第四話「その妹、最強につき」
目に見える変化は、特にはなかった。
ただ、そのその場にいた少女たちは、そこで感じる異常な禍々しさを肌で感じ取っていた。
それは、司と片穂も例外ではない。
「司さん。これって……!?」
「俺も、ようやくこの嫌な感じがちゃんとわかるようになってきたよ……!」
一気に増した緊張感によって嫌な汗が頬を流れているのを、司は感じていた。
外見上の変化はないものの、辺りを漂う気配を警戒し続ける片穂が静かに口を開く。
「この嫌な空気……、もしかして……ッ!?」
「どうした片穂? 悪魔が出たってだけじゃないような顔になってるけど」
「……覚えてますか、司さん。華歩さんとお姉ちゃんが『契約』をした時の、あの悪魔を」
言われて、司は思い出す。
黒い衣装を身にまとった、小さな少年の見た目をした悪魔。関係のない人を傀儡にし、自分たちを殺そうとし、華歩の体を一時的に乗っ取ったあの悪魔。
アスモデウス。
言われてみれば、この嫌な感じは、あの時と同じで……
「……まさか?」
「似てるだけだと思いたいですけど、同じなんです。あの悪魔と」
ピリピリと張りつめた空気が肌に刺さる。
そして、現れる。
見た目は、どこにでもいるようなただの女性。
しかし、その身を包む黒い瘴気は、明らかに人間ではなく、
「やあ、久しぶりだね。クソ天使ども」
女性は、口を開いた。
「ほぼ完全に消えたとしても、少しでも闇が残っているなら僕は誰かに憑依することができる。少しずつしか回復できないから、こうやって出てくるまでかなりの時間がかかったけどね」
「――ッ‼」
言いながら歩を進めてくる悪魔を見て、片穂は即座にその姿を天使に変える。
白銀の翼。白を基調にした神々しさの溢れる衣装。
力をまとい、片穂は両手を前に出す。
「【縛魔之神域】‼」
片穂の手から放たれた光が司たちのいた遊園地を一瞬のうちに包んでいく。
大きな遊園地をさらに巨大な光で囲い、その場にいた関係のない人々がこの悪魔によって攻撃されないための片穂の決断。
近くにいた人々はすぐに踵を返しこの結界の外へと出ようと無意識に歩き出す。
そして、歩く人々が外へ出るまで守るために、片穂は右手を力強く開く。
「【光焔之剣】‼ もうあの時みたいに誰かを巻き込ませたりなんてしません!」
目つきを鋭くする片穂を見て、司は彼女へと手を伸ばす。
「片穂! 来い!」
「はい!」
『契約』によって結ばれた天使と人間は、その存在を一つに変える。
自分の中に片穂を取り込み、司自身が一時的にその存在を天使へと昇華させる。
戦闘態勢は整った。
その姿を見て、アスモデウスは静かに笑う。
「今回、僕は誰かを使ってお前たちを殺そうだなんて思ってないさ」
溶けるように口角をねっとりとあげながら、アスモデウスは憎悪に満ちた声を出す。
「あれだけのことをされて、他のモブキャラにお前たちを殺させても僕が満足できるわけがないだろ。この手で、粉々に、グチャグチャにしないと、気が済まねぇんだよォ‼」
先ほどまでの笑みが瞬く間に歪み、司たちを睨みつける。
そして、アスモデウスは周りをキョロキョロと見まわす。
「それで、あのクソ天使はどこだ? 僕はあいつの気配を追ってきたんだ。まず最初にあいつを殺さないと。どこだ」
司たちなどいないかのように、アスモデウスは歩き始める。
と、そこへ静かに歩く人影が一つ。
「誰だ、お前」
悪魔の前に現れたのは、髪を二つ結びでまとめた少女。
彼女は、そう、ただの人間のはずで。
天使ではない彼女は、静かに口を開く。
「……お兄ちゃんの妹」
「お前に用はない、どけ」
天羽導華以外に興味などないのだろう。真穂の横をアスモデウスが通り過ぎようと歩を進めて、
「…………本当に?」
声が響いた。
「……あ?」
異質な雰囲気を感じ取ったアスモデウスは、足を止め、振り返る。
そして、悪魔に向かって、人間であるはずの少女は言う。
「本当に、私には、あんたら悪魔が無視するほどに価値はないのかって、訊いてるんだけど」
「――ッ!?」
悪魔は、そのようやくその違和感に気づいた。
その少女はただの人間のはずなのに。
悪魔から搾取されてしまう側の存在のはずなのに。
彼女はまるで、悪魔と対等な、否、それ以上の得体の知れない力を持っているようにしか感じられなくて。
「【蛇陰之闇槍】‼」
咄嗟に、悪魔はその手を振り上げ、黒い煙をまとい、それを無数の槍に変化させる。
かつて、司たちを苦戦させた技の一つ。
それが、天使でもないただの人間に襲い掛かる。
が、しかし。
「――邪魔」
少女は、手を横に振っただけだった。
ただそれだけで、悪魔の放った槍は吹き飛び、塵となって消えた。
「な、なに……ッ!?」
状況が一切呑み込めていないアスモデウスに向かって、佐種真穂は進む。
「私ね、すっごく怒ってるの」
静かに、とても静かに、真穂は言う。
「私のお兄ちゃんが、何にもできなかった頼りがいのないお兄ちゃんが、いつもの間にか変わってて、私の助けなしで何かをしようと頑張ってるの。それをさ、こんな形で邪魔されたら腹立つに決まってるでしょ」
近づく真穂を見て、アスモデウスは一歩後ろに下がろうとするが、なぜか途中でピタリと動きを止める。
「間合いに入ったなら僕の物だ! お前の体、もらうぞ!」
ふっ、とアスモデウスに憑依されていた女性の力が抜け、黒い瘴気が真穂を包んだ。
『強制契約』。本来は互いに同意が必要であるはずの契約を一方的に結び、その人の体を無理矢理自分の器として自我すらも奪う力。かつて華歩もその力に飲み込まれた。
理解のできない状況に呆然としてた司に、後ろから声が届く。
「いかん! 司! 止めろ!」
ハッと我に返った司は、慌てて地面を蹴るが、その時には既に黒い瘴気は全て真穂の中に入ってしまっており、ふらりと真穂の体が不気味に揺れた。
「……嘘、だろ?」
司は真穂の前に立ち、力なくその場に佇む真穂を見る。
すると、彼女は静かに顔を上げる。
「……………………わよ」
「……真穂?」
「あんたみたいなクソガキ悪魔が、勝手に私の中に入ってくるんじゃないわよ‼」
蒸気機関のように黒い煙が真穂の中から一気にあふれ出した。
悪魔を象徴するはずの闇が、真穂の体から逃げるように彼女の前に集まる。
そして集合していく禍々しい煙は、悪魔本来の姿である、黒い衣装と少年の見た目へと変化していく。
そして、アスモデウスは目を見開き、まるで地獄から帰ったような顔で叫ぶ。
「なんなんだ!? なんなんだその力と器は!? 天使でもない、ただの人間のはずなのに! こんなことがありえるわけがない! お前は一体何者だ!」
「さっき言ったじゃない。私はお兄ちゃんの妹」
アスモデウスとは反対に、落ち着いた調子で真穂は続ける。
「ただし、注意しなさい」
小さな体で悪魔を見下ろしながら、真穂は胸を張る。
「妹は妹でも、私は完全無欠で完璧超人な、最強の妹だから」
そして、真穂がたった一歩近づいただけで多量の汗を顔じゅうから流すアスモデウスは、自らを守るために天使の攻撃すらも弾く硬度を誇る闇の盾を顕現させるために声を上げる。
「【蛇陰之巨壁】‼」
ゾン! と内側から広がるように展開される盾が真穂に迫るが、彼女は、動じない。
「うっさい!」
バリンッ‼ と、拳一つで闇によって生成された巨大な盾は真穂によって粉砕された。
砕けていく破片の中で、悪魔は状況が理解できずに息を詰まらせる。
「な……ッ‼」
腰の抜けた悪魔の前で、圧倒的な力を持ったサタンの『器』は、佐種美佳の血を完全に受け継いだ最強の少女は、固く拳を握って振りかぶる。
「妹を舐めるんじゃないわよ。妹ってのは世界最強の属性なんだから」
人間によるたった一撃のパンチによって、悪魔は跡形もなく消滅した。




