)


 ただの水をありがたそうに飲むヴォルフガングの身体が、再びキラキラと光る。その様子に目を輝かせるヴォルフガングにドン引きした私は、蓋を開けっ放しにしたままの土鍋に目を向ける。ちょっと煮え過ぎているが、まだ美味しそうな湯気をあげていたので、どうしようかと考えた。


「ソーマか何だか知らないけど、それあげるから帰って」


 はやいとこ追い出して今日のことは忘れよう、これは事故だ。幸いヴォルフガングには悪意はないみたいなので、さっさと帰ってもらえばそれでいい。関わるとロクなことにならない。

 しかしヴォルフガングはキョトンとした目で私を見て、それから眉を下げた。


「あの、その、どのようにして帰っていいのか……すみません、お手数ですが帰していただけますか?」

「はあっ?」


(何? あんたが勝手に来たんじゃないの⁈)


 驚いたことに、あの土鍋とヴォルフガングのハルなんとか帝国の海が、時空を超えて繋がったらしい……なんて言われても信じられる訳がない。そもそも私は魔法なんて使えないし、ハルヴァスト帝国なんてこれっぽっちも知らないのだ。

「あんたの言う、優秀な副官にでも頼みなさい」と言ったところ、ヴォルフガングは「敵兵から転移攻撃を受けた際に道標を落としてしまい、違う世界に来たみたいで帰る術がない」と申し訳なさそうに謝罪してきた。


「あんた本当に使えないわね! ここは日本よ! 私にもわかるわけないじゃないの!」




 ――――ということもあり、私とヴォルフガングは今、仲良く鍋をつついている。


 そもそもこっちはこの不思議な土鍋が光ったことが発端で、それを調べたら何かわかるのではないかと思った私は、鍋を調べようにも中身が邪魔なことに思い至った。それならばと手っ取り早く食べることにし、ついでにヴォルフガングにも手伝ってもらおうと考えたのだ。


 ヴォルフガングは膝丈の編上靴(あみあげぐつ)を履いていたので、きちんと脱がせて紙袋の中に入れさせる。玄関に置こうとしたものの、どうしても部屋から靴を出すことができなかったので苦肉の策だ。まるで見えない壁があるかのように、ヴォルフガングと彼の持ち物は部屋から出ることができない。つまり追い出せないということなのか。


 本日三回目の超常現象に、驚く気力すら失くした私は、仕方なく彼を鍋に誘ったというわけだ。


 正座を知らない彼に胡座をかいてもらい、箸の代わりにフォークを持たせていざ出陣。ひよこ柄の器に鳥団子や野菜を入れてポン酢をかけてやると、彼はその匂いをクンクンと嗅いだ。


「毒なんて入ってないわよ。心配なら私が食べるところを見てからにすればいいわ」


 はふはふといわせながら鶏団子を食べる私に、ヴォルフガングがフォークに刺した鶏団子を少し齧る。そして口に合ったのか、残りの鶏団子を一口で頬張ると、その他の具材にフォークを伸ばす。


 そして彼は鍋の虜になった。


「この白い『とーふ』はこのタレによく合いますね」


 豆腐はフォークでは食べにくいのでスプーンを持たせてやると、私と同じようにはふはふいわせながらにっこり笑った。ちなみに彼の言う『タレ』とはポン酢のことである。


「口に合ってよかったわ。あんたのところには鍋物はないの?」

「東の大陸の少数民族が似たような鍋を使っているようですが、ハルヴァスト帝国にはありませんね」


 今度は春雨をフォークに巻いて食べている。

 ヴォルフガングは箸を使う私を見て「器用ですね」と言ったが、私にしてみれば彼の方が器用に見える。春雨をパスタのようにフォークに巻いて食べる奴など、私は彼以外に見たことがない。


 異世界人の癖に、ヴォルフガングはなんでも食べた。白菜、にんじん、しいたけ、果ては白ネギや春菊まで美味しそうに咀嚼する姿に、私は感心してしまう。


「野菜好きなの? 男の人にしては珍しいわね」

「もちろん肉も好きですが、こちらの野菜は甘くて美味しいのです。向こうの野菜は青臭くて大雑把で……本当は苦手なんですよ?」

「私たちは食にうるさい民族なの。野菜だってこだわって作るのよ。お陰でたくさん美味しい物が食べられるから痩せるのが大変なのよね」


 ヴォルフガングは机上の将軍であるが、軍人なだけあって無駄に筋肉質なようだ。これだけの体を維持するには相当な食糧が必要だろう。


 最後の一個になった鶏団子を口に入れたヴォルフガングに、私は久しぶりに楽しい食卓だったと思った。得体の知れない人物ではあるが、これほどまでに鍋物を美味しそうに食べる人はそうそういない。


「さあ、後は締めの雑炊よ」


 私は残った野菜をヴォルフガングの器に取り分け、だし汁だけになった土鍋の中にご飯を投入して火をつける。


「これが美味しいのよね。あんたまだ入るでしょ?」

「ええ、あと少しなら」


 ヴォルフガングの為にご飯を多めにして、沸騰して来たところで醤油を足す。さらに小葱の微塵切りを散らし、溶き卵をまんべんなく回しかけると、ヴォルフガングの顔が期待に満ちたものになった。


「色んな野菜や肉の栄養が入ってるから美味しいのよ」

「鍋物とは素晴らしい料理ですね。帝国にもあればいいのに」


 ここで卵にふわふわ感を持たせる為に、私は土鍋に蓋をした。


「これを食べなきゃごちそうさまは言えないわ」


 ブゥゥィン


 何に反応したのか、土鍋の淵と蓋の間が微かに光る。

 ヴォルフガングが来た時とは逆に、何処からともなく現れた光の模様がヴォルフガングの身体を包み込んでいく。その不思議な光景の中、私とヴォルフガングの目が合った。


「あっ」


 カッと閃光が走り、眩しさから目を瞑った私は、何度か瞬きをして目を開ける。そして、静かに土鍋の中に吸い込まれるように消えてしまった光に、私は彼の方を見て固まった。


 ヴォルフガングがいない。


「え? 嘘でしょ……ねえちょっと、ヴォルフガングさん?」


 部屋の中には私しかいない。

 ヴォルフガングのいた場所に残された座布団はまだ温かく、彼が今の今までそこにいたことを示唆している。そして紙袋に入ったままの編上靴。部屋の片隅に取り残されたそれは、確かに彼が履いていたものだ。

 土鍋の蓋に開いた小さな穴からは湯気が立っていて、雑炊が食べごろであることを知らせているが、そんなことよりヴォルフガングの行方が気になった。


「帰っちゃた?」


 彼が無事に帰ったのであればそれに越したことはない。でも……


「雑炊……二人分も誰が食べるのよ」


 呆気なく去って行ったヴォルフガングに、何故か気落ちしてしまった私は、ぐつぐつと音をたてる土鍋に恨めしげな視線を向けた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 キャベツ、ニラ、ゴボウ、もやし、ニンニクに主役のモツ、そして締めのチャンポン玉。毎週末に食べる鍋物、本日はもつ鍋よ!


 ヴォルフガングとの奇妙なやり取りから一週間。

 あれから彼には会っていない。あの時突然消えたまま、袋に入った編上靴も部屋に置いたままだ。何故なら編上靴を部屋から出すことができないから。超常現象は未だ続いており、このことが私を悩ませる。

 気になってさりげなく神社の人に土鍋について聞いてみたものの「土鍋なんてくじの景品にしたっけ?」と覚えていないようだった。


 あの情けなくも生真面目そうな将軍は、無事に戦場に戻れたのだろうか。何処か拗ねた感じの、みてくれだけは歴戦の猛者は、無事に海賊を討伐できたのだろうか。


(また怪我してなければいいんだけど……)


 ローテーブルの上の土鍋から、もつ鍋の匂いが漏れてくる。小さな穴から湯気が立ち、部屋いっぱいにニンニクの匂いが広がった。


「もつ鍋も食べさせてみたかったな」


 少し癖はあるが、外部の人間に食べさせると中々好評な鍋物だ。きっとあの将軍も気に入ってくれるに違いない。色々大変だったけど、一緒に食べている時はいつもより美味しいように感じたし、何より楽しかった。

 あまり考え過ぎるとしんみりとなりそうで、私は気持ちを切り替える。スタミナたっぷりのもつ鍋は、土鍋の中で準備万端だ。


「いただきます!」


 手を合わせた私はいそいそと土鍋の蓋を開ける。いい具合にしなったキャベツが鮮やかな黄緑色になっていて、とても美味しそうだ。上の方に重なっている野菜にだし汁をかけようとして、私は木じゃくしを握った。

 するとどういう訳か、またもや土鍋の淵に光が灯ると、青白い光を放ち始めたではないか。


「嘘、またこれ?」


 あの時と同じように土鍋の淵が光輝き、あの忘れもしない光の模様が部屋に広がっていく。そしてその模様は収縮し、一人の人物を形取っていった。今日は寝転んでもいない、立ったままの状態だ。

 私はその姿にドキドキと胸を鳴らすと、光がおさまるのを待つ。


「ソーマを作りし医術師様は、高位の魔法術師様であられましたか……どうやら私は、貴女に呼ばれて来てしまったようですね」


 赤茶色の鬣のような髪を束ね、相変わらず軍服を着たヴォルフガングがそこに立っていた。今度はびしょびしょでもなければ血塗れでもない。

 面倒ごとは嫌いだけど、実はこの不思議な出来事を待っていたらしい。あり得ない状況で再び姿を現した異世界の将軍に、私の心は浮き立った。


「お怪我はありませんか、ヴォルフガング・ブライトクロイツ将軍?」

「ヴォルフとお呼びください、命の恩人よ」

「リナよ。私はリナ・ヨソハラ。今日も鍋物だけど、食べていかない?」

「ええ、喜んで」


 先週と同じように向かい側に座ってもらい、準備していたフォークと箸を渡す。ヴォルフは嬉しそうに受け取ると、置かれていたクッションの上に座った。


「凄く食欲をそそられる匂いですね」

「でしょ? もつ鍋っていうのよ」

「もつとはこのプルプルしたものですか? どこかで見たことあるような……」

「食べてから正解を教えてあげる。今度は締めまで食べていってもらうからね」


 不思議な土鍋がもたらした縁はまだまだ続きそうな予感で、私とヴォルフは締めのチャンポン玉までガッツリ食べたのだった。




 

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