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俺と天使のワンルーム生活  作者: さとね
第四章「諦める覚悟、諦めない覚悟」
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第一話「その妹、──につき」

 佐種司の朝は平均的な男子高校生の朝よりも早いと、本人は確信していた。特に休日に関しては顕著に早いと司は若干頭を抱えそうになりそうなほど苦しんでいた。

 普通の帰宅部の高校生であるはずなのに、どうして朝七時から同居人にたたき起こされて朝食を作らされなければならないのか。そもそも一人暮らしなのに同居人が二人いるという時点で矛盾している気もするのだが、そんなことについて考えることも最近は止めてしまっていた。

 事実、司自身も今の生活は楽しいため文句は言えないのだが。

 なにはともあれ、今この瞬間に佐種司が現状に納得いっていない事は確かだった。


「なんで、なんでこんなムシムシした日曜の朝から一人で買いだしなんかしなきゃいけないんだ……」


 事件は司の寝ている時に起こっていた。

 夏の暑さで寝付けなかったらしい同居人の一人、小さい体と毛先が肩につくぐらいでまとめてある金髪のツーサイドアップで私服はミニスカ着物のくせに部屋着は司の体育着とかいう有能天使、天羽導華が全ての元凶だった。

 夜中に起きた彼女は八月に入りかけた日本の初夏の熱気に苦しみ、冷蔵庫から寝ぼけた手つきでアイスを取り出し、パクパクと食べると満足したのかすぐに布団へ戻り睡眠を再開した。

 もう一度言おう。事件は司の寝ている間に起こった。付け加えよう。事件は司の起きた瞬間に発覚した。さらに補足しよう。天羽導華は事件を起こしたのではなく、事件が起こる元凶だった。

 最後に要約しよう。

 寝ぼけた彼女がアイスを取り出し、その冷蔵庫を開けたまま放置して眠ってしまったら、日本の初夏はすやすやと冷蔵庫で眠っていた食材たちにどれほどの猛威を振るうのだろうか。


「起きたら冷蔵庫の食材がまるまるダメになってるとか本当に信じられない。これはテロだね。これこそ飯テロと俺は名付けたい。というか俺は再定義してやる。普段から世話になっているからってこれを気にするなと許せるほど俺は聖人君子じゃねぇんだぞってところをだな……」


 何かの決意を固めながら、司はたっぷりと食材の詰め込まれたビニール袋を両手で抱える。

 ぶつぶつと文句を垂れ流しながらも結局は買い出しに行って汗を流しながら荷物を運んでいるのが佐種司の甘さなのだが。

 ただ、今回ばかりはあの天使二人に物申してやろうとは思っているので、余計鼻息の荒くなった司は家の鍵を開ける。

 開口一番で同居人たちに文句を言おうとしていた司だったのだが、


「お兄ちゃん‼」


「…………あ?」


 佐種司の全ての思考が完全に停止した。

 今まで頭の中に並んでいた数多の言葉たちが一斉に白紙へと帰る。

 理解の遠く及ばない司の視界に映っているのは、司の肩辺りに目線がある一五歳くらいの少女。いや、間違いなく一五歳だ。

 だって、彼女は司の生まれた二年後に同じ母親から生まれたのだから。

 まだ少し幼さの残る黒髪のショートカット。あまり高くない身長からも窺えるように全体的に発展途上の体。胸や腰回りもまだ成長しておらず、ビキニはまだ早い慎ましやかな体なのは、司が上京する前から変わっていないようだった。

 そして何をしようとしていたのか普通の女の子の服装の上から可愛らしいフリフリエプロンを身につけて玄関で彼女は仁王立ちしていた。


 その彼女は佐種司の妹で。

 その彼女は佐種美佳の血を受け継いだ万能で。

 その彼女は佐種家の血を受け継いだ魔王サタンの『器』で。

 そんな彼女の名前を、司はポロリと口からこぼす。


「……真穂」


 返事は罵声として帰ってきた。


「お兄ちゃん! そこに正座なさい!」


 佐種司の妹、佐種真穂は部屋の中心を指さしてそう言った。

 理解は、未だに追いつかない。






「さぁて、最強の妹である真穂ちゃんが見えないところで女の子二人と同棲しているとは一体どういうことなのかな、お兄ちゃん」


「待て待て、ちゃんと説明するからその威圧感の塊みたいな笑顔をやめてくれ」


 言われるままに正座していた司は徐々に顔を近づけてくる真穂を片手で制す。

 隣を見ると何があったのかは知らないが片穂と導華まで正座していた。


(てかなんで導華さんまで正座してんの!? 何があればあんな天使を普通に正座させられるんだ!?)


 色々と気になることはあったが、まずは説明をしなければ問題が悪化すると思った司は片穂を導華の方へ視線を移しながら、


「えっと、まずはこっちが天羽片穂。それでこっちが片穂のお姉さんの導華さん」


「そんなこと知ってる。私が聞きたいのはなんで一二年前に一回会っただけのこの二人が普通にここに住んでるかなんだけど」


「……は?」


 明らかな違和感が司の頭を駆け抜けた。

 一二年前に一度彼女たちと顔を合わせたことがあるのは確かだ。

 しかし、なぜその事実を普通に覚えている?

 あの時、導華は司の記憶と同時に真穂の記憶操作も行ったはずだ。だから、会ったという事実は忘れていなくてはおかしいのだ。


「……ワシは、確実にあの時に記憶操作はしたはずじゃ」


 戸惑う司の横から、導華が小さく言った。

 普段は怠惰な生活をしているとはいえ、天羽導華は、天使カトエルは天才と呼ばれるほどの存在のはずだ。ミスをするなどあり得ない。

 ならば、なぜだ。


「どうして、真穂は覚えているんだ?」


「美佳殿の血は、伊達ではなかったのじゃろうな」


 代わりに答えたのは導華だった。


「ワシが行ったのは普通の人間用の力の行使じゃった。おそらく、美佳殿の力を濃く受け継いでいた真穂には、それでは足りなかったのじゃろうな」


 それなのに普通に記憶操作を受けていた自分はやっぱり残念な『欠陥品』なんだな、と司が痛感していると、目の前の真穂は未だに笑顔のままこちらを見下ろしていた。


「ねぇお兄ちゃん。覚えてるか覚えてないかなんて関係ないから早く説明してくれないかな? 優しい優しい妹の真穂ちゃんでもこんな状況だとがっちがちに堅いはずの堪忍袋の緒が切れちゃうんだけど」


「わかったから。説明するから」


 司は視線を導華へと向けた。

 理由はもちろん天使について話すかどうかだった。天使について話すことは通常禁止されているはずだが、記憶操作が出来ていないために片穂や導華のことは覚えているし、そもそも彼女はサタンの『器』という世界の命運を分ける重大な役割を担っている存在なので、今の状況を全て話していいのかわからなかったからだ。


「仕方がないじゃろう。遅かれ早かれお前たち二人は全てを知らなければならなかったのじゃからな」


「……早く」


 高圧的な真穂の催促に負けて、司は根底から話を始めた。


 司が天使のこと、悪魔のこと、サタンの『器』のこと。その全てについて話している間、真穂は静かに司の言葉を聞いていた。


「なるほどね」


「ごめんな。急にこんなこと言っても困惑するだけだろうし、今一番危険なのは真穂だから、できる限り俺たちも真穂の安全を──」


「嘘じゃなかったんだね。びっくり」


「…………はい?」


 気の抜けた返事をする司に、真穂は視線を絶賛正座中の天使たちへと向ける。


「いやね? お兄ちゃんがちゃんと元気にしてるかなって、夏休み始まった途端にここまで来てみたワケですよ。そしたらお兄ちゃんがいなくてこの二人がいて事情を聞くじゃない? まぁ一口に信じろだなんて無理なワケですよ」


 うんうんと頷きながら真穂は続ける。


「だからね、お兄ちゃんに聞くことにしたワケですよ。ほらね、嘘じゃなかったら急に返ってきたお兄ちゃんも同じことを説明するじゃない? そしたら見事、全く同じ説明をしやがったから私が今一番世界で重要な存在だと信じざるを得なくなってしまったワケ」


 はふぅ、と抜けたため息を真穂はどっぷりと吐いた。

 それにしても、複数の情報源があった方が信憑性はあると言うが、随分と機転の利く頭だな、と司はやはり妹の特別感を再確認した。


「んで、そんな真穂はどうしてエプロン姿で天使二人を正座させてるのかな?」


「あ、これ? そうそう! このエプロンここに来る途中で可愛かったから買ったんだけど、似合ってない⁉︎ ねね、どうよどうよ?」


 着ているフリフリエプロンの端を両手で摘みながら、真穂は笑顔で近づけてくる。


「違うって、なんで着てるかって聞いてんの! 兄にそんな可愛らしい女の子みたいなことしない!」


「ほほーん。つまりは私のこと、可愛らしい女の子だと思ってるんだ。実の妹なのに、ほほーん」


「おい、その言い方は今後の展開に様々な影響を与えそうな雰囲気バンバンするから本気でやめてくれ」


「えー。けちんぼなお兄ちゃんだなぁー。……えっと、なんでエプロン着てるかだっけか?」


 右頬をぷくぅ、と膨らませて不満そうな顔をして真穂は可愛いのに、とエプロンを眺めたまま説明を始める。


「んーと、片穂ちゃんと導華ちゃんから話を聞いて、とりあえずお兄ちゃんから話聞くまでは信じられないって言った割にはお兄ちゃんがパシられてるから待つしかないワケですよ」


「まぁ、そうだな」


 兄がパシリになってること自体には全く興味がないのはいかがなものだろうかと頭を抱えそうになる司だが、それにも真穂は気づかないまま続ける。


「だからね、新しいエプロンも買ったから美味しいご飯でも作ってまずはお兄ちゃんの胃袋を鷲掴みしてやろうと思ったワケですよ。それで、冷蔵庫を開けてみたら……」


「あぁ……」


 夏の熱気の中、一晩放置されてダメになった食材たちを抜けた後の寂しくすっからかんな冷蔵庫を司は切なそうに見つめる。

 何気に片穂と導華が家に来てからは冷蔵庫の中身が完全に消えることはなかったので、片穂が始めてこの部屋にやってきた日を司は思い出していた。


「それでさ、この冷蔵庫についても聞いてみたら、導華ちゃんが原因だって言うじゃない? そりゃ正座なワケですよ」


「じゃあ、なんで片穂も?」


「私は、なんだか勢いで正座させられてしまいました……」


「片穂、仮にも歳下なんだから勢いで怠惰な姉と怒られる必要はないんだぞ?」


 申し訳なさそうに「はぃい……」と俯く天使としての威厳を全く感じられなくなった片穂を無視して、真穂は「じゃあ」と切り出す。


「ではでは、パシリのお兄ちゃんも返ってきたし、ご飯作ろっか! 完全完璧スーパーシスターな真穂ちゃんが腕によりをかけて料理を作っちゃうぞー!」


 ノリノリで台所へ走り出す真穂だったが、そこで急にインターホンの音が部屋に響く。

 台所の方が玄関に近いため、歩き始めていた真穂が扉を開く。

 そこにいるのは、ほんの少し前まで司の敵のはずだった、悪魔の力を使う少女。そして、今は改心して自分の意思で司を慕う、黒い長髪も少しだけ垂れた目尻と優雅な立ち振る舞いが十代とは思えないお淑やかさを生み出す少女。

 そして、彼女はいつものように口を開く。


「おはようございます、司様。なんだかこの家の冷蔵庫に不幸が起きたような気がしたのである程度の食材を買ってきたのですが……」


 ギギギ……、と真穂の首が動いて司に向けるのはさながら悪魔のような形容し切れないもの凄い形相。

 そして、司が何かを言おうとする前に、追い討ちをかけたのは他でもなく真穂の目の前にいる雨谷朱理だった。


「この女、一体どこの馬の骨ですの?」


 ブチンッ‼︎ という鈍い音が真穂のこめかみ辺りから聞こえた、ように司は感じた。

 真穂は司に優しく(本当に優しいからね。こう形容しないと命が危ないとかそんなことないからね)笑って、こう言った。


「お兄ちゃん、正座♡」


 どうしてこうなったと叫べないまま、パシリ帰りの家主は二つ下の妹に日曜の朝から再び叱られていた。


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